第18話 星祭(一)
相変わらず、大きな仰々しい扉だが、以前のような近寄りがたい雰囲気は無く、それでも、少しだけ怖くてアルタイルを見ると、彼は口許に微笑みを浮かべ、改めて手を差し出した。
「紫薔薇の君(しばらのきみ)。この間は、怖がらせてしまってすまなかった。幾度も君の瞳を曇らせてしまった、情けない男ではあるが、君との未来を諦めたくはない。もう一度、夢から醒めた世界で、君と心を通わせるチャンスを、俺に貰えないだろうか?」
胸元に手を当て、私に一礼をして、まるで乙女ゲームのような台詞で、私に協力を請うアルタイル。仮面を被っていても尚、優雅な彼の仕草は、簡単に私の心を騒がせ、私は彼の手を取り、染まってしまった頬で頷いていた。
「くっさ。大人ってずりぃ。あんなん、絶っ対ぇ、俺には無理じゃん!」
「い、いや。あれは多分、兄さん以外には無理だろう。大人というより、兄さんがズルいんだと思うよ?」
私だけではなく、やり取りを見ていた二人も、見惚れてしまっていたのだろう。随分と間を置いて、空気に耐えられない。と、いうように、声を発したアークに続き、ハッと気付いたようにプロキオンも答えた。
「さすが光の皇子」
「兄さんの面子のために言っておくけど、ボクが勝手にそう呼んでいるだけで、周りからの兄さんへの認識では無いよ? 物語の彼のように、色事の達人では無いと思う……多分」
「プロキオン。そこは断言しておいて貰えるか?」
「(そこの二人。彼女に誤解を招く言い方や表現は、即刻止めて頂こうか)」
「ハッ。副音声が聞こえる」
慌てたように咳払いをしたアークとプロキオンも追いついて、私達はアルタイルの部屋へと、揃って足を踏み入れた。
眼下に星祭(ほしまつり)の風景が広がる、桜の古木の丘を模す、アルタイルの部屋は、相変わらず穏やかで、表面上は何も変化が無いように見えた。
「此処から見える星祭の灯篭は、天の川みたいでいつも綺麗だね」
「そうだな。降りてみるか?」
「え? 此処、降りれんの?」
突然のアルタイルからの提案で、私よりも先に、アークが反応して、目を丸くする。
「今まで、風景としてしか捉えていなかったからな。実際降りてみた事は無いのだが」
「それ、本当に大丈夫かよ?」
「俺の世界だ。何かあっても、俺が何とか出来るだろう。恐らくな」
「兄さんが、そんな楽観的な見通しの発言をするなんて、珍しいね?」
「たまにはいいだろう? 物語探しは、一旦小休止にしよう。行きたかったのだろう? 俺と、星祭に」
また何かを飲み込んでいるような声音を感じたものの、アルタイルに促されるままに私は頷いて。
「そうだな。折角行くのならば、相応しい装いを、君に贈らせて貰おう」
そう言って、私を引き寄せたアルタイルが、私の手の甲へキスを落とすと、光の加減で色の変わる、深い藍色の生地に、薄紫の帯。肩口に薄桃色の大輪の桜の模様があって、裾に、金と銀で織られた天の川が描かれた、控えめな花いかだの浮かんだ、浴衣姿に変わっていた。
いつの間にかアップにされていた黒髪には、薔薇を模した、ガラス細工の金魚の揺れる、明るい藍色のクシまで飾られている。
「い、今のどうやったんだよ!」
あまりに自然に、手の甲へ口付けられた私は、思考が追い付かず、興奮したように瞬くアークの反応で、自分の服装が変わっていた事に気が付いた。
驚き過ぎて声が出ない私に微笑んで、アルタイルが、水辺へ案内してくれる。
「綺麗。これは、星絹(ほしぎぬ)で出来た浴衣?」
「ああ。記憶から再現してみたんだが、僅かな時だけの魔法だ。気に入って貰えただろうか?」
「うん。ありがとう。シンデレラみたいだね」
「本当に本が好きなんだな。だから君は、そんなに純粋で綺麗なのかもしれない。俺には眩しすぎるほどに……」
私と水辺を覗き込んでいたアルタイルが、アークとプロキオンへと向き直り、桜の古木へ手を伸ばすと、金色の花びらが、二片落ちて来た。
「驚いたな。星絹の浴衣まで再現出来るのか」
「ハイスペック男子め」
「いや、兄さんとは違うタイプだが、君もあっち側だぞ。自覚は無さそうだけど」
掌でそれを受け止めたアルタイルが、話し込む二人へと伸ばし、極軽く息を吹きかける。
宙に舞った金色の二片は、一片ずつ、二人へと舞い降りて、眩しく弾け、アークは、凛とした青竹を思わせるような、白と濃緑に、黒い星絹の帯を纏う浴衣に。プロキオンは、鮮やかな濃い紅に、白のツバキをあしらった、金色の星絹の帯の浴衣へと、それぞれ変化していた。
「へ? 俺等も!?」
「皆も浴衣だ。なんか嬉しい!」
「皆で夏祭り。という、君達の願いを、兄さんが叶えたくれたのか」
「またそんな言い方しちまって。本当はお前も行きたかったんだろ?」
「べ、別に。ボクは、夏祭りにはしゃぐほど、子どもでもないし」
「思いっ切り少年の姿借りてるヤツが、何言ってんだよ」
「プロキオン君の浴衣綺麗。アークのも、凛としてて、格好いいね!」
笑顔ではしゃぐ私達を横目に、此方へと一度視線を送ったアルタイルは、そっと星の樹を見上げ、その根元に触れた。
「橋は架けられている。少しの時間ならば、恐らく可能だろうか?」
私がアルタイルに視線を戻すと、彼の体は煙に包まれて、仮面を被っていないシリウスが、裾と肩口に、銀糸で、星屑の散りばめられた天の川を刺繍してある、漆黒の星絹の浴衣で姿を現した。銀色の帯には、藍色の装飾も入っている。
「シリウス!」
「折角だからな。今のお前と近い年齢の俺で、祭りを楽しもうと思ったんだ」
シリウスが私へ手を差し出すと、近くで見ていたアークが、一度瞬いて、ぶんぶんと首を振った。
「俺のキャパ。オーバキルされ過ぎてっから、もう俺は、そんなモンだと割り切ろうと思う。お前の世界では、何でもアリなんだよな。てかさ、シリウスの時は『姫、御手をどうぞ?』的なのとか、やらねぇの?」
「しない。恥ずかしいだろ。と、いうかそれ、似てないからな?」
「ふはっ。恥ずかしいのに、さっきまでやってたのかよ」
「ほら。行くぞ。歩きにくいだろうから、足元気を付けろよ?」
真顔でアルタイルの真似をするアークに、冷静な口調で返しながら、私と手を繋いだシリウスは、少し照れているのだろうか、皆を伴って、早足で古木の丘を下りて行く。小さな林を抜けて辿り着くと、そこは、星祭の会場そのものだった。
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