第16話 二つの鍵

 部屋が完全に姿を変えると、私の抱えていた本が光り出して、私の手を離れ、空中に浮き上がる。その出来事に、皆の視線は、私の本へと注がれた。


『星と花々の扉を開いたアヤボシは、帰路の途中、アオホシの扉を見付けた。部屋の中の真実を恐れつつも、彼女は既に鍵を開いていた』


『凍える嵐に飲まれたアヤボシに、手を差し伸べたのはベニボシだった。彼女を許せなかったアヤボシだったが、小さな命のためにその手を取る。ベニボシの部屋で、兄妹の力の真実と、人形の意味を知り、彼女の心の奥を垣間見た』


「やはり、か。この扉が見付かってしまったからな。もしかして……とは、思っていたのだが。自分のエゴで世界を創造してしまうような力だ。君を怯えさせていないと良いのだが」


 私へと一度視線を送り、本が展開する物語を眺めたアルタイルが撫でる扉には、星の樹に来た時に見た、大犬座の印があり、其処がきっと、書斎を模したシリウスの部屋へと通じている扉なのだろうという事が分かる。


「どんな力を持っていたとしても、貴方は貴方のままだから。私は大丈夫だよ」


 私が答えると、彼は安堵したように息を吐き、私と繋いでいた手を解いた。離れてしまった温度に少し寂しさを感じてしまった私は、今まで繋がれていた右手を、彼の温度が消えてしまう前に、そっと握り込む。


「この扉が開かないと、向こうから此方には渡れなくなっている。君の記憶が、俺達の約束に繋がっているからな。記憶と約束という、二つの鍵が揃った時、願いのために、此方への橋が架かり、渡れる仕組みになっているんだ。表の時計が反時計回りになり、歯車が回っていただろう?」


 落ち着いた声音で、冷静に仕組みを説明してくれるアルタイルだったが、さっきの私の問い掛けには、中々答えを返してはくれない。


『天の川の祭りで、シラホシの身に起こった出来事の真実を知ったアヤボシは、過去への架け橋を渡り、温かな夢の中で、アオホシの望む、約束の鍵を手に入れた』


『全てを思い出したアヤボシは、罪に濡れるベニボシを許そうと試みる。受け入れられない彼女の為に、三つの条件を提示した』


『条件付きの許しならと、アヤボシの提案を受け入れたベニボシは、彼女と共に、シラホシの願いを叶えるための協力を約束する。年の近い二人の少女は、穏やかな時間を束の間過ごすことで、その距離を少し近付けた』


 私が不安を滲ませて、彼を見ると、暫く私と見つめ合った彼は、間を置いて口を開く。


「妹と、ちゃんと話をしてくれたみたいだな? ありがとう。アイツの心が苦しみから解放されて、また笑ってくれると良いのだが……すまない。今、君が聞きたいのは、こういう話では無かったな」


 アルタイルから顔を逸らさず、ずっと見つめ続ける私の意図が伝わってか、彼は誤魔化すのを諦めたようだった。


「分かったから。もうそんな風に俺を見ないでくれベガ。これ以上の誤魔化しは、君には効かないのだろう? さっき君に言われたばかりだからな。隠し立てをせずに本音を言うと、俺は迷っている。現実の世界で、君と再会が叶うのであれば、それは俺も望む事ではあるのだが、この世界が消えた後、俺が戻れる保障は無い。例え消失が避けられないものだとしても、この世界の中でなら、君と言葉を交わし合い、こうして触れ合う事も出来る。この心地好さを手放せるのかと問われると、俺は……」


 声を落とし、私の頬に触れた彼は、葛藤を滲ませた、掠れた口調で呟いた。私の頬に触れる彼の指先が、僅かに震えている事から、彼の言いようのない不安が伝わって来て、私は何も言えなくなってしまう。


『猫の姿を借りたアオホシと出会ったアヤボシは、彼だと気づかず、一時の日常を共に過ごす。小さな彼と過ごす日々は、アヤボシの日常と、星の樹で傷付いた心を癒し、彼女の心に、シラホシとの再会を望む、前向きな気持ちが芽生え始めた』


『決意を募らせたアヤボシは、集った星の子達と共に、アオホシとの再会を果たす。鍵が揃った事で開いた、新たな扉の中で、シラホシと過ごせたであろう日々を取り戻すため、再度星の樹の扉をくぐった』


 尚も進んで行く物語を気にしながらも、いつもとは違う、彼の柔らかな部分を見せて貰えた私は、彼の心情に添えるような言葉を探していた。


『辿り着いたアオホシの部屋で、彼の真実と経緯を知るほど、アヤボシは彼への想いを募らせ、力になりたいという想いが強くなる。アオホシを日常へ引き戻す方法を模索していたアヤボシは、本の完成というヒントを得た』


 私の物語がフェードアウトし、一緒に展開される物語を見つめていたアークが、私達の様子を見守りながら、少し申し訳なさそうに声を上げる。


「なあ、此処、お前の願いの世界なんだよな? それならさ、願いの上書きっていうの? そういうの、出来たりしねぇ?」


 アークの提案を聞いて、顎に手を添えたアルタイルは、少し思案し、ゆっくりと口を開いた。


「どうだろうな? 俺のこの世界が、もしも呪術の類であれば、願いを上書きするためには、対価を必要とするはずだ。恐らく俺は、この世界を作り出す時、既にそれを支払ってしまっていると思う。一度支払われた対価の上書きや変更をするという事が可能なのか。と、いうところまでは、予測が出来ないな」


「星の樹は、貴方に会いたいという、私の願いを叶えてくれた事もあるよね。その対価を支払うのは、どうしても貴方では無いといけないの?」


「それは……」


 アークに続けて私が声を上げると、アルタイルは、頭を抱えて黙り込んでしまった。


「そういう反応するって事は、出来る可能性もあるって事だよな?」


「いや、あくまでも可能性の話であってだな。君達を危険に晒すような方法であるかもしれない以上、俺は看過出来ない」


 アルタイルが首を振ると『今更だろ』と、言いたげに、軽くアークがアルタイルの肩を叩いた。


「さっきまで、ちょい年上位ぇだったヤツが、なに急に大人ぶってるんだよ。戻って来る気がお前にねぇんなら、お前の大切なモンは、あっちの世界で俺が貰う。こっちのお前に期限がある以上、ずっと閉じ込めとくなんて事は出来ねぇんだろ? コイツとの時間を一時にするか、一生にするかは、お前次第だと思うぜ。お前の体は、あっちの世界でちゃんと生きてる。心であるお前が戻る場所は、今もあるって事だろ?」


 隣に居たアークから、突然引き寄せられ、私が戸惑っていると、アルタイルの口許が、僅かに微笑を浮かべた。


「ヘタレ坊やが生意気を言うようになったじゃないか。いいだろう。さっきの距離の件も聞きそびれてしまっていたな。戻ったあかつきには、じっくりと、君から話を聞かせて貰う事にしよう」


 微笑を浮かべたまま、穏やかな口調のアルタイルだったが、後半はアークへの敵意に似たものを感じ、私達は思わず身を寄せ合ってしまう。


「やべっ。予想通り、氷の君主が戻って来た」


「えっ? よ、予想通りって?」


「ほら、セイヤ兄ぃ。お前の事になると、見境なくなるっていうか、お前以外の相手に、君主スイッチ入るだろ? 切替させてやろうかと思ってさ。ああやって、自信に満ちた俺様な感じの方が、セイヤ兄ぃっぽくて安心しねぇ」


「だ、だからって私を使わないでよ。あの状態のセイヤさん、ちょっと怖いんだもん」


 悪びれなく笑うアークは、少し困惑しながらも、彼なりに、アルタイルの背中を押したつもりのようだった。私が小声で抗議をしてみるが、アークは笑顔のまま首を振った。


「君はもしかしてドMなのか? 兄さんを怒らせてどうするんだ」


「いや、あれ、別に怒ってないだろ?」


 プロキオンの言葉に、きょとんとした口調で返した彼は、次のアルタイルの言葉を待つように向き直った。


「アークトゥルス。君の意図は十分に伝わった。その事に感謝はするが。ちょっと距離が近くはないか?」


 横に並び、身を寄せ合うようにしたままの私とアークを見て、相変わらず不機嫌そうではあったものの、出来るだけ穏やかな声音を選んで声にする様子は、シリウスだった時とは違い、落ち着いている。と、いう表現がピッタリのような気がした。


「ほらな。あれ、怒ってるんじゃなくて、妬いてんだって。大人の理性働いてて、すっげぇ分かりにくいけどさ。俺とベガの距離が、物理的に近いのが気に食わねぇんだと思うぜ」


 アルタイルに背中を向けて、私とプロキオンに向き直ったアークは、内緒話をするようにして私達に囁いた。


「さて、これ以上お前に触れてんのは、流石にヤバいかもしれないし、此処から出るまでは、抜け駆け無しでフェアにいくかな」


 そう言って、私から離れたアークは、アルタイルの方へと向き直り、彼の隣に並び、呆けている私達を促す。


「よし、願いを叶えるために、物語を集めに行こうぜ。もう、吹っ切れた感じのするお前に、異論はねぇだろ。アルタイル?」


「君に気付かされた事が少し気に食わないが……。 貸し一つだ。アーク。此処を出た後に手加減はしない」


「うっわぁ。マジか。俺。塩、送っちまったかな?」


 二人の背中が扉へと向かい、振り向いて立ち止まった二人が、私へと手を伸ばす。私は慌てて二人を追い掛けるのだった。


「清々しいほど青春だな。気に入らない。君もそう思うだろ?」


 背中で聞こえた何かの声には気付かずに、私はプロキオンを待って、部屋を後にしたのだった。不穏な胎動が、私達の近くで息づいている事も知らずに。

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