第15話 月の図書館

 現実世界の桜の丘に居たはずの私達は、いつの間にか仮面を身に着け、星の樹の元に集っていた。


「現実の世界で、同一人物が同じ時間軸に存在出来ないように、俺とアルタイルも、同時に図書館の中には存在出来ない。アイツが門番で、この世界の創造者なのもあって、図書館の中に居るのは、基本アルタイルの方なんだ」


 私達に説明をしながら、彼が開いた扉は、いつも入る時計側とは反対の出入り口で、その入り口も目立ちにくく、他の部屋よりは小さいものだった。


 私達が図書館の中に入ると、天井まであったはずの本が、全て逆側。下に降りて行く螺旋階段沿いにびっしりと並んでいて、その途中に星座の扉が並んだ、以前来た時とは、まるで雰囲気の違う場所へと変わっていた。


 賑やかだった市場の音や声は聞こえず、私達の足音だけが響く図書館は、なんだか寂しくもある。


「此処、本当にあの図書館の中か? この間来た時とは、随分違うように見えんだけど」


「本当だね。違う場所へ迷い込んでしまったみたいだ」


「アルタイルの図書館が太陽なら、こっちの図書館は月みたい。凄く落ち着くけど、なんだかちょっと寂しい気がする」


 以前のこの場所を知っている私達三人は、その変化に思わず面食らってしまい、各々に感想を口にしたけれど、シリウスだけは常と変わらず、自分の星座の扉の前に止まると、ゆっくりと、いぶし銀のような素材に、星座が彫られた扉をくぐった。


「ところで。この、赤髪で小さいの。誰?」


 初めて、月華(つきか)の図書館内での姿を見た慧(けい)は、現実との違いに、彼女の事を認識出来ていないようだった。


「彼がプロキオン君だよ。中身はツキカ先輩」


「なんで、んな、可愛いショタっ子になってんだよ?」


「色々あるんだ。常に監視下にあるボクは、ネットの中ですら監視対象なんだよ。此処では本名は遠慮して頂きたいものだね」


「あ。ごめんね。プロキオン君。気を付けるね」


 話ながら辿り着いたシリウスの部屋の中は、書斎のようになっており、小さな小窓から、蒼い光が数本差し込んで、石畳の床に、星座の影が浮かぶ、落ち着いた造りになっていた。


「オリナ。この本は、あの事故の夜から始まっている。本当に大丈夫か?」


 シリウスが迷っていたのは、この事だったのだろうか。気遣うように前置きされるものの、既に、目的のために覚悟を決めていた私は、少し震えながらも頷いた。


 無意識に、握り締めてしまっていた私の拳を包み込み、解すように指を絡めてくれたシリウスは、私と手を繋いで、本を空中へとそっと押し出す。


 重力に逆らって、浮かび上がった本が、その場で漂うと、蒼い光の帯が、本のページへと集まり、光が文字を描いて行く。


 一緒に部屋に入ったアークとプロキオンも、本の内容が気になるのか、その挙動を見守っている。


『激しい衝撃に、体を引き裂かれたアオホシの意識は、赤く深い深淵へと沈み、ゆっくりと熱を奪われていった。意識が遠くなっていく過程で、少女の悲痛な叫びを聞いたアオホシは、自分の存在を対価として、少女との約束を果たしたいと、強く願った』


『目の前に現れた、白い流れ星に、アオホシが触れると、引き裂かれた体から、眩い光が彼を包み込んで、アオホシが目を覚ましたのは、アヤボシとの約束の丘だった』


「恐らく俺は、あの瞬間、一度命を、手放してしまっていたのではないかと思う。だが、オリナとの約束を果たせない事の方が、自分の命が尽きる事よりも怖かったのだろう。自分の魂を対価に差し出す事で、なんとか命を長らえようと、中途半端に、この血の力を使ってしまったんだ。尽きようとしている命を無理矢理長らえようとするのは、禁術の類に当たるだろうから、強い反動で、俺だけが、体から弾き出されてしまったのでは無いか。と、思っている」


「ボクには見付けられなかったけど、アルタイルの本の続きは此処にあったんだね。上手く隠したモノだ」


 シリウスが語る、事故後の心境と出来事。何故、そうまでして、彼は私との約束を叶えようとしたのだろう。次のページを捲ろうとする彼の指先を見つめながら、ぼんやりと、その疑問について考えていた。


『古木の根元に座る、小さな背中に、声を掛けたアオホシだったが、彼女の瞳に彼が映る事は無く、名前を泣きながら呼び続ける小さなアヤボシが、両親に連れられて行くのを見守るしか出来なかった』


『肩を落としたアオホシが、古木の根元に触れた時、舞い落ちた金色の花びらの光がアオホシに触れ、彼は自分の姿が、光の元では見える事に気が付いた』


『見上げた古木には、星屑の花束が煌いており、彼はアヤボシとの約束を願って、自分の半身を、星の樹の根元に埋める事にした。約束を果たすまで、本を守る騎士となって』


「流石にこの時は、一度諦めかけたが、七夕の夜の奇跡に、俺は感謝した。オリナとの約束を叶えられる可能性が、まだある事に気が付いたからな」


「どうしてシリウスは、そうまでして、私との約束を果たそうとしているの?」


「俺のエゴでしか無いだろうな。他の誰に忘れられたとしても、お前にだけは、忘れられたく無いんだ。いずれ大人になったお前が、違う相手を選んだとしても、消えゆく俺の爪痕を、お前の中に残しておきたかった」


 大切に育てられた、彼の深い想いは、私の胸を甘く縛り、私の思考も溶かしていく。


『数年の時が経ち、星の樹の力が馴染んだアオホシは、時を止めたまま、約束を果たせる日が来るのを待ち望む』


『そんな時、再び彼女はやって来た。大きな黒い瞳に涙を湛え、アヤボシは樹をよじ登る。太い枝ぶりに腰掛け、星の樹へと話し掛ける』


『体を持たぬアオホシの声が、当然アヤボシに届く事は無い。それでも涙を止めたくて、隣に腰掛けたアオホシは、少しだけ大きくなったその背をさする』


『その悲しみが落ち着くように。泣きながらアヤボシが星の樹を訪ねて来るその度に、幾度も彼女の背を撫でて、彼女が笑顔で帰って行くのを、何度も見守り続けていた』


 姿は見えなくても、ずっとあの古木に居たシリウスは、私の事を見守っていて、悲しい事がある度に、幾度も私の傷を癒してくれていたのだった。


 あの樹の心地好さは、きっとシリウスが作り出してくれていたのだろう。何かある度に足が向いてしまうのは、私が彼との幼い日の記憶に、無意識に縋りついてしまっていて、自然と彼を求めてしまっていたからなのだ。


『アオホシの知る小さなアヤボシは、この樹に来る度に、魅力的に成長していく。見守り続けたアオホシは、アヤボシへの気持ちの変化に葛藤し、仕舞い込んでいた花へと、もう一度向き合った』


『星の樹の力で、僅かに言葉を交わせる可能性に思い当ったアオホシは、如月の月、アヤボシの前へと姿を現す。突然の再会に驚いてしまった彼女は、アオホシの腕の中へと、熱を孕んだ体温を交わして降り立った』


「まさか、降って来るとは思わなかったから驚いたが、この出来事で、自分の気持ちを再認識してしまってな。お前に逃げられた後、鼓動と頬の熱を落ち着かせるのに、随分時間が掛かった。俺との過去を忘れてしまっていたお前にとっては、最悪の再会だっただろう? 事故とはいえ、お前の初めてを奪ってしまったからな。次にどうやって、逃げられずに会おうかと考えた末に、約束を果たす目的も兼ねて、お前を星の樹に招待する事にしたんだ」


「そ、その言い方は語弊があるって、シリウスも自分で言ってたでしょ? どうしてそういう表現を選んじゃうの?」


「しいて言えば。けん制、か?」


「ははっ。大人げねぇ」


 赤くなってしまった私を、からかうような視線で見つめたシリウスは、ちらりとアークの方に視線を送り、彼が応えると、愉しげに笑みを浮かべて、次のページを捲っていく。


『アヤボシとの約束を果たすため、彼女を星の樹へと招待したアオホシ。鍵のヒントを、読み解いたと思ったが、彼女に問い掛けても、望んだ答えは得られなかった』


『忘れられた約束は、彼の心を痛め、願いへの障壁になる。しかし彼は気が付いた。星の樹の力を使わずとも、彼の姿が、アヤボシの瞳に映り、彼女の体温にも触れられると。希望を見出したアオホシは、思い出の箱が開くのを願い、星の樹の鍵を手渡した』


「お前が招待状を受け取りに来たあの日、俺は星の樹の力を使っていなかった。俺が星の樹の力を借りていない時に、お前に気付いて貰えたのは、あの日が初めてだった。お前は直ぐに俺に気付き、本当の名では無かったが、俺の名前を呼んだだろ? あの時お前に、何かあったのか?」


 招待状をシリウスから受け取った、あの日の出来事を改めて尋ねられれば、私はその日を思い出そうと、一度目を閉じた。


「あの日私は、学校の大切な花壇を荒らされたのがとても悲しかった。学校を抜け出して家で眠った後に、温かい夢を見て、あの丘に向かったの。でも、貴方は樹の下にはまだ居なくて、貴方に会いたいって、強く思ったら、貴方が涙を拭ってくれていた」


「星の樹が、兄さんではなく、ベガの願いに反応した。と、いうのが、一番高い可能性だろうね」


「そうだな。俺の願いに一番関係があるオリナが、俺の存在を求めた事で、俺は、はっきりと具現化出来た。と、いうところか」


 話を黙って聞いていたアークが、不意に難しい顔をして、顎に手を添えたまま、眉間に皺を寄せた。


「なあ、ちょっと話が出来過ぎてねぇ? いくら星の樹の力の増幅作用が強いって言っても、セイヤの体がある病院と此処って、離れ過ぎてるだろ? 力の強いシリウスやプロキオンならともかく、ベガの願いだけで、病院の体まで再現して具現化出来るなんて、そんな大層な事が出来るとは、俺には思えないんだけど? もっと力の強い何かが働いてる。とかなら、分からないけどさ」


「強い力を持つ第三者か。それだったら、アルタイルじゃないかな? シリウスは、事故当時のままの外見だけど、あっちの兄さんの体は、病院の兄さんと同い年位だろ? 全てを共有している二人なら、互いの力を増幅し合って、ベガの願いを叶える事が出来そうじゃないか」


 相変わらず淡々と感情の見えないプロキオン。でも、何か違和感を感じて、私が彼を見つめていると、シリウスは次のページを捲った。


『アヤボシとアオホシは、昔と同じような穏やかな時間を共に過ごす。毎夜尋ねて来る彼女との日々は、一人待ち続けていた彼の、孤独と傷を癒していた』


『アヤボシを心配しながらも、穏やかな時間に身を委ねていたアオホシだったが、存在出来る時間が、残り僅かなのを知り、焦りと苛立ちを覚え始めた』


『気が付けば、彼の力は暴走し、幼いころの幻影となって、アヤボシを危険へと誘っていた。それが、二人の距離を、少しだけ近付ける切欠になるとは知らずに』


「ん? 二人の距離?」


「あー。これはあれだ! この件が解決したら、俺と二人だけで話そうシリウス。心を折られる気しかしねぇけど……」


 一瞬で何かに思い当ったのか、どこか焦ったように、有無を言わさずシリウスの肩に手を置いて、アークは本の先を促す。納得していない様子ではあったものの、促されるままに、シリウスは次のページを開いた。


『ある日、毎夜訪ねて来ていたアヤボシが、彼の元へ訪れない。久し振りに感じる孤独と寂しさに耐えかね、消える事への強い焦りが、アオホシを急き立てた。その苛立ちはアヤボシへも向いてしまい、障壁を、無理矢理崩してしまおうかという衝動が湧き上がる』


 私だけではなく、シリウスも、二人の時間を望んでくれていた事が嬉しかったが、ずっと癒して貰っていたにも関わらず、彼が長い間抱えていた孤独や寂しさに、私は気付いていなかったのだ。


「シリウス。ごめんね? 大事な約束だったのに、中々思い出せなくて。なのに、貴方の想いにも気付かないで、私ばっかりが、貴方に甘えて、頼っちゃってたんだね」


「この本のように、視覚情報にでもされなければ、互いの過去や想い、思考なんて、他人に認識出来るはずが無いだろう? 俺達は、元々別の生き物だ。自ら自分の心も見せず、理解して貰えないと嘆いて相手を責め、自分の想いだけを押し付けるのもおかしい話だ。俺の心は俺のもの。お前が気に病む必要はない」


 シリウスの言葉はもっともで、きっとそうなのだろう。けれど、私は突き放されたようで寂しく。改めてシリウスに向き直る。


「そうかもしれない。でもね、シリウス。貴方の心に寄り添いたいと思っている人には、その心の内を吐き出してもいいんだと思うよ。沢山のプレッシャーと戦い続けていた貴方には、きっとそれが普通の事で、誰とも深く心を寄せずに、割り切らないといけなかったのかもしれないけど、貴方が私にそうしてくれたように、今度は私が、貴方の心に寄り添いたい。そんな言い方をされちゃうと、突き放されたようで、なんだか悲しいな」


 素直な思いを口にすれば、彼は自分の耳元に触れ、その温度を確かめ、そっと肩の力を抜いた。仮面の下は、どんな表情をしているのだろう。


「お前は昔から、俺の本心を引っ張りだして、価値観を壊しに掛って来るな。お前には、一生勝てない気がするよ」


 大きく息を吐き出した彼の声音は、驚くほど柔らかく、私の心を受け入れて貰えたようで嬉しかった。


『星の樹の力で、自分の元へと、アヤボシを招いてしまったアオホシ。彼女の姿を見た瞬間に、閉じ込めていた想いは溢れ出し、強く彼女へ当たってしまった』


『泣いてしまいそうな表情に、頭が冷えたアオホシは、過去の誓いを胸に、暴走する心をいさめ、平静を装う。しかし、一度溢れ出した想いをせき止める手立ては既に無く、消える運命の自分の花を、とうとうアヤボシに手渡してしまう』


 私の物語でも読んだ物語が、別視点で語られていく。やはり、各々の登場人物と、この本の全ての物語は繋がっているようだった。完成した本を私に渡すという約束、これがシリウスの願いであれば、本を完成させる事で、きっと彼の願いは成就するのだろう。


『力を暴走させた事で、その苛立ちと後悔を抱えたまま、過去の幻影を伴って、星の樹の巡回へアオホシが赴くと、アヤボシとベニボシが、シラホシの部屋へと入って行った』


『シラホシはベニボシが、アヤボシの箱を開こうとしている事実を知る。知られてしまえば、きっと彼女を泣かせてしまう。彼は、二人を止めようと試みるも、その試みは手遅れだった』


『星の樹内に、大きな鐘が鳴り響き、時計は過去へと時を刻む。ベニボシに告げられた言葉が気になったシラホシは、アヤボシの傷を癒すべく、小さな猫の姿を借りて、彼女の日常へと紛れ込んだ』


「皆の物語を集めないといけないんだ。本を持つ、私達全員分の物語を。きっと本が完成すると、シリウスの願いは叶う」


「なるほど。兄さんの願いは、完成した本を君に渡して、約束を果たす事。だったね? ならば、皆の部屋を訪ねよう。何処かに、もう一つのマスターキーの片割れもあるはずだ。元々兄さんの本は、君に贈る一冊だけだったはずだからね」


 シリウスが本を読み終わり、目の前に展開されていた物語の世界がフェードアウトしたタイミングで、私が口にすると、それに同意してプロキオンが答える。


「了解。なら、まず誰の部屋に行くかだな」


「うん。でもその前に、一つ確認しておかないといけない事があるんだ。ねぇ。アルタイル。私は貴方の願いの鍵になる、記憶と約束を思い出したよ。貴方は願いを叶えたい? それとも、この世界が消えてしまうのはやっぱり怖い? 此処から貴方が、本当に元の世界に帰れるかは、私には分からない。私達が貴方の願いを叶えたいという思いは、迷惑かな?」


「へっ? うわっ。本当だ。いつの間にアルタイルに!?」


 先ほどより背も伸びて、青年の姿になったシリウスは、鷲座の仮面を被り、私達の前に立ち、大犬座の書斎だったはずの部屋は、シリウスの物語の主人公が、アルタイルの物語に繋がったのと同時に、桜の古木の丘と、一面の花畑のある、星空の綺麗な、私の部屋へとゆっくりと姿を変えていた。

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