第14話 シリウス

「さて、ケイ。お前は此処で俺と会うのは初めてだったな? 端的に言うと、俺はあの十年前の事故の後から、霊体のような存在で、あの時の姿のまま、ずっと此処に存在している。最初は本当に生霊のような形で、誰にも認識される事は無かったんだが、病院の俺の体とは繋がってるようで、最近、体温も鼓動も、感覚も、生きている時となんら変わりなく、普通に触れ合う事も出来るような状態になった」


 私も初めて訊く、彼がシリウスとして此処に来た経緯。二人のやり取りをゆっくりと見守りながら、私も一緒に、彼の話へと耳を傾けた。


「俺も最初は、どうしてこんな事になったのか分からなかったが、この樹には、星々の力を集める、不思議な作用があるようなんだ。恐らくこの樹が、俺の力の増幅装置として働いているんだと思う。ツキカの具現化の上位版のようなモノだと思うんだが、この事態を起こしているのは、昔オリナと此処でした約束と、俺の願いが関係しているらしい。と、いう事までは分かっている」


「本体であるセイヤの体は、今も病院で寝てるけど、繋がったまま、十年前から、セイヤの意識は変わらず此処に居る。力の強いこの樹の、増幅装置としての機能のお陰で、最近それが具現化して、オリナと再会した。で、この不可思議な事態を引き起こしてるのは、オリナとの約束と、セイヤの願いが関係している。な。そこまでは分かった」


「相変わらずお前は、要点を纏めるのが速いな。で、俺が猫姿でオリナと一緒に居た件についてだが……」


 あっという間に、要点だけ纏め上げる慧(けい)の頭の回転の速さに、勉強が苦手な私は、少し感心しながら頷くも、猫姿で私のところに来た理由を言い淀むシリウスを不思議に思って。


「それは私も知りたいな。私、ランマルがシリウスだって気付いて無かったよ?」


 隣に居るシリウスを見上げて、私が尋ねると、彼は落ち着きなく視線を泳がせ、月華(つきか)を見る。


 最初は不思議そうに視線を返した月華だったが、思い当たったように微笑むと、わざとらしくシリウスへと首を傾げて見せたのだ。


 そんな月華の様子に、一瞬だけジト目を彼女に送ったシリウスは、諦めたように一度肩を落として、事態を飲み込めていない私の方へと真っ直ぐに向き直った。


「オリナ。俺が猫になって、お前の元に現れたのは、また泣かせてしまったからだ。お前の傍で、その悲しみを少しでも癒せればと思った。俺が消えるのは、恐らく回避出来ない。俺は夜、この樹の傍でしか人型では居られないし、そのままでは、この樹から離れる事も出来ない。俺の自己満足でも良かったんだ。お前に気付いて貰えないとしても、消えてしまう前に、ただ俺が、ずっとお前と一緒に居たかった」


 自身が消えてしまう事に対しては、何も感じていないかのような落ち着いた調子で、けれども、私を気遣うような柔らかさは残したままの声音で、彼はゆっくりと言葉を続けた。


「そしてもう一つ。この理由は、あまり明かしたくは無いんだが。図書館の中でプロキオンに言われた言葉だ。一緒に居たお前ならば、覚えているだろ? ベガ」


 図書館内での名前を、何故か知っている彼からの不意の問い掛けに、一瞬私は困惑してしまった。


 月華の視線を感じて其方を見ると、彼女は私の中に浮かんだ言葉を肯定するように頷いた。


「紫の君?」


「光の皇子に引けを取らないくらいには、長年想い続けてる。自分の運命に逆らえないとしても、奪われたい訳ないだろ。星から来た王子の薔薇だって、故郷に残して来た恋人だという説だってある。……此処まで言って分からないほど、お前ももう、幼くは無いだろうオリナ?」


 私の答えを引き継ぐ事で、正解だと認めた彼の小麦色の頬には、一瞬で桜色が差して、余裕がありそうだった彼の視線は、所在無さげに地面に落とされた。


「元々、一人だったんだ。当然といえば当然なのかもしれないが、俺とアルタイルは、記憶も感覚も、経験も共有している。変な言い方をすれば、お互いの状況や状態が、常に筒抜けなんだ。だから、この間の図書館でのやり取りも、だな……」


 図書館内でプロキオンに言われた言葉を、彼は気にしていて、自分の目で確かめるために、昼間も動ける猫の姿で、私の前に現れたのだ。


「だからこの間は学校の鞄に?」


「……すまない」


 彼の珍しい表情に、内心釘付けになりながらも、私は「そっか」と、微笑んで頷いた。近くに居ようとしてくれた気持ちが嬉しかったからだ。


「なあ、これって何の話? セイヤが猫だった理由?」


「ええ。それから源氏物語よ。この間図書館で会った時に、兄さんを焚きつけておいたの」


「なんで源氏物語が、猫に関係あるんだよ?」


「そうね。オリナさんが紫の君で、兄が光の皇子だからかしら? 兄さん実は、十年前から、オリナさんに夢中なのよ」


 月華の言葉を受け、例え話の真意を理解したのか、私とシリウスを交互に見詰めた慧は、暫く間を置いて、弾かれたように声を出した。


「オリナ俺と同い年だから、十年前ってまだ四歳……で、今のセイヤ兄ぃの年齢が……はっ? えっ? セイヤ兄ぃ……それ、犯……ざっ……んぐぐっ! あひぇ? これ、うまっ!」


「アメでも舐めてちょっと黙ってろ、ケイ。当時十六の俺が、四歳女児に……なんて、自分でも壊れたと思ったに決まっているだろう。人の葛藤も知らずにお前は……」


 ケイの口にこれでもかとキャラメルいちごみるくの飴玉を詰め込んだシリウスの表情は氷のようで、思わずブリザードでも吹いているのだろうかと錯覚した。


「くそ、こういう反応が予測出来たから、こっちの理由は明かしたく無かったんだ。公開告白なんて誰も得しないだろ。オリナだけが、知っててくれればいいだけだったんだ」


 真っ赤な表情で、拗ねたように前髪をクシャリと掻き上げたシリウスの仕草は、なんだか幼くも見えて、桜の古木で告げられた彼からの言葉の、真実味と厚みを帯びている。


 綺麗で大人っぽく、いつもは浮世離れしているように見える彼でも、やきもちを妬いたり、心配したりする、普通の男の子なんだと思うと、嬉しさと同時に、愛おしさが募り、私はどうしても、彼の名前を呼んで、彼に触れたいと思った。


「セイヤ、お兄ちゃん。随分遅刻しちゃったけど、ちゃんと本を受け取りに来たよ。遅くなっちゃって、本当に、ごめんなさい」


 私が手を伸ばし、背伸びをして彼の頬に触れると、ぴくりと一度動きを止めた彼は、ゆっくりと私の手を包み込み、その温度を確かめるかのように、大切そうに握り込んだ。


「いくらなんでも、遅すぎるだろ……何年待たせる気だったんだ。お前は……っ……」


 私が、記憶と約束を思い出したのを察してか、言葉を詰まらせてしまった彼の神秘的な藍色の瞳から、一筋の涙が頬を伝って、見惚れた私の思考は一度停止し、彼に魅入られたまま、視線を縫い留められてしまった。


「セイヤ兄ぃが泣くとこ、俺、生まれて初めて見たんだけど!」


「そうね。いつもはあんなに完璧で、一縷の隙さえ見せる事が無いのに、オリナさんの前ではまるで隙だらけ。表情もクルクル変わるし、聖人君主も形無しね。私が心配する必要は無かったかもしれないわ。あの二人なら、愛の力でこの状況も、本当に打破してしまいそう。プリンセス物語の王道のようにね」


 私とは違う視点で、この状況を眺めていた、幼い頃からシリウスを知る二人が、驚いたような表情を浮かべている事で、今のシリウスの状態が、常の彼とは違う、二人にとっても珍しい出来事なのだと私にも分かった。


「なあ、ツキカ。お前ってそういうの、読むんだっけ? いつも難しそうな医学書とか、政治経済とかの本ばっかり読んでるイメージなんだけど」


「よ、読んでたら悪いのかしら?」


「いや、別に悪くねぇよ。ちょっと意外だったけど、可愛いとこあるんだなって思っただけで」


 慧の突然の問い掛けに、慌てたように居住まいを正した月華が、僅かに頬を染め、慧に食って掛かるのに気付いたシリウスの口許に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。彼は私の目の前を通り過ぎて、二人の近くへと向かって、歩を止める。


「ヘ、ヘタレのくせに生意気なのよ!」


「うっわ。唐突に辛辣。お前相変わらずだよな? 最近ちょっと表情豊かになって来た気ぃするけど。そういやツキカ、ちょっと顔赤くねぇ? 大丈夫?」


「あ、貴方がそんな様子だから、いつも兄さんに敵わないんではなくて? 肝心なところで、貴方は詰めが甘いのよ。いつまでも貴方のお姉さん係はごめんだわ」


「(ケイが女の子の心の動きに鈍感だから、私も振り回されてしまう。能力はあるくせに、そこに自信が持てないから、いつも肝心なところで後れを取ってしまっているでしょ。いつまでも私をお姉さんだと思わないで、ちゃんと女の子として見て欲しい)って、ところだろ? ツキカ。現実のツンデレは、男からは面倒くさい。好きな相手には、ちゃんと優しく接した方がいいぞ」


 先ほどの仕返しとでも言うのだろうか、月華の言葉をフォローするように、裏声で副音声を棒読みで演じてみせたシリウスは、彼女に柔らかな視線を送って、わざとらしく首を傾げた。


 絶句して、顔を真っ赤にしてしまった月華は、シリウスを睨み付け、その瞳は、恥ずかしさに潤んでしまっているようだった。


「これで分かっただろ? 他人の恋路にお節介は不要だ。今後は見守るだけに留めて貰いたいんだが?」


「わ、分かったわよ。だったら兄さんも、余計な事をしないで頂戴」


「交渉成立だ。そうやって感情を露にしているお前の方が、らしくて、魅力的だと思うぞツキカ?」


「今回はドローでしょ。兄さんの恋敵の前で、ちゃんと宣戦布告をさせてあげたのだから。あの中に引篭もったままでは、恋敵が誰かも分からなかったでしょうし」


 物腰は柔らかいものの、月華の人形のような仮面を剥ぎ取って、彼女の感情を掻き乱し、屈服させるシリウス。その鮮やかな手腕は、確かに優秀さを感じさせるものの、少しだけ怖くもあった。


「セイヤ兄ぃ。あの逆らえない感じが、独裁君主っぽくて、ちょっと怖ぇだろ? ツキカもああやって、実は負けん気が強いしな。優秀な奴等には個性的なのが多いって聞いた事あると思うけど、あの二人の兄妹喧嘩って、すっげぇ独特なんだよ。皮肉の応酬しながら、チェス勝負してたりな」


 慧にとっては、この独特な兄妹喧嘩も見慣れた事なのだろう。怖いと言いながらも、決してシリウスを怖がってはおらず、むしろ、いつも通りを楽しんでいる風にも見える。


「そうだね。本当は二人とも、とっても優しいのにね」


「ん。またこの光景が見れて、俺は少し安心してる。セイヤ兄ぃが事故に遭ってから、ツキカ全然笑わなくなっちまったんだ。それどころか、感情らしい感情も、だんだん見せなくなっててな。本来のツキカはさ、少しワガママなとこもあるけど、周りの皆の事が大好きで、人の悲しみに心を痛めて手を差し伸べるような、そんな優しいヤツなんだぜ」


 少しだけ月華との距離が近付き、彼女の心に触れていた私には、慧の言葉がすんなりと入って来て、自然と頷く事が出来た。


「言葉でちゃんとやり取り出来て、お互いに触れ合える。こんな一方通行じゃねぇ日常が、あの二人にちゃんと戻って来たらいいんだけどな。セイヤ兄ぃが消えちまうとか、やっぱ受け入れ難ぇかな。俺も……」


「うん。だからだよ。ミルウェイの掲示板で、事情は大まかには説明したと思うんだけど、星の樹の世界は、セイヤさんが、強い力で作り出した、彼の願いの世界らしいの。その願いを叶える事で、もしかしたらセイヤさんが、現実の世界に戻って来てくれるかもしれない。だから、セイヤさんの願いを叶えてみようって、ツキカ先輩と話しててね。それで、ケイ君も協力してくれたら心強いなって思ったの」


「了解。あんな堂々と宣戦布告されちまったら、男として応えないわけにいかねぇしな。本体のセイヤ叩き起こして、フェアに決着つけないと、俺も納得いかねぇと思うし」


 説明を聞いて、複雑な表情を浮べながらも、協力を約束しくれた慧だったが、表情は冴えず、腕を組んだまま、今度はシリウスをじっと見つめている。


「どうしたケイ? 何処か補足が必要ならば説明するが」


 慧の視線に気付いたのか、月華から向き直ったシリウスが、その意図を汲み取ろうと声を掛けると、首を振った彼が口を開く。


「いや、補足というか。今セイヤは、オリナと暮らしてるんだよな? まさかオリナに、変な事してねぇだろうな?」


「真面目な顔で何を訊くかと思えば。もっと色々ツッコミところがありそうな話にも関わらず、お前が一番気にしているのは其処なのか?」


 唐突に慧からぶつけられた疑問に、耐えきれないと言わんばかりに、フッと息を吐き出して、口許を緩めたシリウスは、子どもを見守るような柔らかい視線を慧へと送って。


「してない。と、いうか、出来ないな。さっき説明した通り、俺は今、霊体みたいな存在で、本体と樹とで繋がっている。夜、星の力が集まって強くなるこの樹の傍じゃないと人型にはなれないし、樹からそう遠くまでは離れられない。一定まで離れると、引き戻されてしまうからな。猫型は相当な省エネモードだ。猫ならばなんとか昼間でも動ける。疲労感は強いが」


 スマホと充電器のようなものだろうか。夜、私が寝入った後に、藍丸の姿が見えなくなっていたのは、もしかしたらシリウスが、力の補充をしに、この古木の元に通っていたからなのかもしれない。


「本っ当に、何も無いんだな?」


「無い。と、いうか、何かあって欲しいのか? そうだな……。 ラブコメ展開のような事態はあったかもしれないな?」


 意味ありげに微笑むシリウスは、何の事を言っているのだろうか。藍丸を普通の猫だと思って接していた私は、確かに何かやらかしているかもしれず、慌てて藍丸が来てからの日々を、頭の中で反芻していた。


「そ、それってラッキース……」


「止めなさい。男子! オリナさんの頭から、湯気が出て倒れてしまいそうだわ」


 話題を続けようとする慧へと、月華が制止を告げて、喉奥で笑いを耐えるように、シリウスは肩を震わせていた。


「いや、冗談だ。猫姿で添い寝する以外は、オリナのプライベートには配慮していたしな。俺は紳士だ」


「紳士は、自分で紳士って言わねぇと思う。てか、添い寝はしてたのかよ」


 藍丸がシリウスだと知っていたら、あんなに意識せずに、生活は出来なかっただろうと思う。一緒に風呂に入らなかったのは、きっとそういう事なのだろう。


 頭の中が恥ずかしさで一杯になりながら、なんとか湧き上がって来る羞恥に耐えて、二人の会話を聞き流そうと試みるものの、そろそろ限界だった。


「シ、シリウス。良ければ貴方の本を見せてくれない?」


 話題を逸らしたくて提案すると、彼は少し迷ったような素振りを見せながら頷いた。


「分かった。ただ、あの時計が反時計回りに変わった事で、ちょっと中はおかしな事態になっているんだ」


 そう言って彼が指差した先は、樹の上に掛けられた大きな時計が、過去へと遡るかのように、逆向きに時を刻み、錆び付いていた歯車が動き出している光景だった。

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