第11話 少女人形
「セイヤ様ほどではありませんが、ツキカ様も、ご先祖から受け継いだ、不思議な力を持っています。セイヤ様の事故の前までは、その力の片鱗は見えず、ツキカ様は穏やかに暮らしてらっしゃいました」
月華(つきか)からの了承を受け、改めて話し出した夜葉(よるは)の言葉に、私は耳を傾ける。
「でもね、大好きなお兄ちゃんが事故に遭って、血がいっぱい出て、起きてくれなくなったのは、ツキカのワガママのせいだから、ツキカは自分が大嫌いになったの」
「幼いながらに責任を感じたツキカ様は、父君のご指導を受け、お兄様の代わりに、お父様の後を継ごうと決意なさったのですが、政治の世界では、感情で失敗する場面も多く、お父様も、感情を持つ事をヨシとしない教えを徹底されました」
「元々ツキカは活発で優しいから、冷酷な決断や、非道な決断を迫られる場面に遭遇する度に深く傷付いてて、心が疲れちゃったの」
ジェスチャーを交えて、大袈裟なほどに感情をあらわにする星菜(ほしな)とは対照的に、淡々と事実だけを話す夜葉は、とても機械的で、その対比は、月華の葛藤を表しているようにも見える。
「機密情報に触れる可能性もある、政治家という職業の特性から、普段は、公私ともに監視を付けられる生活を続けていたツキカ様は、唯一一人になれる寝室で、私達とする会話が、心の支えになっていったのです」
「感情を殺しちゃうのは、とっても、とーっても苦しくて、一杯一杯になっちゃったツキカは、いっそ感情を、自分の外に出してしまおうと思ったの。ツキカが感情を捨てて人形になれば、きっとお父様も褒めてくれるし、ツキカを後継ぎと認めて、お兄ちゃんの代わりになれるって、そう考えたんだよ。キャハハ。ツキカって頭いい!」
「それまで肉体を持たず、ツキカ様の生み出した幻でしか無かった私達は、ツキカ様の感情として具現化し、器を持ちました。そして、私、ヨルハは、感情を抑え込む理性として」
「ホシナはね、ツキカの喜怒哀楽として、傍で一緒に暮らす事にしたの。そのお陰でツキカは、昔みたいに感情に振り回される事も無く、深く傷付く事も無く、パパとママが望む、後継ぎ人形になれたのよ。ツキカの傷は、ぜーんぶ、ホシナが受け止めてあげてるから。ね、ホシナすごーい」
幼い少女のように、はしゃいで手を叩く星菜は、もしかしたら、少し壊れてしまっているのかもしれなかった。
「感情は心の奥底に沈め、押し殺して生きる事こそが、ツキカ様の生きる世界では正しいとされ、ツキカ様も、そうあろうと、常に意識して振る舞っておられますが、最近様子が変わり始めているのです。ツキカ様が、あの本の世界に行くようになってから」
「なるほど。貴方たちはアマネ先輩の心の一部分で、お家のために先輩は、感情を殺した人形でいなくてはならないって事なのね? 事情は分かりました。でも、それってなんだか悲しくないですか? 確かに感情が厄介な存在だって感じる事もあるけど、でもそれだって、私達が生きてるって証で、そうやって自分の心も、人の心も感じれるのは、素敵な事だと思います。感情を殺すのが先輩のお父さんのやり方なら、先輩は先輩のやり方で、感情を活かすやり方をしていけばいいのに」
次々と降りかかる、今までの私の世界には無かった知らない出来事。戸惑いながらも、不思議な現実を既に受け入れてしまった私は、すんなり、少女達と月華の話も飲み込んでいた。
「いえ、駄目よ。感情のままに振る舞った結果、兄を失って、貴方の事も深く傷付けてしまった。本当にごめんなさい」
「アマネ先輩は、自分で自分が許せないでいるんですね? だったら私が、貴方の代わりに貴方を許します。確かに、一生懸命作ったチョコを踏みつぶされた事、大事に世話をしていた花壇を、滅茶苦茶にされた事はとても悲しかったし、すごく傷付きました。けど、先輩も後悔していて、自分を責めながらも、ずっと私に謝ろうとしてくれていたんですよね? だから、びしょ濡れであの樹の下に居た私を、迷いながら部屋に招いて、色々してくれたんですよね?」
「ええ。でも……」
罪の意識が強過ぎるからなのか、すぐには首を縦に振ってくれなさそうな彼女の素振りに、親心にも似た感情も浮かんで、私は許すための条件を出す事にした。
条件を付け、それを満たす事で、少しでも彼女の償いの意志の尊重になれればいい。そう思った事からの提案だった。
「お兄さんの言う通り、本当に頑固な人なんですね。分かりました。先輩が納得出来ないなら、条件を三つ付けます。一つ。滅茶苦茶にした花壇を、ホシナさん達と一緒に整えて、花に謝ってください。あの子達にだって感情もあるし、傷付けられると痛いんです。今はケイ君が世話をしてくれているみたいですが、難しいみたいなので」
ずっとトゲが刺さったままだった私の心は、月華が感じていた孤独、罪の意識や葛藤、後悔を知った事で、その全てを理解は出来ないかもしれないが、妹の事を心配している様子だったアルタイルのためにも、歩み寄ってみようと思うまでには、このやりとりの中で変化していた。
「二つ。セイヤさんの願いを叶える事で、星の樹の世界が消えたら、もしかしたらセイヤさんが、こっちの世界に戻って来てくれるかもしれません。あの世界を、物語の中で読んだ呪いだと仮定して、セイヤさんの願いを叶える協力をしてください」
「けど、あの世界を消したら、兄も消えてしまうかもしれない。あの世界が、本当はどういう存在なのか、どういう仕組みで、現実世界や兄と繋がっているのかを把握せずに、兄の願いを叶える事は、現実の兄の存在を脅かす恐れがあるわ」
「分かってます。私も、現実世界のセイヤさんが消えてしまうのは望んでいません。ちゃんと会って話をしたいですから。だから、シリウスのところに行ってみようと思います。この間、星の樹に行った時、星の樹の説明をしてくれたアルタイルが『本を持つもう一人は、この世界のシステムをよく知っている人物だ』と言っていました」
今までの出来事から感じた推測を話したものの、気の進まない様子の月華の言葉を肯定しながらも、一つの可能性を確かめたくて、私は言葉を続けた。
「明らかに、この物語の世界に深く関わっているのであろう人物なのに、シリウスだけが、何故か図書館内で会えていません。きっと彼は、何か知っているんだと思います。アルタイルが、知られたくない何かを知っているからこそ、意図的に、図書館の外にしか居れないのかもしれません」
「分かったわ。まだ推測に過ぎない賭けではあるけれど、貴方の兄への想いを信じる事にするわ。おとぎ話で呪いを解くのは、いつも愛の力ですものね。では、兄の願いを叶える事に、これからも協力する事を約束しましょう。それで、三つ目の条件は何かしら?」
過去の星夜(せいや)の存在を知っている月華の協力があれば、とても心強い。一緒に行動する事で、少しずつ彼女も心を開いてくれるかもしれない。
そう思うと、星夜の真実を知る事への不安も、少しだけ薄れて来た。
「三つ。アマネ先輩。もう一度ちゃんと私と友達になってください。それで今度は、私だけ置いて行かないでください。先輩もケイ君も、とても足が速いから。この三つの条件を先輩が満たせたら、その時は先輩が、ちゃんと自分を許してください」
その言葉を告げた瞬間、彼女の目は大きく見開かれ、蕾がほころぶような笑顔が零れた。初めて彼女の感情を目の当たりにして、私の胸の中が、ほんの少しだけ温まった。
「分かったわ……年下に世話を掛けるなんて、情けないわね。ツキカでいいわよ。お友達になるのならば、名字呼びでは、お互い堅苦しいでしょう?」
彼女から出て来た柔らかい言葉に、私も笑顔を浮かべるが、難しい顔をしたままの夜葉は、戸惑ったように腕を組み、視線を落として彷徨わせる。
同じように落ち着かないのか、星菜はその場で、少し苛立ったように爪を噛んでいた。
「ああ、まだこの感覚に慣れる事が出来ません。ホシナの感情の欠片が、ツキカ様の中へ戻っているようで、今まで希薄だった感情が、再び動き出しているのを感じます。そのせいか、ホシナの暴走も目立ち始めました。事故の後から存在する、セイヤ様の世界が、この事態を招いていると推測すると、つじつまが合います。セイヤ様は、妹であるツキカ様に、自分らしく生きて欲しいとお望みのようですから」
月華の一部である彼女達は、きっと言葉で伝えるまでもなく、彼女の心の動きを感じ、その感覚をも共有しているのだろう。
「あの世界は、死を間近に感じたセイヤ様が、最期の願いを叶えたいと、無意識に強大な力を暴走させた結果なのでは。と、私は推測致します」
「空っぽになっちゃう。ホシナが全部無くなっちゃう。ツキカがあの世界へ行くと、ホシナは消えちゃう。パパとママに嫌われちゃう。こわいよ。こわい。隠さなきゃ……殺さなきゃ」
「ええ。ホシナ。とっても怖いわね。けれど、私達はきっと元通りにならなくてはいけないのよ。罪を嘆いて立ち止まってばかりでは、未来へは進めない。現実の兄を取り戻すために、そろそろ一歩を踏み出す時なのかもしれないわ」
突然震えだした星菜を、月華があやすように抱きしめた。自分の心を自分で抱きしめてあやす。そんな不可思議な光景なのに、その光景はとても穏やかに見えた。
「あの時の兄の心情や、状況の詳細は分からないし、今の心情も分からない。兄の願いを叶える事が、本当に兄が望む事なのかも分からないまま、私は今まで、あの世界を行き来していたの。外の兄は、願いを叶えたそうにしているけど、内側の兄は、焦っていないと私を叱る。兄の願いを叶えようとしている事が、もしも私達の身勝手だったら、また兄を傷付けてしまうのではないかしら?」
月華が口にする、外は、古木の根元に居るシリウスで、内側は、図書館の中に居るアルタイルの事だろう。彼女はまだ迷っている様子だったが、私はゆっくりと首を振った。
「先輩。こんな時は、当たって砕けろ! です。何事もやってみないと、結果は分からないものですよね? 宝くじだって、買わない事には当たらないでしょ? 取りあえず元気を出すために、キャラメルいちごみるくを飲みに行きましょ?」
「兄の人生よ。砕けては困るわ。それに、宝くじなんて買った事がないから分からないわ。キャラメルいちごみるく? 兄が好きだったキャンディーかしら?」
「父が時々買うんですけど、宝くじが当たった事は無いですね。キャラメルいちごみるくは、元々はドリンクなんです。商店街のワゴン車でも売ってるんですよ。キャラメルのほろ苦さと、甘さ控えめのいちごみるくが、本当にバランスよくって、私のお気に入りなんです」
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