第7話 約束

『年長者のシラホシは、星の子ども達の成長を、いつも優しく見守っていた。想像力が豊かなシラホシは、自分の本を書きたいと思っていたが、彼への両親の期待は大きく、打ち明けられぬ思いをずっと胸に秘めていた』


 プロキオンがアルタイルの本を捲り出すと、周囲の景色がゆっくりと混ざり合い、私達もその風景の一部になってしまったような錯覚を起こしてしまう。


『ある日、小さなアヤボシに出会ったシラホシは、迷子の彼女の面倒を見る事になる。過ごした時は短かったが、自分を慕い、空想話に目を輝かせてくれる彼女の前では、偽らない自分で居られる事に気付く』


「ああ。やっぱり。彼女は兄の救いだったんだね」


 指でなぞるようにしながら文字を追っていたプロキオンの指が止まり、彼は私の方へと視線を送り、本へと戻す。


『いつしか彼女との時間は、シラホシの窮屈な心を救っていく。年の離れた彼女へ花を贈るには後ろめたく、淡い想いは秘めたまま、自分の書いた本を、プレゼントする事を約束する』


「約束……。 そうだ私。凄く楽しみにしてたのに」

「思い出せそうかい? けど、この先はボクも少し怖いんだ。此処にはボクの罪もある。ベガ。ページを捲っても大丈夫?」


 周囲は変化無く、穏やかな物語の風景。彼の言葉に、カチリと何かが、記憶の奥で鈍く噛み合って、一気に心が騒ぎ出した気がした。


 私は、怖々と頷いて、息を飲む。「そう」と、小さく呟いた彼が、ゆっくりと次のページを捲った。


『数日が経ち、ミルウェイが賑わう天の川の夜、シラホシの本は完成した。帰ってしまうアヤボシに渡せるように。寝食も忘れて没頭し、完成したその本を、彼女と約束した場所で渡せるのを、彼もとても楽しみにしていた』


『兄の事が大好きなベニボシは、アヤボシに兄を奪われたようで面白くなかった。その本に秘められた兄の想いを知る由も無く、彼女は些細ないたずらをしかける』


『古木の根元へと本を隠し、探しに行こうとする兄を、あの手この手で引き止めた。天の川の祭りの役目も仰せつかっていたシラホシだったが、本を見付けたのは、役目の時を告げる笛が鳴る頃』


「天の川の祭りは、多分、星祭(ほしまつり)だよね? アルタイルはツキヒコだったの?」

「ボクが幼なすぎたんだ。例え他の人を見ていたって、家族の絆も、兄からの愛情も、薄れるはずなんて無いのに」


「勝手に自分の本を覗き見られるのは、あまり気分がいいものでは無いな。プロキオン。ベガ。君達にはお仕置きが必要か?」


 次のページをプロキオンが捲ろうとした時、後方から聞こえた低い声に、私達は動きを止めて固まってしまう。


 仮面で顔は見えなくても、鷲座の彼は、明らかに不機嫌そうで、その周りを取り囲む三人の仮面の子ども達も、どこか怯えながら彼にしがみ付いているように見えた。


「ご、ごめんなさい! 確かに勝手に本を見られるのは、気分がいいものじゃないと思う。けど、プロキオン君を怒らないであげて。彼は貴方に謝りたいって言ってたの。お詫びがしたいから、貴方の願いを叶える手伝いをするって」


 慌てて事情を説明してみたものの、アルタイルの苛立ちは落ち着きそうになく、それどころか、余計に激しくなったようにも見える。


 図書館の中が、一瞬見悶えたような気もして、私は息を飲み、二人のやり取りを見守ってしまっていた。


「またお前はそんな勝手な事を……。 あれは単なる事故だった。だからお前は、もう気にせず、らしく、生きろ、と、俺は毎回言っているだろう?」


「違う。あの事故はボクのせいだ。だからボクは、きちんと責任を取らなくてはいけない。兄さんの願いを叶えるためには、彼女に記憶を思い出して貰う事が必要だ。そうだろう?」


「にしても荒療治が過ぎる。俺は焦ってはいないし、思い出すのも、思い出さないのも、彼女の自由だと思っている。どうしてお前は、いつもそんなに頑固なんだ。俺の事はもう大丈夫だから、お前はお前の人生を送っていって欲しいと、俺はこんなにも望んでいるのに」


 間違いなく、怒りと葛藤を孕んで居そうな二人のやり取りなのに、その熱量は驚くほど小さくて、逆にそれが、違和感と恐怖を煽る。すっかり委縮したままの私は、どう二人を止めようかと考えあぐねていた。


「またそうやって強がって、一人で抱えて格好つける。兄さんは昔からそうだ。星の樹に縛られてる本心は、痺れを切らして暴走させてるっていうのに。聖人君主ぶるのも大概にして、目を覚ました方がいい。本気で彼女を口説き落とさないと、強い輝きの流れ星に、大事な紫の君をさらわれてしまうよ。彼は、変わり始めてる」


「どういう……意味だ?」

「ボクからの忠告だよ。意味を知りたければ、自分の目で確かめてみればいい。期日もある。悠長に構えている時間は、兄さんには無いはずだよ」


 目の前で繰り広げられる、きょうだい喧嘩のようなやり取りにハラハラしながらも、アルタイルの感情が敏感に反応を示した言葉が私には引っかかり、その言葉を口にしていた。


「紫の君って、もしかして源氏物語の?」


 それは有名な一節で、幼い姫を見初めた美しい貴族が、その姫をさらい、立派な姫に育て上げ、愛するという物語の一節だった。その物語の中では一番好きな一節で、紫の君に憧れたりもしたものだが、少女から女性にされたくだりでの姫の戸惑いに、少し心を痛めた記憶がある。


「ベガ、逃げよう!」


 対峙していたアルタイルが、一歩足を踏み出したのを合図に、弾かれるように手を引き、その横を抜けて駆け出したプロキオンの行動に、足がもつれながらも一緒に走り出し、私達が飛び込んだのは、琴座の扉だった。


 部屋の中は、一面の花畑と星空で、遠くに桜の丘も見えている。


「綺麗」


 初めて入った、自分の印の部屋の風景に思わず私が口にすると、プロキオンが、小さく口許で微笑んだ。


「本当に綺麗だ。君のための部屋。という感じだな」

「私の?」


「そう。兄が作った。君だけの部屋だ。此処は、兄の願いが作った場所。兄の本の世界だからね。兄は此処の管理人で、この世界の創造主なんだよ。まさか此処まで、大きな力が働くとは思ってなかったかもしれないけど。色んな人を巻き込んでまで、強く君を想っているのだから、素直に君を欲しがればいいのにね」


 この世界が出来た経緯を、きょうだいである彼から少し聞かされれば、原因の一端が自分にもある事に驚いたと同時に、不謹慎にも少しだけ嬉しいと思ってしまった。


「本当に昔から兄は、甘えてばかりのボクとは正反対で、有能なのに、なんでも一人で抱え込んで、我慢してばかりなんだ。君は初めて兄が、心から願った子だと思うよ」


「でも私、何も覚えてなくて」


「今の君なら思い出せるんじゃない? 兄からは荒療治だと叱られたけど、君も思い出したいでしょ? 兄の事を知りたい。そんな顔をしているよ。箱を開けてしまえばいい。好奇心旺盛なパンドラのようにね」


 プロキオンは、人差し指を立てて口許に寄せると、先ほどアルタイルの部屋で開いていた、彼の本を私へと差し出して、誘惑するような声音で囁いた。

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