第5話 お花見
毎晩、シリウスの元で本を読むのが日課になっていた私は、ある日とうとう、手持ちの本を読み切ってしまった。
「仕方ない。お小遣い貰ったばっかりだし、新しい本買いに行こうかな? 桜の本は、星の樹に招集されないと更新しないみたいだし。うん、今日は天気も良さそう」
カーテンから差し込む光は、徐々に温かくなっていて、季節はゆっくりと移り変わってゆく。
「あ、綺麗。お花見したいな~」
家を出て鍵を閉めると、目の前の公園の桜は満開になっていた。私が桜に見惚れていると、小さな影が三つ。横を通り過ぎて、幼い子どもの声が聞こえた。
『かくれんぼしよう。かくれんぼ!』
『ふふっ。お兄ちゃんのとこに先に着いた方が勝ちよ』
『待ってよぉ。二人とも早くてズルイ!』
最後の少女と一瞬目が合い、少女が交差点で立ち止まったところに、車が突っ込んで来た。
『危ないっ!』
手を伸ばした私の耳に、けたたましいクラクションの音が響いて、私はギュッと目を閉じた。誰かに強い力で引き寄せられ。抱き締められていた。
「死にてぇのか! 何考えてやがるっっ!!」
ドライバーのオジサンに怒鳴りつけられているのは、幼い少女ではなく、私だった。荒々しいエンジン音で車が通り過ぎると。
「大丈夫かオリナ! 怪我してねぇ!?」
肩を激しく揺さぶり、必死に声を掛けていたのは、青ざめた顔をして私を見つめる慧(けい)だった。
「お、女の子は!? 女の子は無事?」
ハッとして尋ねる私に、彼は怪訝そうな顔をして首を振った。
「お前だけだったろ? 信号無視して交差点に走って行くとこ見えた時はマジ焦った。陸上してて良かったよ。お前が無事で……本っ当に、良かっ……た」
安心したのか、急に力が抜けたようにしゃがみ込んでしまった彼が、本当に心配してくれていた事が分かり、私は目線を合わせ、慧の表情を覗き込んだ。
「うん。ごめんね、ヒナタ君。助けてくれてありがとう。お詫びに何か奢ろうか? って、言っても、私あんまりお小遣いは無いんだけど」
一瞬目が合うと、彼はまた、あの時と同じ、怒ったような顔をして、俯いてしまった。私は微苦笑を浮かべて。
「あ、ごめん。迷惑なら別に。私も本屋に行くとこだし」
その場を離れようとした私の方へ、彼の長い腕が伸びて来て、彼は私の手首を掴んでゆっくりと、立ち上がる。
「いや、違う! ほ、本当に迷惑とか、そんなんじゃねぇから。ちょっと付き合ってくれ。この間のお詫びに、俺が奢るし」
そう言った彼は、私の返事を聞く前に、手首を掴んだまま歩き出し、可愛らしいワゴンで、私のリクエストを聞いて、クレープと、キャラメルいちごみるくを買ってくれた。
キャラメルいちごみるくは、ショコラ色のキャラメルシロップの上に、無糖のいちごみるくを注いだ、パステルカラーのドリンクで、見た目も可愛らしく、大女優セレスティアを起用した印象的なCM効果もあって、製菓会社とのコラボで、飴玉や色々な菓子が出るほどの人気商品だ。
小さい時に飲んでからずっとファンで、ハマっている時は、コラボの飴玉を常備している時もあった。そういえば、最近飴玉は見なくなった。
強引に慧に手を引かれたまま、気付けば商店街の街並みは段々と遠くなっていく。
その道中も、彼は不機嫌そうな表情のまま終始無言で、私の手首を解いてくれる気配も無い。
「あ、あのね。ヒナタ君。ちょっと。痛いかな?」
彼が私に歩幅を合わせて歩いてくれているのは、頭では分かっていたけれど、気まずい沈黙に耐え切れず口を開くと、今気が付いたのか、ひどい慌てようで、ようやく手を解いてくれた。
「わ、悪い。ツキカに促された時点で既にかっこ悪いのに、緊張もしちまってて」
「アマネ先輩と仲いいんだね?」
「ああ。ツキカとは幼なじみなんだ。家族ぐるみで仲良くて。姉貴みてぇなモンかな。俺抜けてるみたいで。よくケツ叩かれててさ」
さらりと呼び捨てられる月華(つきか)の名前。記憶なのか、それとも感情の方なのか、私はどちらに傷付いているのだろう。
話しながら歩いていると、彼の目的の場所に辿り着いたようだった。
「着いたぜ。俺、此処に時々トレーニングに来てるんだ。悪いな。商店街より少し遠くてさ。疲れてねぇ?」
「ううん。大丈夫。あ、可愛い桜」
彼が案内してくれた場所は、商店街から少し距離はあるが、ランニングコースや池もある、芝生の綺麗な広い公園だった。
ベンチの近くに小振りな桜も植えられており、その枝は、淡い薄紅で満開になっていた。
「俺、フミヅキの家に行く途中だったんだ。溜まってたプリント届けようと思ってさ。そしたら道中桜が綺麗で、花見したくなったんだよな。取り敢えずあそこ座って、買った物食べようぜ。ベンチに座ると、本当に桜近くなるから。此処なら緊張せずに話せるし」
「緊張してるの?」
「実はすっげぇしてる。緊張すると、怒ったような顔になっちまうんだよな。昔から。大会の時の自分の出番の前とか、毎回そんな感じになってて、先輩やツキカにもいつも指摘されてる」
「けど、ヒナタ君いつもすごく速いよね。緊張してるように見えないよ。将来は陸上選手になって、オリンピックとか出ちゃうかも」
他意無く放った私の言葉に、一瞬彼の表情が曇って、何かまずい事でも言ってしまったのだろうかと彼を窺うと、彼は小さく頭を掻いて。
「本当は俺も、陸上の道に進みたいって思ってる。でもな、両親に反対されてるんだ。家は昔ながらの医者一家で、この家に生まれたら、家を継ぐ事が当たり前だって風潮の一族でさ。学生時代は何事も経験って方針で、成績さえ下がらなければ、割と自由にやらせてくれるんだけど、進路は当然医大一択。成績が下がると強制終了って決まりもあって」
「そっかあ。なんだか厳しそうなお家だね?」
「まあな。両親も伯父も、それが普通だったから、その事になんの疑問も持たずに、ずっとその伝統を守り続けてるんだ。俺は一人っ子だから、尚更強くそれを求められるけど、なんかそれって変だよなって思いながらも、言えなくてさ」
バレンタインの出来事から、何となく話がし辛かった私だったが、明るく爽やかな人気者の彼にも、悩みがあるのだと思うと、なんだか彼を身近に感じて、自然に話が出来るようになっていた。
「その事をご両親と話してみた事はあるの?」
「あー、昔な。まだ子供なんだから、親の言う事を聞く事が、立派な大人になる近道なんだ。って、頭ごなしに叱られたよ。その後、家での医学と勉学の時間がすっげぇ増えて、小さいながらに、言っちゃいけねぇ事言っちまったんだなって思った。それ以来、自分の思いを親に話すのが怖くなったんだよな」
初めて聞いた慧の昔の話に驚きながらも、同時に彼の現状にも疑問が湧いて、思わず疑問を口にしていた。
「立派な大人ってなんだろうね? 私のパパも、よくそんな事言ってるけど、じゃあ、貴方は立派な大人なの? って、思っちゃう。おかしいよね? 子供の人生は、子供のもののはずなのに」
「あー、俺も時々思うけどな。例え自分が疑問を持っていたとしても、叩き込まれた価値観を自分の子供がはみ出すと、昔の自分の疑問なんか忘れて、子育てが間違った錯覚にでも陥るんじゃねぇかな? 多分昔は親達も、俺等みたいに色々悩んでたはずなんだろうけどさ」
「今のこの時を忘れちゃうの? なんだかそれは、ちょっと寂しい気がするね?」
「覚えてたら、もっと俺等への対応も変わるだろうけどな。でも、親は親なりに、子供のためだって本気で思ってるんだと思う。ある意味ちゃんと愛情の形なんだろうな。家みてぇに、独自の伝統を持っている家なら、祖父母の風当たりも強いだろうし」
どこか諦めているように、割り切った物言いをしている彼の言葉が本心からとは思えず、私は首を振った。
「余計なお世話かもしれないけど、もう一度、ちゃんと話をした方がいいと思う。私達だって成長してるんだもん。その厳しさが愛情だって分かってる今のヒナタ君なら、昔とは違った視点で、今度は話せると思うよ」
私の言葉に耳を傾けていた慧の表情が段々柔らかくなり、彼は私を見つめながら、真剣に話を聞いてくれているようだった。
「陸上、好きなんでしょう。走ってるヒナタ君は、とてもきらきらしてて、楽しそうで、本当に格好いいから、もっと自信を持ったらいいと思うな。夢中になれる事に折角出会えてるんだもん。ちゃんとご両親に、今の気持ちや将来への想い、これからの事をしっかり伝えたら、今度は分かってくれるかもしれない。なんて、逃げてばかりの私が言っても、説得力がないかもしれないけど」
「いや、フミヅキのそういうとこ、すげぇなって思う。素直に思った事口に出来て、真っ直ぐで、本当にそう思ってるんだなって分かるから。なんかお前に言われると、大丈夫な気がして来るのが不思議だ」
彼から言われた、信頼してくれているような言葉が嬉しいとは思うものの、自分に自信の持てない私は、ゆっくりと首を横に振った。
「どうかな。他人事だから、無責任になんでも言えるのかもしれないよ? ヒナタ君の家の事情も、現実も、それを実行する苦労も、私に分かるはずも無いのに」
「ははっ。お前も自分に自信無さ過ぎだって。少なくとも俺はそう思って、お前の言葉がストンって入って来たんだからいいんだよ。ありがとな。お前とちゃんと話せたから、両親との事も、もう一回考えて向き合ってみる」
私達は、他愛無い話も沢山した。最初は緊張気味だった彼も、だんだん饒舌になり、彼はこんなにお喋りが好きだった事を初めて知った。
ふと、会話が途切れると、彼の表情がまた、強張ったものへと変化した。しばらくの間のあと、覚悟したかのように大きく息を吐き出した彼が、じっと此方を見据えた。
さっきまでの穏やかな空気が張り詰めたような気がして、私も慌てて姿勢を整えてしまう。
「あ、あのさ。フミヅキ!」
「は、はい!」
「あの時俺、本当は嬉しかったんだ。ずっと気になってたお前にチョコ貰える事になって」
紡がれた彼の言葉が信じられなくて、私は大きく瞬きをした。
「でも、あの時怒ってたよね? 迷惑だったんじゃ……チョコも受け取って貰えなかったし」
「違う! 受け取れなかったのは、俺の事ガキの頃から知ってるツキカに見られてたからだ。恥ずかし過ぎて、テンパって、気付いたら逃げてた。格好悪ぃよな」
口許を押さえて俯く彼の横顔は、耳まで真っ赤で、それが真実だったと告げてくれていた。
「きちんと謝ろうと思ったけど、好きな子に格好悪いとこ見せたくねぇなって迷ってたら、お前が教室から飛び出して来てさ。中に入ったら直ぐに分かった。俺のせいであんな顔させちまって、すっげぇ後悔したんだ。お前のお気に入りの場所まで探しに行ったけど、結局あの日は会えなくて」
ポツリポツリと紡がれるあの時の彼の心情。頭の中を整理していると、ゆっくりと彼の顔が近づいて来た。
「今更だし、信じて貰えないかもしれねぇけど……そんな表情(かお)するんならさ? 俺との事、考え直してくんないかな?」
私はどんな顔をしていたのだろうか、懇願するような潤んだ彼の瞳と吐息が近付くと、私と彼の唇がふわりと一瞬重なって、直ぐに離れた。好きな人からされたキスのはずなのに、私の心は驚くほど冷静で。
「どきどきしない」
思わず声に出した言葉に、彼は、はにかむような苦笑を浮かべた。
「ははっ……流石にそれは大分傷付くかもしれない」
「ご、ごめんなさい。ちょっと混乱してて。そういう意味じゃ」
「ん、大丈夫。ゆっくり考えてくれると嬉しいよ。帰ろうぜ。オリナ」
今まで名字で呼ばれていた、憧れの人からの、突然の名前呼びに、少し戸惑ってしまった私の声は、思わず裏返ってしまった。
「な、名前?」
「駄目か? 俺、名前で呼びたいんだけど」
「だ、ダメじゃないけど。なんか変な感じ。じゃ、じゃあ私も……ケイ君」
「ふはっ。くすぐってぇ。ありがとな」
笑みを湛えたまま、無邪気に名前で呼びたいとねだられ、私からの名前呼びを、そんなに喜ばれてしまうと、その表情には逆らえず、私はおずおずと頷いていた。
「あ、おねだりついでにもう一ついいか? 俺、お前の代わりに花壇の世話してるんだけど、オリナみてぇに綺麗に咲かせらんねぇんだ。いくつか枯らしちまったのも謝らないといけないと思ってて。たまには学校来いよ。あんな事あって来づらいのも凄く分かるけど、次からは俺が守ってやるからさ」
少しギクシャクしていたけれど、二人で話しながら家へと帰って、私は珍しく桜の古木へは行かずに、そのまま眠りに着いたのだった。
アーク『やらかした……』
アルタイル『今度こそ何かあったな?』
アーク『あ、アルタイル。オレ、お前に聞きたい事がある。あの時オレ達を強制退場させただろ? それにあの本……もしかして』
アルタイル『今日は、ベガは居ないみたいだな。願いが暴走し始めた。俺達の終幕は近そうだな』
アーク『おい。アルタイル。オレの話、聞いてるか?』
アルタイル『聞いている。君の推測は正しいとだけ伝えておこう。詳しい事はミルウェイでな。また招集されると思うぞ』
プロキオン『ああそうだ。兄の時とは違うんだ。ボクはきちんと彼女に謝ろう』
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