第3話 招待状

 時間が少し早いからか、辿り着いた丘の上に彼の姿は無く、私は古木の根元に、力なく凭れ掛かった。


「此処だと思ったんだけどな。星の樹」


 目を閉じると、目頭に熱が集まって来て、私は彼に会いたいと強く願っていた。


「また泣いてるのか?」


 望んだ低い声と温かな指先、目元に触れた彼の体温に目を開けると、見守るような表情がそこにあった。


「シリウス。会いたかった……何故だか分からないけれど、貴方に……会いたかったの……凄く……ぐすっ……」


「何処でその名前。まさか思い出した……訳じゃなさそうだな」


 私は、どうしてそれが彼の名前だと思ったのか。一瞬弾んだ彼の声音は、続いた言葉に悲しそうに落ちてしまう。


 中々泣き止めないでいる私を胸元に引き寄せて、彼は落ち着くまで背中をさすってくれた。


 私にとって、その時間は決して嫌ではなく、幼い子供のように泣きじゃくる私を急かすでもなく、彼はただ傍に居てくれた。


 徐々に落ち着きを取り戻した私の思考は、ゆっくりとまた動き出し、僅かに身じろいだのを合図に、シリウスはそっと身を離した。


「落ち着いたな。ほら、あんまり泣くとブスになっちまうぞ。これが招待状だ。門番に聞いたんだろ? まだ未完成な本だが、この本が完成した時に、一つだけ願いを叶えてくれる。本を持っている人物は四人。冒頭は同じだが、その後の物語はそれぞれに違う。お前は完成出来るといいな」


「完成しない時もあるの?」

「……稀に、な。気付けば大丈夫だ」

「気付くって。何に?」

「本当の願いに」


 にわかには信じがたい話だったが、私はシリウスを信じる事にして、差し出された桜の表紙の本を受け取った。


「無理はしなくていいけどな。お前は笑ってる方が可愛いと思う」


 さらりとそんな言葉を告げた彼は、小さな子どもにするように、私の頭を軽くぽんっと撫でると、私の背中をそっと押した。


「今日はもう帰れ。あんまり親御さんに心配掛けるんじゃないぞ?」

「なんだろうそれ、凄くお兄ちゃんっぽい」

「……かもな」


 手を振るシリウスに手を振り返し、家路に着いた私は、早速部屋でその本を開いた。


『そこは、無数の星の子達が集うミルキーウェイ。ある者達は他愛ない言葉を交わし合い、またある者達は悩みを相談し合う。平和で穏やかな時が流れるこの場所だが、此処に住まう者は皆、互いの顔を知らないのだ――』


「知ってるのに知らない? なんだか不思議なお話だな」

 冒頭から不思議な印象を与えるその話に惹かれて、私は次のページを捲る。


『その一角で、憧れと未来を胸に抱く、五人の星の子ども達は出会った。綾星(あやぼし)は花を、麦星(むぎぼし)は勇気を、紅星(べにぼし)は感情を、白星(しらほし)は再会を、蒼星(あおほし)は約束を、それぞれ強く望んでいたが、子ども達の羽は皆一枚足りず、羽ばたく事が出来ないでいた――』


「小さなアヤボシは……」


『小さなアヤボシは、動植物が好きな素直な少女で、毎日世話を欠かすことはなかった。少女のお陰でミルキーウェイはいつも美しく、その花々が枯れる事はなく、星の子達の心はいつも穏やかだった』


『ある日アヤボシは、川岸で足を滑らせ、星の大河へと落ちてしまう。助けてくれたのはムギボシだった。彼が手渡してくれた花に感動したアヤボシは、自分の育てた花を差し出すが、彼の美しい婚約者ベニボシに、花は奪われ踏みにじられてしまった』


 童話のように綴られていく、星の子ども達の物語に、まるで吸い込まれてしまったかのように、私の目の前には、いつの間にか本の中の光景が広がっていた。


『心を痛めたアヤボシは、星の樹のたもとでアオホシと出会った。不思議な輝きを放つアオホシに、強引に花を奪われたアヤボシは、訳も分からず彼を忘れられなくなっていた』


『夢の中で出会ったシラホシの案内で、鍵を貰ったアヤボシは、それぞれと絆を深めて行く』


 私が次のページを捲ると、そのページはまだ白紙で、その続きを読む事は出来なかった。


「未完成って、こういう事か。続きはどんな話なんだろう?」


 物語の続きが気にはなるものの、招待状と呼ばれている本を手に入れた事で、少し私の気分は上がっていた。私はネットの中の二人へ、その報告をしたくなり、掲示板を開いていた。


 ベガ『今日星の樹のところで、私も招待状を貰ったよ。次に星の樹に行けたら、二人に会えるかな?』


 アーク『あそこちょっと不気味だけどな。ベガ達に会えるんなら、楽しくなるかもな』


 アルタイル『俺は、ベガに一度会っているぞ。次に君が来た時は、名を名乗ろうか。今日は少し心が騒いでいる。紫薔薇の君(しばらのきみ)に会えたからな』


 アーク『ずりぃなアルタイル。てか、紫薔薇の君って、姫って意味か? なんかアルタイルってキザだよな。女慣れしてそう(笑)』


 アルタイル『どうだろうな?(笑) まあ、君達よりは年上だと思うが』


 相変わらずな、顔の見えない友人たちとの会話。それは一人ぼっちで学校にいるよりもずっと身近で楽しく、いつも時間を忘れてしまう。


 ミルウェイでの友人達とのやり取りは、私にとって、大切なひと時になっていた。


 ベガ『次に星の樹に行けるのが楽しみだなあ。けど、あそこの人達は、皆仮面を被っているから、分からないかもしれないね?』


 アーク『なら、合言葉でも決めとくか? アルタイルの《紫薔薇の君(しばらのきみ)》なんてのはどうだ? そんな独特な言い回し、アルタイルしかしなさそうだし?(笑)』


 アルタイル『構わないが。俺の言い回しをからかわれているのであれば、断らせて貰うぞ』


 ベガ『私は素敵だと思うな。身分を隠して、乙女に会いに来た神様が、自分を知らせるラブレターみたいで』


 アルタイル『ヨーロッパ系の神話に出て来そうな話だな。ベガが良いならば、いいんじゃないか?』


 アーク『アルタイル。お前、絶対ベガの事好きだろ? オレに対する態度と違い過ぎねぇ?(笑) ベガには超優しい』


 アルタイル『名前に運命を感じなくもないが(笑) 女性には優しくするものだろう?』


 アルタイルの詩的な言い回しに、少し心を騒がされながら、なんとなく頬が緩んでしまう。


 私の中に、憧れにも似たくすぐったい感情が芽生え始めている事に、まだ気が付いていなかった。


 アーク『そんなに素直に優しく出来たら、オレだって苦労しねぇよ』


 アルタイル『なんというか。君、もしかしなくてもヘタレだろ?(笑)』


 アーク『くっそ、否定出来ねぇ(笑) それ、幼なじみにもよく指摘されるんだよな。オレにももっと度胸があれば、色々スムーズなんだろうなっては、思うぜ』


 ベガ『きっとそれは、アークが、優しくて気遣い屋さんだからじゃないのかな。じゃ、合言葉は決まり? プロキオン君にも会えるかな』


 アルタイル『ああ。きっとな。救ってやってくれ』


 友人達と、星の樹で会える楽しみを見付けた私の心は、眠る頃には随分と軽くなっていた。

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