第2話 不思議な夢

 その日私は夢を見た。様々な服装の人々が、星の樹の根元の光の扉へと、並んで吸い込まれて行く、不思議な夢だった。


 自然の物であるはずのその樹に、無機質で大きな、歯車の見えるアナログ時計が掛けられている。歯車は止まっているはずなのに、その時計は時を刻んでいるのだ。


 不自然なその風景が、やけに印象的だった。


 一様に星座の仮面を被った人々の顔は、誰一人として確認する事は出来ない。


 いつの間にか列へと並んでいた私が、扉の前へと辿り着くと、門番らしき鷲座の仮面の青年に声を掛けられた。


「君。招待状は持っているだろうか?」

「あの、招待状って?」


 首を振ると、考えるように顎に手を添えていた門番が、内緒話をするように、私の耳元へとそっと唇を寄せて。


「今夜十一時、[星の樹]の元へ、誰にも知られず一人で来い。そうだな。合言葉は《シリウス》それを伝えて貰えたら、お前にも招待状を渡してやる。忘れるなよ」


「今夜十一時。星の樹。シリウス?」


 それだけ告げると、私を見つめて頷いた彼は、何事も無かったように、後方の二人を案内し始めた。


 素顔は見えなかったけれど、彼の声は知っている。熱くなってしまった耳たぶに触れながら、早くなった鼓動を落ち着かせようと、白い息を深く吐き出した。


 いつの間にうずくまっていたのだろう。星の樹の根元に座り込んでいる赤髪の少年がそこにいた。


「ああボクは、なんて事をしてしまったのだろう」


 悲しげに呟いていた彼が気になり、声を掛けようとしたが、私の体は光に包まれながら透けだしていて、目を覚ました時には、自分の部屋のベッドで天井を眺めていた。


「夢? にしては、やけにリアルだったけど」


 ぼんやりと夢を思い出そうとしていた私の耳に、母の怒声が飛び込んで来て、ベッドから跳ね起きた私は、持っていたスマホを取り落してしまう。


 プロキオン『嫉妬に駆られて酷い事をしてしまった。これでは人形失格だ』


 例のサイトの新しい書き込みを知らせる通知音。それはきっと、夢で見掛けた少年のものだと何故だか思って、スマホを拾い上げた私は、人形の意味を考えていた。


 アーク『ベガ。あの後、返信無いけど大丈夫か? 生きてる?』


 ベガ『おはようアーク。うん。生きてるよ(笑) ちょっとピンチを助けてくれた人と色々あって、失恋の事忘れちゃってた。心配してくれてありがとう。アークは優しい人なんだね』


 アルタイル『アーク。抜け駆けか?(笑) アークだけでなく、俺も心配していたぞ。偶然とはいえ、君の憂いが少しでも晴れたのならば良かった』


 ベガ『アルタイルは不思議な人だね。二人ともありがとう。お陰でなんだかすっきりしてる。変な夢を見た以外はね』


 アーク『そういやオレも、ちょっと不気味な夢、見たな。ベガは、どんな夢だったんだ?』


 ベガ『星の樹の根元に、仮面の人々が吸い込まれていく夢だよ。星の樹は知らないはずだけど、あれは確かに星の樹だった。私は中には入れなかったけど、中はどうなってたのかな?』


 アルタイル『奇遇だな。もしかしてその仮面は、全て星座を表していなかったか?』


 アーク『マジか。三人とも同じ夢見るとか、都市伝説みたいでなんか怖ぇ~』


 SNSの書き込みに夢中になっていた私に、いよいよ痺れを切らしてしまったのだろう。母の怒声は更に大きくなり、今にも二階に飛び込んできそうな勢いになっていた。


「オリナ! さっさとしないと、もう朝ごはん片付けるよ!」

「今、行くって!」


 私は大声で下の階へと答えて、学校へと向かったのだった。


 学校へ辿り着いたものの、私の日常は、もうそこには無くなっていた。


 黒板に大きな文字で書かれた【身のほど知らず!】という文字と、敗れたハート。一台だけ教室の隅に移動された、私の机の上と周辺は、花壇の土で汚されていた。


 教室中から嘲笑が聞こえ、その中心で星菜(ほしな)が、片側だけ口角を上げて私を一瞥すると、澄ました顔で教室を出て行った。思い当る原因は一つしかない。


「もう直ぐ一限が始まるわ。この教室は何を騒いでいるの?」


 騒ぎを聞きつけてやって来たのであろう月華(つきか)と目が合い、彼女が口を開く前に、逃げ出すようにして、私は教室を飛び出した。


「あっ! おい。文月(ふみづき)。真っ青な顔してどうし……!!」


 途中ぶつかりそうになった慧(けい)に呼び止められ、一瞬立ち止まったが、ひどい顔を見られたくなくて、私は彼の横をすり抜けるようにして、中庭の木陰脇の茂みへと屈み込んだ。


 荒らされた花壇を整えると、芽吹いたばかりの小さな双葉が、重そうに土を被っていた。


「あなたも……苦しそうだね」


 私はその土をそっと動かして、埋もれてしまわないように両手で囲い、守るように少しだけ土を寄せた。生温い雫が手の甲を濡らし、冷たい雨粒が全身を飲み込んでいった。


 その日私は、何も言わずに学校を飛び出し、部屋のベッドに潜り込んで過ごした。今日ばかりは、仕事で留守にしがちな両親に感謝して。


『…リ…ナ……約束だ。本を……』


『うん、楽しみにしてる』


『……したら……この……樹の……で……』


 いつの間に眠り込んでしまっていたのか、外は真っ暗だった。とても温かい夢を見た気がしたが、何も覚えていなかった。


『今。何時だろう』


 約束の時間が気になって、スマホを確認すると、夜の十時を過ぎたところだった。


「オリナ。あなた学校を勝手に抜け出したってどういう事? 制服もびしょ濡れだったし」


 部屋を出ると、教師からの電話を受けたばかりなのか、母の手にはまだスマホが握られていて、困惑したような表情で私を見詰めていた。


「なんでもない」

「なんでもない事ないでしょ。今までそんな事無かったじゃない。悩みがあるなら母さんに……って、こんな時間に何処へ行くつもり?」


 玄関で靴を履きだした私を、引き止めるように声を掛けられたが、今は、早く彼のところへ向かいたかった。


「コンビニ!」


 私は初めて母に嘘をついて、古木の丘へと駆け出していた。

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