第1話 初恋の行く末
今日は二月十四日。放課後を迎えた私、文月織奈(ふみづき おりな)は、中庭の木陰で、日向慧(ひなた けい)と向き合っていた。
爽やかなスポーツ少年で、背も高い彼は、陸上部のエースで、勉強も出来る人気者。女の子たちの憧れだ。小六の運動会で、転んだ私を助けてくれた時から、ずっと気になっていた。
「あ、あのね……。 急に呼び出してごめんなさい。わ、私、小六の頃から、ずっとヒナタ君が好きです。良かったらこれ、受け取ってください!」
頬が熱い。顔をうつむかせて伝えたあと、前髪の隙間から彼を見ると、唇を引き結び、怒ったように視線を逸らしてしまった。
「ごめん。無理」
小さく呟いて、背中を向けて走り去ってしまった彼の姿は、あっという間に校門の外へと小さくなっていった。
『受け取って貰えなかった』
胸が締め付けられるように痛んで、唇を噛み締めて立ち尽くす私の後ろで、不意に意地悪な笑い声が聞こえる。
「あはは! 振られてやんの。目の下クマ出来てるじゃん。一体何時まで頑張ったの~? アンタみたいな地味子がケイに告るとか、なに考えてたのかな~?」
「ケイ様は既に、沢山のチョコをお持ちです。これ以上の糖分の補給は、不必要かと思われます」
「アンタさぁ、どんなゴミ渡そうとしたわけ?」
「ご、ゴミじゃない!」
声の主は、可愛らしい容姿とツインテがトレードマークで、学生アイドルもこなす、一年生の星菜(ほしな)と、二年生ながら、時期生徒会長候補とも噂される夜葉(よるは)。
そして、二人を付き従えて現れた、一際華やかなその少女は、タレント政治家の父と、外国人女優を母に持つ、この中学校の生徒会長。先生やPTAですら彼女には逆らえず、女王様だとも囁かれている、天音月華(あまね つきか)だった。
「受け取って貰えなかったんだからぁ~……やっぱゴミじゃん?」
星菜のツインテがゆらりと揺れると、彼女の腕が此方へと伸びてきて、私の胸元のチョコを引っ手繰ろうとする。
私はそれを守ろうとしたが、間に合わず、反動で飛び出したチョコは、月華の足元へと滑って行った。
西日に当たり赤みがかった、月華の柔らかそうな髪がさらりと流れると、彼女の綺麗な顔が歪にゆがんで、パキっと無残な音が、私の耳に届いた。
「あら、虫を踏んでしまったわ。ヨルハ。処分しておいて頂戴」
「承知しました」
名前を呼ばれた感情の読めない少女、夜葉は、崩れたチョコの小箱を拾い上げ、焼却炉へと無表情で投げ捨てて。
『だ、ダメッ!』
私は思わず焼却炉へと飛び込んでいた。鼻をつく腐葉土と土のにおい。それでも必死にチョコを探していた。
「うっわぁ~汚ったなぁい。焼却炉に飛び込むとか頭おかしいし。ツキカぁ~。バイ菌うつっちゃわないように、もう行こうよぉ~」
無我夢中でチョコを探していた私は、中心の月華の表情に気付く事は無かった。
やっとチョコを見付けた頃には、すっかり日は落ち、制服も髪もドロドロになっていた。下手なラッピングの表面の土を払って、それを鞄の中へと仕舞う。
「優等生だと、思ってたんだけどな」
あまり話した事は無かったが、私の知っている月華は、女王様ではあるものの、生徒会や先生の信頼も厚く、いつも大勢に囲まれて凛としている。そんなイメージの生徒会長だった。
湿った葉を払っても、土のにおいは消えなかったが、雨が降る前のそのにおいは嫌いではない。
『星が……見たいな』
私の足は、自然とお気に入りの場所へと向かっていた。
家から数分の小高い丘の上に、一本だけ桜の古木があるその場所は、私の住む、伝統工芸と温泉観光が盛んな、天桜市(てんおうし)の街と山並み、そして星空が綺麗に見渡せるところで、引っ越して来たばかりの小さな頃から、何かある度に此処に来ては、木の上の特等席で、星座や神話のお気に入りの本を読む、私の特別な場所だった。
受け取って貰えなかったチョコのラッピングを解いて、角が崩れてしまった小箱を取り出し、不格好なトリュフを、一粒口に放り込む。無糖ココアの効いた、ビター風味のチョコは、酷く苦く感じて、私は噛みしめながら顔を歪ませた。
ベガ『ふられちゃった。三年間の片想い、みじめに散る』
今更になって、さっきの出来事を思い出し、込み上げてきたモノを必死で飲み込んだ。一人で抱え込むには苦し過ぎて、取り出したスマホで、数日前に見付けたサイト、ミルウェイへ書き込んでいた。
アルタイル『そうかベガ。彼はきっと、君の彦星ではなかったのだろう』
アーク『勇気を出して告れただけすごいって。オレはいつも素直になれなくてさ。ちょっとした事でテンパっちまって……』
アルタイル『アーク。君も、何かあったような口振りだな?』
アーク『いや、オレはなんもない! って事もねぇけど』
「ふふ。賑やかだな。一人なのに賑やかっていうのも、なんか変……だ、けど……ぐすっ……ううっ……」
知らないはずの二人の言葉に、飲み込んでしまった氷の欠片がゆっくりと溶けだしていくような感覚を覚えて、夜空を見上げた私の頬には、冷えた雫が伝っている。
『星を見に来たはずなのに』
滲んでいるせいか、曇っているせいなのか。
ベガ『星が見えない』
「見えてるぞ?」
気付かない内に声に出していたのだろうか。下から突然聞こえた低い声に驚いて木の下を見ると、少年とも青年ともつかない、褐色肌で深い藍色の瞳を持つ銀色の男の子が、木の上の私を見上げていた。
「え? 何が? 星?」
私が尋ねると彼は、ゆっくりと首を振って。
「パンツ」
「はっ? えっ? パ、パン……つっっ!?」
予想外過ぎる答えが返って来て、慌ててスカートを押さえようとした私は、バランスを崩してしまった。
視界が大きくグラリと揺れて。持っていた小箱からトリュフが舞い上がる。
『落ちるっ!』
地面に叩き付けられる鈍い痛みを覚悟したが、私の体がその衝撃を感じる事は無く、唇にふにり、と、くすぐったい熱を残して、温かな体温に包まれていた。
それが彼の腕の中だと気付くのには、少しのタイムラグがあったのだが。
「オリナ! 怪我してないか? って、見事に固まってんな……もう一回くらいしてやったら戻って来るか?」
次に気が付いた時には、彼の藍色が間近にあって、互いの吐息が触れ合いそうな距離にまで、彼の唇が迫っていた。
私は思わず彼を突き飛ばして、体の熱を冷ますように、全速力で家へと駆け出していた。
「……熱いな。さて、どうしてくれようか」
後方で、柔らかな吐息と、甘さを含んだ笑い声が聞こえた気がした。
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