第10話 逸話の真相

「それで、あなた方ってもうヤったんですか?」


 朝は何を食べたのかと問いかけるような気軽さで、豆助は最低な質問を口にした。せて茶を少しばかり噴き出したら、汚いと怒られた。怒りたいのはこっちの方だ。

 薬屋の裏仕事を手伝っている内に段々分かってきたが、豆助という男は遠慮がない。カラッとした性格で根は良い男だが、一度気を許した相手にはこうだ。


「ようやっと一日の仕事が終わったって時にお前ってやつは……!」

「だって気になるじゃないですか。あなた達、あからさまにデキてる雰囲気をかもし出してますし」

「だからってンなもん聞くバカいるか!?」

「いますよ、ほらここに」

「……あのなぁ」

 悪びれもせずにこにこと笑う豆助に頭痛を覚えながら、重く長い溜息をつく。


「蜜樹に付き合う相手は選べって言ってやらないと……」

「あっはっは。いやですね、私みたいな生き仏なんてそうそういないというのに失礼な」

「本物の生き仏に土下座して謝れお前は」

「真顔で言わないで下さいよ。傷つくじゃないですか」


 とても傷ついてそうには見えない飄々とした態度で、豆助は菓子盆に並んだ水菓子を楊枝で刺し、口元へ運ぶ。

 砂糖漬けの果実。零れそうな程の果汁を内包したそれは、舌を蕩けさせる甘さを一色に封じたような橙色。しかしその味は酸味が強く、砂糖に漬けて元の鋭さが和らいだとはいえ、万人の口に合う代物ではなかった。

 好みが分かれる水菓子だが、これは柘榴の昔からの好物だった。


酸漿ほおずき。酸漿という字は、かがち、とも読めるんですがね。同じ読みを持つ言葉があるんですよ。なんだと思います?」

 豆助は湯呑みに口を付け、喉を鳴らした。


 来た、と柘榴は居住まいを正した。豆助は不意にこうして問いを投げてから、柘榴にとって重要な話をし始める。

 一昨日は般若面について問いかけ、そこから蛇姫の鎮魂の儀の話へ移った。面を被り、肌を隠し、女物の喪服を着るあの儀式に、一度だけ蜜樹も参加したのだと豆助は語った。


 儀式には神職の人間やお偉方の他、土地の恩恵を直に受けているとして農民代表に薬売り、そして神楽の演者が参加する。散楽者である父の後を継ぎ、蛇姫を演じる蜜樹にも当然その任は降りてきた。

 しかし蜜樹が定められた喪服姿になると、全身に湿疹が出た。生地が肌に合わないのか、それとも染料か、とあれこれ試しても、湿疹は収まらない。


 仕方がないからこのままでと、蜜樹は無理を押して装束をまとい、社へ向かった。しかし社が近付くに連れ、蜜樹は徐々に苦しみだしたという。何者かに取り憑かれたように、うう、うう、と唸りながら、翠髪を振り乱して面を地面に叩きつける。

 異変に気付いた男達に取り押さえられた頃にはすっかり豹変し、蜜樹は怒りを露わにしてわななき、腕に血管を浮かせながら村人を睨んだ。


 人間としての尊厳を完膚なきまでに踏みにじり、頭の先からつま先まで絶望に絶望を叩き込んで殺してやる――そう訴えんばかりの怨憎が、飛び出しそうなほど剥き出された目や形相に詰まっていたという。

 普段は温厚な蜜樹だからこそ、並々ならない鬼気迫る殺意はその場を震撼させ、腰を抜かした者さえいたらしい。


 後日、蜜樹以外の鎮魂の儀に参加した者は皆、同じ悪夢を見たという。ばっくりと皮膚が裂け、生々しい傷口から滴るような赤い彼岸花が咲き、痛みに悶絶している間に蛇に囲まれ、骨まで食い尽くされる悪夢を。

 しばらくその悪夢は毎日のようにやってきて、神経衰弱を引き起こしたという。


「優れた演者は、役に命を宿します。蜜樹さんが演じる蛇姫をご覧になりましたか。あれは本物です。真に迫るものがある。蛇姫は蜜樹さんが演舞を通して歩み寄ったのを利用し、祟りをもたらしたのではないか……噂が広まったのは、あっという間でした」


 以降、蜜樹が儀式に参加するのは危険だと判断され、儀式の日には社から離れた場所で、手枷をつけ、目隠しをして過ごすよう命じられた。万が一また蛇姫が憑依したとしても、被害を最小限に抑える為に。

 その話をし始めた時と同じだ。酸漿を一つ摘んで、柘榴は首を傾げた。かがち。豆助が柘榴に伝えたい重要な話なら、柘榴が不在の間の吾緋村や、蜜樹と関係するものだろうが、一体。


「彼岸花……蛇姫……蛇。大蛇か? いや、あれはおろちだったか」

 柘榴が考えあぐねていると、豆助はにやりと笑った。


「近いところまで来ましたね。かがち、と読むのは、蛇神です。蛇の神と書いて、蛇神かがち

「蛇神……」

「そうです。それを心に留めておいて下さい」


 コン、と、豆助は湯呑みを置く。砕けた雰囲気を区切る音。豆助は待っているよう言い置いて奥へ消え、黒の繻子しゅすと仮面を携え戻ってきた。鎮魂の儀のものだ。


「一昨日の続きです。柘榴さん、鎮魂の儀での装束は何を模したものか、ご存知ですか」

 しばしの沈黙の後、柘榴は口を開く。


「蛇姫の葬送に参列した、蛇姫の侍女だろう。頭から被る黒の繻子は侍女の髪を、仮面は姫を失った侍女の悲しみを表している」


 蜜樹の父親が教えてくれた。黒布を被ると重いし暑くて大変なんだと苦笑して、長い髪を束ねていた。蛇姫役の演者は、役の為に地毛を腰まで伸ばす。儀式の時は髪を軽くまとめるとはいえ、厚手の布を頭にかけると負担は大きいのだと肩をすくめていた。


 蜜樹の父母は折を見て、村の常識や小話を聞かせてくれたものだった。村人なら誰もが知っている事にも父親は無頓着で、幼い柘榴の耳に届かないのは常だった。

 吾緋の村人なら知ってて当然とされるものを覚えていなければ、罵りの声は一層大きくなる。蜜樹の父母は幼い柘榴を守ろうと、いつも手を差し伸べてくれていた。まるで、本当の両親のように。


 豆助は頷く。

「それでは、何故鎮魂の儀にその侍女の格好をするのか、お分かりですか」

「蛇姫は傲慢で気性が激しく、親しくしていた侍女にも横柄な態度を取っていた。蛇姫は私欲に溺れて生きながらにして鬼女と化し、滅せられた。そして侍女は蛇姫の葬送に参加して、姫を思って涙を流し、清い心をもって追悼した……それを蛇姫の魂に思い出させる為だろう」


 言いながら嫌気が差して、柘榴は眉間にしわを寄せた。醜い真実を美談で厚塗りすると、鼻が曲がるような悪臭が漂う。この逸話は吾緋村で言い伝えられるものと考えると、どうも臭うのだ。


「表向きはそういう話になってるが、俺は何か裏があるんじゃないかと思ってる」

「何故?」

「吾緋村だぞ、ここは。純朴さは馬鹿の証とでも言わんばかりの扱いを受ける場所で語り継がれているのは、どうにも違和感がある。美談すぎるんだよ。他所の村に見栄を張る為の嘘だとか、蛇姫の悪辣さを強調する為の脚色だとかならしっくり来る」

 湯呑みを呷る柘榴の言い分に、豆助は目を伏せ、喉を鳴らして笑った。


「貴方はやはり……一途な方でいらっしゃるようですね。愛するものに対しても、忌み嫌うものに対しても、表層の奥へ踏み込み見識を深めてらっしゃる。私が思った通りです」


 言いながら、豆助は面を掴んだ。それを宙へ放り投げ、一言。


べに


 そう呼んだ。バキン、と耳をつんざく音がして、何事かと思った時には、面は破壊されていた。柘榴の左手が面を掴み、体重を掛けて潰していた。


「……いつの、間に」

「ふふ」

 汗を垂らす柘榴に対し、豆助は満足げに笑みを浮かべる。


「話を戻しましょう」

「待て。豆助お前、一体俺に何をした」


 語気が強くなる。紅と豆助が言い放ったその一瞬、音も景色も消え失せて、浮いた仮面のみを射るように見つめていた。研ぎ澄まされた刃に似た本能。無意識の内に柘榴を動かしたそれの訴えが、後から全身をじりじり焦がしていく。


 ――おのれ。許せない。あの方を悲しませる。味方ではなかったのか。どうして、分かり合えなかった。


 濁流のように押し寄せる感情が動揺を誘った。何故。何故、面に対して生身の人間に寄せるような、ぬめり気のある感情を向けているのか。柘榴の困惑を楽しむように、豆助は鷹揚おうように微笑んだ。


「何もしてませんよ。ご存知の通り、私は薬売り。妖術使いじゃありません。人を自在に操るような真似なんて出来ませんよ」

「だったらどうして、今起きた事を予測していたように振る舞う」

「柘榴さん」

 豆助は酸漿を一つ楊枝に刺して、柘榴の唇にあてがう。


「物事には、順序というものがあります」

「……」


 今はもくして聞きなさい。言外にそう伝える豆助は、諭すように目を細めていた。柘榴は溜息をついて、酸漿を飲み込みながら頭を掻く。


「うまい」

「そうでしょうね。よく味わって下さい」

 にっこりと微笑んで、豆助は面の欠片を拾い集めていく。


「私と出会った時、貴方はこう言っていましたね。蛇姫は筋金入りの悪霊で、定められた装束にならなければ祟られると」

「ああ。真相は知らないが、村ではそういう事になっている」


 ――信じるに値するとは思わないが。

 視線を逸した柘榴の目元にしわが寄った。大衆の腐った望みは、水面を覆う油膜と等しい。事の詳細などに興味ない大衆が、個人を指して悪しと言えばそれが事実となる。精神の幹が未熟な人間ばかりの組織において、劣等の札を首に下げる者は絶えず求められるものだ。

 踏みつけられ続けた、幼い頃の、自分のように。


 蛇姫が本当に時代を超えて忌み嫌われなければならないような事をしていたのか、吾緋村で自分がどんな目に遭っていたかを考えると疑念が浮かぶ。


 豆助はほくそ笑んだ。

「蛇姫が侍女に心を許していたのは事実です。だからこそ……侍女の真意によって、蛇姫の心中は荒れてしまわれた」

「……!」


 柘榴は息を呑んだ。蛇姫が憑依したとされる蜜樹の様子と、今しがた侍女のかおを模した面に対して湧き上がった、怒りを伴う激情。二つを繋ぎ合わせれば、答えは自ずと現れる。冷たい汗が背に流れた。


「……裏切り?」

 豆助は静かに微笑んだ。


「蜜樹さんのお父上はこの地の神楽と出会い、神楽そのものと蛇姫に、骨の髄まで魅了されました。彼は吾緋村に移り住む以前から、血眼になって蛇姫に関する情報をほうぼうから掻き集めた」

「蜜樹から……そう聞いたのか」

「無論です」


 欠片を集め終えた豆助は、黒布の上にそれらを置いた。面の目が、柘榴を捉える。面が割れる前、その目は胸を裂くような悲しさを宿しているように見えた。しかし今は、最高潮に達した嘲りを必死に隠そうとしている、歪んだ愉悦の目に見える。


「お父上が小さなお子さん達に蛇姫の話をする時は、表面的な話しかしなかったようですがね。真相は酷ですから。蜜樹さんが貴方のように蛇姫の逸話を疑問視するまでは、黙っていたそうです」


 酸漿をまた一つ、豆助は食した。とうに夕暮れを過ぎている。あらゆる醜行しゅうこうも白日の下に晒さんとする陽の威光は弱まり、人の心を失った鬼共が蠢き始める頃合いだ。

 ひやりとしたものが柘榴の心臓を伝った。行灯の密やかな明かりに照らされた豆助は、ただ微笑を浮かべているだけ。だと言うのに、底知れぬおぞましさの片鱗を覗かせているように思えた。


「貴方は知るべきです。この地で起こった惨事を、全て」

 豆助は語り始めた。蛇姫と呼ばれるようになってしまった姫――灯姫について、つぶさに。


 灯姫はどのような人だったのか。何故蛇姫と呼ばれているのか。紅とは何か。侍女の本意は。彼岸花が吾緋村を覆った、その理由とは何か。

 そして、もう一つ。蜜樹が自らの意志で失くしたある物について、経緯を交えて明かした。


「…………」


 豆助の話が終わると同時に、柘榴は呼吸も忘れて目を見開いた。きつく束ねていた髪が乱れるのも構わず、指を立て、頭を抱える。


「そうか。……だから、俺はあの時」


 左手の小指。それを失った瞬間の事が、走馬灯のように駆け巡る。豆助が明かした、吾緋村の真実。それが失くしていた記憶に絡みついて、端々まで明瞭にした。


「……ふ、はは」


 笑みが溢れる。なんだ。苦しむ事はなかったじゃないか。幼い頃から優しかった蜜樹。彼の慈愛に満ちた瞳の奥に、指先が届いた気がした。

 鬼を救えるのは、鬼の心を知る者だけだ。海景ではいけない。もし海景が今の蜜樹の前に現れたら、一刻も早く吾緋村から蜜樹を遠ざけ、知人のいない遠地で共に暮らそうとするだろう。緩やかな時間の流れる生活の中で、蜜樹の背に乗る孤独を取り払おうとするだろう。


 生温い。それは蜜樹が隠したがっている苦しみを助長させるだけでなく、蜜樹を生死に関わる危機に晒す結果になる。人間は、鬼の在り方を見誤る。

 鬼と化した存在が嘆き悲しむのは、己の汚らしい心を憎むが故だと。温かな暮らしさえあれば、徐々に穏やかさを取り戻すのだと。元の優しさを知っている人間は、残酷にも、そんな希望を鬼の鼻先に突きつける。


 海景はこの局面において、役に立たない。今の蜜樹を救えるのは、二度と人には戻れないと知った上で罪を至上の美味として飲み込んだ、柘榴だけだ。


「しかし……かがち、ねぇ。よくまあ俺が酸漿を好むってところから、俺さえ知らなかったところまで行き着いたもんだ」


 吾緋村にとっての蛇神と言えば、蛇姫しかいない。酸漿と蛇姫。二つを繋げるのはあまりにも薄い糸であり、それを頼りに柘榴の魂の裏に潜むものをあぶり出すのは至難の業だ。


 豆助は首を横に振る。

「先に蜜樹さんと蛇姫の関係に気付いてましたから、いつかきっと、紅と近い立ち位置の存在が現れると予感していたんですよ。そしてその人物が誰なのかは、過去を愛おしげに語る蜜樹さんの話をよく聞いていれば浮き彫りになります」

「ああ、それで……」


 豆助と出会った時を思い出す。豆助は、いきなり踏み込んだ事を聞くのは失礼だと言っていた。今思えば、あれはこちらの正体に心当たりがある反応だった。


「蜜樹には、今の話はしたのか」

「いいえ」

 豆助は悪戯を思いついた子供のように、喜々として顔をほころばせる。


「貴方が抱える爆弾は、貴方が火をつけるから派手になる。面白くなる。だから貴方には私の知る全てを明かした。それだけですよ」

「はは、お前は俺と蜜樹を使って喜劇を見たいんだな。人の気も知らず悪趣味な」


 しかし、その悪趣味に助けられた。この体は毒に侵されている。遠からず使い物にならなくなるが、その前に成さねばならない事が見つかった。


「はははっ!」


 清々しく笑ってみせる。絶望は人を殺すものだ。そして、鬼の最大の武器になる。

 行き過ぎた愛情は呪いと等しい重さを持つ。それに絶望を組み合わせれば、極上の最期を与えられる。壮絶な快感の先へ蜜樹を送り出すのが、楽しみでならなかった。

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