第3話 引き延ばされた命(三)

 冗談めかしてほくそ笑み、男の頬を指の甲で撫でた。情愛の対象にするような仕草はからかいだ。底の知れない美丈夫が秀眉をひそめ、身じろぎするのが見たかった。


 男は動揺してか細かく瞳を揺らして、やんわりと柘榴の手を押しのけた。品よく気まずそうな様子を見せる男に満足した柘榴は、ちらと彼岸花に目を向けた。あの禍々しい赤を捉えてから、気になっている事がある。


「……なぁ兄さん、一つ聞いていいかい」

「う、うん」

「ここってもしかして、吾緋あび村か?」

 問われた男は頷いた。


 柘榴は肩を竦めた。吾緋村は柘榴が生まれ育った故郷だった。山間のさびれた村でパッとしたものもなく、祭りの日にはやや人足が増えるが、普段はわざわざ出向く人間などいない。


 吾緋村の立地は悪く、村人の気質は閉鎖的かつ卑しい。人が寄り付きにくい理由はここまでで充分だったが、それに加えて大昔、吾緋村には毒蛇を扱う鬼女がいて、村人を大層苦しめたと言い伝えられている。


 鬼女――妖怪がいたというのは本当だと裏付けるように彼岸花は季節を無視して芽吹き続け、丘から眺めてみると、吾緋村は燃えているように一面真っ赤に見える。例え朝でも夕日に染まっているようで、村全体が逢魔が時から抜け出せない異境の地じみている。


 毒花に覆われ続ける村を、付近の里の民が不気味に思うのは自然な事だった。吾緋村と関われば良からぬものが身に降りかかるのではないかと噂されたが、ある意味でそれは真実であった。村人に目をつけられた人間の大半は、厄介事に巻き込まれていたからだ。


 商談中に暴力を振るい始める。他者の嫁や旦那に入れ込んで追い回す。気に入らなければ無実の罪を被せて家財道具を奪い、一家離散まで追い詰める。その手の無法行為を悪びれもせずに行う村人が、あまりに多かった。だから言い伝えと絡めて嫌悪を込め、吾緋村は妖怪の巣窟と呼ばれているのだった。


 ――二度とここへは戻らないと、誓ったんだがな。


 柘榴は溜息をついた。幼い頃に吾緋村を去り、ある人物の息の根を止めてから、吾緋村は帰ってはいけない場所になった。柘榴にとって唯一無二の存在が大切にしていた人を、殺してしまったのだから。


 殺さなければならない理由はあった。それでもその殺人は、大切な存在の心を酷く傷つける取り返しのつかない事だ。もう、合わせる顔がない。


 だからそれ以降、吾緋村の近隣の里にすら近寄らないようにしていた。倒れる前に入った酒場も吾緋村から遠く離れた地にあり、そこから吾緋村に向かうとすれば、馬を走らせても5日はかかるはずだ。

 ふと違和感を覚えた柘榴は男を見やる。


「……兄さん、今日は何日だ?」

「? 9月13日だよ」

 不思議そうにまばたきする男の答えに、柘榴は唸り声を上げた。


 ――1日しか経っていない。


 酒場にいた日は9月12日だった。たった1日で吾緋村に着くのは、現実的にありえない。状況から考えると、男が意図的に誤った情報を口にして、柘榴を混乱させようとしていると考えるのが妥当だ。


 探るような眼差しを向けると、男はにこりと愛想よく笑って小首を傾げた。ずいぶん気楽に構えている。


「……」

「ど、どうかした?」


 柘榴がじいっと見つめると、男は眉を下げて困ったようにまばたきを繰り返した。


 ――どうにもやりにくい。


 柘榴は目を細め、そっと息をついた。この男と話していると勝手に緊張感が抜け、臨戦態勢を解いてしまう。こんな事は初めてだった。


 長年の殺伐とした生き方が影響して、例え幾度も背中を預けあった仲間だろうと、いつでも首を掻き切れるよう気を緩ませないのが常だ。それがこの男と対峙していると、まるで陽光を浴びながらうたた寝しているように安らいでしまう。


 奇妙な感覚だった。他人を疑う事であらゆる危機を乗り越えてきた自分が、よく知りもしないこの男を疑いたくないと思っている。それどころか……。


「……俺は兄さんにとっての悪人にならないと、こうされてでも思うのか?」


 男の長い前髪を指に絡め、絹糸のような髪を辿ってツウと指を降ろしていく。男は息を詰めたが、逃げる素振りはなかった。揺らめく炎の薄明かりに浮かぶ頬が、そのひと時で淡く染まった。


 指に絡めた髪に口づけをした柘榴は、薄い熱を感じていた。恐らくこの男も感じている、夜に映える密やかな熱を。


「どうして満更でもないような顔をするんだ」

「あ……」


 男は目を見開いて、顔を赤くしていた。指摘されるまで素直に柘榴を受け入れていた男は、言われてから羞恥を感じたように目を逸らす。理想的な好ましい反応に、柘榴は呆れ混じりの微笑を浮かべた。

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