四つ指の彼岸花

第2話 引き延ばされた命（ニ）

　ともかく、それ以降は奉仕の質も含めて粗雑な宿ばかりを選んでいる。それがこんな所にいるという事は、酔って道端で寝ていたのを誰かが持ち帰ったのだろう。

　それにしても不用心だ。依頼を受けて手にかけた標的の中には、気に入った対象を攫い、座敷牢に閉じ込めたり、首や手足に枷をかけているのが何人もいた。そうして自由を奪っておかないと、当然逃げられるからだ。下手すれば反撃までされる。

　――何の目的で俺を持ち帰られたか知らねぇが、善意で助けたにせよ、殺した連中みたいに他人を玩具（おもちゃ）にして遊ぶ趣味を持ってるにせよ、危機管理がなってねーな。

　あくびをしながら布団の中で足を泳がせてみる。やはり拘束はされてない。少し周りを見て回ろうかと身を起こした柘榴は、視界の端にある物を捉えた。いやに赤いものだった。

　反射的にそれを直視した柘榴は、ゾッと血の気が引いて凍りついた。土間の隅に、赤い花が咲いていたのだ。

　華やかなのは行灯に照らされた箇所だけで、奥の細い花弁は夜気を吸い、蛇の舌のような毒気を持つ。それは柘榴の故郷の村を象徴する花だった。

　村の彼岸花は異質だった。村の中なら季節を問わず咲き続け、年中いやでも目に入った。その上どういうわけか、村の中ならどこにでも生えて花をつけていたのだ。

　土間がいい例だ。増粘性のあるにがりを混ぜ、叩き締めて強度を出した三和土（たたき）で仕上げた土間には植物など生えない。しかし村の彼岸花は例外だった。赤く細い指が花芯からいくつも生えているような毒々しい花は、固い三和土（たたき）を突き破って現れた。

　そんな奇事が目の前にあるという事は。

「ここは……まさか」

「……んん……あれ、気が付いた？」

「！」

　瞳孔が開くより早く、反射的に身を翻した。声の主を捉え、素早く組み敷く。相手の男はあっさりと仰向けに倒れ、両手を抑えつけられて目を丸くした。男を拘束して胸を撫で下ろすと同時に、ぞわりと鳥肌が立った。

　――まるで気配を感じなかった……いや、違う。俺の気が緩んでいた。

　柘榴が男を凝視すると、男は困惑したようにまばたきした。抵抗する気はないらしい。

　男は押し倒される前、柘榴が寝ていた布団の側に座り、壁に体を預けて寝ていた。反応がここまで鈍いところを見るに用心棒ではなさそうだ。

　――何なんだ、こいつは。

　押さえつけられても動じない男が何を考えているのか、見当がつかない。どうしたものかと柘榴が思案していると、男は相変わらず無抵抗のまま、首を傾げた。

「……え、っと……げ、元気そうでよかった？」

　状況に頭が追いつかず、発言が場に合っているのか自信がないといった様子だった。あまりの緊張感のなさに拍子抜けする柘榴に対し、男は柔らかく微笑んだ。

「君、山の中で倒れていたんだよ。体に不調はない？」

「……ないけど」

「そっか。よかった」

　男は安堵して目を細めた。どこまでも気の緩んだ男は生粋のお人好しのように見える。余計なお世話だろうが、こんな調子で大丈夫なのかと他人ながら心配になる程だ。

　男は薄暗がりの中にあっても目を見張るような美貌を持っていた。涼しげな切れ長の目に、薄い唇。緩く一つに纏め、幾本か肩から胸元へ降りている翠髪。橙の灯りに浮かぶ姿は、水墨画から抜け出た幽霊のような繊美を湛えている。

　これほどの美貌があれば、裏の市場なら高く売れるだろう。美は搾取されやすい果実だ。高水準の美しさを持つなら性別は関係なく、好事家の客を多く抱えている商人にいい値で売り飛ばせる。

「兄さん、ずいぶんと不用心だね。俺が悪い奴かもしれないって思わない？」

　柘榴が片眉を上げてせせら笑うと、男はきょとんとして柘榴をしばし見つめた。ややあって、男はおかしそうにクスクスと喉を鳴らした。

「僕は常に守られている身だ。彼らが君を迎え入れたから、少なくとも君は、僕にとっての悪人じゃない」

「ははっ、何を根拠に。とんでもない過大評価だったと後悔しなきゃいいな」

「大丈夫、そんな事にはならないよ」

「どうだか。ところで、兄さんが守られているってのは今もか？」

　気配はないが、用心棒でも控えているのだろうか。だとしたら、この男に自分は拾われたのか。柘榴が思案していると、男は大きく頷いた。

「彼らは優秀で鼻が利く。もし君が本心から僕に害意を向けるような人なら、君はとっくに彼らに殺されているよ」

　それに、と男は笑った。

「僕をどうこうするつもりなら、そんな風に警戒するよう僕に促すような事は言わない。徹底的に善良だと装って油断させるか、会話もなく組み敷いて、すぐ気絶させる。そうでしょ？」

「……」

　優雅に微笑む男の言葉に、柘榴は目を丸くした。ただの無防備で鈍感な男ではなかったらしい。悪人の振る舞いをきちんと分かっている。さらりと脅し文句を口にするのといい、この男、柔和な雰囲気をまとってはいるが、どこか禍々しさを感じさせる。

　もしかすると虫も殺さないような風体で、こ（・）ち（・）ら（・）側（・）の人間なのかもしれない。直接手を下さずとも、命を刈る方法はいくらでもある。この男は何度かそれに関与したのではないだろうか。

　規律を乱す悪人共を取り締まる側の人間なのかもしれないが、いずれにせよ、優しそうなだけの外見からは察せられないものを抱えているように思えた。

「……あんたいいな、気に入ったぜ」