第2話

「おてるさん居るかい?」

「おや熊さん」

「熊じゃねえよ。留三(とめぞう)だと何度言えば覚えてくれるんだい」

「熊にしか見えないだろ! この際、熊に変えちゃいな! お菊、熊さんの支度をしてやっておくれ」

「おてるさんよう、わしはこの前みたいな頭を使う仕事は駄目だ。これからは力仕事をたのむよ」

「なんだいなんだい、文句を言うんじゃないよ。お天とさんに叱られるよ」

「熊さんこっちへ来てくださいな」

「あいよ! お菊ちゃん、今日のわしの仕事は何だい?」

「今日は渡しの荷運びです」

「よっ、ありがてえありがてえ」

「おてるさん、私にも仕事をお願いします」

「あれ、おこうさん! 今日も顔色が悪いよ。この前渡した薬をちゃんと飲んでるかい? おみね! おみね! おこうさんに薬を飲ませておくれ」

「はーい姉さん。おこうさんこちらへ」

 足を一歩出すのも大儀そうに、おこうは店の奥へと入って行きました。てるはそんなおこうの足取りを見るや、帳場に置いてある座布団を抱え「おみね、これ!」と三枚をみねに手渡しました。

「おこうさんに薬を飲ませたら、しばらく横にさせてやっておくれ。具合によっては布団を敷いてやっておくれ。少し寒くなってきたからね」

「はい。おてる姉さん分かってますよ」

 みねは微笑むと座布団を受けとり、小走りで奥へと入って行きました。

 この日も次から次へと仕事を探す人々がやってまいります。

 その時、身なりの立派な商人が、武士を連れてやってまいりました。

「おてるさんはおいでかな?」

「はい。おや中川屋さんでしたか。今日はお武家様とご一緒で。さあこちらへどうぞ」

「おみよ! お二人にお茶を」

「戸田さま、ここのお茶は実に美味しいですよ」

「ちょいと中川屋さん、褒めたってびた一文まかりませんよ」

「なーに、そんなこと望んでやしませんよ。おてるさんが宛がってくれる人足は皆まじめだ。だから今日は小田切様のご家臣の戸田さまをお連れしたんだよ」

「それは嬉しい限りですが……」

中川屋は前屈みになりながら、てるの前に紙を広げました。

「おてるさん、まずは私の用から頼みます。今日も急ぎの用ですまないが」

 その紙を手に取ると、てるは一行一行声に出して読み上げました。

「渡しの人足が十人、荷入れが五人、解きが三人ですね」

「何とかなりそうかい?」

「大丈夫ですとも。うちにゃ力自慢がたくさんおりますから。中川屋さんについては承知しました」

 お茶を運んできたおみよに紙を渡すと、

「直ぐに宛がっておくれ! 急ぎで頼むよ」

 みよは頷きながら下がって行きました。

「それはそうと、小田切様といえば旗本のお家柄のはず。うちが紹介する者で間に合いますかどうか。年季奉公をお望みでしょうか? 出替? それとも日備取りでしょうか?」

「実は私はお屋敷の留守を預かる身。飯炊きやら雑用をこなす者が数人里帰りし、人手が不足しております。中川屋さんに相談したところ、こちらを紹介していただいた次第です」

「どうかね、おてるさんの目に叶う娘を回して欲しいんだがねえ。飯炊きができる娘を数人と、あと植木職人を数人でしたね? 戸田さま」

「はい、それで結構です。いかがでしょうか?」

「承知いたしました。しかし、娘をお武家さまのお屋敷に奉公させるについては、二人を必ず同じ仕事に就けることを、条件にさせていただいておりますが、それでもよろしいでしょうか?」

「もちろんですとも」

 戸田は中川屋に小さく頷きながら、てるに頭を下げました。

 翌日てるが自ら付き添って、小田切様のお屋敷へ娘たちを連れて行くと言うと、戸田も中川屋も安堵の表情を浮かべました。

「植木職人も揃うと思うのですが、今手掛けている仕事の具合ということにさせていたたまけませんか?」

「勿論、構いませんとも」

 干菓子が運ばれ、熱いお茶が再び湯呑みに注がれました。

 三人はお茶を飲みながら半刻ほど世間話に興じ、戸田と中川屋は帰って行きました。

 そして翌日、約束通り娘たちを小田切様のお屋敷へ連れて行き、商談は成立したのでした。


それから数日経ったある日のこと、呉服問屋の井澤屋の主人が直々にてるを訪ねてまいりました。井澤屋には三歳になる孫娘がおり、その娘をしばらくの間、かくまって欲しいというのが用向きでした。

「井澤屋さんのお嬢さまをかくまう? どうなさいましたか?」

 ただならぬ雰囲気を感じ取ったてるは、開いていた障子を閉め井澤屋の前に座り直しました。

「大丈夫です。どうぞお話しください」

 重い口を開いた井澤屋は、

「実は数日前、突然石が店先に投げ込まれまして。そこには『蔵のお宝近々拝領』と書かれた紙が巻きつけられておりました」

 そう言うと井澤屋は膝の上で組んでいた手に力を込めました。

 その時は単なるいたずらであろうと、全く取り合わなかったと言います。しかし二日後、蔵の前の木が燃やされる騒ぎが起き、脅しだけではないと震え上がり、用心棒を雇い入れたと言うのでした。奉行所へも急いで届け出をしましたが、事はそれだけでは収まらず『娘子に災い』と書かれた投げ文が、また投げ込まれたと言うのでした。

「蔵には大層な金も銀も入ってはおりませんし、骨董につきましても私は不調法でございまして、買い集めたこともございません。大層なお宝が入っているとでも思っているのでしょうが……」

 言葉を詰まらせながらも、やり場のない怒りを膝を叩いた握り拳の中に感じたてるは、一つ頷き視線を落としました。

「ただ孫娘のおさよだけは、絶対に守りたいのです。おてるさん、一つお助け願えませんでしょうか?」

 井澤屋の必死さに、てるは困り果て言葉に窮しました。そんなてるを見た井澤屋は、意を決したように切り出しました。

「実はおてるさん、私はおてるさん自身に引き受けてもらいたいと思ってお願いに上がっております」

 井澤屋が言うには、店の者が大勢で動けば感付かれてしまうし、おさよの母親が店から居なくなれば、それも気づかれてしまうと言うのでした。それに母親の実家は遠く、かくまってもらうについては、道中が心配でならず、かといって屋敷の中に居させるのはもっと危険すぎると肩を落とすのでした。

「孫は目に入れても痛くないと申しますが、それ以上でして……井澤屋伝兵衛の一生の頼みを、どうか聞き届けてはくれませんか」

 井澤屋の必死さを感じ取ったてるでしたが、

「井澤屋さん、お気持ちはよく分かりました。ですがこの話はとてもお受けできるもんじゃありませんよ」

 井澤屋は必死の形相でてるを見続けています。大切な孫娘を預けるについては、心底信頼の置ける人でないとと考えた時、てるしか思いつかなかったと言うのでした。

「お役人が盗っ人を捕まえてくれるまで、お願いできませんか?」

「ですが井澤屋さん、私は所帯を持ったこともなけりゃ、赤子を生んだこともありゃしません。この先も決してね」

 言い切るてるを井澤屋は不思議に思いながらも、懇願の眼差しを変えることなく、てるの目を見続けていました。

 どんな無理難題も対処してきたてるでしたが、今回についてはさすがに二の足を踏みました。

「井澤屋さん、やっぱりこのお話については私の一存では決めかねます。この店には私と同じ境遇の娘たちがたくさんいます。皆の命にも関わることです。私の一存ではお返事しかねます。今夜一晩お待ち願えませんか?」

 結果断ることもありうるとした上で納得してもらい、井澤屋には帰ってもらいました。


その夜、てるはいつになく難しい顔で神棚の前に座り続けておりました。菊の声掛けにも全く気づかずに……。

 菊からてるの様子を聞いた店の女たちは、代わる代わる障子の隙間からてるの様子を覗き、首を横に振っていました。てるの部屋の前には一人また一人と、てるを心配して女たちが集まり、土間を埋めておりました。

「あっ! おみね姉さん」

 皆のただならぬ様子を見た姉さん株のおみねが、てるの部屋の障子に手を掛けました。

皆にはそこで待つように手で合図をすると、

「姉さん、入りますよ」

 おみねはスッと部屋に入り込むと、静かに障子を閉めました。

「姉さん、どうかしましたか? 姉さん!」

 てるはおみねの声掛けにも微動だにせず、座り続けています。

 その時てるは、三十年近い昔を思い出していました。

「幼子を私に守れだなんて無理ってもんだよ。おまけにこんな時、あいつまで現れたときたもんだ」

 つぶやきというより、口元から漏れ出たかのような、てるの言葉を聞いたみねは、声を掛けることなく上前に手を添え、静かにその場に座りました。 

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