江戸界隈巷話『口入れ屋おてる』
mrs.marble
第1話
口も八丁手も八丁、海千山千の女主人が営む口入れ屋が、江戸は八丁堀の一角にありました。男を男とも思わない、役人とて手玉にとるような女でした。しかしこの女、妙に澄んだ目をしておりました。たまに見せる笑顔には、おぼこを思わせる口元が据えてありました。
この女主人、名をてるという。年の頃は三十後半。
十年程前にここに店を出すや、あっという間に大店と言われるまでになったのでした。きっぷの良さが売り物で、誰であろうと何処であろうと、歯に衣着せぬ物言いで、思ったことを言い放つ。これが正に正論ときたものだから言われた者はぐうの音も出ない。
そんな大店中の大店にも関わらず、男手といえば店の前をうろうろしている用心棒が数人いる程度。それも実にいい加減で、昨日は五、六人いたかと思うと今日は一人二人といった有様です。しかし店の中には女たちがわんさかいるのでした。
また仕事を世話してもらいたい男や女が、ひっきりなしに出入りをしておりましたので、まあ言ってみればそれらが用心棒であると言えなくもない。
その日も大きな声が店中に響いておりました。そんな店の前を通りかかった腰の曲がった年老いた男が、いぶかしげに漆仕上げの看板を見上げ、目元を細め眉を八の字にすると溜息を一つつきました。
「世の中にゃあ、こんな大店もあるんだのう」
男はしばらくの間立ち止まっておりましたが、店の中へ入る様子もなく立ち去ろうとしました。その時てるが店の奥から出てきて、男にちらりと視線をやったと思うと、店先を見回しただけでまた奥へと戻って行きました。
男はてるの口元にあるほくろを見るや、
「わしの娘にもあんなほくろがあったなや」
そうつぶやくと、歩幅狭く立ち去って行きました。
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