第18話 夕焼け

「うわぁあ!!」


 鋭い拳撃がミーナの頭上をかすめ、背後の石壁を砕く。もう彼女に出来る事はただただ逃げ回る事だけだったが、それでも何か、何か出来る事は無いかと、必死に思考を巡らせ続けていた。


「うう…」


 少女が必死に化け物の気を引き付けている頃、エリーは鮮明では無いものの、意識を取り戻した。ぐったりとした体に懸命に力を込めて顔を上げると、彼女のぼやけた視界に入ったのは、今にも打ち殺されそうなミーナの姿。


「やめなさい!あなただけでも逃げるのよ!」


 酷く痛む喉に、精いっぱいの力を込めて叫んだつもりだったが、その声は少女の耳には届かなかった。それならば、と残された力を振り絞って手のひらに火球を湛えるが、何かを思いついたかのようにその炎を消した。

 そして、何度か咳払いをすると、再度、渾身の力で声を張り上げた。


「ミーナちゃん! 指輪を!」

「えっ!?」


 もう駄目だと思っていた少女にとって、これほどにも無く心強い声だった。満身創痍とは言え、エリーの意識が戻ったことは、彼女の折れかけていた心を立ち直らせるには十分だった。


「でも……っ!」


 言われた通りに、けれどもこの攻撃がとても通用するとは思っていなかったが、それでもミーナは指輪に念を込める。

 深紅の感応石が煌めくと、辺りを紅く染め上げる炎が立ち昇り怪物を包み込んだが、その結果は少女の思った通りだった。それは全く意に介さないかのように炎を掻き分け、拳を振り下ろす。


「違うの! 私に指輪を!」


 声に反応したミーナは、飛び退くように避けた後にエリーの元へ駆け寄る――はずだった。

 肉体的な疲労に加え、いかに感応石という媒体を通したと言っても、術を使った事で彼女の体力は限界に達したのだった。踏み出した足にはもはや力は入らず、立っているのがやっとの有様だった。

 まるで、熱射病でも罹ったかのように体が熱く、意識も焦点も定まらない。


(わたし、死ぬのかな…?)


 僅かに残った意識の淵に残る絶望、そして眼前に迫る怪物。


「しっかりしろよ!!ミーナ!!」


 それでも天は少女を見放さなかった。先ほどの回復術で戻った力の全てを振り絞ったジェフが、怪物の足首に一太刀浴びせたのだった。


「うごおああああ!!」


 流石の強烈な痛みで悲鳴を上げた敵の標的は、右手一本で長剣を構えるジェフへと移った。

 もはや、誰かの心配をしている場合では無かった。作ってもらった僅かな時間で、ミーナはエリーへの傍へと急いだ。




「まだまだだぁ!!」


 火事場の馬鹿力なのだろうか、使い物にならなくなった左腕を揺らしながら片手で操る長剣は、既に怪物の手の指を数本斬り落としていた。


「指輪を!」

「はい!」


 エリーは指輪を受け取ると、歯を食いしばるような表情を浮かべ、それを握りしめた。微弱な紅い光が輝き、広げた手のひらの上には宝玉の内部に光を湛える指輪の姿があった。


「これが私に残された全ての力。ミーナちゃん、ここにあなたの術も込めれば、さっき言ったように、この感応石は激しい爆発を起こすはずよ」


 だが、手渡された指輪の宝玉は、先ほどの灯り取りの感応石とは違い、ひびの一つも入っていなかった。


「でも、これをどうすれば……」

「あの魔物に生半可な術は効かない。かといって懐に飛び込むのは自殺行為。ならばあなたのその武器で、奴の急所にこれを命中、炸裂させるしかないわ」


 少女の左手に握られたパチンコに視線を落とすエリー。それは打つ手無しのミーナたちに残された最後の手段だった。


「頼んだわよ、大丈夫、ミーナちゃんなら出来るわ」


 そう言いながらミーナの手を握る彼女の手は力無く、そして氷の様に冷たかった。力を使い果たしたエリーは崩れるように倒れ込むと、再びを意識を失った。


「まかせて……ください!」


 自身を鼓舞するかのように呟くと、二人と同様に最後の力を振り絞り、異形の魔物を打ち倒すべく立ち上がった。




 まともに喰らってはいないものの、何度も攻撃をその身に受けていたジェフの顔は腫れあがり、全身の至る所に鮮血の跡が残る。

 それでも懸命に刃を振るい続けていたが、いよいよそれも限界に達したようだった。折れた左腕に攻撃を受け、少年は咆哮のような悲鳴を上げると膝から崩れ落ちる。


「ジェフ!」


 駆け寄る少女は決着をつけるべく、指輪を握りしめた。

 急所、いかに怪物であっても必ず弱い、柔らかい、脆い箇所があるはず――。ミーナはそれが何処なのか考えつつ、指輪をパチンコにつがえる。

 爆発する、膨張する、膨らむ、――そうだ、あの部分ならば。少女は閃いたかのように目を見開き、武器を構えた。


「おい! ばけもん! こっちだぞ!!」

「あいつ、なにを…?」


 うずくまったまま見つめる先、玩具と揶揄された武器を構え、自身に攻撃を引き付けようとする幼馴染の姿を見たジェフは、長剣を再び握り直す。

 その動きを視界の隅で見たミーナは、一瞬だけジェフの方を見ると小さく頷いた。自分に出来ることは――、若き剣士は次に繰り出す一太刀が最後だと自身に言い聞かせ、残された力を振り絞り、震える足で立ち上がる。

 挑発に乗ったかのように少女ににじり寄る怪物。けれども、少女は一歩も引く事無く構えを崩さない。

 徐々に、徐々に詰まる間合い。もう数歩で怪物の拳が届く、その瞬間だった。


「ジェフ!」

「まかせろ!」


 ぼろ雑巾のようになったその姿からは想像出来ない跳躍で、ジェフは敵の太ももに剣を突き立てる。

 痛みに絶叫する怪物。そして、その裂けんばかりに開かれた口にミーナは狙いを定めつつ、指輪の宝玉に術を込める。

 摘まんだ指に感応石が砕け始める感触が伝わり、限界に達する――はずだった。

 だが、いくら少女が念じても、それ以上に石が砕ける事は無く、限界を迎えたのは彼女の方だった。けれどもその時、不意にミーナは胸のあたりに、優しい暖かさを感じた。


(負けないで…)


 聞き覚えのある声とともに、体に力が戻ってくるような気がすると再び術を込め――


「くらええ!!!!」


 放たれた指輪は、宝玉の中心からまばゆい光を発しながら放物線を描き、そして怪物の口へと飛び込み、その体内へと入り込んだ。

 次の瞬間、くぐもった爆発音が響くと怪物の胴体が一瞬膨れ上がる。


「やった…か?」


 もはや戦う力など残ってはいないものの、構えをとり続ける二人の前で怪物は動きを止めていた。これが駄目なら成す術無し、ミーナたちの疲労は限界に達していた。

 そのまま倒れてくれ――、想いは通じ、怪物は背からその巨体を石床へと倒れ込ませ、二度と動くことは無かった。


「や、やった! やっつけたよ!!」


 勝利を確信すると、二人は腰が抜けた様にその場に座り込んだ。




 静寂の中、ようやく立ち上がったミーナはジェフの元へと歩み寄った。


「さっきはありがとう、助かったよ」

「どうってことねえよ」


 座る気力もないのか、いつの間にか大の字に寝転んだジェフは、腫れ上がったその顔にきざな笑みを浮かべて答えた。


「痛いでしょ?」

「まあな。でも俺よりもエリーさんを……」


 少女は促されるままにエリーの傍へと向かい、うつ伏せに倒れ込んだままの彼女の身を抱える様に介抱する。小さく肩を揺さぶると、彼女は小さくうめきを漏らし、僅かにだが目を開けた。


「やったの……かしら?」

「はい」


 その言葉を受け、少女の腕の中でエリーは安堵の表情を浮かべた。


「ありがとう、あなたのおかげよ。さあ、本を、もう一冊の本を探して」


 そう告げ、支えられながらゆっくりと上体を起こすと、温もりの戻りつつあるその手でミーナの頬を撫でた。

 安堵した表情を浮かべると、少女は一度小さく頷き、部屋の中央に置かれた祭壇へと足を進めた。




 鈍い色の金属で出来た箱を覗き込むミーナ。一見するとそれはやはり空き箱で――。


「あっ!」


 思わず声を上げると、箱の端から僅かに顔を覗かせる紐を見つけ、それを引き上げる。かぽっ、と小さな音と共に底板が外れ、箱は二重底になったその正体を現した。

 そして、思った通り、そこには一冊の革表紙の本が置かれていた。


「はー、これが禁術の書かれた…」

(やっと見つけてくれる人があらわれた…)


 本を手に取り一人呟くと、それに応えたかのように幼い女の子の声が聞こえた。それが何なのか、誰の声なのかを理解していたミーナは、懐に入ったブローチを服の上から押さえつつ、おもむろに目を閉じた。


(さっきはありがとう、あなたが助けてくれたんでしょ?)


 声には出さず、静かに、祈るように思いを心に浮かべると、再び幼子の声がミーナのこ心の中に囁き掛ける。


(どういたしまして。でも本当に助けてくれたのはお姉ちゃんたちの方。ずっと、暗い、何もないところに独りぼっちだったのを連れ出してくれた……)


 その声は僅かに震え、涙しているようだったが、それでも語る事を続けた。


(でも、もうここから連れ出してくれても、わたしは独りぼっち。お父様もお母様も居ない)


 少女は彼女の身に起きた事を、何となくだが感じ取った。だが、その身に起きたであろう悲劇を根掘り葉掘り聞くことははばかられた。


(わたしはどうすればいいの? 何か出来る事は?)


 囁きに、この取り残された魂をどうすれば良いのか、ミーナには想像に難かった。


(空を、太陽が見たい……)


 唐突な願いだったが、少女は声に導かれるように階上の塔へと向かった。




 季節風に煽られた雪雲は既に頭上からは姿を消し、山際に沈み行く朱い太陽はその姿を名残惜しそうに隠していく。一方では夜がゆっくりと大地を包み始め、薄紫から濃い藍色へと空を染め上げていった。

 そんな中で、寒風に晒されながら、懐から取り出したブローチには無数のひびが入っていた。それが何を意味するのか、少女は知る由も無かった。

 そっと手の平に乗せると、夕焼けの光が深紅の宝玉へと差し込む様に手を向けた。


(これでいいのかな?)

(ありがとう、とてもきれいね。だけどもう夜が来る、何だかさみしいな)


 それがミーナの聞いた最後の囁きだった。夕日に吸い込まれるように宝玉は暖かな光を一度放つと、それっきり輝く事は無かった。

 そして、その深紅の、鮮血のような宝玉は輝きを失った紺碧色へと姿を変え、やがて一陣の風に吹かれると、粉雪の様に舞散っていった。


「これは……」

「あなたの魂が、心が、その子を縛り付けていた呪縛から解き放ったのかもしれないわ」


 振り返ると、一連の出来事を見ていたのか、エリーが壁にもたれるように立っていた。


「始まりと終わりは表裏一体。生命の終わり、死とは消滅では無く魂の回帰。生命の象徴たる太陽も、夕焼けと共に夜の暗闇に飲まれていく。けれども、それは終わりでも消滅でもないわ」


 おもむろにミーナの横へと寄った彼女は、今まさに沈み行く夕日を見つめる。


「これで良かったんでしょうか?」

「さあ? それはミーナちゃんが一番良く分かっているんじゃないかしら」


 空は濃紺に染め上げられたが、通り風が、それは場違いなほどに暖かく、優しく吹き抜けた。


「帰りましょう。皆が心配しているわよ」


 穏やかな笑みのエリーに、ミーナは悲しげな笑顔を一瞬見せたが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻ると、少し大げさに頷いた。

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