EP.07「アポカリプスェット」

 思い返すと、西川くんは昨日からやけに体調が悪そうだった。

 いつも顔色が悪かったから気にしなかったが、今日に至っては、よく咳をしていた。

 それに歩く時も、いつもよりフラフラと歩いていた。

 もしかして、西川くんは昨日からずっと体調が悪く、今日は体調が更に悪化していたのでは?

 なんで、僕はそれに気づけなかったんだ!


 だけど、なんでたった数分の間で、ここまで体調が悪化したんだ……。


 西川くんが倒れてからの数秒間。

 僕は目の前の現実から目を逸らすかのように、いろいろなことを考えていた。

 なにを考えたところで、西川くんを助けられないのはわかっている。

 僕には、なにも出来なかった。


 西川くんの目は閉じていた。

 もしかしたら、もう開かないんじゃないかと、僕は思ってしまった。


 嫌だ!


 西川くんは僕の大事な親友なんだ!

 死なないでくれ!お願いだから、死なないでくれ!!


 ……そう思った時だった。

 誰かが僕の肩に手を置いた。

 振り返る。

 そこには、真剣な表情のシュガーライトが居た。


「離れて!ここは私に任せて下さい!!」


 彼女は力強く言った。

 どう見ても医者でも、医学生にも見えない彼女。

 一体、なにをするって言うんだ?


 シュガーライトは西川くんの元に近づいた。

 彼女は床に膝をつき、西川くんの真っ赤に染まった手を握った。


「……やっぱり、彼の身体にも『カケラ』が!しかも、かなり『魔力』を消費している……」


 また、この少女はわけのわからないことを言っている。

 状況が状況なだけに、僕は怒った。


「こんな時に、わけのわからないことを言わないでくれ!!それに、キミになにが出来るって言うんだよ!?」


 声を荒げてしまったが、血まみれの西川くんを見ていると、とても冷静ではいられなかった。


「あとで、『カケラ』について詳しく説明します!今は私に任せて下さい!!」


 ふざけるな……。

 今、僕の大事な友達が死にかけているって言うのに、また、わけのわからないことを言って……。

 シュガーライトは西川くんの身体を仰向けにした。

 僕は叫んだ。


「オイ!なにしようとしているんだ!!」

「静かにしてください!!」


 シュガーライトは必死の形相で叫んだ。

 僕は気圧され、一歩、引いてしまった。

 彼女……いや、このシュガーライトという少女……。彼女は本気で西川くんを助けようとしているのか?

 だけど、どうやって……?

 そう思っていると、どこから取り出したのか、彼女の手には筒状の容器……いや、青いラベルが貼られたペットボトルが握られていた。


「え?」


 僕は驚いた。

 マジかよ。嘘だろと思った。

 シュガーライトは、仰向けになった西川くんの口を開けた。

 彼女の手には……スポーツ飲料水、『アポカリプスウェット』500mlのペットボトルがあった。

 ジュースの自動販売機や、コンビニなどの店に売られてある青いラベルが特徴のスポーツ選手とかが飲んでそうなイメージのあの飲料水だ。

 シュガーライトは、アポカリプスウェットのペットボトルの蓋を外した。


 ……。


 まさかだろ……。

 まさか、吐血して死にかけている人間に、それを飲ませようとしているんじゃないだろうな?

 いくらバカでも、そんなバカなことはしないよな。

 絶対にしないよな……。

 そんなこと、するわけが……あった。


 ティア・ゼペリオ・シュガーライトという少女は、血で真っ赤になった西川くんの口の中めがけて、そのアポカリプスウェットをジャバジャバと流し込んだ。

 西川くんの口の中が、アポカリプスウェットで満たされていく。


「なにやっているんだ、おまえぇええええええーーーーー!!!」


 この時の僕は、たぶん人生で最も大きな声を発したかもしれない。

 コイツ、マジでなに考えているんだ!?アホとか、バカとか言うレベルを超えている。

 この場に居た全員が、シュガーライトの行動に驚愕していた。

 南城くんも硬直していた。

 シュガーライトは、西川くんの口にアポカリプスウェットを流し続ける。

 僕は乱暴に彼女の肩を掴んだ。


「やめろ!!お前、西川くんを殺す気か!!」


 すると、シュガーライトは……。


「消費した『魔力』を補充するには、これが一番なんです!!このアポカリプスウェットには、私の『魔力』も込めてあります!『魔力』が尽きた彼を助ける方法は、これしかないんです!!」


 シュガーライトは、わけのわからないことを真剣な顔で言った。

 彼女の表情は真面目だった。また、気圧されそうになった。

 だが、やっていることはどう見ても異常だ。

 吐血して死にかけている人間の口に、アポカリプスウェットを流し込むなんて、どう見ても正気とは思えない。


「彼はたぶん、無意識に『魔力』を消費してしまい、その結果『生命エネルギー』も消費したんです!『生命エネルギー』が消費されたので、彼の身体は内側から崩壊し……」


 シュガーライトは続けて、またわけのわからないことを言った。

 とうとう、僕の堪忍袋の緒が切れた。

 いくらなんでも、西川くんを殺しかねないような行為をする彼女に怒りが抑えられなかった。


「お前、いいかげんにしろ!さっきから、『カケラ』とか『魔力』とか、わけのわからないことばかり言って!!西川くんが死んだら、どうするんだよ!どう責任を取ってくれるんだよ!!」


 僕は思いっきり怒声を、彼女に浴びせた。

 怒りすぎだとは思っている。

 しかし、友人が死にかけているんだ。僕の心に余裕なんてなかった。

 だが、彼女……シュガーライトは西川くんの口の中にアポカリプスウェットを流し込みながら、その紫色の瞳で僕を見つめた……。


「……今はわけがわからないかもしれませんが、お願いです……。私を……私を信じて下さい……」


 ……!?

 意外な反応だった。

 シュガーライトは真摯な表情でそう言った。

 気のせいか、その紫色の瞳が少し潤んでいるようにも見えた。

 そんな彼女の表情を見た僕は、もうなにも言えなくなってしまった……。


 ティア・ゼペリオ・シュガーライト……。

 昨日、初めて会った彼女の言うことは、『魔力』とか『カケラ』とか全く意味が分からなかった。

 だけど、今、彼女が言った『信じて』という言葉だけは理解できた。

 それは、彼女にとっての精一杯の言葉のように思えた。


 シュガーライト……。

 彼女は、本気で真剣に西川くんを助けようとしている。


 ……。


 いや、でも、しかしだ……。

 死にかけてる人間の口の中にアポカリプスウェットを流し込むという行為で、西川くんが助かるとは思えない……。

 どう考えても、そんなことで助かるわけがない……。

 逆に最悪の事態になるかもしれない……。


 もし、これで西川くんが助かったら、それはもう『奇跡』か、『魔法』としか……。


 僕がそう考えていると、仰向けで倒れていた西川くんの目が開いた。

 西川くんは上体を起こし、ゴホッ!ゴホッ!と咳き込んだ。


「ゴホッ!いたた……。一体、これは、なにが起きたでありますか?なんで、ワタクシ、倒れたのありましょう……。ん?なんか、ワタクシの顔が濡れているのでありますが?」


 ……。

 顔がアポカリプスウェットでビショビョになり、制服が血で染まった西川くんは、周囲を見渡す。


「アレ?眼鏡?ワタクシの眼鏡がないではありませんか?眼鏡?ワタクシの眼鏡?ワタクシの眼鏡はどこでありまする?メガネ、メガネ……」


 ……。

 ……え?

 なにこれ……。

 僕は目の前で起きている光景が信じられなかった。

 さっきまで意識がなく、死にかけていた西川くんが眼鏡を探している……。


 ……。

 本当に、なにこれ?

 すると、西川くんが急に自分の顔を押さえた。


「痛っ!!なんだかわかりませんが、痛い!!顔が痛いでありまする!!」


 ……え、えーっと……。

 僕の頭はもうオーバーヒートしていた。

 サイレンの音が聞こえてきた。たぶん、救急車だろう。

 ……。


 いや、だから、なにこれ?


 僕は、今の状況を理解できずにいた。

 シュガーライトは大きく息を吐き、一安心という感じだった。


 本当に、なにこれ?


 僕と同じように南城くんも呆然としていた。

 南城くんだけじゃなく、その場にいた人々も呆然としていた。

 まるで、出来の悪いお笑いのコントでも見せられているような気分に違いない。


 僕は理解が追いつかない頭を抱えた。

 ミイラのように痩せ、吐血し、倒れた西川くんがアポカリプスェットで蘇った……。

 しかも、真っ白で真っ青だった顔は徐々に赤みを増し、カサカサだった肌まで潤っている。


 あ、そうか、そういうことか。

 自動販売機にも、コンビニにも売られてあるスポーツ飲料水『アポカリプスェット』には、死にかけている人間を生き返らせる効果があるのか。

 なるほど、なるほど……って、そんなバカな話があるか!


 この理解し難い現実をどうにかして理解しようとしていると、店のガラス壁から救急車が到着したのが見えた。

 救急隊の方々が駆け足で店内に入り、即座に西川くんに駆け寄った。


「え?なんで、ありまするか、これは!?素人ドッキリでありますか!?これは!?」


 状況が理解が出来ていないのは、西川くんも同じだったようだ……。

 そりゃあ、そうだ……さっきまで、死にかけてたんだから……。


「ん?」


 ふと、床を見ると黒いビニール袋とカバンが落ちていた。

 カバンは西川くんのものだ。

 そして、この黒いビニール袋は西川くんが倒れる直前、彼が手に持っていた物だ。

 僕はそのビニール袋を拾った。中にはなにかが入っている。

 黒いビニール袋には『万物中古市場』という白い文字がプリントされ、西川くんが吐いた血が少し付着していた。

 そういや、西川くん、倒れる前にここでなにを買ったんだろうか?

 僕は好奇心から、その袋の中身を取り出した。


「えっ!?」


 袋の中身を目にした瞬間、僕は背中に氷を詰め込まれたような感覚に襲われた。

 それはDVDのケースより大きく、分厚いケースだった。

 これは今、普及しているブルーレイやDVDみたいなディスクではなく、四角い形をしたカセット型のビデオテープ、VHSだ。今では、もうほとんど存在していない映像ソフトだ。

 そのVHSのケースには、『ハンバーガーが人を襲っている』イラストが描かれていた。

 他にも英文が書かれていたが、僕にはこのイラストだけでこれがなんなのか、すぐにわかった。


 ポーター・ジョンソン監督作品、『クレイジーマッドハンバーガー』だ……。


「マジかよ、嘘だろ……」


 またしても、僕は驚愕するしかなかった。

 身体は冷え切っているのに、額から汗が流れた。


「な、なんで、これがここにあるんだよ……?」


 僕がトイレに行く前も、西川くんからこの映画の存在を教えてもらった時にも、この映画は中古DVDコーナーにはなかった。

 それは間違いない。あの時、注意深く棚を見ていたし、こんなに目立つパッケージなら見落とすはずはない……。

 だが、今、この袋の中には『クレイジーマッドハンバーガー』のVHSがある。

 ということは、西川くんは、僕がトイレに行っていた間、これを購入したということなのか……?

 日本では販売されず、アメリカでのみ販売された入手不可能なこの映画を……。


 そんなバカな!

 こんなことって、ありえるのか!?


 ……。


 少し落ち着いて、冷静に考えろ……!

 そう、自分に言い聞かせた。


 さっきと言ってることが矛盾するかもしれないが、海外で販売された物を日本で入手すること自体は不可能ではない……。

 今の時代には、インターネットというものがある。

 マニアがなんらかの方法で入手したものが、ネットのオークションやフリーマーケットで流すことも出来る。

 また、都会にはマニアックな映画ビデオを扱う専門店もある。そこでは日本では販売されていない映画や、絶版になった映画のビデオが売られていたりする。ネットでの通販だって可能だ。

 つまり、いろんな手段を使えば、この『クレイジーマッドハンバーガー』のVHSを入手すること自体は不可能ではない。

 だが、いくらなんでも、おかしい。

 何故、日本で販売されなかった映画のVHSが、こんな田舎のリサイクルショップにあるんだ?

 しかも、この店に来た時にはなかったのに、僕がトイレに行っている間、西川くんがこの映画を購入した……。

 一体、なにがあったんだ?


 これは西川くん本人に聞くしかない!

 そう思っていたら、西川くんは救急隊により、ストレッチャーに乗せられていた。


「なんで、ありまするか!?ワタクシはどこも悪くはないでありまするよー!!」


 西川くんは救急隊に押さえられながら、店から出て、救急車の中に運ばれていく。

 ストレッチャーに乗った西川くんの近くには、南城くんも居た。彼も救急車に乗ろうとしている。

 ヤバイ!西川くんどころか、南城くんまで行ってしまったら、どうやって、この『クレイジーマッドハンバーガー』を購入したのかを聞くことが出来なくなる!


 西川くんの身体も心配だったが、何故、彼がこのビデオを持っていたのかが気になって仕方なかった。

 西川くんが吐血して倒れたのは、このビデオを入手した後のことだ。

 更にここ数日、起き続けている不思議な出来事と、このビデオはなにか関係がありそうな気がしたからだ。

 だから、知りたかった。

 僕がトイレに行っていた数分間に、なにがあったのか?


 僕は急いで店から出た。

 西川くんから少しだけでも話を聞こうとして、救急車に向かった。

 だが……。


「待ってください!」


 マジかよ、嘘だろ……。

 なんで、このタイミング!?

 ティア・ゼペリオ・シュガーライトが、僕の前に立ち塞がった。


「あなたは、ここに居て下さい!」


 シュガーライトは両手を開いて、僕の足を止めた。


 ……。


 えーっと。えーっと……。

 何故、アポカリプスェットで西川くんが助かったのかは謎だが、彼女には感謝している。

 大事な友人を救ってもらったんだから。

 そのことは深く感謝している。


「あの……西川くんを助けてくれて、ありがとう……。本当に感謝してる……。ありがとう……。それと、キミが必死で西川くんを助けている時に酷いことを言って、ごめんね……。こっちも必死だったんだ、本当にごめん……」


 僕はシュガーライトに、感謝と謝罪の言葉を言った。

 だけど、今はちょっと、そこをどいて欲しかった。


「申し訳ないんだけど、今は西川くんの近くに行きたいんだ……。そこ、退いてくれる?」

「……。ダメです」


 シュガーライトは真剣な表情で言った。


「なんでだよ!?僕は彼の親友だぞ!!いくら、元気になったとはいえ、心配じゃないか!!」


 またもや、僕は声を荒げてしまった。


「あなたの方も、どうにかしないといけないのです……。『カケラ』を切り取らないと……。『魔力』が切れたら、あなたも、さっきの彼のようになります……」

「また、『カケラ』と『魔力』の話かよ!?なんなんだよ、それ!!いいかげん、説明してくれよ!!あと、なんで、西川くんは吐血して倒れたのに、アポカリプスェットで息を吹き返したんだよ!!わけがわからなさすぎるよ!!」


 こんなにもワケのわからないことが続き、イライラしていたのか、僕は溜まり溜まった鬱憤を吐き出した。

 シュガーライトに八つ当たりしているような気持ちになっていたが、いい加減、このワケのわからなさをなんとかしたかった。

 すると、彼女は……。


「ごめんなさい」


 またもや、予想外の反応だった。

 僕はまた言葉に詰まってしまった。

 彼女はまたわけのわからないことを言って、僕を混乱させるのかと思っていた。

 だが、彼女はオーソドックスに謝った。

 正直、謝るより先に説明をして欲しいんだけど……。

 申し訳無さそうな顔で、シュガーライトは言う。


「私……。この星に来たばかりで、まだ、この星の言葉の言語調節が上手く出来ていないのです……。だから、あなたに上手く説明が出来ないし、あなたが言っている言葉の意味も、まだよくわかりません……」


 彼女が、謝罪しているのはわかる。

 だが、言っている言葉の意味がわからなかった。

 一体、本当にこの少女はなにを言っているんだ?

 『魔力』と『カケラ』の次は、こちらの『星』?『言語調整』?

 なんだよ、それ?

 ……。 

 もしかして、この少女……本当の本当に『別世界』から来たのか?


「だから……」


 シュガーライトは真っ直ぐに僕を見つめ、僕の頬に手を当てた。

 彼女の手が僕の頬に触れている。

 暖かい……。

 僕の心臓がドクン!と大きく脈打った。

 だけど、なんで?なんで、いきなり、僕の顔に触れる?

 やっぱり、この少女はわからない……。

 だけど、彼女の手は柔らかくて、暖かかった……。


 その時だ。


 シュガーライトの紫色の瞳が光った。

 比喩ではなく、本当の意味で。


 そして、バチッ!と音がした。


 まるで電線がショートして、火花を散らしたかのように。

 あるいは、セーターを脱いだ時に発生した静電気のように。


「……ごめんなさい。詳しくは、私のリーダーである『ソフィアリーダー』が説明してくれます……。本当にごめんなさい……」


 シュガーライトのその言葉を最後に、僕の意識は飛んで行った。

 夜、部屋の灯りを消したように。

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