EP.06「少女の名は」

 僕の時間が止まった。

 頭の中で、ゴーン!と教会の大きな鐘の音が鳴り響き、ハトの大群が空に飛んでいった。


 最近、本当になにか変だ……。

 星が僕にぶつかって来たり、西川くんがレアな映画DVDを二回も入手したり、この世界の人間とは思えないような神秘的な雰囲気の少女と出会い、こうして手を握られたり……この二日間、僕の周囲で不思議なことが立て続けに起こっている。

 一つ、一つは些細な事なんだが、それがいくつも重なってしまうと、なにか自分の想像を超えた見えないなにかを感じてしまう……のだが、今はそんなこと、どうでも良かった。

 彼女の両手の温もりが、僕の手に伝わってくる。

 それだけで、もう僕は今、幸せの絶頂だった。

 不良っぽい男子生徒二人が舌打ちをして、去って行く。


 一体、なにがどうなってこうなったんだろう?

 だが、なんでもいい。

 理由はどうあれ、今、僕はこんな天使のような少女に手を握られて……。


「……や、やっぱり、間違いない……!あなたの手から『魔力』を感じます……。やっぱり、あなたの身体の中に『カケラ』が入り込んでいる!」


 ……。

 ……はい?

 少女は僕を見つめ、急になにか言い出した。

 少女の紫色の瞳が揺れている。


 『魔力』?

 『カケラ』?


 キレイで可愛らしい少女の顔は、急に険しい表情に変わっていた。


「このままだと、あなた、とんでもないことになります!なにかが起きる前に、『カケラ』を切り取らないと!」


 え?え?え?

 言っていることの意味がわからない。

 一体、なにを言っているんだ、この子は?

 あと、どういうわけか、さっきはたどたどしく喋っていたのに、急に流暢な日本語を喋っている。


 頭の中で鳴っていた鐘の音がサイレンの音に変わり、ハトが急にカラスに変わった。


「とにかく、私と一緒に来てください!『カケラ』を切り取らないと、大変なことになります!」

「え、ちょっ!!」


 そう言って、少女は僕の腕を強く掴んで、歩き始めた。

 少女は、なにかわけのわからないことで焦っている。

 ヤバイ!なんか知らないけど、ヤバイ!!

 この少女、アレなのか!?

 なんていうか、本当に別の世界、別次元の人なのか!?

 僕は足を踏ん張り、少女から強引に腕を振りほどいた。


「ちょっと、なんなの!キミ!?言っていることの意味が、まるでわからないんだけど!」

「あなたの身体から『カケラ』を切り取らないといけません!!」

「『カケラ』?いや、まずはどういうことなのか、説明してくれないか!?」


 いくら、脳に焼き付くほどかわいい美少女であったとしても、こんな風にいきなりわけのわからないことを言われ、強引に腕を引っ張られたら警戒するに決まっている。

 少女は険しい表情のまま、


「私の名前は『ティア・ゼペリオ・シュガーライト』。『パルフェガーディアンズ』の一員です」


と言った。


 ……はい?


 少女は、また僕の腕を掴んだ。


「さあ、行きましょう」

「ちょっと待て!!」


 僕は、また彼女から腕を振りほどいた。


「一体、なにを言ってるんだ、キミは!?」

「私は今、自分の名前を言いました」

「いや、キミの名前よりも、なんで僕の腕を引っ張るのかを説明してくれよ!いきなり、自己紹介されたって困るよ!ていうか、ティラミス・シュガーラッシュ・パルフェって名前なの、キミ!?」


 少女はムッとした表情になった。

 あ。怒った顔も可愛い……。

 いや、今はそんなこと考えている場合じゃない!!


「人の名前を間違えるなんて、あなたは失礼です!私の名前は、ティア・ゼペリオ・シュガーライトです!!もう、間違えないで下さい!」


 ティア・ゼペリオ・シュガーライト……。

 それが、この少女の名前……。

 妙に響きが良いというか、なんというか……。柔らかくて、甘い感じがするような名前だ……。

 いや、だから、今はそんなこと考えている場合じゃないって!

 ティア・ゼペリオ・シュガーライトと名乗る少女は、紫色の瞳で鋭く僕を見つめる。


「とにかく、今はここから出て、あなたの中にある『カケラ』を早く切り取りましょう」


 ……。

 とにかく、なんかヤバイ……。

 まず、『切り取る』って単語が穏やかじゃない。

 少女の言う『カケラ』がなんなのかわからないが、身体のどこか一部を切り取れってことなのか?

 どの部位なのかはわからないが、いきなり他人から「身体の一部を切り取れ」と言われ、「はい、切り取ります」と応える人間は居るだろうか?

 もしかして、この子……。なんか、危ない組織の人なのかもしれない……。

 さっきも、パルフェなんとかの一員とか言っていたし……。

 ここは適当なことでも言って、この場から立ち去った方が良さそうだ……。


「あ、あの……。名前を間違ったことは謝るけどさ……。そのー、僕、今、忙しくてさ……。あ、そうだ!僕、これから塾があるんだよ!」


 僕は塾には通っていない。

 この場で言った適当な嘘である。


「ああっ!早く、塾に行かないと遅刻しちゃう!その……よくわかんないけど、『カケラ』とかの話については、また今度でいいかな!?とにかく、塾の先生が怖くてさー」

「……『ジュク』?」


 少女は困惑した表情になった。

 そして、なにか考え事をしている。


「……ジュク?……ジュク……?」


 少女は『ジュク』という単語を繰り返していた。

 ……。

 まさかとは思うが、この少女、『塾』を知らないのか?

 本当に何者なんだ?

 とにかく、今、この少女が考え事をしている隙に走って逃げよう……と、思ったその瞬間。


「ジュク……ジュウクゥ……19!数字のことですか!?」


 少女は至って、真剣な表情でそう言った。

 ヤベェ、マジでヤベェ……。

 僕の身体が震え始めた。

 本当に『別世界の人』なのか?この少女……!


「とにかく、『カケラ』を切り取りましょう。さあ、早く」


 少女は、また僕の腕を強引に掴んで歩き始めた。


「だから、ちょっと待ってくれ!!一体、キミがなにを言っているのか、僕にはサッパリわからないんだよ!!」

「『カケラ』を切り取らないと、あなたは大変なことになるんです、急ぎましょう……!!」

「……大変なこと!?」


 痛い!この少女の僕の腕を掴む力が強い。

 ……。

 それにしても、このシュガーライトという名前の少女……。

 言っていることの意味はわからないが、何故か、必死だ。焦っている。

 なんで必死なのかはわからないが、とにかく、彼女は必死なんだ……。


 何故、そんなに必死なんだ?


 にしても、この少女、ちょっと握力が強い!

 ガッチリと僕の腕を掴んでいる!

 まるで、ザリガニに指を挟まれたみたいだ!!

 すると……。


「東園氏ー。どうしたでありまするか?誰であります?そのレディは?」


 背後から、甲高い声が聞こえた。

 その声は、西川くん!

 僕は振り返った。すると、少女も振り返った。


「に、西川くん!助けて!!ちょっと、この女の子がわけのわか……」


 僕の言葉はそこで止まった。

 同時に、僕の腕を引っ張る少女の足も止まった。


 いつも、西川くんは青白い顔をしていた。

 初めて会った時も、夏の暑い日も、秋の日も、何故か彼の顔はいつも青白く不健康そうだった。

 だが、振り向いた先に居た西川くんの顔は、もはや青白いどころではなくなっていた。

 顔は真っ白く、青い血管が浮き出ており、唇は紫色。肌は木の樹皮のようにカサカサで、なにより、その顔は彫刻刀かなにかで削ったようにやせ細っていた。

 彼と離れたのは、たったの数分間だけ。

 その間に、彼はまるでミイラのように酷く痩せこけていた。


 僕は言葉を失った。

 たった数分の間、離れた友人の変わりっぷりに。


「にしかわ!にしかわ!!」


 ミイラのようにやせ細った西川くんの隣で、南城くんが叫んでいる。

 南城くんはいつも無言で無表情だった。そんな彼が、あまりにも変わり果てた西川くんの姿に動揺している。


 なにが、一体、なにがあったんだよ!?

 おかしいだろ!?たった少しの時間でここまで人間がやせ細るなんて!

 ありえないだろ!!


「に、西川くん……。い、一体、なにが、なにがあったんだよ……」


 西川君はまるで風に揺れる枯れ木のように、フラフラした足取りで僕に近づいてくる。

 細くなった西川くんの弱々しい右手にはカバンと、もう一つ、黒いビニール袋があった。


「フフフ……。やりましたぞ、東園氏……またもや、奇跡が起きたでありま……ゴホッ!ゴブゥ!!」


 西川くんは咳をした。口を左手で覆って。

 そして、僕は目を疑った。

 口を覆った西川くんの指の隙間から、真っ赤な鮮血が流れていた。


「うわぁ!!」


 僕は思わず声を上げた。

 僕だけじゃない。この場に居る全員が声を上げた。

 西川くんが……西川くんが血を吐いている!!


「ゴホッ……ゴホッ……」


 西川くんは左手を口から離す。

 彼の口の周りは真っ赤に染まり、制服も彼の吐いた血で染まっていた。

 西川くんは、自分の血で染まった自分の左手を不思議そうに見つめていた。


「お、おや?なんでありまするか、これは?……それに、あれ?なんだか、フラフラするでありま……」


 吐血した西川くんは、朽ちた木の枝が風に揺らされるように揺れた。


「東園氏……。南城氏……ワタクシ、なんだか、身体がおかし」


 西川くんは言い終わらない内に、そのまま倒れた。

 まるで、床にキスするかのように顔から。

 そして、持っていたビニール袋とカバンが右手から離れる。

 西川くんの眼鏡が床に激突して割れ、レンズが辺りに飛び散った。

 店内に居る人々の悲鳴が響いた。


「西川くん!!」


 僕はもう無我夢中で倒れた西川くんの元に駆け寄った。

 南城くんは血で汚れた西川くんの身体を揺する。


「にしかわ!にしかわ!」

「揺らしちゃダメだ!」


 動揺する南城くんを僕は止めた。

 南城くんの両手は、西川くんの血で染まっていた。

 僕は周囲を見渡す。先程の不良っぽい男子生徒二人組と目が合った。


 「救急車!救急車を呼んでくれ!!」


 僕は声を荒げて言った。

 男子生徒二人組が慌てて、制服からスマートフォンを取り出した。

 うつ伏せに倒れた西川くんを横にする。

 呼吸が弱々しい。脈も弱い。

 嘘だろ……。これじゃあ、まるで死ぬ寸前みたいじゃないか……!

 このままじゃあ、救急車が来る前に西川くんが死んでしまう!!


 僕は、いろいろなことを考えた。

 どうしたら、西川くんを助けられる?

 どうやったら、僕は、彼を、友達を助けることが出来るんだ?


 それとも、僕はなにも出来ないのか?


 かってないほどの絶望感と無力感が僕を襲って来た。

 どうして……?

 どうして、こうなったんだよ……?


 ただ、僕らは珍しい映画のDVDがないか探しに、この店にやってきただけだったのに……。

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