1章 奇人①

 思えば、中学生時代の自分は相当スノッブな奴だったと思う。少しばかり勉強ができて、学校の授業を先取りする学習塾に通っていた俺は、ことあるごとに知識をひけらかしていた。ああ、またやってしまった。スノッブというのは鼻持ちならない、浅学の癖に気取っているような奴のことだ。なんて、これ見よがしに聞き齧りの英単語を使ってしまうあたり俺はやはりスノッブなのだ。


 ありがたいことに、そんな俺にも友達がいた。もちろん数少ない友達だ。だが少数精鋭で、なんでも話せる友達が一人でもいれば幸せなことだろう。うわべの付き合いが100人いるよりよっぽど良い。と、思っていた。

 話が逸れたが、その数少ない友人というのが直樹なおき秀悟しゅうごである。最初に出会ったのは柏原直樹かしはらなおき。中学2年生の時のクラスメイトで出席番号が隣り合った。俺の名前は笠原颯太かさはらふうたというが、覚えなくても良い。確かに出席番号がきっかけだが、彼には自分に欠けた何かで満ち溢れているようで、羨ましかった。だからもし彼の苗字が松原でも、遅かれ早かれ仲良くなっていたことだろう。直樹はいわゆるおばかキャラで、テストの点数は散々だった。だが、時々本質をつくような質問をして先生を困らせていた。まぁ、それは今になってから思えばという話で、当時はクラスの全員が、なんて馬鹿な質問をするんだと彼を嘲笑っていた。たとえば中学生になって初めての数学の授業で、彼は「1足す1はなぜ2なのか」という質問をして爆笑を掻っ攫った。先生も一瞬困り顔をしたが、すぐに怒ったような顔を作って「馬鹿にしてるのか!そうじゃないなら君は教室を間違えている。小学校は橋の向こうだぞ」と、まともに取り合わなかった。


 その直樹の幼馴染が寺田秀悟てらだしゅうごである。彼については「頭のいい奇人」として学年では有名人だった。それまでは部活もクラスも違うので話したこともなかったが、直樹と仲良くするうち自然に三人で下校することも増え、三年次には三人一緒のクラスとなったことで急速に仲が深まった。

彼らは家が隣り合っていて、幼稚園・小学校はもちろん、生まれた病院まで一緒という筋金入りの幼馴染だ。だがよく見ていると、二人が一緒にいる時間は長くとも言葉を交わしている時間は驚くほど短いことに気がつく。なぜかって、もはや相手の考えることが手に取るようにわかるのでわざわざ会話をするのが面倒らしい。自分が一言発せば、相手がなんと返してくるか、それに対して自分がどういうボケをして、どういうツッコミが来るか、あるいはボケ返されるのか。数手先まで読めるから面白くないという。だから彼らの日常会話は、珠玉に面白いと思ったことをぼそっと言いあう、客観的には気持ち悪いものだった。

俺がそんな彼らの間には入れたのは、つまり、彼らの会話がマンネリしていたからだと思う。シュミレーションしつくされたゲームに不確定要素を放り込もうというのだ。



 先ほど述べたと通り、学校で測られる学力はさておいて直樹はとても地頭が良い。俺は普段から彼の成績がひどいのをからかっていたが、彼が一体何に躓いているのか全く理解していなかった。ところが秀悟を交えて話していると、直樹がいかに賢く、俺がいかに愚かなのかと言うことが馬鹿なりにうっすらと分からされた。だが、中学生男子の自尊心はそれを認めなかった。

 直樹は、大勢の人間が「これはこういうものだ」と教わり、そう信じ切っている物事が、なぜ「そう」なのかを追求していた。先ほどの数学の授業でのエピソードには続きがある。


 中学3年夏休み前日の下校時、俺たちは思い出話をしていた。俺は修吾に、一年次時のあの数学の授業でのエピソードを面白おかしく語った。「あの時はまだ仲良くなる前だったけどほんと笑ったよ。こいつイカれてるなって。まさか友達になるなんてな。」すると、ムッとした直樹はこういう例え話をし始めた。


「じゃあさ、例えばさ、右手に饅頭一つ、左手にもひとつ持ってるとするだろ?」

「うん、というか持ってるね」

俺たちは帰り道に十円饅頭を買い食いするのが常だった。

「あわせていくつ?」

「2個」

「ほんとか?」

直樹は両手の十円饅頭をぐちゃりとぶつけた。褐色の薄皮が放射状に破れ、黒々とした餡子が飛び出した。彼の長い爪が食い込むと、ネチっと音を立て毛むくじゃらの太い指の隙間からにゅるりと這い出してくる。ちぎっては潰し、ちぎっては潰し、これでもかと弄ばれて十円饅頭は汚いマーブルの団子になってしまった。

「な、一つだろ?」

得意げに二十円団子を一口に放り込むと、「うむ、普通に食ったほうがうまいな」と真顔で言う。

 秀悟はげらげら笑い、「きったねえな」と腹を抱えていた。

 俺は顔をしかめていた。だがそれは、屁理屈にむかついたのでも、直樹が最後にいつ手を洗ったかを気にしたのでもない。どこか拭い去れない、底知れない不安を感じていた。だからなのか「普通に重ねときゃ2個じゃん」という反論は自分でも驚くほど小声だった。「いや、おんなじことだね。反論するならさ、大きさは二倍だとか言わないと」それからニヤケ顔をひっこめて、秀悟はつぶやいた。

「それにしても1って何なんだろうな」

 はぁ?1は1だろ。心のなかではそう思ったが、理科を除いて今学期オール5の秀才に口答えするのははばかられた。

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