第9話 月雫の夢
◇ ◇ ◇ ◇
――月雫。
誰かが呼んでいる。
月雫なんて最近滅多に呼ばれないのに。
きっとこれも夢の中ね。
葉桜が美しい公園が遠くから見える薄汚れた細道。そこにピッタリな少年とやけに小綺麗な娘が話している。
少年はゴミ箱の上に足をブラブラさせながら座り、娘はその横に立っていた。
「月雫!無視すんなよ。これだからはお貴族様は。」
霞んで見える少年は黒髪で顔はいまいちわからない。
でもこの失礼すぎる口調や内容から見て1人だけだろう。
「何よ!かつきはいつもそんなばかり言う。」
「その名前で呼ぶな。俺には名前がないって言っているだろう。」
そう言った男はツーンと顔を向こう側に動かし、怒ったような素振りを見せた。
春の国では歴代からの習わしにより、新たな人生を迎える意味合いを含め、職業を変える時に新しい名前をつけてもらう習わしがあった。
しかし大体の人は源氏名と本名の2つに分け、親しい者の間柄では本名、仕事柄の付き合いでは源氏名を使用していた。
もとよりセキュリティ関連により、四季が変わる前に起きた大きな厄介事が原因とされている。
それで名前を増やすなんて全く阿呆な話である。
「またそんなことを言って!名前が無いと不便でしょう?仕事名をつけないで、本名でも呼ばせないで、なんて呼べばいいのかわからないじゃない。」
これは走馬灯のような夢らしい。
私は関与出来ない。
しかしこの生意気な口調はなんとも懐かしい。
最近ではこうして接してくれる人なんて殆どいない。
「俺の名前なんて呼ぶような暇人なんかいないからいいだろう。」
泣きそうな顔をするかつき。
そんな顔をしていたなんて、当時の私は気づいておらず、ぬけぬけと心の内に入ろうと試みていた。
「かつきだって私の名前がないと困るでしょう?」
「別にそんなでもないだろう。」
この頃はまだ出逢ったばかりで、かつきはとても厳しく接したことを覚えている。
娘は顔を赤らめ怒りを顕著に見せた。今にも怒りで泣きそうな顔である。
「どうしてよ!」
「逆に今ここで月雫と話せている方が奇跡だろう?俺はスラム街に住んでいて、月雫は王都に住んでいるだぜ。どう考えとも可笑しいだろう。」
そのシステムをとても嫌っていた。
娘はとうとう泣き始めた。すると少年はハッと驚き、慌てふためいていた。
「おい!泣くなよ。悪かった、悪かったからさ。」
年下の女の子を泣かせたことに罪悪感を抱いているようだ。
「私は、あなったとお友達になりたいのにイイっ。」
泣きながら言う声は見ているこっちが呆れてしまう。
少年は少し困ったような顔をしながら、ポケットの中を確認した。
呆れたような様子で少年は娘の肩を抑えながら言った。
「それじゃあさ、月雫が俺の名前を考えてくれないか?俺だってもう13歳だし、ギルドに入るために必要だったんだ。」
すると娘ははとても驚いたような顔で擦っていた腕を離した。
「いいの?」
と聞くと少年ははっきりと言う。
「ああ。てきとうに考えようと思っていたんだが、俺の名前を呼ばれる度に月雫のこと思い出すだろう?それに月雫だって、俺の名前を聞く度に俺の事を思い出す。名前が特別な意味を持つようになるんだ。」
少年は年に似合わないことを言う。それだけの経験をしてきたのだろう。
そんなことも理解出来ず、娘はとびきりな笑顔で「それ素敵!」と飛び跳ねて喜ぶ。
少年は娘の機嫌が直り、一件落着といった表情を見せる。
「今度までに考えてくるから。」
と娘はは公園の方へ走っていった。
少年はそれが見えなくなるまでずっと見ていた。
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