第3話

「で、どうしてちゃんと教えてくれなかったんですか。社会にはブラック企業ばかりだって」

「社会人一年目は教える余裕もなくてさ。平日は毎日終電逃してタクシー帰りで、休日は疲れて寝てたし」

「社畜すぎる」

 デセールの最後の一口を堪能して、スプーンを置いた秋山さんはうまく笑えていなかった。凄惨な過去を思い出したのかもしれない。

 秋山さんが卒業して一年後、無事に卒業した僕は秋山さんの就職先から数駅離れた場所にある会社に就職した。

 本当は秋山さんと同じ会社に就職しようと思っていたのだが、秋山さんに仕事の様子を伺ったとき「仕事というのは祈りに似てるよ。どうか今の私の苦しみがどこかの誰かの幸せに繋がっていますように」などと返ってきたため止めておいた。何があったんだ。

 結果として秋山さんはがっつりブラック、僕はじんわりブラックな企業に勤めている。

「まあでもほら、もう四年目ともなればしっかりした後輩もできるし、ある程度の立場も確立できたしさ。さすがにあそこまでひどくないよ。毎日終電で帰れてるし」

「地獄の底を見てきた人は言うことが違いますね」

 ははは、と乾いた笑みを見せる彼女に僕はため息をつく。

 まあ彼女の言う通り、仕事終わりに居酒屋で僕と愚痴を言い合えるくらいには余裕も生まれてきたんだろう。昔からなんだかんだ要領のいい人だし。

「カフェとプティフールでございます」

 デセールの皿が片付けられ、ギャルソンの低く響く声とともにテーブルにコーヒーと小さなお菓子が置かれた。

 カフェ・プティフール。

 フルコースを締めくくる、最後のひと時。

「かわいいね」

 白い皿の中央に置かれた薄橙色の焼き菓子を指差して口角を上げる秋山さんに「ですね」と頷く。

 彼女がお菓子に目を奪われている隙に、僕はちらりと自分の足元を盗み見た。

 そこには真っ白な紙袋がある。あらかじめレストラン側に置いてもらうよう頼んでおいたものだ。

 その紙袋の口からは、花束が覗いていた。

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