【 距離10cm 】


 僕は彼女とその後、何を話したか、あまり覚えていない。

 僕と彼女の家は、同じ方向らしい。


 それを彼女は知っていたようだ。

 小さな河原の土手の上を二人で歩いてゆく。


 空がオレンジ色に染まり始め、少しずつ周りの温度が下がる。

 でも、僕の温度だけは、鰻上うなぎのぼりだ。


 帰り道、僕の家はこの土手の分岐で左側の方。

 彼女の家は、この土手の先らしい。


「僕、ここから左の道の方だから」

「うん、それじゃあ、また明日ね♪」


 彼女の八重歯が、かわいい口元からのぞく。

 僕の顔は、おそらく赤くなっていたと思う。

 でも、オレンジ色の太陽が、そんな僕の赤くなった頬を気を利かせて、ごまかしてくれる。


 彼女がこちらを向きながら、後ろ向きに歩き、ふっくらした胸の前で小さく何度も手を振る。

 ちゃんと前を向いて歩かないと転びそうだ。


 僕も彼女の姿を見ながら、まるで天皇家のように姿勢よく手を振る。


 彼女は、まだ後ろ向きに、こちらへ手を振りながら歩いている。


 その時――、


 後ろへ踏み出した足が、土手から河原の方へ……。


「凛ちゃん! 危ない!」



『ガシャン!』



 ――僕は思わず駆け出していた。自転車を投げ飛ばし……。


 そして、僕の顔は凛ちゃんとの距離をなぜか10cmに縮めていた……。



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