21.存在 ゠ 目の前にあるものは現実か

21.存在・前 ゠ 実感と自我の話

「それはまた、話がれるというか、やぶから棒だな」


 存在するとは、何か。

 そんな話題を唐突に提起されて、私はまた首をかしげる。

 いやまあ、飽きないと言えば飽きないのだが、もはやここまでくると突飛のげ売りではなかろうか。

 そんなふうにあきれるしか無かった。


 私の様子を見て、少女もそうさせた自覚がおおいにるようで、ちょっと申し訳なさそうな感じに苦笑を見せつつ、しかし答えだけはうながしてくる。


「そうですね、ごめんなさい。でも、どうでしょう」


「どうとは、どういう事なんだ? そこにそうやってれば、存在するのではないのか?」


 例としてすぐそばの、水差しを指し示しつつ答えると、少女は腰を上げ、台車へ歩み寄る。


 ──かたり。


 その水差しをっと手に取っては、言った。


「そうですね。これはこうして、触わることもきます」


「それが、どうしたんだ?」


「本当にそうでしょうか」


「うん?」


「勘違いという事は、気のせいという事は。夢か幻ってことはりませんか?」


 はて。

 これは一体、何のなぞけだろうか。


 わからないながらも、おもうところを述べてみる。


「ふむ。何を言いたいのかはわからないが、幻を見ているだけだ、と言われたなら確かに、有効に反論するのは難しい。しかしそんな事は、気にしはじめたらりが無いだろう」


「そうですね」


 そう言うと、少女は水差しを台車に置き、私の隣へともどってくる。


 ──すっ。


 そして、今度は遠慮がちにんわりと、私の腕を手に取った。


「これならどうでしょう。いま私の触わってる物は、存在するんでしょうか。それとも、幻でしょうか」


「いや、いや。それはさすがに、間違いなく存在するだろう」


 これにはややあきれかけたのだが、少女はさらに問いをかさねる。


「本当にそうでしょうか」


「なに?」


「私の手に幻触が有るのかもしれません、私の目に幻視が有るのかもしれません、私の耳に幻聴が有るのかもしれません。貴女あなたは本当に、ここに居ますか?」


「しかしそれは、お前から見ての話だろう。私は今、間違いなくここに居るぞ」


「勘違いという事は、気のせいという事は。夢か幻ってことはりませんか?」


 歌うように同じ言葉を、くり返す少女。

 私はこれに、どこか迷宮にでも誘い込まれたような感覚を感じさせられる。


「いやしかしそれは、さっき言ったとおりだ。そういう可能性もろうが、そこを疑ってしまったらどんな存在も、信じれなくなってしまう」


「そうなんですよね」


 ──ぱっ。


 私の腕から手を放し、しかし少女の話はまだ続く。


「ところで貴女あなたはさっき、水差しについては確実に存在するとは、言いませんでした。でも今、貴女あなたは間違いなくここに居ると断言した。その差って、どこから来るんでしょうか」


「それは、ふむ。どうだろうな。自分の事だから、だろうか」


 言われてすこし思い悩みかけたが、ふとおもい出すものがった。

 っすら、何かの本で見た話が、頭のかたすみに落ちていたのをすくいあげる。


「ああ、あれではないか? 自分は存在するかと考える行為自体が、自身の存在証明。そんなげんが有ったはずだ」


「ええ。自身が存在しなかったら、そんな事は考えもしないでしょうしね。そこだけは、疑いようが無いです」


「その私がここに居ると認識しているなら、ここに存在するという事には、ならないだろうか。夢からめて現実にもどった瞬間なら、私はさっきまで夢のなかに居た、現実には居なかったと。そういう言い方も成立するだろうしな」


「夢を見てる状態じゃあ、自分のからだがちゃんと現実にるか、だなんて当たり前なことすら、わからなくなりますしね。つまり眠ってる状態だと、自我が現実から夢のなかに移動して、現実での自分の存在はあやふになる。そういう事ですよね」


「そうだな」


「って事は、そこに自我が確認できれば存在もこうていできるし、逆に確認できなかったら存在の証明が不可能になる。そういう事になりませんか」


「ああまあまとめれば、そういう事にはなるんだろうが」


「それなら……」


 ──かちゃ。


 少女はふたたび立ち、また水差しを手に取る。


「これには自我が有りません。だったらこれって、私は多分ここにると思うんですけど、でも存在しないんでしょうか。そしてその、ここにるかもわからない水差しを持ってるこの私は、自分ではここに居るって信じてるんですけど、でも私の自我ってものがもそもちゃんと、ここに存在するんでしょうか」


 そんなげんになんとなく、すこし笑ってしまった。


「だんだん、訳がわからなくなってきたな」


「ふふ、そうですね」


 ──ふさり。


 少女はひと息ついてから、また私の隣へともどり、語る。


「実際のところを言えばですね、この水差しが自我を持ってないかどうか、だなんて事はだれにもわからないんですよ。こうしてただの水差しに見えてるだけで、実は未知の生物かもしれないですし」


「本当にりが無いな、疑い出してしまうと」


「はい。そしてそれって私から見るとですね、貴女あなたの自我もやっぱりそうなんですよ。さっき言ったみたいに夢かもしれませんし、現実だとしても精巧に出来た機巧からくり人形かもしれません。貴女あなたから私を見ても、そうですよね?」


「ふむ。確かにな」


「私が自分を私だって思うのが私の自我、貴女あなたが自分を貴女あなただって思うのが貴女あなたの自我。だったらたとえ、私が貴女あなたに成り代われたとしたって、それってその貴女あなたと同じになるって事ですから、今度は自分を貴女あなただとしか思わなくなる。つまり元の私を自分だと思わなくなる、って事ですよね」


「そうなるだろうなあ」


「だから認識できる自我は、つねに一つだけ。だったら、自我の切り替えが自在にきたとしても、その認識は記憶によってでしか継承できない。それじゃあ、それって勘違いでは、気のせいではって疑問が、結局解消できません。どういても貴女あなたの、私とは別個の自我の存在を、私が確認することはきないんですよ」


「そしてそれは、ほかの何もかもでも同じ。つまりは、ぶんしんしきのぞけばすべてがあやふうたがい。そういう事か」


「はい。私たちが暮らしてる世界とは、そういうもの。って言うよりまず、この世界という基本が本当に存在してるのかどうなのかが、もそも疑問になる。って話です」


 ふむ。

 世界とは、ここにるかもわからないこの水差しに同じ。

 少女から見れば、この私すらその水差しと等しき。

 私から見れば、その少女だってまたかり、か。


 まあ、こうして互いを認識できていると感じるのに、その認識を確かめる方法が皆無である、とはな。

 記憶はとりあえず連続しているし、そこにるいせきする情報から判断するに、るように見える物はおそらく本当にそこにる、として問題ない。

 そんなふうには思えるが、しかしそれを裏づける肝心の証拠がどこにも無い、ときたものだ。

 不思議な感じがする。


「まあかなか、おもしろい話ではあるな。しかしそれで、結局これはどういう話につながるんだ?」


「そうですね、またすこし話が変わるんですけど。この世界って、どうして存在するんだと思いますか?」


「うん? まあそれは神、いや。ふむ」


 どうなのか。

 一応、神が全てを創造した、という事にはれている。

 ただ、何だかんだで肝心の神がまったく姿を見せないし、神がそれをたという証拠だってどこにもみられない。

 真実は一体、いずれに有るものか。


 と、そう回答にしゅんじゅんしたところで、しかし少女はこれをこうていしたのである。


「神がこの世を、この世界を、創った。それはほぼ、間違いないと思います」


「そうなのか?」


 天使である私のほうが疑問形なのは、かなり畸怪おかしい感じがするものの。

 そこにはとんちゃくせず、少女は言葉を続ける。


「過去の事は、直接にはわかりません。でも記録をひもとけば、ある程度の推察はきます」


「ふむ」


「その記録なんですけど、やっぱり年代によって言葉遣いに違いが有るんです。昔へさかのぼればさかのぼるほど、に乏しくなったり、文体が形式張ってまわくどくなったり、不必要に文字が複雑だったり。要するにんどん、不器用になるんですね」


「そうか。文明の進化は、逆を辿たどれば文明の退化というわけか」


「はい。ところがその、記録……んん、記録……」


 ここで突然、声から元気が抜ける少女。

 またもやじもじし始めるが、しかしよく挙動不審になる魔王だ。


 ──モソ、モソ。


 まあこれはどうでもいい事だが、少女の身をるに、寝台がきしげるようなことは無かった。

 さすがは王のしとねか、っかりとした造りらしく、ぜいたく綿わたの詰まったかふかなしきに、少女の着衣の擦れる音だけが耳に届く。


「うん? どうした?」


「は……その、はばかりが……」


「お、そうか」


 げんせいとやらの効果がついに現れ始めた、ということらしい。


「それなら話の続きは、また今度にしようか」


「もう少し、大丈夫です。ここでしりれになったら、気持ち悪くないですか?」


「平気か?」


「なんとか……」

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