19.慕心・中 ゠ 媚薬と鼓舞の話

「あ、シュノエリ様」


 不思議りながらも少女が、さらに確かめるように茶をすすっていると、不意に女侍従長がへやの入口から顔を見せる。


「失礼致し


 そう一礼し、女侍従長が少女へ申し上げたのは、果たしてこんな事だった。


客様の御寝所の、用意が整ってござ


 これにはやや、少女もげんに思ったようだ。

 だから一応のねぎらいを言葉にはするも、すこし首をかしげながらのこと、だったわけだが。


「ご苦労です。でも、その程度のことにざわざ、報告は……」


も知れぬとはわたくしも存じたが、キュラト様の御寝台に用意致しで念のめ」


 それで少女は机に突っ伏した。

 私も突っ伏しそうになった。


 はあ、いや、何だろうなそれは。

 まくらを一つ増やすだけの簡単なお仕事だったのでは、と非常に疑わしくあるものの、もちろんそれどころではく。

 いちおう敵であるはずの私を、おのが君主とともに寝かせようとは、その了見がまったくうかがい知れない。

 この訳のわからなさ、魔界とはそういう意味なのか。

 そんなよくわからない感想が、頭をよぎった。


 少女のほうも、こぶしを握ってふり絞るように身を起こしつつ、いいかげん疲れたような元気の吸い取られたような、そんな声で問いただす。


「シュノエリ。どうしてそうなるんです」


「定めてそばに、とのり決めでござ


「そ、そうですけど! さすがに寝るときまでは……」


「就寝時みを特別あつかいと致すきとた理由が、いづられ


「……ぅ」


 少女は言葉に詰まったが、それにしてもものすごい攻勢だな女侍従長。


「で、でも……さすがにそれは……きょうの剣が……」


客様。いやられ然弥しょ


「うん?」


 どうだろう、この少女とともに……。


 見ればその少女はろおろうろえ、はづしそうな申し訳なさそうなおもちではいるが、自身がいやであるという様子までは見受けられなかった。

 これはあれか、期待はるけれどうしくもあり、そうなってしまったらどうしようとしゅんじゅんする、乙女特有のあれだったりするのだろうか。


 おもしろい。

 いやおもしろくなってきてしまった。


「そうだな、特にいやということは無い」


「とのことござが。キュラト様」


「……ぇぅ……」


 逃げ道をふさがれたその少女、よくわからない悲鳴をちいさく漏らしたのち、場をとりあえずかすかのように、手にした茶器の中身をすすった。

 そして、おもい出したかのようにたづねる。


「そ、そういえば、これは何のお茶なんですか? 甘いようなにがいような、なんだかりぴりするような、いろいろと妙な味わいですけど……」


 そう言って、もういちど確かめるように少女が茶を含んでいると、女侍従長は説明をした。


かんと風味は、にんじんと時計草。は、にがござしんは……わたくしは味を見た事がござんが、察するにげんせい是弥あろと」


「……」


 ──ぶーっ!


 最後の材料を耳にした少女は、一瞬あっにとられたのち、いまがた口に含んだ茶を、道化のように盛大に噴いてみせた。

 目の前の書類がんざんな事になったが、それには構っていれないていで猛然と、から立ち上がる。


「なっ……なっ、なっなっなっ……」


 なにやら激しく衝撃を受けたようでしばらくの間、少女は言葉をうまく作れないでいた。

 やがてそれが、いくらかやわらいだらしいあたりで、大声により苦情をうったえる。


「なんですってええぇぇえ! ……の、飲ん……飲んじゃった……飲んじゃった飲んじゃった飲んじゃったっ……飲んでしまったじゃあないですかああぁぁあっ! どうするんですかこれっ、どうするんですかこれぇ……」


 涙目になりながら情けない顔になりながら、そら裂く稲妻のような悲鳴をげた少女は、茶器でふさがっていないほうの手でのどのあたりを覆い、なわな震えてしまっている。

 その少女にその茶を入れた女侍従も、目をるまるさせつつ両手でくちもとを押さえていた。


「どうした? その、げんせいとうのは、何だ?」


「び……やく、です……」


「は?」


 なんだ。

 ここの者たちは、自分らのあるじに一服るのか?

 それも毒薬でなく、やくとな。

 そしてあまえ、敵を同じ寝所へ押しめようとは。


 いやもう、あまりの事態の理解できなさ加減にはあきれる気力も無いが、疑問はる。

 やくという物そのものについて、だ。


「何をそんなにおおさわぎしているんだ? やくなんて、ただのいんだろう?」


 これは、いま挙がったようなにんじんなどの、単なるようきょうそう剤であったなら、それでまだぜんぜんなほう。

 ほかは総じて、動物の局部やそのにおい、などと一応それらしいようでいて、実際には認識やたいけんなどからやく的、条件反射的に作用するもので、それ自体はとくに効果を持たない物だったりする。

 どころか、うそちの味や香りや色をつけただけの、なんの変哲も無いただの水、もしくは小麦などですらもあったりする。

 つまりは宣告なしに用いるのであれば、酒や眠り薬のほうがはるかに結果を期待できるような、正真しょうめいまゆつば物。

 うなれば、人の性への欲求と人のかねへの欲望が創りあげた、架空の産物。

 それが、やくというものの正体であるはずだった。


 現実には、こうを任意に操作するような薬など無ければ、性感を与えたり増したりするような薬も無い。

 と言うより薬とは、何かの機能を与えるよりは、およそ奪う一辺倒。

 不調回復のじゃになるたいのうを、抑制する目的でもって服用する物なのだから、全般的に毒物、と言っても過言ではい。

 強いて言えば、おうがそういった効果を有するとわれたりするものの、あれらの効能は多幸感だ。

 精神のたがを奪われて見境が消失し、その結果どんな刺激に対してでも幸福を感じるようになる、などというでたらめをひき起こす代物なのだから、性感を直接増していると言うには無理が有る。

 やくなどというものは結局存在しない、そう言いきってしまっていい。


 だと言うのに、ここにいる少女がいま見せている様態は、にも本物を飲まされたと慌てふためくものにしかうかがえなかった。

 それがどうにも解せないからたづねてみたわけだが、しかしそれに対する少女の答えはこうだった。


「違うんです……これは、違うんです……」


「違う? 本物のやくという事か?」


「確かにやくなんてものは、この世のどこにも存在しません……げんせいも厳密には、やくっていうより毒薬なんです……」


 ぞろ、何か言ったか。

 ここの者たちは、自分らの王に一服ったのか。

 それも本当に、毒薬とな。


げんせいは、強い刺激で肉体を冒す毒で、それはちょっとはだに触れただけで、ひどみづぶくれになるくらいで……でもこれを、ごくわづかだけ、適度な量をなにかに混ぜて飲み下すと、それが小水として出てくときに、その……秘所のあたりを、たすら刺激してさいなんで、ても立ってもれないくらい、うずかせてしまうもので……」


 ふうむ、そんな物が有ったのか。

 それは知らなかったぞ。


「そうするとそれは、分類はどうあれ事実上、本物のやくだというわけか?」


「いえその、やくとは最初言いましたけど、つまりただ単にうずかせるだけの、かゆみでさいなんでいぢらなきゃあれなくなるだけの、代物で……だから一応その、強いて言えば、さ、あの……さいいん剤、とは呼べるかも、しれませんけど、でもこれ単体でこうふんをしたり、その……か、その、快感……が、得れたり、増したり、するわけじゃあ、なくって……だから厳密には、さいとう剤とでも呼ぶべきもので、飽くまでやくじゃあ、ないわけで……」


 なにやら、じもじとして言いつのる少女。

 そういう感覚を知らないわけでは、いらしい。

 ふむふむ、そうか。


「つまり、結局は毒なわけだな? からだに影響は無いのか?」


「もちろん有りますよ毒ですから……飲み下せば、その刺激で腹痛はもちろん、吐血や血尿血便までひき起こしますし、流産の原因にもなりますし……致死量もすごく少なくて、量を間違えれば一度で死にますし、間違えなくてもくり返し使えばやっぱり死にますし、そうならなくてもおおかれ少なかれからだを壊しますし……」


まづいじゃないか」


「はい……それから構造的に、花をみにいった直後に効果が出るんですけど、げんせいにはついでに、利尿作用まで有って……これじゃあいつ、用を足したくなるかもわかりませんし、今夜はもう執務どころじゃあ……」


「最悪だな」


「……最悪ですよっ! なんてもの飲ませてくれたんですかシュノエリいっ!」


 しかし、そのように弱りつつもきつく少女からり立てられた、女侍従長の顔こそ澄ましたものだった。


わたくしはキュラト様に、安らいで休みに成れる物を、用意致した積もりでござ


「どう……え……あっ……そん、な」


 そんな物騒な薬では安らぎも絲瓜へちまも無いのでは、と思うのだが少女のほうには何か、心当たりがったらしい。


り正確には、キュラト様には素直に成りいただいて、結果とやす休みいただく事がきる。の最良の方法と存じ


「それ……ど……ちが……」


わたくしいづか、考え違いを


「……おおいに間違って、ます……」


よう然弥しょなにゆえちらまで、キュラト様のそばまで招きに成る事にい成ったものの御真意はう、客様へ伝えに成り


 それは当然気になってはいたし、知っているなら直接私へててくれてもよかったのに。

 そう思わないでもかったが、ここまでくれば何の事か、さすがにもう察しがついてしまう。

 それにどうも会話の内容が、佳境へと差し掛かっている模様だ。

 だからその質問は控えておいたのだが、この次に見せた展開には驚きにみはらされる。


「そんなの言えるわけが……って、なんでシュノエリがそれを……」


ようことうでもよろしい!」


「! ……」


 だいおんじょうが、へやを張った。


 強大な力を持つはずの目上を、しかりとばす。

 こつある配下でなければ、こうは行かなかろう。

 ただそれは、もそもの前提として、その目上をしたっていることが必要条件となる。

 っきり少女は独りと、そうばかり思わされてきたわけだが、この分だと案外、そんな事は無いのかもしれない。


わたくしせんえつながまなこにて拝見せていただところちらかた是弥あろうにもおんてきなにゆえ、とも愚考致したがて、ても御立派られるかたと、ようけ致しわれが王の御眼識、狂い無き事まことに誇らく存じ


「……え、と」


「が、しか。キュラト様のおぼし召し、こんにち伝えに成らないらばみょうにち伝えに成りみょうにち伝えに成らないらばみょうにち伝えに成り。一体何時いつ伝えに成りこと然弥しょ


「の……それ、は……き、か……」


「切っ掛けとは、用事る場合にはものく作るもの、でゆえに今、何もさってででらば、キュラト様は永遠に何もさりん。わかりではられ。既にう」


「……」


 しかりつけるその言葉は、しかしとても優しげなものだった。

 それで黙りくってしまう少女を、女侍従長はもうひと押しする。


「キュラト様」


「……はい」


「結構でござしからばわたくし失礼致し


 そして女侍従長、そのまま私へと向き直り。


客様。大変見苦しいところ目に掛けた事、深くび致しわたくしどもの不徳の致すところではござが、今をいては機も無し、と愚考致した次第でなに、御容赦をくだ


「あ、いや。私はべつに、構わなかったがな」


嗚呼あゝかんだい心遣いをたまわり、あつく感謝致しあリテローンさん退がり


「え、あ、はい。その……失礼します」


 言葉のとおりに退室していく、二名の侍従。

 残されてちつかなげな、少女。

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