19.慕心 ゠ 恋ずるは罪か

19.慕心・前 ゠ 直観と不眠の話

「失礼しまあーっす!」


 そう大音量で発せられたのは、お下げの女侍従の声である。


 茶の用意一式を盆に載せ、もどってきた女侍従のその入室のあいさつは、不必要と思われるほどの声量でもって実行された。

 つまりそれは、不自然な声掛けだったという事であり、つまりこれは、彼女が登場の時機をうかがっていた、つまり要するに、いくばくかののぞきを働いていたであろう事を示すものであり、つまりいやが上にも、少女を動揺させることを意味した。


「ふぁっ、なっなんですかリテローン行きなり!」


 少女のそれも当然の反応ではあるが、怒鳴られた女侍従のほうはくちびるとがらせ、不満そうな表情を作る。


「行きなりじゃいですお茶運んでくるって言ったじゃないですかあ」


「……あっ。そうでした、ごめんなさい」


「いーえ」


 ふたたびあるじに謝罪さるも、今度はもちろんおそれ入るような場面ではい。

 っそあしらうようになま返事しつつ、持参の盆を中央の机にいったん置いた女侍従は、そこで茶の準備を始めた。

 あるじである少女のほうは、格式を気に留めないというか故意に無視する気質のようだが、侍従としては譲れない一線、というものがしかるらしい。

 執務机のほうで直接、それをてるような粧得まねはしなかった。


 ──カチャ、カチャ。


 それにはすこし時間が掛かるだろうから、私は私で、さきほどにはもらえなかった質問の返事を少女にねだる。


「話が途中になってしまっていたな」


「はい? ……ああ、ええと、はい」


 話とはもちろん、どうして少女が力でもって配下をしたがえないのか、というそれである。

 少女のほうも察しのいいところは良く、すぐにその事だと気づいたようで、しかしそれは例によって、明確な回答にはならなかった。


「その話も、まだちょっと。いろいろりすぎて伝えたい事がまとまってないんですけど、人を従えるにしてもかなか、力くでの圧政をくわけには行かないんですよ。それが魔力によるものだとしたら、ってのほかです」


「うむ、いや、どうも、そんなのばかりだな? 大まかにでも、ひと言で説明できたりはしないものなのか?」


「それはそうなんですけど、でもそれだと……私が生きるため。そんな言葉になっちゃいますし」


 ……。


 うむ、きちりとした説明はやはり大事だ。


「なるほど。わからん」


「ですよね。ごめんなさい」


 そんなふうに少女もあやまるが、まあおそらくは勘らしき物により、その行動はくわだてられた。

 しかしその説明が、まだ言葉によってけられておらず、断片的なそれしか出すことがきない。

 そんなような状態だ、という事なのではあろう。

 ならばそれは、少女のなかで整理がつくまで、待つしか無い。


 ところで人は往々にして、そのように本人にも説明できないような、突飛な判断を採用する事がある。

 案外これは日常的に行なわれていて、それがなわち直観だ。

 未知のしょうに対してはうまいぐあいに機能しないゆえ、当てずっぽうしに、持てる知識や経験則によって、瞬時のぶんせきされるものと推定される。

 ゆえに、うそう大きな勘違いにはならないどころか、おそらく重要だからこそ瞬間的に下るのに違いない。

 またそれは経験則だからこそ、本人的にもとうと確信されて、採用に至るわけだ。

 いわゆる虫のしらせというものも、そうやって既知の情報がなんらかの推量を経て、芽吹くのだろう。

 いわゆる女の勘というものも、普段から相手の者を真っすぐに見ているがために、その情報のるいせきに基づいて弾き出されるのだろう。


 ただこれには基本、言葉での説明がともなわない。

 単純なものだったなら理由の見当がすぐにつくから、そうは気にも留められないだろう。

 ところが頭脳の優れた者ともなると、凡人には及びもつかない水準でそれを発露するものだから、これがまた容易には理解されづらい。

 よって、周囲からはそれをこうとして認識されるし、これは自分たちとは違う生き物ではないのかと、一線引かれてしまったりもする。

 そんな、秀才の苦悩とでも呼べるものが存在するのだ、という話を物の本で、見掛けたことが有った。

 だとしたなら、何ともえないがい感をこの少女はきっと、感じさせられ続けているのだろうなあとは、想像されるところだ。


 と、そこへ参加してきた女侍従の言葉も、おぼろげにその想像を裏づけるようなものではあった。


「あ、あの。この人いっつも、こうですから。まともにき合っていたらもう全然、りが無いですよ」


「ん、やはりそうか。しかし心配無用、りは無くとも構わないというか、りが有ったら逆に困るんだ」


「えっ、と。どういう事なんですか?」


 私のそのげんに、にも不思議そうな表情をしめす女侍従へ、言ってやった。


「なにしろこれは、世間話だからな」


「……ぷっ」


 それはどこか経穴つぼに刺さったらしく、激しい失笑を漏らす女侍従。


「せっ……あんな真剣にっ……おおのにっ……せ、世間話っ……くっ……っひっくくっ……」


 いや。

 あるいはそれは、わざだったのかもしれない。

 そんな感想を、笑われた少女がそのごげんを斜めている様子から、感じた。


「リテローン」


「っ……は、はいはいキュラト様。今、ちついて休めるお茶入りますから」


「……あら」


 女侍従の作業するほうからただよってくる香りをにおって、少女は不思議に思ったようだ。

 私もいだことの無いにおいではあるが、つまりそれは普段からよく飲用しているであろう茶ではいのか。


 少女のそんな反応を受けて、女侍従もこのように説明をする。


「そうなんですよ。私も何なのかよく知らないんですけれどキュラト様、常例いつも眠れていないからって、だから安らいで休めるようにって、シュノエリ様が特別に用意した物なんですこれ。それでちょっと、お待たせしちゃいましたけれど」


「シュノエリが……?」


「はい。あ、お客様には平素いつもくぬそうです」


「くぬえそう?」


 知らない名称である。


「と、うのは何だろうか」


 たづねれば、若い女侍従は快く説明をしてくれた。


「気をしづめて、安眠を誘う薬草ですよ。ここではけっこう一般的な物なんですけれど、でもキュラト様にはんまり効き目ないみたいなんです。あなた様には夕方まで眠っていらしたって事なので、気持ちこゆに」


「そうか、それはかたじけない」


 私とて、眠れないというほどでもいが、かれこれ浅い夢ばかり見るすいみんしかれない体質だ。

 その効果をきょうじゅできるものならば、それは大変な至れり尽くせりである。


 と思いつつもふと、女侍従長の名を出され、不思議が不審に変わり果てている少女が、そばるのをおもい出す。

 またなんとなく妙な親近感を感じ、んやりとながめていると、少女のほうもそれに気がついて、何事かと面を合わせてきた。


「なんでしょう?」


「お前も、よく眠れていないのか?」


「あ、はい。そうですね。その……ほぼ、いっすいも」


「なに。まさかそれは、かすると私のせいだったか?」


 壁越えのくだりでそんなような話が出ていたので、おやと思って私はたづねる。

 これに少女は、またわりとした笑みを見せた。


「ああいえ、さすがにそれは冗談ですよ。……まあ、常例いつものことですし。働き詰めじゃあいくらなんでも疲れますから、夜にはいちおう横になってますよ」


 そんな事を漏らした少女は、ついさきほどからまた書類を、さばき始めており。

 その手もその目も、休まずふつうに動いており。

 とりあえずは、まともそうに見える。


「君の所のご主人は、どこか加減が悪いのか?」


 たづねる先を女侍従へ変えてみると、なんだかよくわからない答えが返ってきた。


「いえその、あなた様が居らしてから、急に元気になったんですよ」


「ほう?」


「リテローン!」


 意味ありげな説明のされ方に、少女のほうがどこか慌てたように静止を発する。

 しかし言われた女侍従のほうには、あまり悪くたわむれるようなおもちはみられなかった。


「すいません。でも……普段から、どことなくゆううつそうで、時々、んやりともしていて……なのに役目には、意地でも影響を出さないんです。がんりすぎですよ。私、心配です。私だけじゃなくて他の侍従みんなも、心配しています。……心配していない人もまあ、ますけれど……えっと、すこし……」


 すこし、とうそれはなんとなくうそに感じるものの、今それは捨ていていていいだろう。

 だまって続く話を聞く。


「医務官のたちもあれこれがんっていたんですけれど、もともと薬効きにくい体質みたいで。この人もそのうち、眠くなるだけで眠れやしないからもうやめてくれって、うったえ始めて。処置なしなんですよ。本当、心配しているんです」


 敵の総大将がそんな状態だとはつい、思わなかった。

 長期にわたって休まらないとなれば、心身ともに参り果ててしまうに決まっている。

 まあ、それはそれで好機とえるかと言うなら、業務はとどこおらせていないという話なのだから違うだろうが。


 ところで不眠しょうとは、老化の場合をのぞけば普通、たい調ちょうを切っ掛けとしてかかるものではかったはずだ。


「そんな、ひどく眠れなくなるほど、お前は何を抱えているんだ?」


 質問に、少女は淡々と答える。


「まあ、そうですね。つまりはさっきひと言、触れたことの話です」


「さっきひと言というと、お前が生きるため、と言ったあれか?」


「はい、それです」


「死ぬのか?」


「いえ別に私が、やまいかなにかだ、ってわけでもいんですけど……」


「けど、何だ?」


「……状況が、私を殺します。もちろん、きはしますけど。かなり、どうしようもないです。かといって私が、全部をげ出したら魔族もみんな、せんめつされちゃうでしょうし。かなか悩ましい、ところなんですよ」


 い変わらず書類を追っている、少女のその口より漏れきた言葉のその口調は、事もげ、とえばそうなのだが、それにはすこし、言葉の内容が沿わない。

 この態度では、もっと切迫して語られるのでなければ、たわむれにいい加減を言っているのだろうとして、相手をする者も減ってしまうのでは、とは思う。


 それでもさきほどには、自らの命の危機がもう間もなくまでにせまっていると知った時には、あんなにも取り乱していた。

 くわえて、一度泣いた後とは気疲れしてしまうもので、て続けに落ち込んだりする気力すら出なくなることだって有ろう。

 その態度に関してはことさら疑うことも無いか、とも思われる。


 だから私は気にせずに、質問を続けようとしたのだが、しかしそれはれたての茶に阻止されてしまった。


あまあ。キュラト様どうにかきる奴なんて、うそうませんって。例のあれはちょっと別ですけれど、それよりお茶入りましたよ」


 白磁のちゃわんふたつを盆に載せ、会話もきるその短い距離を、運んでくる女侍従。

 これには少女も自分の仕事を中断し、茶を受け取った。


 もうひとつを受け取った私のほうの茶は、かぐわしいにおいをただよわせている。

 色味としては茶には普通の薄茶色だが、試しにすこし含んでみれば、そのほうはふわりくうに広がり、こうくうには砂糖とも違う優しい甘味をもたらした。


てきな香りだ。味も良い」


「あ、よかったです。あまぎくも混ぜてあるんですよ」


「私のほうは……何でしょうね、これは」


「さあ……私には。渡された時にはもう、こなごなになっちゃっていましたし」


 ふたりして、見たりにおいをいだりして首をかしげるも、それでは何もわからないようだ。

 観念して口へすこし含み、飲み下し、しかしやはり判別しかねるらしい。


「これは……わづかに刺激が有りますね。なんだかからいような、そうでないような……本当に何なんでしょう」


 そんな言葉を漏らしつつ、にくに首をひねっていたものである。

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