13.問題・中 ゠ 精確と歪曲の話

 そんなふうに、私が思うも。


 自身の仕事をひとに任せれないのか。

 そんな、ほんのひと口にさえづられた質問へ返されるものとしては、まったく予想もつけれぬほど。

 少女によるその回答は、長大な説明としてもたらされたものだ。


「そうですね。私もべつに、わがままを押し通してってつもりじゃあ、ぜんぜんいんですけど。かしたら、理解されにくい話かもしれませんね。この話が通じやすいのは多分、研究分野の者でしょう」


「うん?」


 研究分野、とな。

 どういう事だろうか。


「いえまあ、間違いが命取りになるのは、どの分野でも変わりないんですけどね」


「それはそうだろうが」


「ただそれがこの分野だと、さいな間違いで問題がけんちょに現れる、って事もあります。だからこそ正否がっきりしすぎて、他のだれかのげんを損ねやすいんですけど、でもそれ以前にもまず、大体の者がくちだったりするんですね」


「くちべた」


「はい。なにしろ、正確性ってものがたすら追及される分野です。そのせいで何でもかんでも、りのままに事細かに、あいまいを許さずにことばにしちゃうところが有って、それが相手のかんにさわってかどが立っちゃったりしますね。何か言うにしても、ことばえらんだほうがいいってものが確実に有ります」


「ああ。そうだなあ」


「それからそのまま、相手にまでその正確性を、つい要求しちゃう事にもなりますからね。それにきちんと応えれるとか、自分にそれは無理だからって一歩退いてくれる相手ならいいんですけど、そうじゃあいとだんだんいらいらしちゃって、まともな会話にもならなくなるんですよ」


「まああやふことばや態度で応対されれば、らだらとさんに接されているというか、いい加減にあしらわれているようないんしょうは、受けるかもしれないな」


「はい。でも、このいらちってものは基本、自分が何かをがんってるのに周囲がそれにともなってくれない、なんて場合に発生するんです。だから、落ち度をっきりさせもしないでいさめちゃったりするのも、その意気をあしにするっていう随分な悪手なんですね」


「なのにその原因のほうが、何をそんなにいらついてるのかだの、怒ること無いだろうだの、短気は損機だのと言ってしまえば」


「ただのけん売りですね。どうにも腹にえかねて、げっこうする以外にないでしょう」


「いや、なんだ。水と油というか火に油というか、まあ目も当てられないな。正確性の追求とは本来、善き行いのはずのように思うんだが、いろいろと面倒なことが有ったりするものだ」


「ほかにもまだ有りますよ。正確性を追及するってことは、常識からなにからすべてを疑いつくす、って事にもなるんです。そのすべてをってうのがつまり、自分自身の考えすらもが疑いのたいしょうになったりしますから、それがそのまま自信のなさに直結しちゃったりしまして」


「そうなのか。それもまた難儀な話だ」


「はい。それに、物言いにあいまいを許さないってことは、事実としてあいまいだったら、あいまいだって。現実的には無視できる見込みでも、くつがえる可能性がいちまつでもったら、定然ぜったいじゃあいって。そうっきり言う事でもあったりしますから」


「確実でない事を正確に説明しようとすればまあ、そうなるしか無いな。しかしそれはあれだ、言葉としてはだいぶ、弱いものになるわけだ」


「そうなんですよ。っきりしない事をいたづらに言ってる、起こらないかもしれない事で大仰にあおってる、それは何らかのだます意図がるからだ。ってふうに、悪く受け取られる余地を含んでしまう。それでどうしても、通りづらい声、小さく聴こえる声って事に、なっちゃうんですね」


「ほうほうつまり、逆に声の大きい者が、たとしたなら?」


「あー、そこは、まあ……ええとその。言及しないでおきます」


不言いわず、か。れやれ」


 いや、なんとも。


 大きな声の言葉とはもちろん、単に大きい声量でもって発せられた言葉、というわけではく。

 自信……というか、この場合はもうしんにしたがってらつらつづられる、物をりと言いきった、調子のたけしい言葉のことを指す。

 当然ながらそんな言葉ほど、断言ともなわず自信もなさそうな言葉なんかより、圧倒的に通りやすいだろう。

 だが当然、もうしんによるわけだから往々にして不正確、あるいは完全なる間違いだったりする事も多い。


 ところがそんな事を言う連中も、間違いと指摘されたらばされたで、これくらいの間違いなんて有ったっていいんだ、ちいち指摘をするほうが間違っている。

 そんな居直りを、これまた大きな声で言いはなったりするのだ。

 これはすぐわかるとおり、同じく間違いの指摘である以上はまったく同じ言葉を返されただけで詰む、という自己矛盾をはらんだ単純なべん

 だいいち、間違いは有ってもよいという根拠にしたって、もそものところちがいとは、つうようもんだいはってんものことうのだ。

 問題が起きていいわけが無かろうし、そんな迷惑を能動的にこしらえていいわけも無かろう。


 だと言うに、間違いへの指摘など堂々と踏み倒してよい。

 こんなぶすいたことを、ずうずうしくも強硬に主張されては、周囲までもが感化されて、間違いを容認するようになってしまうだろう。

 それは行く先々であちこちに引っ掛かり、面倒を起こしつづけるに決まっている。

 こんな事は、だれにでも容易に想像がつくはずだ。

 それを承知でき続き、間違いを故意に押し通そうとするならそれは、自らの落ち度への非難を胡撒然うやむやと化すため、是正の労力をなまけるためにただ、いい加減をでっちあげている。

 これ以外の理由がろうか。

 そんな自己中心的に言いのがれようならば、これはもうことばの定義として、まいとすらわない。

 悪逆とうのだ。

 単に自身が悪く言われたくない、たったそれだけの話を大きな主語に取って代え、へん的な定義へと勝手に拡大し、障害をふりきつづける。

 かなかに見下げた、いい根性をしているものだがしかし、間違っているのか、では改めよう、という態度でなにか困ることが有るのだろうか。


 間違えてもいい、間違えることをおそれるな。

 そんなことばも有るには有るが、まずもって間違いと知らないならもちろんのこと、知っていてもそれを完全にかいできるわけではいのが、人という生き物。

 間違えてしまうに余儀は無いのだから、手違いについてはある程度のきょうをしようと、それによって改善を期待しようと、本来これはそういう意味のことばだ。

 直すつもりが無いのなら、話はまったく別。

 あやまちがと、あやまちがとはまでべつものなのであって、間違いが有っても大丈夫、という事ではぜんぜんい。

 何らかのつみとがにおいて、故意のそれはもちろん、厳しくばっられよう。

 しかしならびに、無自覚ないし過失であっても、減軽されるとはいえ罰が下るのは、つまり間違いは有ってはならないがゆえ、その是正をうながすためなのだ。


 なかには、正しいほうが勝つのではなく、勝ったほうが正しい事になるのだ。

 そんな暴論を偉そうに唱えるうつけものもいるが、そんなわけが無い。

 あるいは勝てば善、負ければ悪という評価のされ方ならば、それなりに認められよう。

 それでも、人がどういんしょうを持つかという善悪と、真実をいているかという正否には、いっさいの相関性が無いのだ。

 たとえば、ひとつの材質でできた石を半分に割れば、重さもほぼ半分ずつになる。

 といったくつに対し、一方が全ての重さを引き継ぎ、もう一方からは重さが消失する。

 こんな理屈は、特殊な条件でもけ加えないかぎり当然に無効で、たとえ力押しで前者を屈服させようとも、後者のそれはい変わらず正しい事にはならない。

 むしろすぢを通すに不要なはずの、力押しなど登場している時点でもうお察し、それこそが正当性を欠く証左でもあろう。


 ともすれば、声の大きさによる威迫を許すならば。

 この世の中、正否関係なしの言った者勝ちとなり、正確性に欠ける話ばかりが横行しやしまいか。

 それのせいでんどん、んどんと正しい意見の通りづらい空気が、まんえんしやしまいか。

 その到頭には、ゆがみだらけで非常に生きにくい社会が、形成されやしまいか。

 あやまりのるいせきりてけいせいものそ、へんけんめいしん

 げんいんりてはっせいものそ、べつしっとう

 ゆう被起おこさものそ、はくがいれいぐう

 では、なかったか。


 そういたものの、くよくおもい返してみればもう既に、そんなような状態だなと。

 大なり小なり、深刻な問題だらけだなと。


 あんたんたる気分へとおちいったものである。

 少女もそれを読んだのか、苦笑いのような表情がらりと見えた。

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