12.研究・中 ゠ 判子と書記の話

 しかし私がその追及をするより先に、少女のほうがい変わらずの事を言い出したのである。


「やっぱりはん、お願いしちゃっていいですか?」


「なに」


「判をすにもちょっとだけ、手間が掛かりますし。これだけ量がるんなら、手伝ってもらえれば処理時間をすこし、短縮できると思うんですよ」


「お前な。そういう事を、笑顔で頼んでくるな」


貴女あなた的になにか、不都合ですか?」


「……」


 私の苦情は完全に無視された。


 なんというか、少女の様子はい変わらずもい変わらずである。

 どうせ中身を見られてしまっているのだから大差ないと、そんなふうにでも考えているのだろう。


 まあ確かに少女の言うとおり、目の前の書類の処理には、それなりの時間が掛かりそうだ。

 それをずっとながめつづけているだけ、というのも退屈な事かもしれない。


「……」


「ありがとうございます。これはにんで」


 ──トン。スッ、トン。


 いろいろとあきらめた私は、少女の差しだす書類を無言で受け取ってはちくいち、判突きをしてやった。

 それで少女のほうは、なんとなくうれしそうな感じであったが、せん私のほうの気分としては、微妙が過ぎも過ぎ。

 どうにも状況に適した表情が、見つからない。


「どうしてこんな事に」


「……はい? あ、これもにんで」


「いいや、何でもない」


 つまり私が言いたいのは、だ。

 何が悲しくて王の裁く書類に対し、その敵である私が判をしてなければならんのか、という事だ!


 何なんだこれは。

 一体全体、何なんだ。


 ──トン、トン。


 たわむれに、判で朱肉をいてはもてあそぶも、なんともなせない気持ちを、私は持て余したものである。

 まあその疑問について、納得のいく答えを用意してもらえるとも思えなかったから、だまってしたがってはいたが。


 少女から手渡される、書類のその内容は、本当に多岐にわたった。

 よくまあまごまこんなもの、裁ききれるものだ。

 それについて少女に対し、めるべきか、あきれるべきかは迷うところだが、私の気持ちはおおむね後者にかたむいている。


 しかしその内容だけでなく、書類に使われている紙自体にもまた、やや気になる所がった。

 大まかに重要度で、材質が使い分けられているらしい傾向がうかがえるが、しかし山にみられるのはどれも、植物紙であるようなのだ。

 そういえばこの朱肉というやつが、もそも獣皮紙にはあまり適さない、顔料とよばれる代物であるわけだが。


「羊皮紙を使わないのか」


「え、あ、はい。そうなんです」


 少女もその疑問に理解を示した。


 つまり、書類の重要性が高ければ高いほど、その保存性も重要になってくるもの。

 なかでも獣皮紙は耐久性にぬきんでているうえ、あぶって焦がすとふうい的にもえがする。

 よって紙のなかでも上等とれており、大事な決定をしめす書類ほど、羊皮紙や牛皮紙などが用いられるのが普通だった。


 それについて少女は、このように説明する。


「使ってない理由はまず、かいざん防止ですね。あとはまあ、この分量ですから。……あ、これもにんで」


「ああ。そうか」


 まあそれも、っともな理由だ。


 獣皮紙は大変にがんじょうであるがゆえ、けづってみがけば比較的容易に、書かれた文字を消し去ることがきる。

 書類にはその文面の恒常性ももとめられるから、これは地味に困ることだっだ。

 おまけに、あとで幾らでも書き直せるからと、予練もろくにせずに行きなり書き込んでは、失敗する者が後を絶たないもの。

 そこに当たり前のようにる修正が、らぬかいざんではないのかどうか、その判別はきわめて難しい。

 よしんばかいざんと判明したところで、消すまえに書かれていた文字は結局読むことがきない。

 そのに及べばもう信用ならないとして、当該文書はまるごと破棄するしか無くなる。


 これが植物紙ならば、書いた文字が消せないのを逆に利用して、かなり強力にかいざんを防御できるのだ。

 その作法は大まかに四つほどで、まずは文章はすきなく整然と、けいせんにそって書きつづること。

 訂正は取り消し線をうってし、印章やおうによる訂正印をしるすこと。

 けいせんにそわぬ場所につづったり、黒塗り部分を作ったりしないこと。

 正確に記述しえたことを確認できたなら、文章末にしめること。

 こんな作法でつづってあれば、訂正印なき取り消し線、黒塗り、無理詰めした文字、けいせんにそわぬ文字、しめ以降の文字。

 それらが無いかと確かめるだけで、かいざんっきりと浮かびあがるのだ。

 また、黒塗りのない状態が保たれれば、訂正前の内容をふくめた整合性までもが、検証可能になる。

 このために、便びんせんとよばれる伝便用の紙にはらかじめけいせんを刷るものだし、少女のさばいているその書類も、当然のようにそうなっていた。


 ただこれは、文字に線を足して別の文字に改変する、という系統のかいざん手法には弱い。

 一応、字体や筆跡を工夫したり、独自の顔料を用意することで、ある程度の看破がきはする。

 それでも全てのかいざんを防ごう、というのは無理難題と言えた。

 極論、正規の書記をろうらくできれば、まったくでたらめな書類をも正規の手続きで発行可能だからだ。

 つまり書記とは、記述だけがただきればいいわけではい。

 高い道徳心や忠誠心が要求されるもので、なかでも機密文書を記述する秘書は、そのさいる重役だ。

 しかし結局、それを人が務めるかぎりはかいざんの根絶など不可能で、めてそれがりづらいような状況にしておく、というところが精々ではあった。


 それでも量について言うならば、植物紙の圧勝という事になる。

 手数の話をするなら植物紙の場合、素材となるせんを原料から取り出すに、かなかの手間を要するもの。

 石灰水にさらしたのち、にくいでせばとりあえず出来上がる獣皮紙にくらべたら、その製造工程はだいぶはんざつ

 ゆえに植物紙は現在、そう積極的には生産されていない。

 しかし皮をるためだけに、獣をあやまくればすぐに絶えてしまうから、獣皮の供給源は食にきょうされたそれに限定されてしまう。

 また、成牛のように大きく育ったものだと、紙には厚すぎるという難も有る。

 だから、せんを得れたらばたいがい利用できる植物と違って、原料の可用性に断然劣る獣皮紙は、大量生産に向かないわけだ。

 それでは希少性により値が張ってしまうし、数が無くてはこのように、惜しみなく使ってまわすも難しい。


 植物紙、便利というなら確かに便利だ。

 それはわかっていても、普段使われないからこそのもうてん

 慣例とはおそろしいものである。


「植物紙も、材料にこうぞみつまたなんかを使えばかなか丈夫になりますし、透かしを入れればぞうも難しくなります。故意に破ったりしなければ保存も利きますから、もんじょにはこっちのほうが好都合なんですよ」


「うむ、ちゃんとれっきとした理由が有るものだなあ」


「それはまあ、さすがに無いと、通用させる意義も有りませんし。羊皮紙はしろ、ひんぱんに手で触わられたりしてもうに耐えてくれないと困る、だいちょうたぐい。それか、裸で野外を持ちまわられたりしてじゅそんに耐えてくれないと困る、携行地図のたぐい。そういう、こくな要件がもとめられる用途に向いてると思います。……これはきゃくですね」


 ──トン。スッ、トン。


あさがどんなに丈夫でも、着るには絹のほうが心地いいのと同じような事か」


「ですね。それと羊皮紙に文字をしるす場合って、それにりやすい染料を使いますけど、染料って簡単にせちゃうでしょう」


「そうだなあ。さらしてしまえばどうにも弱いし、長いあいだ外で掲示できたりはしないな」


「ええ。それで、紙は無事でも肝心の文字が判読できない、だなんて本末てんとうな事にも成りかねませんけど、植物紙ならせにくい顔料でも、よくりますからね。文字の長期保存には、って付けなんですよ」


「なるほど。しかしお前は、何でも知っているんだな」


 私がそう言えば、少女はわからないことを返した。


「そうでもいです。私にはどうでもいい知識だけはっても、肝心なことを知りません」


「うん? 何だ、それは」


「さあ、何でしょうね。それすらわかりません。……これは、にん


「……」


 ──トン。スッ、トン。


 いよいよ私は、さじを投げる。

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