11.懇願・後 ゠ 平伏と慟哭の話

「……!」


「……?」


 あまりの事に私はもちろん、すぐそばの女侍従も言葉を失った。


 平伏とは、数ある辞儀のなかでも、相手へのけいをもっとも強く示すもの。

 地にひたいをつけることから自然、いちばんの低い姿勢、という事にもなるが、そればかりではい。

 これはかたちとして、首をも差し出す体勢になるのだ。

 ゆえに、こんがんのときに平伏を示すなら、つまりいつでも好きなときに、これをってくれてよいと。

 だからどうか、このおもいだけは聞き届けてくれと。

 それほどの覚悟でもって、一生のお願いをうったえる、という事になるのである。


 そんなものを今、魔の王たるこの少女に、示されてしまった。

 いや仮に、それがりだけの狂言だったとしても、だ。

 こんな事が果たして歴史上、一度でも有ったのだろうか。

 それこそ知るすべもない事だが、それよりも、だ。


 この少女に、それをれてしまうと、どうしても……度もはずれて並々なく、居怺いたたまなかったのである。


「なあ。顔を上げて、くれないか」


「……それがきるのは、貴女あなたに了解の返事をもらえたときだけです……」


「いや、しかし」


 とりあえず起きてもらおうと、私が少女の両肩に手を触れた時。

 そこから伝わってきたのは……震え、だった。


「! おいお前、どうした?」


「……」


「こんな震えて、具合を悪くしたか? おいリテローンとったか、これはだれか人をんだほうがいい」


「え、あ、はい!」


 そうしてへやを、慌て出ていこうとした、女侍従。

 しかし少女が次にはなった、その言葉の激烈な威力によって、これを中断させられるになったのである。


「わ……私は怖いのでこうして震えてるんです!」


「え、な?」


「キュ、キュラト様……?」


 魔王とよばれる少女は伏したまま、言葉を継いだ。


きょうの剣……私は今さっき、貴女あなたへ何て、お願いしましたか?」


「私の剣を、貸せと?」


「違います、助けてくれって、言ったんです」


「……?」


 その違いはいまいちわからなかったが、それは少女の次の言葉により知らめられる。


なりり構わず言います、私は死にたくない……死ぬのはいやっ、死ぬのが怖いっ! でも……あれをどうにかきなければ、それは私にかならず訪れます……。だから、ただ剣を借りるだけじゃあ、不許だめなんです、協力してもらうだけじゃあ、不許だめなんです! ……助けてもらわなきゃあ、不許だめなんです……っ。助けて、ください……お願いです……」


「……」


「キュラト様……」


 なんてことだ。


 これは、一族のおさいてしまうには、んまりすぎる泣き言では、ある。

 またこれは、その助力をわれる側が聞かされるには、ささかごうまんな言葉でも、ある。


 それでもこの言葉、その態度を、疑わないでいいという前提が担保されるなら。

 つまりそれだけ追い詰められており、つまりそれだけ強い恐怖を抱え込まされており。

 本当の本当に事態は深刻なのだと、これ以上も無いくらいに、絶叫して伝える。

 そのような悲鳴だと言えた。


 この言葉、その態度を、疑わないでいいという前提が担保されるなら、天使として当然下さなければいけない判断は、一つしか無いのだ。


 ……この少女は、救われなければならない。


 無論それは、もとよりこの言葉、その態度を、疑わないでいいという前提が担保されるならの話で、当たり前だが演技、という可能性も有る。

 なにか少女に、都合の良いように事を運ぶため、私をばかっているのかもしれない。

 相手は敵、それもその親玉。

 その疑いを、て去るわけには行かない。


 ……そんなふうに、見えるだろうか。


「やれ。この言葉、その態度を、疑わないでいいという前提が担保されるなら。か」


「! あ、う……」


 おもわず私の口から漏れてしまったそれに、少女は伏したからだびくりとさせる。

 そしてふり絞るようにして、言いつのった。


「……もちろん、こんなの私の、完全に自分本位な、お願いです……貴女あなたに、そうする義理は、有りません……断わられても、私は貴女あなたを、恨みに思ったりなんかしたりは……」


「いや、魔王。信に値するかどうか、か。そんな事を考えたりするには、な。私ももう十分、疲れてしまったんだ」


「……え……」


「何をすれば私は、お前を助けれる? それを教えてくれたら、私はお前を、助けよう。これで、いいか?」


「……」


 魔王。

 そう呼ばれる少女は、どうこくした。


「……あ……ああぁぁあ……っぁああ私……っ」


 張り詰めていたのだろうか。

 独りでずっと、気を張っていたのだろうか。


 どうだろう。

 魔王という冠を、かぶってはいるが……どれほどを圧倒する魔力を、ようするかも知らないが……しかしその実、どうだ。


 このかよわさは、どうだ。

 このかぼそさは、どうだ。

 このいたましさは、どうだ。


 魔族のおさだか何だか知らないが……そうだ。


 これをまもらずに、どうする。

 これを支えずに、どうする。

 これを救わずに、どうする。


「っ……」


 私がなぐさめる目的で、その頭をってやると、それを受けてじろぎをする少女。

 その様子は、対処し得ない脅威を前にして、身をすくませて震えあがる、小動物そのもの……。


 ん、あれ、いや。

 これは、どうなのだろう。

 魔王という冠など、かぶってしまってはいるが……しかしその実、どうなんだろうか。


 この愛らしさは、どうなんだ。


 魔族のおさだか何だか知らないが……そうだ。


 これをいぢらないで、どうするんだ?


「ああそういえば、私が了解したら顔を上げる、とか言っていたな?」


「っ! あ、ぁう……」


 おもわずざと私が口から漏らしてしまったそれに、少女は伏したからだくびくびくりとさせる。

 そして、たましーをふり絞るようにひっしになってがんばって言いつのった。


「……わ、わわゎゎわ私は泣き顔を見られたくないのでこうして隠してるんですっ!」


「リテローン、君の主人を起こして差しあげてくれないか。ああなんなら、そうだな。これは間違いなく、だれか人をんだほうがいい」


「え……あっ! はいっ、はいっ! はいいぃぃいっ!」


 そうして、ここへきてとうとう少女が漏らした、もうやめてくれとこんがんする言葉こそ、こうなったわけである。


「そっ、そういう態度を取られるとさすがに怒りますよっ! 本当ですよっ!」


 それで約二名は盛大に爆笑したが、そのうちにしづくの源がれてしまうとやがて、残りの約一名も笑い出した。


 魔王を助ける。

 この判断が正しかったか、間違っていたか。

 そんなものは最低限、事が済んでみなければわからないこと。

 逆を言えば、済んでみればわかる事でもある。


 ただし、魔王を信じる。

 この判断が正しいか、間違っているか。

 それについてはそのまま天使たち、いては生きとし生けるもの、すべてに対して同じ疑問が生じるもの。

 そして、それらが解消されることは、けっして無い。

 そんな感じの事に私は、思い至った。


 信ずべきかを考えるに疲れた、とはそういう意味であり、それが判断に至るかぎとなったのはまあ、言うまでも無い。

 しかし、決心の理由はそれだけにとどまらない、という事もまた、説明するまでもない事なのかもしれない。


 少女の笑うその顔をながめつつ、そんな事を思った。

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