5.郭壁・中 ゠ 兵力と礼儀の話

 地味だが、堅い。

 本当に単純で本当に地味だが、そのぶん本当に堅い。


 特にこの、天仰ぐほどの郭壁。

 いちの越えられない壁だけただあればの防備など要らない、まさしくそのようにほうこうせんばかりの威容。

 くも築き上げてくれたものである。

 ゆいいつてっ退たいが無いという点を除けば、抜け目はこれといって見当たらない。

 これを相手取り、軍勢でもって攻略しようとするならば、しかしとんど肉迫などきなかろう。

 十倍どころか、二十倍の兵をつぎ込んだって、どうにもならないように思えた。


 それを何も考えずに勘定したとしたら、どうだ。

 じつに十万の兵、単純計算で百個大隊相当。

 もはや師団どころか、その複合たる軍団を連れてきて、ぜんぜん足りない数字になってしまった。

 不理だめだこれは。

 それは当地師団の指揮も、攻めようが無くて悩み入るに違いない。


 これだけ数字が膨らめば、どうしても感覚がしがちではある。

 だが、三人ばかりで構成された一個小班でもう既に、村の三つ四つをまともに壊滅させうるほどの戦力になる、という事を忘れてはいけない。

 それが無防備な村などでなく、自警でもってまもられた町だったとしても、百余名からなる一個中隊によれば、っさりおりがきてしまうくらいだ。


 無論そんな、三けたにも達するような人数を兵として育てあげるにも、なみだましいかんろうしんりょくせったくともなわれる。

 まずは集落ひとつから人員をつのろうとも、しかし力なき女子供をようしがたいのは、もちろんのこと。

 戦士となりうる男手にしたって、その全員をとうようしてしまえば集落がかせぎ手に困るし、なにしろ不用心だ。

 一集落より兵として駆り出せる人数などたかが知れ、十を超えて得れたらばそれでちょうじょう

 その候補は意外と数が少なく、人口百人あたりで五名が兵として成れば、強豪の軍事国家としておそれられるほどだ。


 苦心し、どうにか人材をかきあつめたとしても、ひととはそれぞれとくせいせいちょうそくことなるものであり、おなじ教え方で等しく育ってくれはしない。

 きびしい訓練のつらさから、脱落する者だって出よう。

 これを一人ひとりまえまで鍛えあげる苦労といったら、それはもう並大抵ではいわけだ。

 そうやってはぐくまれたつわものとは、その個々もまた超人とい換えられよう脅威的存在だが、そればかりにとどまらない。

 どんな場合に、どんな手段が有効であるか。

 たとえば、農作業という名の鍛錬に従事するゆえに間違ってもひよでなく、農作物という名の備蓄を存分に保有し、農具という名の立派な武器を装備した、農民衆という名の純然たる軍勢。

 これをより有利に制圧していくには、どうするのが良いか。

 そういう事を、知っている。


 そんな者らにつるんで襲い掛かられれば、どれだけ多数で迎えようとも並の民では、ひとまりも無い。

 まあ農民相手ならば、仲間の命が危険にさらされることへの覚悟の薄さ、知らないものが降り掛かることへの恐怖耐性の無さ、らぬ襲来を警戒する危機意識の低さ。

 このあたりが一般に弱点となるもので、だから人質やけい、夜襲などによってそこをくのがじょうとう手段であるが、なんにせよ兵力とは、つまりそういうもの。

 訓練された軍隊とは、そういうものなのだ。

 たったひと握りのわづかな人数だけで、この世のまざまな事柄は幕を下ろす、それが悪夢のような現実だ。


 そんな悪夢が、十万にも膨れあがったとして。

 それらがもしそのまま、野に放たれるような事でも有れば、どんなになるものか。

 想像するおそろしい話だし、そんな事には、ならなくとも。


 ただ六けたにもおよぶおびただしい人数、とだけ認識するから行けない。

 それら個々すべて、れぞれに命があって、意識があって感覚と感情があって。

 家族があって仲間があって、歩みきた道があって目指すべき夢があって。

 そんなふうに十万の人がそこにるなら、十万の主人公がそこにるのであり。

 それら十万の主人公が、ただたすら、すりつぶされていくような事など。


 気がれそうだ。

 そんな事は、不許だめだ。


 しかしでは、何とかなるのかと問われるなら、かしたらあるいは何とかなるかもしれない、と答えるしか無い。

 要は、どんな武力の権化であったとしても、臨戦態勢でなければとんど、脅威には対抗し得ないもの。

 そんな相手が、総力を挙げてくれないことを祈りながら、めて相手の不意をつき、油断を誘えそうな規模でもって、事に当たる。

 そういった消極的な手段こそが、少数潜入活動なのだ。

 無勢が多勢にいどむのだから、根本的に成功の確証など、持てたものではいのである。


 そして、そんな不確かなものにけるのかと問われたなら、そうだと答えるのだ。

 べつに私は……どうせ私など、しょせん

 最後まで生き延び、皆を率い、活躍しつづけてゆかねばならないような、ほまれ高き英雄なんかとは、違う。

 捨てちになるつもりなどはらさら無いが、それでもこんな事くらいの覚悟ならば、っくの昔に完了していた。


よし


 決定だ。

 侵路はこのうらとする。


 これは無茶なようでいて、しかし出撃路であるならかえって戦闘時でない場合には、厳重な警戒をされないものだ。

 なにより、ほりに入って身をらさずに済む、というのがとにかく大きい。

 ただもちろん、その周辺や郭上にはしょうへいが、幾人も配置されてはいる。

 それはどうにか、り過ごさなければならない。


 それでもここまで読めてしまえば、べつに機会を改めることも無かろう。

 そのせいで再ていさつが必要にもなるだろうし、今夜に侵入決行してしまう事はもう確定していい。

 一応、押し入るころいについてもはある。

 本当は、やみに紛れれるならそれが最極いちばんなのだが、これだけあらたかに火をかれていては、そうも行かない。

 だとするならその次の候補は、しょうへいらの気がもっともゆるみそうなころい、となる。


 それは夜明けの、そらしらんでくる時間帯。

 夜通しみはっていたがために、疲労と眠気をつよく抱え込むであろうし、あさひを認めたことによる一定の油断も、期待できるからだ。

 ただしその条件は、当然こちらも同じ。

 視認性だって格段に良くなるわけで、一層に気をひきしめて掛からねばならない事には、違いない。


 ときを待つそのついしょうへいらをどういくぐるか考える目的でもって、ふたたびとりでの周囲をうろつく。

 ふつうに考えれば、り過ごすにはあの場から、彼らを退かすしか無い。

 それには何らかの方法で、別の場へ気をかねばならないわけだ。

 しかし、それに役立ちそうな物は今、残念ながら持ち合わせていない。

 いづかで騒ぎを起こそうにも、ひうちいしの入った荷袋は馬といっしょに、置いてきてしまった。

 いや、時間的にはまだゆうがあるから、取りにもどるのもあるいは手だろうか。


 そんな事を考えていたら、ああ何か、いや何か。


 ──ジッ、ジリッ……。


「……?」


 例の手薄の一角に、ふたたび差し掛かったところ。

 ちょっとばかり残念な気配を、感じてしまった。


 それはさきほどまで、私をこのとりでへといざなっていたそれに、似ており。

 近寄って確かめてみればその者、すごいぎょうそうとりでにらんでいる。

 武者震いでもするかのようにるふる震えていて、その両手のなかのやりを地に取り落としてしまうのではないか、と見ているこちらをひやひやさせた。

 その得物は、くらがりにも……透きとおったあさ色、と見て取れる。


 なんとれやれ、あれは敵のわなではかったのか。

 しかもたかんじ、どうにもだれかを誘導できそうな器量とも思えない。

 それを察知できなかったことに私は、自分のことまで情けなくなってくる。


「おい」


「っうわっ、だっ……!」


 ──ズザアッ! ザッ、ザッ……。


 そっと声を掛けてみたら、盛大に音をたてて、盛大におどろかれてしまった。

 いや頼む、もう至近距離まで迫っていたんだから、いい加減そちらも気配で察してくれまいか。

 というか、そんな大きな声を出さないでくれ。

 見つかってしまうだろうが。

 まあすんでところで、見たかぎりではられた様子も無いようなのが、めてもの救いではあるか。


 そのあわの元凶をうかがうと、茶髪のきれいに刈り込まれたその頭のまえづらには、わりかし整った甘い美男顔がみられた。

 まあそれは今、残念な感じにひしゃげてしまってはいるが。

 ふうぼうにくわえ、はつらつそうな声からもうかがえる年のころは、私よりもかなり若く感じられる。

 こちら同様、革製のよろいにつつまれたその身のたけは、されるほどの長身である私と比べてしまえば若干劣るが、けっして低いという表現は似合わない。

 しかしそんな事より、彼はひどく動揺していた。


「だ……お、おおぉぉお前はだれだ?」


 慌てて身のかまえを取りつくろいつつ、あまりにお約束どおりの、しつけすいをしてきたわけだ。

 ひとしきりあきれたあと、私は自分の剣を見せてやり、すこし皮肉もつけてみる。


「特別遊撃隊隊長、スィーエ。まあくまえには普通、自分を明かすものだがな?」


 ──チィッ。


 言われた男はしたうちをした。


 ちなみに名をたずねる際、まず自らがるべきなのは、それが対話の意思があるかどうかを示す分け目になるからだ。

 まずいつ、相手がだれなのかわからない状態では、何を伝えるべきで何を伝えざるべきかの判断がきない、という問題がある。

 これでは話はおろか、名前すらかつに渡すわけにいかず、なのに情報よこせと言われてもそれは困る、というものだ。

 そしてもういつ、名を知らなければその相手には、呼び掛けまでもが正しくきない。

 つまり、自分の名をつげずに相手の名だけを問うとは、手前からは一方的に呼び掛けるが、相手からの呼び掛けには応じない所存。

 などという、非常に身勝手な宣言とも受け取れるのだ。

 ゆえにこれは、けっこう強烈な失礼に当たるのである。


 名を問うくらいならば、ほぼ初対面のはず。

 なのにそんな無礼を働いては、相手に態度を硬化されてもかたが無い、というわけである。

 時折、作法だけをけいがい的に振りまわしては、沿わない者をとがめてにし、得意るようなからがみられるのも失笑ものではあったが、たいはんほうにはゆうちゃんもので、ゆうたいはんあいそんちょうるとものなのだ。

 だから逆に、敵でもない相手がそこから外れていたとして、これをみにめたてるもまた、敬意失するというものであろう。

 それをそっと教えてあげるこそが作法、相手の尊重であるはずだ。

 そんなわけで私もそうしたわけだが、目の前の彼がそれをわかっているかわかっていないかまでは、まあもちろんわからなかった。

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