5.郭壁 ゠ 兵力というものを知っているか

5.郭壁・前 ゠ 偵察と分析の話

 これは、わななのかもしれない。


 そんな事を思わされたのは例の気配が、私から離れすぎず近づきすぎずの、微妙な距離を保ちつづけていたからだ。

 速度的にも、走るほどのものではく、追うのはやすい。

 これではどうにも、相手にざと追わされている、つまり誘導でもれているかのようだった。

 いやな感じがしひしとするが、しかし相手がそれをさかにとって別途、背後で待ち伏せをしている事なども考えられた。

 退き返すのも下策に思える。

 私のも自覚したものとはいえ、考えなしに追い掛けたのは拙了しまったと思った。


 とはいえ、樹林そのものが方角を惑わせるものであるにくわえ、今ここは月明かりもよく届かない。

 追跡を始めてからもだいぶっており、おかげで自分がどのあたりに居るのかすら、あやふになってきていた。

 なんとかもどれないことも無いだろうが、一定の難儀はまぬがれないはず。

 それに森のなかとは基本、平らな土地でし。

 結構な起伏があり、木々の張っている根もあれば足にからむ低木もあって、まにみづまりやぬかるみもあるし石や倒木だって落ちている。

 また、大抵の動物なら物音におびえて近寄らないだろうし、夜行性のそれも案外いないものだが、それでもいつどんな猛獣もうきんに、わさないとも限らない。

 顔に時折ひっかかってくる蛛網くものすわづらわしく、こうけんあふれる土地とはむしの王国でもある。

 いろいろと居心地よくないのは、間違いなかった。


 ──ガサッ、ザッ、ガサッ。


 それこそ何かが無いうちに、抜け出したい。

 そんな考えを、浮かべつつ。

 しかしどうにも消しきれない気配には、ずからひやひやしつつ。

 そり、そりと進んでいれば、やがてその前方。

 月明かりとはちがう光が、認められる。


「!」


 火だ。


 いよいよ私はこの段になって、やはり退き返してしまうか、真剣に悩み始めた。

 辿たどりついた場所、そこは開らけており。

 幾多の石をうづたかく、積みあげた郭壁が形成され。

 その周囲には簡易だが、十分機能しそうなほりめぐらされ。

 かれるかがりびが、こうこうとあたりを照らし。

 そのあちこちに、兵のすがたがうかがえ。


 首をかしげたい。

 つまり天使軍の張った陣は、敵のとりでからそう遠くは離れていなかった、という事か。

 私もなまびょうほうものではあるものの、それでもこれはやや、近すぎる感が否めない。

 近いということは、敵に対して速攻をけやすくなる反面、なにしろ警戒されるし、逆に敵のうごきを察知したとしても、そなえるゆうがれてしまう。

 優勢に立っている場合ならまだも、とりでによって劣勢に立たされている今、この布陣はどうなのだろうか。


 いや。

 そう思わないでもいが、それでもここは森の中だ。

 この戦地では、だいぶ前からこうちゃく状態となっていたから、このとりでの発見されたもあるいは、陣のかれたより後かもしれない。

 当地師団がどう編隊され、どう配陣されているかも、私の知らないところだ。

 前線との関係によっては、移陣しづらい場合もあるだろう。

 なにより天使軍の指揮はべつに、ひとつも定石を心得ないような無能ではい。

 考えてみれば、何も言及できたものではかった。

 だんたいてきだがだんたいてき、木をて森を決めつけるのはほうのすることだ。


 そう思い直したが、それより折角ここまで来たものを、徒手てぶらもどってしまうは惜しい。

 私がさきほどまで追っていた、あれが何者だったかも気にはなる。

 それでもこの目の前にある代物のほうが、もそもの私の目的物であった。

 とりあえず木々から身を出さない範囲で、とりでうかがってみることにする。

 それによって、侵入を果たすにどんな準備が必要か、あるいは今もう侵入しうるか、判断できることだろう。


 では、ていこうか。

 さてどうだ。


 ──カサ……。コソ……。


 かげかくれ、しげみをすり抜け。

 なるたけ慎重に、なるたけばやく周囲を見てまわる。

 とりでをてらすかがりびとそれをさえぎるしげみのおかげで、案外労せずにおおせたものだが、結果として幾つかのことがあくできた。


 そこにはあまあ……背筋のこおるものが、みられたものではある。


 とりでの規模としてはりのもので、四、五千の兵くらいは優に収容できそうなこと。

 郭壁は全面で石積み、形状としてはおそらく正四方で途切れておらず、高さとしては周囲の高木よりもやや控える程度、人のたけで言うならおよそ十五人ぶんと、とにかく高いものであること。

 そのすみには、さらにそれよりすこし高い、えんとう形のものみやぐらが築かれていること。

 郭の周囲にはほりほりの周囲には平地が確保され、それを背のたかい針葉樹林がぐるりと取り囲んでいること。

 郭の四辺のうち、ひとつの中央には入口とおぼしき跳ね橋がそなえられ、今それは跳ねていること。

 その正面のみに、森をひらき外部へと延ばした、広い道が存在すること。

 跳ね橋のちょうど反対側には、まるで通用口のようなとびらが存在し、そこだけほりが途切れてはいるが、正面とちがって森をつらぬく道のたぐいは造られていないこと。


 郭上と平地、その両方にしょうへいが配備されており、前者はきゅう、後者はやりをたずさえ、またれぞれがかわよろいによって身を固めており、これが目視のかぎりでおよそ百あまりをかぞえること。

 郭上のそれについては死角による誤差もあろうが、その配置は跳ね橋とうらのあたり、ものみやぐらなどで密度が高い一方、郭のとある一箇所だけが、どうしてか手薄そうであること。

 しょうへいたちは、きまって複数人単位でまとまっており、少しずつ場所を変えつつ警戒の目もおこたらず、しかし談笑などまじえ、ずまずの緊張感であること。


「ふむ」


 そんなところだが、どうだろう。

 侵入を果たせるか、すこし整理してみようか。


 まず、とりでそのものについてだが、とりでをでる道がひとつしか無い、というのがとりあえず、気になった。

 それでは、というときの退路をどうするのか、という疑問もあるが、それ以前の疑問もある。


 平地にはまだ、草もまばら。

 つまり、天使軍の目のとどかない範囲でのとりで建設をくわだて、もともと森でしかなかった土地をひらくかたちで建造を進めていったのは、おそらく間違いない。

 ただどうも、その草のい方、その土のふみ固められ方をみるかぎり、とりで自体よりも、道のほうがあとから造成された感触がるのだ。


 しかしそうなると、これだけの郭壁を築いた石をはじとする、資材全般を一体どこからどのように搬入したのか。

 これがなぞになる。

 だいたいこの一つしか無い道は、兵を運ぶため、前線の所在する王都方面までへと、続くものだろう。

 そんな所に物資を通していたなら、ふつうに天使軍から発見されただろうから、この道を使って運搬をしたわけが無い。

 もちろん、可能かどうかは知らないが空輸しようものなら、これが見逃されるわけも無い。

 だから地上のいづかの、門前のそれ以外のところに搬路が出来ざるを得ないはずなのだが、しかしそんなこんせきはどこにものこされていなかった。


 まさか縮地、なわち瞬間移動を、可能にする魔術でも存在するのか。

 そんなことを思わないでもいが、そういった粧得まねがもしきるのならば、物資でなく兵を、好きなところへおくり込んでしまえばいい。

 戦略もへったくれもなくそれで圧勝できるだろうから、現にそれをていない以上、そんな魔術もきっと無いのだろう。

 理力で武器を発現させても、あやつるにはそれなりの鍛錬が必要になるのと同様、好都合に事を進めれるような魔術も、どうやら存在しない。

 そんな説も語られている。

 だがそうすると、物資運搬の方法は結局、なぞのまま残ってしまう。


 考えてもわからないことは考えない主義だ。

 そのなぞいておいて、守備について考えてみると、これは地味ではあるものの、堅い。

 そも、郭壁自体が貫通ゆるさぬ鉄壁、とっていいほどの高さを誇り、その突破は難度いちじるしかろう。

 大抵の者がまず、目で見ただけで断念するに決まっている。

 どうにか気をふるわせ、壁越えにいどもうとも、その最中に飛び道具など乱発されてしまえば、までだ。


 まして、五千の兵がいまも息殺し、そろってかまえて待っている、などという事はさすがに無かろう。

 それでもこの規模の郭に、百を超えるしょうへい

 密度としてはじょうと言えそうなくらいに高く、いくぐるは容易でなかろう。

 もちろんそれは、相手取っての技量の話ではなく。

 一度発見されてしまえば、それで警鐘警笛が鳴り交うはずだから、侵入より前に見つかるわけには行かない、という事だ。


 とすれば、侵入をこころみるべきは果たして、どこからか。

 なんとなく侵路を考えるならそれは、例の警備が手薄な箇所なのだが、しかし警備が手薄だったらば、それだけの理由が有るものだ。

 考えられるそれは、主に二つ。

 そのいつは、侵入者を誘うための、何らかのわなであるということ。

 もういつは、そもそも警備が必要ない、侵入する意味のない場所であるということ。

 どちらの場合にせよ、乗ってしまうは得策とは言えない。

 っかりまたま手薄だったという可能性も、まあ無くはいが、まあ無いだろう。


 では、ほかに無理にでも侵路を挙げるとするなら、それはどこか。

 気になるのはもちろん、裏手のとびらだ。

 しかしこちらにも疑問点はあり、つまりはそこだけほりが無い、ということ。

 そこにほりが無いのなら、ると困る理由があるわけだ。

 ならばこのとびらは、何のために用意されたか。

 必要ないならとびらなど用意されないはず、必要あるなら目的が存在するはず。


 その理由はもう一度、地面を観察することで判明した。

 よく踏み固められている。

 


 なるほどこれは、通用口などではい。

 出撃門だ。

 正面に鎮座するりっぱな跳ね橋は、一応は機能するのだろうからにせものとまでは呼べないだろうが、しかしおとりでもあるということ。

 こうさいをうけたとき、そこを強固に防御していると見せ掛けて、相手の注意をその場にき、一方で裏手からこっそり軍勢を出撃させて、門前のりょうそでから強襲する。

 なんなら正面の跳ね橋も落とし、さらなる兵をそこから畳み掛け、相手の心胆をさむめてもいい。

 悪くない作戦と言えた。


 ここに橋をもうけぬままほりをつぶしたのは、全方位をすきなく囲ってしまえば急場の際、余計な障害となって命取りにつながる。

 そんな可能性が考慮された、とは想像されるが同時に、そこが出撃門だと悟られまいとする意図もまた、るのだろう。

 無論そんな小細工も、こちらに知られるのは時間の問題だろうが、辺りは郭とほりと、森に囲まれている。

 そんなせまい場に、とりで側はいつでもどこでも、好きなだけ兵力を大量投入できるのだ。

 たとえば郭上から、矢でも石でも大量に浴びせれば、攻め入ってきた相手には逃げ場が無い。

 知られて押し寄せられようとも、とびらを破られるような脅威には、めっなことではならないわけだ。


 だいいち、とりでへの道が一本しか無いからには、この出撃門まで軍勢を押し進ませてふさぐがもそも、不可能に近い。

 あちらからだってせっこうが出されているだろうし、気づかれずに森を行軍させるのも無理だ。

 発見され次第、その手前から油でもかれ、火でもはなたれる。

 それがわかっていながらそんなさいはいをするのは、端的に言って愚行だ。


 それからこれは、ほかの場合でも言えることだが、理力で何かひとつを発現してしまうと、別の物を同時には発現できない。

 つまり理力の翼でどうにか飛んでこようとも、着陸するまでは完全な無防備になるから、空襲は論外。

 当然、きわめて限定的ながら滑空だけはきる、という事だって敵には察せられていようし、そんな手の通用しそうな布陣がまず、期待できないところ。

 事実この周辺には、十分な高度をかせげそうな高台など、存在しやしなかった。


 堅い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る