4.腐敗・後 ゠ 予感と神殿の話

 ──シンシン、シン。

 ──グア、グアグア。


 しかし目を閉じてみるが、ただ耳に虫たちの気配を、たすら感じるばかり。

 眠気はかなか訪れない。

 その事に私はすこし、いぶかしんだ。

 疲れはある。

 それに月夜の農村を、んびり馬上に揺られきたのだから、気分としてはやわらいでいて、ほどの緊張もないはず。

 だから眠りにちるにも、それほど時間は必要ない、はずだった。

 なのに今、現に眠れない。


 はて、どうしたか。

 せんってのいやらせが、どこか心に引っ掛かっているか?

 否、あんな事には慣れっだ。

 あるいは、何者かに接近を許したか?

 否、そんな様子はどこにも認められない。

 もしくは、何かしら風雨などの天変でも感じ取ったか?

 否、ほしぞらの月夜は依然としてほしぞらの月夜のままだ。


 そんなふうに、あれは違う、これも違う。

 そうさくを続けていれば、たと思い当たる。

 それは、胸騒ぎだった。


「……?」


 私は今回、無事とは行かないかもしれない。


 そんな予感がした。

 根拠は無い。

 だいたい、敵陣についての情報すらこれぽっちもないのだから、心配のしようすら無い。

 それでも、そんな気がしたのである。


 そんな気がしたからには、考えるべきは進むか、それとももどるかだ。

 理由わけもなく敵に背を向けてしまっては、おくびょうかぜに吹かれたか、とののしられてもかたのないところ。

 だがこういった虫のしらせは、かなかの確率で的中するもので、あなどれない。


 しかしどうして、今になってそんな気がしたのだろうか。


 そういえば以前にも、こんなような予感を持ったことは有る。

 あれはこの、神魔戦争の始まるずっと以前のこと、私の眼前には雪原があった。

 降るはずのない地方で、降るはずのない季節に、その雪は降った。

 しかし私は、それまで雪というものに触れたことが無く、だから不気味に感じるよりしろ、物珍しさに小躍りしたものだ。

 だと言うに、不意に感じられたその予感によって、興奮は霧散し、消えったのだった。


 いや、待て。

 どうしてその時私は、そんな状況に遭遇していたのだったか。

 そしてその時私は、進んだのだっただろうか、退いたのだっただろうか。

 進んだのだとしたならどこへ向かったのだろうか、退いたのだとしたならどこへもどったのだろうか。


 情けないことに記憶があいまいで、細部をきちんとおもい出せない。

 まあ、おもい出せないのはかたがないし、わからないことは考えないようにしよう。

 こうして私が今ここにいる以上、その時の経緯はどうあれ無事だったのだ。


 ただ、その無事だったという事実が、なわち今回も無事である、という理由には当然ならない。

 私がこれからどうすべきか、その思考はふり出しにもどってしまった。

 こんな、答えの出そうにない思考を断ち切るには、眠ってしまうのが最極いちばんだということは、わかっている。

 しかし頭の中では、思考やらなにやら、よくわからないものがもごもとして乱れまわり、それをさまたげた。


「……」


 眠れないならば、眠らなければいい。

 眠れないにはきっと、眠れないだけの理由が有るのだ。


 と考え、辺りをすこし散策しよう。

 そうおもって身を起こし、れば馬は、からだを横にして休んでいる。

 眠っているかどうかまではらないが、まあ眠っていても何かあればすぐ目を覚ますだろうから、構わないでもいいだろう。

 それをしりにしつつ、荷はどうするかを少々迷ったものの、遠出をするつもりも無い。

 置いていくことにした。


 どうせうろつくなら、見ていないほうを見たほうがいい。

 そう考え、足は来たときと同じ向きをむいた。

 辺りはしだいに、うっそうとしてきている。

 月明かりだけではそう遠くへは 行けまい、と予想していたに反し、道照らすあんびゃくかげるようなことは無かった。

 まあこの道、森をひらいて通したのだろうが、照らしをさえぎるような木々の枝は、抜かりなく落とされている。

 途中にきりかぶが、残されているようなことも無い。

 茂る雑草もそれなりにくさぎられていて、かなり歩きやすかった。


 ここまでの物を造るには、相当な労力を要しただろうし、その維持のためのしんもまた、相当に手間であるに違いなかろう。

 こうまできちりとした道ならば、何らかの重要な場所などへと、通じていたりするかもしれない。

 それなりに経年した様子もみられるし、このまま辿たどれば最近出来た敵様のとりでまでへとないさる、などという笑い話も無いはずだ。


 しばし行けば、森はすこし開らけ、とある建物に私はわした。


 ……ああ。


 御大層にも切り出し石を積んで、造られた壁や柱。

 それに仰々しくほどこされた、彫刻ほり

 そこへに、ちりばめられた金銀がらすの細工、などなど。

 やれ、なるほどこれは重要な場所だ。


「ふん」


 果たしてそれは、神殿だった。

 っそ冷ややかに、私はそれをみつめる。


 私の他にもこの、神殿というものをきらう天使は、少なからず存在した。

 当たり前だ。

 もともとがこれは、神が人族に造らせた物ではい。

 もちろん人族が神のために、造った物でもい。

 とあるごう突く張り、かつ見栄っ張りな天使が、私利私欲でもって人族たちに造らせて、そこで人族たちからあれこれもてなしを受けたのを、はぢとし。

 それを見た、他の調子よい天使たちがこぞってねて、果てには人界じゅうにまで、広まったもの。

 要するに、天使らが甘いしるすするための、接待施設なのだ。


 哀れなことに、人族たちは神、いては天使のおかげで自分たちが平穏無事でれるのだ、と教え込まれており。

 だからこれにつかまつるを善き事と、正しき行いと、勘違いさせられており。

 そういったずるがしこい天使らが、途端に羽振り良くなったものだから、取り入ろうと迎合する勢力が、これもなだれて増加。

 対し、そうではいのだと、そんな必要など無いのだとさとす天使らも、少数ながら存在はしたもの。

 だがこれは同胞のみならず、人族たちからまでも真っこう否定され、け者にされた。

 やがて、より天使らへたてまつりあげた者こそがまた、人族のなかで強い権力を持つ。

 などという、畸怪おかしな構造までもが形成されるに至り、表立って神殿を批評する空気など、ついに霧消してしまったようだ。


 ちなみに各地の神殿を、造らせたのはそろいもそろって、黄金の理力をもつ天使たちだとう。


 天使は、腐れきっているのだ。


 あるいは神魔戦争に敗れ、天使は一度、全滅したほうがいいのではないか。

 そんなふうに思わないでもかったが、そういうことにしてしまうのが惜しいくらいには、こころの真っすぐな天使たちの数も、間々あった。

 これを滅ぼしてしまうがよろしくなかろうは、言うまでもい。


 というか、世が腐っている。

 そんなような考えには、ばしばおちいりがちであるものの、冷静にかんしてみればしているのは一部だけ、という場合も案外多いものだ。

 もとより、人らが現今こんにちまでずっと生きながらえてきている以上、世の社会はすでにそれなりに出来上がっている、と評価できよう。

 もっと言うなら、多少のずるひい、あるいは非効率などが有ろうとも、それがまわまわりて他のだれかを助けている、という事もあるのだ。

 これをはいしてしまえば、そのだれかまでもが立ち行かなくなってしまう。


 しかしながら人は、害毒をかいせんとするがため、物自体よりもその汚れに、どうしても目が行ってしまいがち。

 結果、良い部分はかつもくなしには見逃され、悪い部分ばかりがよく目立つわけである。

 要はものごとにはおよそ、ただわるけ、とめんるのだ。

 汚れは洗って落とせば済むように、大抵の腐敗は解体をするよりも、修繕をこころみたほうが労力も犠牲も、少なくて済む。

 そこに気づかなければ、私はうに世を捨ててしまっていただろうし、その真っすぐな者らも私の目には、留まらなかったに違いない。


 とはいえ。

 こうも腐敗しているとなると実際、天使たちのみによるじょうもまたとりあえず、期待できそうにはい。

 だから困ったときの神頼み、というわけでもいが、もはや神きじきに天使たちを、治めてもらうしか無いのではないか。

 そう考えたいところだが神は基本、かんしょう主義というか放任主義というか。

 自分のことは自分でべし、とのお立場を崩されない御様子で、そのような気配は全くみられない。


 そもそも、聞くかぎりの天使たちには直接、神とい対した経験など無いようだ。

 もちろんそれは私にも無いし、当然人族たちにも無い。

 まあ一応、かんぎとよばれる役職によって、神託とよばれる言葉を得たりしてはいる。

 だが、人の口が介されている以上はそんなもの、本物のそれかねつぞうのそれかなど、判別できたものではかろう。

 そんなこんなで神とは、本当に実在するものか。

 そう疑う者すら、ふつうに現れる始末だったりする。


 の詰まりは神殿というもの、こん東西神不在なのだ。

 茶番である。


 まあ、それは言ってもかたのない事だからそれとして、今ここは無人のようだ。

 特にこうした村などでは、祭時でもなければ用事が発生せず、およそこんな感じではある。

 この神殿にはとびらというものが無く、そのまますこし立ち入ってみるも、自らが石畳をふむ音よりほかに、これといって影も気配もあらぬ様子。

 屋根のおかげで、そこにはしんあんが広がっていたから、深く入り込むのもためらわれた。


 何も無い。

 良い気分でいれる場所であるわけでもし、そう判断した私はすぐさま、そこから立ち去ることを決める。


 ──がさり。


「! ……」


 だれかの気配を感じたのは、神殿のそとへ出た直後だった。

 もちろんそれは、建物の内部からではい。

 やみにまぎれ木々にまぎれ、くさとこの場を離れる。

 そんな気配である。


 さて、今のは何者だろうか。

 敵か、味方か。

 いや、なにしろ辺りは御覧のありさまだ。

 追い捕らえでもしないかぎり、何者かなどわかろうはずも無い。


 では、どうすべきか。

 追うか、もどるか。


 しばし迷ったあと、さきほどにいようのない不安を、感じていたことをおもい出す。

 そしてさらにその後、しかし自分がどうにも眠れそうにない状態であることを自覚した。

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