3.休息・後 ゠ 要害と攻略の話

 そのまま器の水を干すと、アンディレアは私にもたづねてくる。


「あなたも要る?」


「いや、いい」


「そう」


 そう受けた彼女、空になった器を台に置くが。


 丁度そこには、私の読みかけの書が置かれていた。

 これを見て、りとつぶやいてくる。


「……あなた常例いつも、難しそうな本読んでるのよねえ」


「まあな。本というのは、人の考えるところをあらわした物だからな。なにしろ自分の考えだけではわからない事が、これだけたくさんるんだ。人の考えを借りれるものなら、かじらずにはれないな」


「それは普通じゃいわよ?」


 ……。


「そう、だろうか」


「そうよ。わからないことなんてっても普通、そのまま放っといちゃうし。それどころかみんな、字を読むのすら面倒なんじゃない? 本自体、そういほいと手に入ったりする物じゃいしさ」


「ふむ。まあそれは、そうなのかもしれないが」


「あなたも言うことがんどん、小難しくなってる。話にいてくほうも結構、大変なのよ?」


「そうか。それはすまないな」


「それで戦果も挙がってるんでしょうし、別にいーけどさ。まったく、変わり者なんだから」


 変人認定されてしまった。


 たしかに、当座いまの私ならばおかげさまで、天使の構える書院など利用できたりするが、書とは一般に、さほど流通している物ではい。

 あわせ、字自体がそもそも苦手、という者すら少なくないものだ。

 ことに人族の間にあっては、日々の生活のやり繰りに追われ、それどころではいと。

 字なんか覚える暇があるのなら、道具のつくろいでもていろと。

 そんな風潮が根深く、識字率もあまり高いものではい。

 天使らの間ならば、人族からのみつぎにより多少のゆうが有るゆえか、妙なきょうはびこっているゆえか、大半の者がこれを一般教養として、どうにか修めはする。

 しかし、それだって総員というわけではいし、これによりを極めんとするのも、頭脳を認められ学士をこころざす者に限られる。


 そんな情勢下では、まず考える、という習慣すらかなか身につかないもの。

 だから、こういう問題にはもっと良い解決方法がるのに、といった場合も多々あって、しかし考えぬがゆえにかなか、耳を貸してはもらえない。

 かるに残念な結果へと至り、がゆい思いをさせられるはばしばだった。


 さきの、せっこうを買って出た件も、結局はそういう話。

 こんな開らけた場所に、伏兵など設置されるはずが無い。

 そんな強烈な固定観念にがんとしてはばまれ、これを警戒すべき、との進言がすげなく却下されたことによる。

 何がっとも残念かと言って、現れるはずのない軍勢をらかじめ想定できたのは、実は敵と通じているから。

 のみならず、逆にこれを密告することで、こちら側での優位をもまた保たんとするねらいすら、またるに違いない。

 そんならぬ声までが、聴こえてきてしまう所であったりした。


 なんだそれは、頭が良いな。

 むしろ私のほうが、そんな想定などきなかったものだが。

 っそ期待に応えて、本当に魔族らと通じてみせねばなるまいか。


 そんなような感想を、アンディレアから話に聞いた瞬間、私は持ったものである。

 ただまあ、こういった感じのことが当たり前の状況でなお、私にいてきてくれる彼女には、本当に感謝しか無い。

 魔族と通じようとの言葉が冗談に聴こえない、とあきれながらに突っ込んできたその時も、みみがらい小言を並べている今この時も、そのおもちはやさ姿すがたのそれなのだ。


 救い、とでもうのだろうか。


「……で? いつつの?」


「そうだな。とりあえず今日明日は休養するとして、なにかと準備もある。四日後か五日後くらいになるだろう」


「そっか。どこへ?」


「ラノルディ地方へ向かおうとおもう。あそこは最近になって、魔族のとりでが完成してしまったらしい」


「……なるほど、ね」


 それは割と、最悪と言ってもいい存在だった。


 とりでというもの、これを建てなんとするとは非常に困難なわざだ。

 その実現には、目的とする機能にしたがってそれなりの選地と設計をすること、それにともなって資材と労働力を確保すること、そしてその建設中に敵の攻撃からまもりぬくこと。

 といった事が要求され、特に最後のものは至難だった。

 それを押してまでとりでを建設するのは、いったん完成させてしまえば敵にとって、それだけ脅威をきわめる存在になるからだ。


 物理的に守備力が高まるのは、まずもちろん

 体勢が崩れても立て直しやすく、いつでも好きなときに遊撃へくり出し、好きなときに休養をることも、可能になる。

 そういった機能は敵の進軍計画に対し、大きなけんせいとなるわけだ。

 なにより、とりあえずもどる場所がある、というわかりやすい安心を兵たちへもたらすことがき、それは敵味方双方の士気に、直接影響する。

 しんたいのなかでっとも肝要なのは、最初のもの。

 士気が低下すれば、勝てる相手にも勝てなくなるし、逆もまたかり。

 支払うことがきるのなら、多大なだいしょうを支払ってでも建造する価値が有るのが、このとりでという物なのだ。


 そのような相手には、よほどの兵力差が無ければ攻略は難しい。

 正面から直接いどむなら、優に十倍以上の兵力が必要、とれている。

 その労力を最小限にとどめるなら、ひょうろうめなどの地道な作戦しか、有効ではい。

 いっちょういっせきにはあつかいかねるが、たもたと時間を掛けすぎると敵の応援に駆けつけられ、きょうげきを受けてしまうおそれまで出てくる。

 非常にやっかいな相手だ。

 これを短期に下したいとなれば、敵に気づかれにくい単独、ないしは小班での潜入活動が望ましい。

 その構成員には言うまでもなく、精鋭が不可欠だ。


 それには私が適任、と言えるかどうかはわからないものの、他にこれといって適材が見当たらなかった。

 べつにこれは成功続きの私が、慢心によりおのれを過信している、という事ではい。

 そうとはなく、これには能力的な要素ももちろん有るが、それ以前に権限的な要素が絡んでくる話。

 そこにとらわれず、動いてくれる人材がそもそもるか、という問題が出てきたりするのだ。

 能力をもつ者ほどそのきょう、その立ち位置における責任感などから、身持ちはかなか固いもの。

 そのどうりょうらや上官だって当然、たのみの戦力を自分たちの部隊より離脱させまい、とするはずだ。


 そしてなにより、私はうとまれ者。

 応じてくれるどころか、まず誘わせてくれるかすらが、もう疑問だった。

 だから、おごるつもりもらさら無いけれど、それでも私が自分で行くしか無い。

 そういう判断である。


「それならやっぱり私は、足手まといだね」


 アンディレアも、けっして無能ではい。

 ただそれは飽くまでも、一兵卒としての話だった。

 腕前としては、そちこちの男らをりょうするほどてあり、だから所属の大隊においても、先陣をきる重要な戦力としていちもく置かれている。

 が、しかしそれに過ぎない。

 単独、あるいは少数で行動するには、ただ戦えるというその一点だけでは不理だめであり、彼女が自己申告するところの力不足とは、それを指している。

 そうもなければ願望をどくどちるまでも無く、問答無用で私に同行していたことだろう。


 戦闘力が高くとも、潜入活動にはあたわない。

 この事でよく勘違いされる点としては、これは別にアンディレアの頭の切れ味うんぬん、ということではい。

 つまり、何らかの戦闘行為が有ったとき、そこにるのは肉弾戦でも技量戦でもなく、つねに知能戦。

 どんなに強い力をそなえていても、どんなに巧みな技をとくしていても、判断力に劣ればかならず敗れる。

 基本、いのちればなんりで、かならずしも相手が真っ当な手段だけでいどんできてくれるとは、限れたものではい。

 だいいち多数存在するやり相手に、剣でちて勝利しつづくなど、無策のにはふつうに無理だ。

 にもかかわらず、そういった場で敗北を喫したことのない彼女の頭は、むしろよく切れるほうの部類のはず。

 そう言えるのだ。

 要はこの話は、向き不向きの話なのである。


 学術を得意とする者が、かならずしも効果的なきょうべんを執れるわけではく。

 ぬきんでてしゅんそくな者が、かならずしも長大距離を走破できるわけではく。

 素晴らしい楽曲をあらわせる者が、かならずしも巧みな演奏をきるわけではく。

 可笑をかしな冗談をよく考えつく者が、かならずしも人を楽しませる会話をきるわけではく。

 それらと同じ話であり、アンディレアはにんじょうを好まぬ反面、妙に気性のあらったところもまた有った。

 だからゆえどうしても、表立って先頭立って、相手を圧倒するほうに向いている。

 そして、潜入活動においては。

 極力騒ぎを起こすべきでない場においては、みに追いつめて応援でもばれたら困るような場においては。

 それでは不適なのだ。


「……」


 まあ実は、彼女へ声を掛けれない理由は、ほかにもったりした。

 それも含んで黙ってしまった私に、アンディレアはこう言ってくる。


「あー、ごめんなさい。反応に困ること、言っちゃったね?」


「いや、すまない。私は悪い意味で、正直者らしい」


「知ってる。そして私は、それをゆるすよ? あなたなんだもの。だからそんなこと、気にしないの」


「……」


 どうも彼女には、絶句させられる事が多いような気がする。


「アンディレア、君という存在は私にとって、そのな」


「いーから。頭こっちに寄越して。おねーさんが無事のおまじないにぜてあげるから」


「……」


 どうも彼女には、絶句させられる事が多いような気がする。


「アンディレア、君におねえさんづらをされるのは、そのな」


「んー。じゃあ何なの? 私」


「アンディレアは、アンディレアだ」


「なるほど。頭こっちに寄越して。アンディレアが無事のおまじないにぜてあげるから」


「……」


 どうも彼女には、絶句させられる事が多いような気がする……が、ここはまあ、有りがたくでられることにしておいた。


 まったく、天使のような奴なのだ。

 まあ天使なのだが。

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