1.無念・中 ゠ 哀悼と追跡の話

 それでも私はだから、考えずになどれなかった。


 考える力が、もっとそなわっていたとしたなら。

 問題に対する答えはすぐに弾き出され、これほど考えずに済むのではなかろうかと、そのように想像していたものだ。

 何らかの事に継続してたづさわっていたならば、人はそのさかしさ愚かしさに関わりなく、何かしらおもい考え、知見を獲得するものだ、と。

 そうして学習することによって、積みあげていくものが、いわゆる教訓なのだと。

 そこから物の性質や法則、ないしは真理までをもいだしていくのが、いわゆる哲学なのだと。

 こういったものを手掛かり足掛かりとして、人は成長していくものであろう、と。


 そして無論、この私もそれにならっているはずと。

 そう考えていたのだがしかし、それにしては物事を知れば知るほど、考えてもわからない事というのは増える一方。

 そんな気がした。

 あるいはそれこそが、私がであることの証左なのだろうか。

 なのであれば、かならずしも私の予想するとおりに、現実でも事が起きるわけではいのも。

 かならずしも私の考えるとおりに、現実でも事が運ぶわけではいのも。

 残念ながら、定然な事なのかもしれない。


 ──スッ……。


 いま眼前にたおれる、敵兵の男。

 そのおもを天へ向け、胸に手を組ませ、嘆きに染まったままの目を伏せる。

 それが、めてものとむらいだった。


 私が以前からずっと、そのようにてきていたわけではい。

 それを今ではるようになったのは、ここ近辺、そういう例が散見されるようになったからだ。

 それに触発された。

 あるいはずっと抱えつづけてきた、自身のその申し訳なさを紛らわせるために、何かにすがりたかったのかもしれない。


らば」


 くり返しになるが、なんにしてもいとまは無い。

 殺伐としてしまうところはるが、私は全てをそれにとどめ、馬を探しにその場を立ち去る。


 この男が単独であった、という所から考えられるのは、大きく分けて二つ。

 うちのいつ、仲間はいないと仮定してなら、馬が今この場にはらずとも、全力でここより駆け去っているような事は予想されづらい。

 そうであったらば確保は難しくないだろうが、もういつかんばしからずも発見された足跡からは、馬が整然とした速歩でぎょされていることがうかがえた。


 これを逃してはならない。

 私はもどらないといけないのだ。


 辿たどる自体はやすい。

 さすがに、沢中には足跡などのこったものではいが、あの馬にはきちんとそうていれてあった。

 これでさわべりの土を踏めば、そのこんせきはどうやってものこる。

 ただここは基本、緩やかではあっても下りのこうばいであり、瀬やぬかるみや木の根や石やこけなど、足をとる物にも事欠かない。

 人足にくらべ、馬の四つ足はそれらを乗り越えるのが得意だし、なによりその速歩は人にしてみたら、あまあきつい速さだ。

 普通のことをっていたら、確然ぜったいに追いつけないのは明白である。


 ──バシャンバシャンバシャン!


 危険を承知のうえ、私は全力で走った。

 盛大に水きががるが、そんな事に構ってはいれない。

 もっとも全力とはいえ、こんな場では全速力を出せるわけも無い。

 馬の速歩より若干速い程度がやっとだったから、そくできない見込みも、けっして低くはないだろう。

 それでも望みを挙げるとするならば、この沢には所どころ、馬でも容易に進めないふちや滝が点在する。

 かといって沢をれれば、馬には不得意なぞうばやしがそこにる。

 その事を、私はすでに知っていた。

 全くの不可能、というものではいはずだ。

 そこにける。


 まだそれほど、気温はがっていない。

 が少しずつ高くなってきているが、ここが山林のただなかという事もあり、その光はあまりしておらず。

 そして沢水とは清水の集合であり、清水とは冷たいもの。

 全力で駆け、からだじゅうの血がたぎっているにもかかわらず、水にかる足先は、革のちょうのすきまから侵入してくるそれによって、よく冷えた。

 なにより、そうやってくつに含まれてしまうその水は、ふつうにおもく、足を駆けさせるにかせとなった。


 ──バシャンバシャン、バシャン!


 苦しい。

 もうはや、息が上がってきているが、私はこれからどれくらいの時間を、駆けつづけねばならないだろうか。

 単純計算、仮に相手の二倍の速度で迫ったとして、それで相手に先んじられたのと同じだけの時間がそくには必要、という勘定。

 馬を奪われてから、どれくらい経過したかなど定かではいが、逆に相手が安定して、速歩を維持できるわけでもかろう。

 実際にどれほどの時間を要するかは、まったく見通せない。

 くわえて私がこのように、沢水をらしつつ接近しているのだから、追い掛けられている側がこの音を、聴き落とすことも考えづらい。

 近づけば近づくほど、追いつくは困難となるだろう。


 ──バシャン、バシャン、バシャン。


 駆走時間はいくばくも経過し、その速度は目にみえて低下してきている。

 のどはおろか、肺までもがうにけついており、その苦しさはおもわずその場に、倒れ込んでしまいたくなるほどだ。

 また、走っている間とは、それも全力でそうしているときとは、思考がいちじるしくにぶってしまうものである。

 そんななかに、私がおもうのはただひとつ。


 逃してなるものか。


 その一心で走りつづけて、やっとだ。


「……?」


 やがて見えたのは、馬の姿。

 そう、馬しか見当たらない。

 つまり、ここまで馬をぎょしてきたはずの何者かの姿が、見当たらない。

 力ふり絞り、どうにか馬まで駆け寄ったが、てもこれはどこにもつながれていない。

 そこにただ、たたずんでいた。


 はて、これは。

 せっかくの、奪った馬まで放っ垂らかしにして、どこへ消えたか。


 ──ガツッ!


 払われた矢が、そんな音をてた。

 私の背へむけてはなたれたそれが、そのづるのきしむを感づいた私により、剣でもってぎ落とされたものだ。


 矢の飛んできたほうへ向き直れば、下手人は難なく発見される。

 その人物、死角よりねらちがえずち出した矢が、まさか無効化されるとは。

 そんな表情を見せつつも、手に持つその弓うち捨て、身をかくしていたちより躍り出ては帯びる剣をとき放ち、私へかって襲い掛かった。


 ──ガイン!


 私が受けたことによってがったそれは、鉄剣のである。

 金銀や銅ほどではいにしろ、鉄も希少性のたかい素材。

 製造の手数もそれなりに掛かるゆえ、どうやって数をそろえているかは知らないが、ほかによくみられるやりを除けば、敵が近接戦で振るうのはきまってこの鉄の剣だった。

 これは、って鍛えてじんせいを巧みに設定してやることで、最高級にちかい攻撃力が得れるもの。

 名匠の産みだすわざものに至っては、なまら相手であればそれこそ、鉄の剣すらってしまうような水準にまで達する。


 全くもってあなどれないこの武器、欠点を挙げるとするならば、それなりの重量が有るという所。

 攻撃のくり出されるその速度は、高まるに相応の時間を要し、そのための予備動作もおおりになりがちだ。

 つまり、よほどの自重めかたと腕っぷしに恵まれ、反動が目立ちにくいたいである重戦士。

 あるいは予兆の察知を困難にさせる、ひょうというごなしをとくしている達人。

 そんなような強敵でも相手取らないかぎり、こなれればけんすぢを読むのはそこまで難しくはく、なにより私は剣ならば負けない。


 無論、けんすぢだけを追えたとて、対処できなければまるで意味が無いわけだし、つまりそれは事実として私が定然ぜったいに敗れない、という意味の言葉でもい。

 それでもこれまで肉体の鍛錬、技術のけんさんを必死になって積みあげてきた私は、それゆえそういう気概を持っている。

 つまり負けないとうよりは、負けてなどいれない。

 だから私は、油断をしない。


 油断をしないとは具体的には、状況の判断を誤らないこと。

 突き詰めて言うなら、状況を取りこぼさずつぶさに察し、得られた情報から適切な判断を、的確に下すこと。

 たとえば異常事態にひんしたとき、もしくは精密動作に臨んだとき。

 そんな場合に人や獣が、本能的に耳をそばだて、目をみひらき、たいもうさかてるのは、より多くの外部情報をより正確にとらえ、判断の精度を高めるためなのだ。

 その本能にしたがうことである。


 思い込んではいけない。

 頭の中だけで判断をしてはいけない。

 つぶりてことうまはこぶはたんほらばなしなかばかり、それをてしまえば当ての外が、そのまま失敗となる。

 命のやり取りにおける失敗が何を意味するかは、説明の必要に及ぶまい。


 では、ていこうか。

 さてどうだ。

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