哲学魔王と迷える天使

1.無念 ゠ 人はなぜ生きて死ぬのか

1.無念・前 ゠ 遭遇と斥候の話

 それでも私はだから、考えずにはれぬもの。

 考えすぎとは、私のよく言われる所だった。


 ──ガツッ!


 払われた矢が、そんな音をてる。

 丸腰であった私へむけてはなたれたのを、そのづるのきしむに私が感づき、剣でいだものだ。


 ……うむ。

 やはりこれは、文章にしてしまうと畸怪おかしな事になるな。

 丸腰の者が剣とはなん、という突っ込み待ったなしだ。


 まあ間違いないのは、弓につがえて矢がはなたれたならかならず、矢の飛んできた方向にそれをした者がいる、という事である。

 そちらへ向き直ると、当該人物は難なく発見された。

 実戦に慣れが無かったのかもしれない、あるいは自身の腕前に過信がったのかもしれない。

 相手の背後より、ねらたがえずち出した矢が、まさか無効化されるとは。

 そんな表情が、ちに紛れるようにしたその人物からは、うかがえた。


 無論、そんな事で遠慮をしてやる義理は無い。

 位置もそんなに離れていない。

 おどろきで動作をにぶらせてしまったその者に、の矢を継ぐはついにかなわなかった。


 ──ザン!


「うぐぁあっ……!」


 悲鳴ががる。


 りつけられた肩を反対の手で押さえつつ、その痛みに歯をいしばって表情をゆがめつつ、悔しそうな目をこちらへける敵兵。

 私がったのは、弓を構えるほうの肩。

 この者が矢を用いるは、もう無理だろう。

 そして今、この者がこの状態であるのに、ほかで何かが働くような気配は感じられない。

 こちら同様に単独、という事だ。

 このままこの場を離れたとて、浅傷あさででないこの者が満足に私を追うは、難しいだろう。


「ひっ」


 その目にやどる悔しみが、おびえに変わる。

 私が剣を、振りかぶったからだ。


 いたづらなせっしょうなど、望むところではかった。

 それに、この目のまえで苦しみうめいたこの者は、この男は、まだ若かった。

 将来も有るはずだった。

 なによりこうして命を奪ったときの、この感触は、どうにもいやな物でしかなかった。


「……」


 沈黙。


 残念ながら、この状況でこれを生かしておく手は考えられない。

 男の命をあわれむも結構だが、そうして見逃すことによってもたらされる、こちら側への不利益の可能性。

 これはどうやっても、てんびんり合わなかった。

 よしんばそこを度外視したとして、私はこれから自分の馬を、追わねばならないのだ。

 ゆうちょうにこの男の応急処置をする時間も、のんにこの男と休戦こうしょうをするゆうも、有ろうはずが無かった。

 かといって、こんな深傷ふかでを負わせたまま放置してしまえば、この奥地で、かつこの季節だ。

 しょうかぜに吹かれるより前にこの地を脱出し、治療を受けれる見込みは無かろう。

 結果としてこの男は、不必要に苦しみを加えられたうえ、最終的にはやはり命尽きる事になる。

 それではあまりに、ざんこくきわまりない。


「御免」


 申し訳なさは当然、る。

 そしてそれは、謝罪の言葉なんかでは晴れやしないが、それでもだれかの命を奪わんとするとき、私がねらうのはきまってくびだ。

 諸説はろうが、っとも速やかに絶命させることがきる、そう思われる部位が結局はここだった。

 頭脳でもいいが、がいは硬い。

 ほかに弱点としてはしんの臓などよく挙がるが、実はここをつらぬかれてもそう短くない間、人は生きるし動く。

 これをけたと油断した者が、そのさいの一撃によって逆襲を受け、落命してしまう事すらよく聞く話だが、当然ながら命の続くぶん、苦痛はながいてしまうだろう。

 くびをえらぶ理由はもちろん、それが極力少なくて済むようにだ。


 これについて、そんな配慮は自己満足に過ぎない、つまり価値も必要も無い。

 そういう指摘を受けることも有り、そしてそれは否定がきない。

 これは、必ずしもそこに固執するわけではく、だから別に手心を加えるわけでもく、もしきる事であったらば払おうという程度に過ぎない、命に対する礼儀の話。

 逆に、ほふらんとする相手に対してなんの敬意も持たない、そういう姿勢こそどうなのか。

 そんな反論すら、結局はその命を奪っている以上、自己満足に過ぎないのだろうから。


 どうあれ、致命傷を与えればその血液は盛大に吹き出すもので、現に私もこのようにれてしまっている。

 それも背負うべきごうのひとつか、そう納得をするしか無いのだろうが、それでも。


 こんな事をるために、私は生まれてきたのだろうか。

 こんな事をれるために、この男は生まれてきたのだろうか。


 ……世は無念、る瀬なし。


 そんな事をおもう私はいま、せっこうとして独り、この地にってきていたのだった。


「ああ。たな」


 百は超えるか、超えないか。

 少ないとは勘定しがたいいっこうの、見え隠れするを私が認め、そのように独りちていたのは、ついせんこくことである。

 尾根筋あたりを草木かきわけ、進んでゆくそれは遠目にも、かわよろいとおぼしき具足に身を固めた、まごうことなき武装集団。

 きゅうけんそうなど帯びているあたり、こちら陣営の者どもでいのは明らかだった。


 伏兵である。


 尾根のうそのふもとからは、わたすかぎりとえるにちかい草原が広がっており、そのっともとおしのよい場所に、我々の敵勢は陣取っていた。

 そして、この陣の所在とは微妙に異なる方向へ、その集団は移動しているのだ。

 きょうげきを目的とした伏兵、とみて間違いない。


 百の兵とは、けっしてあなどることのきない勢力だ。

 自分一人へといっせいに襲い掛かってくるのを想像するなら、およそ十人の一個小隊でもう十分に無理だが、それが百ともなれば、大抵の規模の作戦までを満足にこなす。

 どれだけ多数の軍勢であっても、矛先を分散させてしまえば数の優越を薄れさせてしまうがゆえ、基本的には前一方に集中してよく迫撃するよう、隊形は組まれるもの。

 しかしながら人の単体と違って、人の団体がその方向を転換するのは容易でなく、これを後ろからかれるとたいがいもろい。

 軽視すれば間違いなく、おもわしくない結果にみまわれるだろう。


 とはいえ比較の観点でたならば、こちらが圧倒されるほどの大軍、というわけでもい。

 広原という、奇襲にあまり適さない地形である以上、通常考えられるかたちのそれはこの人数だと、たる脅威としては機能できないはずだ。

 そこをあえて、ろうとしている。

 つまりこれは、奇襲に向かない場での奇襲、との裏をくことによっていくさを有利にすすめる、とのねらい。

 かつ、この条件下で効果を挙げさせるとなれば、他方面からも同様の、それも複数の襲来が、おそらく有る。

 これによりて多角包囲をし、こちらを混乱せめるがもくみ。

 そう考えるのが自然だったが、いや毎度々々。


 我々の指揮も、これといって無能ということは無い。

 この情報を持って帰れば、対策を講じ、適切に兵を動かしてくれるはずだ。


よし


 私はそこから、かの尾根をつたう伏兵をもみおろせるとうげから、草原へむけて行軍中である味方のもとへと、って返すことに決めた。

 さいわい私は、この地を以前にも訪れたことが有る。

 とうげばやく下り、尾根をはさんで草原の反対側の谷へ出て、その草原への入口きんにまで抜けれるすぢを、知っていた。

 草原まで出たほうが、移動速度は当然高いが、そんな事をしては当たり前に、敵から発見されるだろう。

 こちらが伏兵に気づいた事を、ざわざしらせてやる利点はひとつも無い。


 もっともそこは、けいこく

 りがちな感じに、沢続きとなっている。

 その沢の水も例にもれず、もう夏になろうかというこの時節に、なおおののける冷たさ。

 しかしとうげから下りた所には、ここまで乗ってきた馬を待たせてあった。

 多少の障害は物ともせずに通り抜けてくれる、有りがたい存在だ。

 徒歩によってもどるならば、せっかくの情報も時機というものをいっし、伝えるに遅かりしとすらなろうが、この馬によれば何も問題は無い。

 私はふつうに、そう考えていた。


 まあすぢとは言っても、そこに道やなにかが用意されているわけではい。

 ほぼ所持品を携帯せず、もろ自由な今の私であればともかく、あの尾根の者どものようにやりなんかをたづさえた状態では、このとうげを縫うはかなわないだろう。

 ときにはかくのきついこうばいを、その斜面よりいし若木などを手掛かりとして、て降りることにもなる。

 滑落などしないよう、せいぜい気をつけながらとうげを下った私は、ここでまたおのさ加減を再認識させられた、というわけだ。


「これは拙了しまった、な」


 まあられた。

 その馬が居なかった。


 きちんとつないであった。

 それをみにひきちぎるような、気性の荒いあくを選んだつもりも無かった。

 と言うよりも木へくくっていた留めづなは、ふつうにやいばで切断された感じで残っていた。

 こんな何もない場に、だれかの用事が転がっているわけは無く、したがってここへだれかがらりと立ち寄って、まぐれにそれをたわけも無い。


 予測されていたという事だ。


 敵方には、り手の策士がる。

 そうしきりにうわさされていたのに、かつなことをてしまったものだ。

 やれ、本当に毎度々々。


 とうげに上がるまでがけわしい、ということをらかじめ知っていたから、荷のほとんどを馬といっしょてしまっていた。

 わ、これは大変に困った事になったものだが、それ以前にかなり危ない状態だと言える。

 何者かが馬のけいりゅうを切ったなら、その何者かは馬のあるじがこの場へもどってくるのを、待ち伏せているかもしれない。


 切られている留めづなを見て、一瞬でそう判断し、そして実際……このような結果となった。

 この、若い男だったそれは、もう動かない。


「……」

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