後編

 茶道部に顧問の先生はいるけど、実際に指導してくれるのは、中山さんという近所のおばさんだ。師範とかじゃないけど、お茶の教室に何十年も通ってる、かなりすごい人らしい。

 指導は趣味でやってるからってことで、ほんのちょっとの謝礼だけでずっと引き受けてくれてるんだって。お茶はかじってる程度のおじさんでも名前を知ってたくらいだから、本当にすごい人なんだと思う。

 あたし達がやってるのは高校の部活レベルだから、正式なお茶会のやり方とかじゃなくて、お茶を点ててお菓子と一緒に食べる程度なんだけど、「作法を学ぶのではなく、所作の美しさとか、そこに籠められたもてなしの心を学んでほしい」とかで、姿勢とかにはとっても厳しい。ふざけてやってると、きつく叱られる。尚哉が怒られてないのは、中山さんが部屋を出た後にしかふざけないからだ。




 中山さんは、文化祭では、女子の方の着付けもやってくれてるってことで、事前に1回着付けてもらうことになった。

 事前に、普通のブラは駄目だから、なんて言われたんだけど、あたし、着物用のブラとか持ってないからどうしようって言ったら、部長が、ユニクロのワイヤレスブラなら大丈夫って教えてくれたから、買ってきた。着物の時は、胸をなるべく潰すんだって。…ってことは、普段からそれ着けてれば、男子に胸ジロジロ見られなくてすむのかな。

 注目されるのは嫌いじゃないけど、胸だけ見られるのって、なんかやだもんね。




 着替える時間の都合とかもあって、女子は午前の後半と午後の前半になってる。

 当然、お昼は抜きだ。お腹ぽっこりとか、途中でトイレ行きたくなったりとか、困るもんね。

 さすがに、直接肌に触れる襦袢とかは2人分用意されてるから、あたしはトイレとかすませてからそこまで着付けてもらって、午前の部を終わって戻って来た部長と交代だ。ちょっと着るのが早過ぎるような気もするけど、帯留めとか、外したものを片付けずにそのまま着付けた方が手間が掛からないって言われれば納得だ。少し動いてみて、ずれたところとかあったら直してもらえるし。




 午後一番手のあたしのお茶会。

 お茶を点てて、お客に出して。うん、うまくやれてる。

 でも。

 お茶を出した後戻ろうとした時、痺れてる右のふくらはぎに左足の親指が刺さった。着慣れない着物を着て、はき慣れない足袋をはいてたから、足がもつれたんだ。


 「っ!」


 なんとか悲鳴は飲み込んだけど、誰が見てもわかるくらい無様によろけた。

 悔しい。

 ここまで完璧にこなしたのに。せっかく勝ち取った亭主の座だったのに。

 きっとみんな、「だから1年になんてやらせなきゃよかったのに」って思ってる。

 涙がにじむ。駄目だ、泣いちゃ。まだ終わってない。減点だけど、失格じゃない。投げちゃ駄目だ、あたしは亭主なんだから。

 ジンジンする右足をなんでもないようなフリして動かして、あたしは亭主の席に戻った。




 その後は、特に失敗もなく、なんとか終わらせた。

 着替えて、片付けを手伝って。

 反省会という名の打ち上げに出た。

 「みんなのお陰で、今年の文化祭も無事終了しました!」なんて部長の言葉から始まった反省会は、亭主になれなかった2年と3年の中から選ばれた人がお茶を点ててみんなで飲むという、茶道部らしいものだった。

 本番で亭主をやったあたし達4人は、客の末席に並んだ。

 目の前でよどみなくお茶を点ててる先輩達を見て、悔しくなる。あんなに練習したのに、あたしは本番で失敗した。

 平気な顔を必死に取り繕って飲んだお茶は、いつもよりずっと苦くて、また泣きたくなる。




 反省会も終わって片付けに入る時、右足をつままれた。きっと尚哉だ。今は足が痺れてなかったけど、全然警戒してなかったから、驚いて「ひゃっ!」なんて色気のない悲鳴を上げてしまった。まさか、こんな時にまでいたずら仕掛けてくるなんて、思いもしなかった。なんて奴。あたしの気も知らないで。


 「あんた、なにやって…」


 言葉にならない。我慢してた涙がにじんできて、尚哉の顔が歪む。


 「ちょっと来いよ」


 尚哉に手を引かれて、廊下に引っ張り出されて。そのまま、屋上に続くドアの前まで連れてかれた。


 「ほら、全然痺れてない。着物なんか着てたから、調子が狂っただけなんだ、落ち込むなよ」


 「なに、言ってんのよ…」


 まさか尚哉に励まされるとは思わなかった。涙がこぼれた。


 「なんで、あんたに励まされなきゃいけないのよ」


 涙が止まらない。悔しいし、情けないし、なんで尚哉があたしに優しくしてんのかわかんない…。


 「お前はさ、俺の一番だから。ちっちゃい時から、ずっと」


 「なにが一番なのよぉ…」


 あんたなんか、あたしのことバカにして、いっつもいたずらしてくるくせに。


 「だから、俺の一番大事な奴だっつってんだよ、わかれ!」


 「なに、わかれってのよ! 誰があんたの大事な……えっ?」


 一番大事? あたしが? え?

 「なに…なんで…え…あたし…?」


 「約束しただろがよ。忘れたのか?」


 「約束って…」


 約束って、“まきが、ともくんのいちばんだからね、およめさんにしてね”って、あれのこと? なんで? 覚えてたの?


 「なんだよ、ほんとに忘れたのかよ」


 「覚えてる…けど…だって、幼稚園の頃の…」


 「なんだ、覚えてんじゃねえか」


 「忘れないわよ、そりゃ…」


 あん時は本気だったもの。ただ、あんたが覚えてくれてるなんて思わなかっただけよ。だって、あんた、いっつもあたしのことバカにしたりからかったりすんじゃないの。


 「俺がちょっかいかけんの、麻紀だけだってわかってんだろ」


 あたしだけ? あれ、好きな子をいじめるとかっていう愛情表現だったの? そんなの、わかんないわよ。高校生にもなって、そんな小学生みたいなの。

 あれ?

 「今、“麻紀”って…」


 尚哉は、目を逸らしてほっぺを指でかいて

 「…お前だけ、だからな。名前で呼ぶの」


 「顔、真っ赤だよ?」


 「お前だって、顔赤いじゃねえかよ」


 あたし? あたしも顔、赤い?

 だって、覚えててくれたから…。


 「ちゃんと言って。じゃなきゃわかんない」


 涙が止まんない。でも、さっきまでの悔し涙じゃなくて、嬉し涙だ。

 諦めてた初恋が、叶いそうだから。


 「だ、だから…お前は…じゃなくて、お前と、その…」

 「あたしと、なに?」


 「いつか、結婚…すんだからな」


 「うん…。よろしくね」


 できれば、普通に告白してほしかったけど、尚哉の気持ちはわかったから。

 あたしは、尚哉の胸に顔を押しつけて、ギュッと抱きついた。





 しばらくして落ち着いてから部屋に戻ると、とっくに片付け終わった部屋に部長だけが残ってた。


 「もう、原口も真田も、帰ってくるの遅いよ! 荷物番させられてる私の身にもなりなさいよ!

  で? その様子だと、やっと進展したみたいね」


 どうやら部長は、あたし達が戻ってくるまで部屋に鍵を掛けられないからって、待ってくれてたらしい。

 それより、“やっと進展”ってどういうこと!?


 「あんた達ねえ、端から見てるとバカップルのじゃれ合いにしか見えなかったんだからね? ったく、さっさと付き合っちゃえよってみんなイライラして見てたんだから。ほら、いちゃつくのは後にして、さっさと帰るよ」




 尚哉と手を繋いで学校から帰るのは、小学校以来だろうか。

 たまに横を向いて目が合うと、お互い気恥ずかしくてうつむいてしまう。


 「あのさ、尚哉…」


 「ん?」


 「あたし、あんたの一番にはなりたくない」


 「なんで?」


 「一番ってことは、二番とか三番とかいるってことでしょ? そんなの、なの。あたしは、あんたの“唯一絶対”じゃなきゃやだ」


 尚哉は、しばらくぽかんとした後


 「わかった、お前は俺の“唯一絶対”な!」


と言って、笑った。

 小さい頃から大好きだった、あの笑顔で。

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あなたの一番になりたくない 鷹羽飛鳥 @asuka_t

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