第4話 開放宣言
朝の目は、血走っていた。
しかし僕を見るなり、死人の如く顔が歪んで、それから笑みになった。
不気味だ。
もはや、恐怖でしかない。
その悪魔の口が、まるでスローモーションのように開かれた。
「――居たよぉ!―――ねぇ、紫雨くぅーん?存在価値のないあなたが、私から離れて何処に行っていたのぉ?私という女神が居なかったから、さぞ苦しかったでしょぉ?ばかだなぁ。自分が無価値だって、まだ理解出来ていなかった?ぼっちだよ。極限の、ぼっち。ばっかだなぁ。あなたはこの、優しい優しい私に頼るほか、どうしようもないんだよ?誰も紫雨君のことなんて、見てくれない。興味ない。気にもと留めない……でもね、私は心配してあげた。発狂しそうになるくらい、心配してあげた。GPS付けとけば良かったって、反省もしてあげた。ああ、もうね、一晩中探してあげたよ。ほんとに気が気じゃなかった。大人しくするしか脳ない紫雨君が、どこかに行くなんてあり得なかったのに。私も家に居てって、これまで何回も言ったよね?ちょっぴり、怒らないと行けないなぁ。でも安心して。今、見つけてあげたから。泣いて喜べば良いんだよ?土下座して感謝してねぇ。ちょっと大変だったんだから。警察を問い詰めて、病院にいるって聞いたんだよ。でも病院?どうしたの?なにかあったの?誰かになにかされたの?それだったらそいつの名前教えてね。でも、紫雨君も悪いんだよ?私のそばから離れたからね。ばかだなぁ。紫雨君は何も考えずに、ずぅっと、ずっとずっとずっとずっとずっと私のそばにいるしか、生きていくことができないんだよ?そこ、理解してね。理解した?理解したね。分かったら、帰ろう」
……僕は、何から言えば良いのだろうか。
このふつふつと沸き立つ怒りを、どう表せば良いのだろうか。
こいつに――この悪魔に、僕は――
殺されたに、等しいのだ。
ならば僕は、今ここで、こいつに、何を言うべきなのか。
「もう辞めてくれ」、そう頼むのか?
いや違う。
「ふざけんなよ、お前のせいで――」、そう、怒りをぶつけるのか?
いや違う。
こいつには、怒る価値すらもない。
僕はこの、勘違い女に――
そうだ。こう言ってやろう。
僕は、大きく息を吸った。
それから、はっきりと――
「失せろ、ばぁーか」
そう、言ってやった。
――僕はもう、こいつの思い通りにはならない。
左手の――明菜のぬくもりがある限り、僕はもう、自分を見失ったりはしない。感情を、殺したりなんかしない。
僕の言葉に、朝は、時が止まったかのように固まった。
次に、彼女はどんな行動に出るのか。
僕の心臓が音をたてる。
明菜も同様だったようで、繋いだ手がギュッと握りしめられた。
少しだけ、震えていた。
「朝ちゃん、私ね、もう負けないよ」
小さな声だった。
それでも、力強かった。
――そこで初めて、朝が明菜の存在に気付いた。
「……おまえ……おまえかぁぁぁぁぁぁ」
朝の声は、もはや悲鳴に近かった。
「ころす……ころしてやる!!!!!」
朝は、その顔を歪め、明菜に襲いかかった。
――それだけは、絶対に許さない。許されない。
僕は朝と明菜の間に入り込む。
朝の拳は速かった。
なんせ、天野家で育ったのだから。
多分、実力的には僕と同じくらい――いや、技術面で言えばそれ以上かもしれない。
しかし、男と女ではやはり体の作りが違う。
僕は朝の拳を手で受け止め、そして蹴りを入れた。
容赦などしない。
他人が関わっているときは、絶対に譲歩などしてはいけない。
体重の軽い朝は僕の蹴りで横に吹っ飛んだ。
受け身は取れていたものの、相当痛かっただろう。
「クソ!陰キャ女……紫雨君に近付くなぁ!手を繋ぐなぁ!忘れたか?あの立場が抹殺された日々を!もう一度やって――」
「……なぁ、もし次やったら、お前を抹殺してやるよ」
僕は、初めてこんなに低い声を出した。
許せなかった。
僕だけなら、まだしも。
僕に関わろうとした、全ての人に害をなすなど。
人間のすることじゃない。
許せることじゃない。
僕の言葉に、朝はこの世の終わりのような顔をした。
「なに……言ってんの――?」
朝は、未だにとぼけた顔をしていた。
「僕の周りの誰かに手を出したら、お前を抹殺すると、そう言った」
「――え?」
聴力八十歳か?
ならこの三文字で十分だろ。
「失・せ・ろ」
朝は、崩れ落ちた。
頭を掻きむしって、絶叫する。
「嘘だ…嫌だ…嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁぁー!紫雨君は私以外誰にも相手されないんだ!紫雨君は私に頼る以外どうしようもないんだぁ!」
まるで赤子のように、泣き叫ぶ。
可哀想などとは、絶対に思わない。
「行こ」
と、明菜が僕の手を引っ張った。
――僕は今、朝から開放された。
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