第3話 ずっと顔赤いけど、大丈夫?

 ぼんやりとした視界に写ったのは、知らない天井だった。

 ふと、お腹に重みを感じた。

 見ると、そこにはうつ伏せになった明菜が寝息を立てていた。


 ――理解不能だ。


 そもそも、僕は自殺をしたはずだ。

 薬を飲んで、それから……。

 ――だめだ。思い出せない。

 失敗した?

 いや、失敗する要素などなかったはだ……。


 とにかく、この無価値な僕は、未だくたばらずに生きているのだ。


 しかしなぜ、ここに明菜がいるのか。

 ――想像すらつかない。


 薬を飲んだ後、何があったのだろうか。


 そういえば、「ごめんね」と、そう言われた記憶がある。

 今思えば、明菜の声だった。

 だが、僕には一欠片の価値もない。そんなこと、絶対に有り得ない。

 独りよがりな夢だったのだろう。


 ではなぜ。

 明菜と最後に喋ったのは、小学生の時だった。

 それから、中学校も高校も同じだったけれど。一言も喋ることなどなかった。近寄ることすらなかった。

 なぜ今、彼女は僕に触れているのか。こんな無価値の、僕なんかに。


 理由など検討もつかなかった。


 僕が目を覚まして少し動いたからか、明菜が起きた。


 「んんんん〜」


 寝起き独特の掠れた声だった。

 明菜は両手を上に上げ、大きく背伸びをした。

 寝ぼけているようだ。

 それから――明菜は僕に気付いた。


 「――紫雨!……良かったよぉ…死ななくて、良かったよぉ」


 そう言って、抱きついてきた。


 ……死ななくて良かった?

 

 わけが分からない。意味が分からない。

 何を言っているのだろう。

 

 それは――涙?


 なぜ、なぜ明菜は僕に抱きついて、顔をくしゃくしゃにして……


 ――涙を流しているのだろうか。



 全くもって、理解不能だ。



 悲しいのか?

 ああ、僕の自殺が失敗して、未だ生きていることを嘆いているのか?

 

 ……きっと、そうなのだろう。

 それしか考えられない。

 だから僕は、


 「ごめんね。生きてて、ごめんね」


 ――そう言った。

 すると、なぜか明菜は怒ったように、僕の胸をぼふぼふと叩いた。


 「バカぁ、バカぁ。ごめんねぇ。私が悪かったから。だから、もう死ぬなんて言わないで!思わないで!」


 ……。

 何が言いたいのだろう。

 遠回しに何かを言いたいのだろうが、それがさっぱり分からない。

 死んでほしいなら、死ねと言えば良いのに。


 「無価値だから消えろって、そう言いたいんでしょ?」


 分かってるよ、そんなこと。

 でもやっぱり僕は最後までダメ人間で、自殺だって失敗してしまった。

 でも、またすれば良いだけだから。ちゃんとするから。だから、心配しないで。

 

 と思ったが、どうやら違ったみたいで、明菜は「違うよぉ、なんで分からないかなぁ」、と。

 

 そして――


 「教えるよ。紫雨がどれだけ大切かを――」


 それから明菜は、三十分ほど、こんこんと喋り続けた。




 ☆




 「そのせいで紫雨は、そんなに自己嫌悪するようになったんだよ。だから、これだけは頭に叩き込んでほしい。紫雨は、無価値な人間なんかじゃ、絶対にないから!」


 淀みなく話し続けた明菜はそう言い切って、それから僕の胸に顔を埋めた。

 僕の頭は、空白だった。

 そんなこと――そんなこと、あるのだろうか。


 朝が、僕に近付く人間を排除していたなんて。

 明菜が、僕のことを好いているなんて。

 僕が、無価値ではないことなんて。


 僕は、生きてても良いのか?


 ふと、自分の頬を撫でた。


 ――なんだこれ。


 涙……だ。


 僕が、泣いている?

 なぜ。どうして。


 ――理解不能だ。


 でも、なんだろう。

 この温かい感情は。

 

 分からない。

 ”初めて”が多すぎて、僕には理解できない。


 それでも、これだけは理解わかった。



 僕は今、この世界に存在しているんだ。




 


 涙が、とめどなく溢れ出した。












 「ん」


 あれから数十分泣いて、そして立ち上がった明菜が、僕に手を差し出した。

 僕はその手を取った。

 ――初めてだ、こんなの。


 温かった。人の手は、温かった。

 

 僕は息をゆっくりとはいてから、明菜に聞いた。


 「ここはどこ?病院?」


 「うん。これから、家に帰るよ」


 ――寒気がした。

 また僕は、朝と暮らさなければいけないのだ。


 朝は口を開く度に、「紫雨君が存在することに、これっぽっちの価値もないんだよ」「ふふ。私だけだね、紫雨君に喋りかけるのは。ありがたすぎて涙が出るでしょ」――そんなことしか言わなかった。


 今から考えれば、えげつないモラハラだ。しかし当時は、それでも感謝はした。

 だが、明菜の話を聞いた今、僕には彼女が悪魔にしか見えなくなった。


 ……あれ?

 何かが、ふつふつと沸き立ってくる。


 ――僕は、怒っているのか?


 思わず唇を噛み締めた。 

 どうやら僕は、朝のことを許せそうにない。


 「――やっぱり、そんな顔するよね。だから、の家だよ。私達の家に、帰ろ」


 ――その意味を理解するのに、時間がかかった。


 「僕が――明菜の家に?」


 明菜は、僕と繋いでいない方の手で自分の涙をぬぐった。

 そして、目を細めて笑った。


 「もう、傷付ける人は、いないよ」



 ――僕は、必死に涙を堪えた。











 僕と明菜は手を繋いで病院を出た。

 手のぬくもりが、どうしようもなく心地良い。


 自分に価値を見出だせると、途端に周りが見えるようになった。

 まず気付いたのは、視線だ。

 病院内で、多分ほぼ全ての人が僕達を見ていた。


 なに?なんか変だった?


 非常に心配になった僕は、恐る恐る明菜に尋ねた。


 「……みんなてぇてぇしてるだけ。あと、眼鏡をかけた根暗女を羨んでるだけ」


 ……?

 てぇてぇ?根暗?

 分からない。分からない、が……

 まあ、語調的に悪いことではなさそうだ。


 そういえば、もう一つ、気付いたことがある。


 「明菜、ずっと顔赤いけど、大丈夫?」


 ……熱でもあるのだろうか。


 「だ…だだ大丈夫だから!いたって普通です。正常です!」


 「それなら良かった」


 ――例え会話するだけでも、途轍もなく嬉しい。楽しい。

 ……流石にもう泣かないけど。


 「ここでお母さんと待ち合わせ」

 

 そう言って、明菜が病院前の噴水で立ち止まった。


 「うん。分かった。でも本当にこんな僕のために――」


 ――そこまでしてもらっていいのか。

 そう言いかけたが、明菜に遮られた。


 「もう!次自分を下卑したら許さないかんな!お母さんだってのりのりで紫雨がうちに住める手続してたんだよ!」


 ……ほんと。涙が出るよ。

 未だに信じられない。

 この僕が、生きていて良いなんて。

 僕のために、そこまでしてくれる人がいるなんて。

 

 「ありが――」


 言いかけた僕は、言葉をつぐんだ。

 明菜が、震えた声で呟いた。


 「朝……ちゃん」


 

 















――

てぇてぇ…尊い

だ、そうです。


ダジャレ言います。

星ほしい///



…ごめんなさい










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