清算

第17話 愛する妻の元へ

 気づけば外は暗くなっていた。バーを後にする。リヒトを久しぶりに抱いたシバはなんだか心がヒリヒリした気持ちになった。


 そしめ胸がちくっと痛むのはなぜか、それもシバはわからなかった。どうせまた飲みに行くだろう、また有力な情報を得られるだろうし。別れを告げたわけでもないからいいか、と少しほっとしているようだ。


 しかし引きずっている場合ではない。シバは行くところがあるのだ。恋人のいる病院へ。

 シバはある意味同棲よりもまさ子の住んでいたアパートに荷物を置かせてもらっている状態に近かった。


 高校卒業し、警察学校も出てから十年近く一緒にいるまさ子。彼女もエステ会社のエリート社員として忙しい日々を過ごしながらも家事もしっかりこなす。シバを愛おしく見守る。

 彼の入院中は仕事帰りや休みの日だけでなくて有給を消化して、仕事をしているシバの親たちと交互に彼のために毎日のようにお見舞いに来ていたのであった。

 それはシバに対しての愛が強かったからだ。しかし妊娠中の彼女にとってはこの環境は体に応えたようだ。


 病院に着くとすぐさままさ子の病室に向かう。


「シバ……」

 まさ子がベッドに横たわっていた。点滴とカテーテルの管もある。

「まさ子! 退院したぞ……」

 シバはまさ子の頭を撫でた。

「ごめんね、ごめんね……こんなときにいけなくて。体を起こすのもダメだって言われて……」

「本当にすまなかった。俺の見舞いもほとんど毎日のように来てくれて……無理させてしまった。……赤ちゃんはどうだ」

「大丈夫、すくすく育ってるわ……てなんかシバ、お酒飲んだ? さっきから匂いがする」


 シバはハッとした。息を嗅ぐと酒臭い。タバコの匂いもする。少しリヒトの香水の香りも。病院からもちろん禁酒禁煙を言われてたのにもかかわらず……。

 すこしまさ子の顔が険しくなっていたのもそうだったのかと服に入ってたミントタブレットを出して口に含んだ。


「ただいま、まさ子」

「……おかえり、シバ」

 家ではないがシバはそう言った。まさ子が目を瞑って唇を尖らす。

 シバは察した。もちろん彼女のことは好きだしキスも嫌ではない。


「もう、何笑ってるの? なんか変?」

「変じゃないし。てか臭いけど大丈夫か?」

「軽くキスするなら大丈夫。キスして欲しいから」

 と言われシバはまさ子にキスをし、さらにまたキスをする。


 2人も気付けば十五年以上付き合っている。互いに仕事(シバは他の女の人たちと会ってたりもするが……)で忙しく結婚とまではなかなか辿り着いていないし、しなくても結婚してるかのような……女遊び激しいシバは結婚しない方が楽なのであろうがこの関係で満足し切っているようである。


 だが今回は子供を授かってしまったわけで。いつまでも独身気分だとか、仕事優先とかそう言ってられない。

 どのタイミングでけじめとして結婚をとシバは思った。と、その時にまさ子。


「ねぇ、シバ……」

「なんだ、まさ子」

「ちょっとお願いを聞いてほしいな」

「なーんでもいいぞ、お前には本当に世話になった。なんでも聞いてやる」

 彼女はうるっとした瞳をシバに向ける。


「……あのさ、刑事やめて」

「はっ?」

 シバはいきなりのお願いな驚く。まさ子の顔は真顔、真剣な眼差しである。

「いいからやめて、もうあんな大怪我……だめ。絶対ダメ。あなたは半月生死を彷徨ったのよ。だからっ、だからやめて」

「待て、まさ子……いきなりやめろと言われてもっ」

「もしあなたが死んだら私はどうするの? ねぇ、ひとりにしないで」

 まさ子には両親はいるが、彼らは会社を経営しており海外で住んでいる。昔からまさ子の世話はメイドたちがしていた。ほとんど1人でいたところにシバがそばにいたわけである。


「……シバのお父様もお母様も心配してたわ」

 シバの両親と言っても里親となるのだが、2人は産婦人科医で県内の病院に勤めている。シバと一緒に引き取られたシバの兄も数年前に自殺をし、里子だが2人も失ってしまうということだけはしたくないという思いだそうだ。


「……確かにな、いつも陽気で怒りも泣きもしないポジティブな2人が病院にいる間はずっと辛そうな顔してた」

「見えてたの? だったら尚更よ……お願い、考えて」

「……高校卒業するときに警官になるって言ったらすごいじゃないかってめっちゃ押してくれたのになぁ。兄貴死んでからかな……てか今までに喧嘩仲裁してたら刺されたり、監禁されたり、轢き逃げ犯に轢かれたりとかしたのに……今更辞めろとか」

「その時々思ってたけどまだ若かったからよ。でも流石にもう……だめ。もう若くないし……それに」

「それに?」

 まさ子は俯いた。


「私たち結婚して子供が産まれて家族になるんでしょ」

「あ、は……はい。あ、うん」

 シバは動揺した。自分から切り出そうとしたことを先に言われてしまったのだ。

「……あとね、私独立しようと思ってるの。てか独立はする」

「えっ」

「もうビルも買ってるし、チームも作ってる。あなたが入院中はそのチームの子たちが動いてくれていた……」

「ビル?!」

 まさ子は横になりながらも淡々と語り始める。

「県内にあるんだけどさ、ここからも電車で一本。エステだけでなくてこれからは自宅でも自分でできるセルフケア事業を進めていこうかと。あと独自のコスメを作って……あ、女の子たちが結婚妊娠出産しても仕事を続けられるようケアの完備、託児所とも提携してるのよ」

「エステ、はっ? へっ?」


 シバは話の展開が早すぎてついていけない。確かに彼女はやり手だとは知っていたがいつのまにかビルも買って独立の準備を進めていたのだ。


「シバも私の会社の社員になってほしいのよ。警察OBいるだけでも後ろ盾安心だしー」

「いや、俺は警察以外で働いてねぇぞ……」

「大丈夫、私の秘書とかアッシーとか仕事作ってあげるから」

「俺は雇われるのか、お前に」


 するとさっきまで泣きそうな顔をしていたまさ子なのにあっという間にニコッとしている。


「そーよ、でもしばらくはわたし自身こーんな感じだし、あなたも引き継ぎあるでしょ。子供も生まれるし。職場復帰は半年後かな。仕事じゃんじゃんしちゃうわよー!」

「……」

 まさ子の笑みは不気味だった。シバはそんな表情を今まで見たことがなかった。


 そして次の瞬間、まさ子がシバの手をぎゅっと握った。


「私たちはずーっと一緒……ねっ」

「あ、ああ……」

「わたしね、育休産休駆使して子供立て続けに3人産んでと思ってるんだけど」

「……えっ……」

 シバの顔がひきつった。

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