第20話 角の無い神官

 セスピナ山は洞角ほらづのの民発祥の地とされる。


 遥か昔、神代の頃、まだ洞角の民が王国を為す前から神殿が築かれ信仰を集めてきた。

 そこには神懸かりになって宣託する神官がいて、折々の機会に伺いを立てる信者たちへ、神々から下される言葉を授けている。


 トロマックは鞄から簡素だが洗練された装飾のある縦長の箱を取り出した。


「これがナスケンティウス王からの親書だ。王はオルクス神官団の、しかも総裁の息子たるお前に直接命令する権限は持たないから、あくまでもセスピナの神託に行ってくれるよう“お願い”だ」


 フェリクスはぞんざいに受け取って、中を開けようとはしなかった。


 王様が頭を下げている、とは凄いことだ。

 しかもフェリクスもその懇請を全く恐れ多いとも思っておらず、断る選択肢も残しているのがその態度から伝わってくる。


「俺としても、この国家災害級の冥穴を何とかしたい。で、友人たる俺が親書を届ける役を買って出た、という訳だ」

「それで、ディディエまで連れて?」


 フェリクスの口調は少し棘があるものの、あくまでも静かだった。


「お前は現国王も宮廷も、ウィニタリス神官も信用していないからな」


 トロマックは両手を上げて降参の仕草を取る。


「ディディエからの頼みなら、お前でも応じるだろうと目論んだことは認める」

「なにしろ私はきみの命の恩人だからね」


 ディディエが隣から穏やかに口を挟んだ。


「でも、逆だよ。私はこの関係を濫用されないために一緒に来たんだ。友人としてね」


 もしトロマックだけが説得に来たなら、悪気なく勝手にディディエもフェリクスの神託伺いを望んでいるかのように捏造されかねない。


 ディディエはフェリクスを宥めるような口調で、しかしにやりと笑う。


「きみは直ぐ組織の要求と自分の意思を混同するようなお馬鹿さんだから。きちんと自分の頭で考えて行くか行かないか判断すべきだ。嫌ならきっぱり断ればいい」

「ディディエはそう言うが、ロシェ祭主、お前さんもフェリクスの上司なら、セスピナ山の神託へ行くよう命じてくれよ」


 ほとんど部外者だと思って、黙って話だけ聞いていたロシェも唐突に話を振られてしまった。


「ええ? まあ確かに命令権はあるのかなぁ。大勢の人が困るなら俺は助けてあげたいなぁ」

「ほら、フェリクス。お前の上司は若いのに何と徳の高いお人か」


 トロマックは大きな身振りでロシェに手のひらを差し向ける。


「でも嫌がる部下を無理やり寄越すのもどうかと思うが」

「別に嫌がっている訳では」


 フェリクスは渋い表情でそう言うが、その言葉の割には乗り気でもないようだ。


「宮廷のお使いじゃ役不足か?」

「トロマックの話を聞く限り、役者は僕しかいないのでしょう」


 再び溜め息をつくフェリクス。


「ほら、言ったそばから。“どうすべきか”ではなく“どうしたいか”で決めないと」


 そう唆すディディエを余計なことを言うな、とトロマックが小突く。


「……一体、僕は何を望んでいるのでしょう……?」


 フェリクスは半ば呆然として、緩んだ手から物を落とすかのようにぽつりと言葉を吐き出す。


「いえ、愚問でした。誰も僕の願望など分かる訳ないのに」


 ディディエの指摘する通り、フェリクスは要請と意思を区別出来ていなくて混乱しているようだ。


「どうしたい?」


 ディディエがもう一度柔らかく尋ねる。

 フェリクスは長く沈黙したあと、


「…………宮廷に関わりたくない」


 小さな声で呟いた。


 ロシェは一番近くに座っているトロマックに、過去フェリクスと宮廷に何かあったのか、そっと訊ねた。

 王から直々に乞われ、普通なら名誉に思っても良いことのはずだ。

 それなのに、頑なに何を忌避しているのか疑問だった。


 トロマックは、証拠は何もないんだが、と前置きをして説明をしてくれた。


 曰く、現国王ナスケンティウスは、兄であり第一王子のフロレウスを殺した疑いがあった。

 もちろん王位簒奪のためだ。

 ウィニタリス神官たちと結託したと専ら囁かれている。


 フェリクスはフロレウス王子と個人的に仲が良かったため、ナスケンティウス王を快く思っていない。


 また先王並びに第一王子フロレウスは親オルクス派で、その時の宮廷の祭祀は主にオルクス神官が担っていた。

 しかしウィニタリス神官たちに担がれたナスケンティウス王は、ウィニタリス派祭祀の長として君臨することとなった。

 オルクス神官はあからさまに中枢から退けられ、宮廷内の勢力図はウィニタリス神官中心に変わった。


 ロシェはフェリクスの身の上についての噂を思いだす。

 彼は角を失ってナスケンティウス王の宮廷から退いた。

 不明な誰かと決闘をした結果だとゴシップ紙は書き立てた。

 その誰かとは、即ち実権を完全に握りたいウィニタリス派の神官だったのではないか。

 仮にそれが真相だとすると、つまりフェリクスはナスケンティウス王とウィニタリス派たちによって政治の表舞台から再起不能な形で追い落とされたのだ。


「なるほど、それでフェリクスは現国王とウィニタリス神官が嫌いなんだな」

「そんな子供の喧嘩みたいな言い方しないでくれます?」


 子供の喧嘩ではないから厄介なのは理解した。

 かつての政敵が牛耳っている宮廷とはなるべく距離を置きたい、というのが本音だろうか。


「言ってしまえば、基本的に宮廷で角の無い男は、ほぼ道化のような慰みものにしかならないからねえ」

「流石にフェリクスみたいな血筋の良い奴は露骨にそんな扱い出来ないだろうが」 


 もしここに来たのがトロマックとディディエではなく、誰とも知らない王の使者やウィニタリス神官だったら、自分を宮廷におびき寄せて何か罠に嵌めようとしているとフェリクスは判断しただろう。


「だがミステリユーズ夫人はどうする。そのまま放っておくのか?」


 と、トロマック。


「彼女が何か未練を残してこの世を彷徨うならば、彼女の魂の安寧のために祈るのは夫たる僕の責務。だけど……」


 フェリクスは、言葉を探して目線を落とし、何度かゆっくり瞬きをした。


「もし彼女の死の原因が僕にあったら? 僕は夫として彼女を救うことが本当は出来たのに、ただ何もしなかっただけなのでは?」


 遺書は無かったそうで、彼女がなぜ自らオルクスの元へ降ったか、理由は彼女しか分からない。

 だが、フェリクスとの結婚生活が彼女の自殺の原因なのではないか、フェリクスは疑っている。

 一方でそれを認めたくないのだ。


「僕は知らず何か重大な罪を犯しているのでは? 彼女が何かを訴えにこの世に戻ってきたのならば……、彼女と会うのが怖いです」


 そうして、口に出してから頭を抱えて低く唸る。


「結局ぜんぶ僕の身勝手。国や彼女のためよりも、自分のため。僕は真実がうやむやのままであることを望んでいます……」


 彼は己の言葉の自分本意さに自ら傷付いているようだ。


「ほらね、トロマック。占いで指定された役者に出演依頼すればいいだけの簡単な話じゃないのだよ」


 一旦ディディエが話を収めた。


「それに“角の無い神官”として、全会一致で僕を挙げるのが気に入りませんね」


 フェリクスは珍しく子供のように不貞腐れた様子だ。


 しかしいつものように仮面の微笑を浮かべて混ぜ返す。


「僕は角が無いのではなくて、折れただけです。他にも誰だっているでしょう? 例えば、ここにいるロシェだって角の無い神官です」

「!」


 トロマックは、本当にはっと驚いた顔をしてロシェに目を遣った。


「ふむ、もしかしたらそっちの方が正しいのかも知れないね」


 占いは曖昧なのだ。解釈の違いでどうとでも取れる。


 一同の注目が一瞬ロシェに集まる。


「……よし、じゃあ俺が行くよ。俺だって角の無い神官だし、フェリクスの推挙だって言えば王様だって納得するだろ」


 実のところロシェは、フェリクスは行くべきだと根拠もなく確信していた。

 自分なら迷う余地はない。

 ただ本人の意向を無視して強く勧めることもしたいとは思わなかった。


 しかし誰かが行かなければならない。

 フェリクスが行かないのなら、自分が行けば良いのだ。


「ロシェ、あなたって人は……あなたって人は……!」


 フェリクスが呆れ顔でかぶりを振る。


「いや、その潔さたるや、全くロシェ君は天晴な男振りだね」

「納得はするかも知れないが、別の人を宮廷に遣ったら本当の意味でフェリクスが角無しって言われるな。敵前逃亡みたいなものだし」

「それだけは絶対嫌」

「墓穴を掘ったね、フェリクス。ならばきみが行く必要があるよ」


 ディディエは大笑いして、なお目を白黒させているフェリクスの肩を叩く。


「結局、逃げ道などなかったということですか……」


 その肩を落とすフェリクス。


「でも“角の無い神官”が本当にロシェ君だという可能性は否めないと私は思うな。出来れば2人で行くのはどうだろう。その方がフェリクスとしても責任が分散出来て多少は気が楽になるのではないかな」


 フェリクスもディディエの提案は悪くないと思ってくれたようだ。


「上級神官たる祭主として、セスピナ山の神託所は一度は見ておくべきとは思います。しかも公費で行けるなら願ったりですが」


 話がどんどん進んでしまう。


「セスピナ山か……」


 結構遠い。

 スラジア神殿のあるここナトニは王国の南東部。

 神託所のあるセスピナ山は王国北端の山岳地帯だ。


 山脈を成す中で、その最も高い頂は簡単には登れないほど空気が薄いという。


 神殿自体は山の中腹にあり、降雪量も多くないとはいえ、冬に行くのは危険が大きい。

 旅行する時期は、春半ばまで待つべきだという結論になった。


「と言っても期待させたとこ悪いが、祭主の俺がスラジア神殿からしばらく離れなきゃならないから、それこそ占いで色良い神意が得られたらの話だ」


 特定の神殿に仕える神官とて、任地を離れざるを得ないことはある。

 そういう時は、占いに頼って事の吉凶を判断するのが一般的だ。

 占いの手段は問われないが、最も頻繁に行われるのは夢占いだ。

 どこか神域で眠り、そこで見た夢から神意を読み解く。

 もしもロシェの占い結果が芳しくなかったのならば、それはフェリクスが1人で向かうべきだという神意なのだろう。


「うむ、ロシェ祭主は本当に聖人だ。神々が望むならきっと良い夢が見られるだろう」


 トロマックは機嫌良くばしばしとロシェの背を叩いた。


「ところでトロマック、君の椅子を私の前に置いてロシェ君と席を代わっておくれ」


 おもむろなディディエの指示にトロマックは諾々と従う。


「ロシェ君、ちょっといいかな」


 ロシェは何をしたいのか分からず疑問符を浮かべながらも、彼の前に素直に座った。


「少し体を触るよ」


 そう言ってディディエは、額や胸の辺りに手を当てたり、瞼を指で押し開けて瞳を覗き込んだり、手首を掴んで脈を取ったりした。

 これは、医者の診察そのものだ。

 とはいっても、ロシェは病気の自覚は無いし、どちらかといえば健康に自信がある方だった。


「彼に何か障りでもありますか?」

「多少気になってね。はい、ロシェ君、息は止めないでゆっくり吸って、吐いて――」


 ディディエは、ロシェのこめかみを両手で挟み、じっと目を見つめる。

 医者にそう言われると少しだけ不安になってくる。


「ほんのちょっとだけど、ロシェ君には何かのろいの痕跡があると思ったんだ」


 人体は小宇宙ミクロコスモス

 体液、体の各器官、精神などが絶妙に調和している。

 しかし全ての秩序は常に揺らぐ。

 揺らいで歪みが大きくなって人体の秩序が壊れてしまえば、それは病気ということになる。

 呪いとは、その秩序の歪みが神々や精霊の力で以って作為的に引き起こされるものだ。


 心当たりは山ほどある。

 人には恨まれる人生だった。


「うーん、この感じは誰かがロシェ君を殺そうと呪詛しているというよりは、神霊の類が愛着している何かを意図的にせよ偶然にせよ壊してしまったりして怒られたときに似ているかな」


 その場合は結局のところ、根本的な治療には何かを贖って神々の怒りを宥め、対処療法としては別の神々に加護を祈るしかない。


「ロシェほどきちんと神々を敬い、お祈りをして犠牲を捧げる男は、ナトニにはいませんよ」

「となるとあれかな、神官が逆恨みされるパターン」


 それならつい最近も稀によくあった気がする。


「まあ、人体に全き秩序など存在しないよ」


 人体の調和と不調和を聞き分ける能力に長けているのが神官出身の医者だ。


「この程度なら問題ない範疇だ。神々をよく祀るように、が処方箋。フェリクス、彼にお札を書いておやりよ」

「では、ロシェのために、今日のうちに1枚仕上げましょう」

「そうだ、もし余裕があれば私にも数枚、簡単なものでも書いてくれたら嬉しいな。患者に処方すると喜ばれるんだ」


 持ち歩いてお守りにするだけでなく、お札を焚き上げてその灰を薬として飲むというのは良くあるのろいの治療法だ。

 印刷よりも手書きの方が効きそうだという感覚はロシェにも分かる。


 王の要求を渋ったフェリクスは、ディディエの依頼には二つ返事で快諾した。


 それではそろそろお暇を。

 話が終わると客人たちは立ち上がった。

 雨は止んでいた。


 ディディエとトロマックは随行の従者1人と共に3、4日は滞在する予定らしい。

 ディディエの患者たちは助手に任せてあり、トロマックは宮廷から適当な休暇を得ており、これを口実に少しだけ羽を伸ばすつもりだということだ。


「せっかくだから、今夜は飲みに行こう。全員分奢ってやる」


 トロマックは首尾よく思惑通りに事が運んで、上機嫌で気勢を上げる。


「では、葡萄酒の樽まるごと1つくらいは買ってもらいましょうか」

「待てフェリクス、その量のやけ酒は止めろ」

「ロシェ君もぜひ一緒にどうかな」

「いや、俺は明日も朝のお勤めがあるから、遠慮するよ」


 酒が強くないのもあってそう答えると、2人の王都からの客人は目を丸くして顔を見合わせた。


「ここの祭主様は若いのになんて徳の高いお方か」

「都の僧侶が全員ロシェ君のようなら、きっと冥界の穴なんか空かなかっただろうね」


 ロシェとしては当たり前のことを言ったに過ぎないのに、大仰に褒められて少し居心地が悪かった。

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