第13話 暗躍の魔法使いたち

 その夜、ロシェの小屋を訪うものがあった。

 件の冒険者、ブロンとブランだった。

 龕灯を片手に、それなりに重みのある麻袋を引っ提げていた。


 ロシェは彼らを伴って神殿まで上がり、2人が祭壇に袋の中身を供えるのを見守った。


 取り出された石像は濃灰色の礫岩で、大きさは両手に収まるほど。

 小さな怪物の姿を象っていた。

 

 それはイモリの四肢に体ほどもある大きな頭部を持ち、牙の並ぶ口を大きく上に向けて開けて、鼻先に乗せた謎めいた球体を呑もうとしている。

 何かの象徴だろうが、灯火の光を下から受けて神室の壁に大きな影を投じる様は、どことなく破滅的な気配がしてとても不気味だ。


「……石像を奉納すると聞いていたが、これは何というか……」


 良い言い回しが思い付かないが、その邪悪な見た目は神殿の清廉な雰囲気と全然合っていなくて、この神殿を預かる祭主としては正直嬉しくない。

 参拝者は強烈な違和感と不安を覚えるだろうし、この像をお供えされて喜ぶ神様もいないと思う。

 いるとすれば多分それは邪神だ。


「まあ、ほとぼりが冷めたら捨てちまっていいぜ。依頼人にはある思惑があって、決して信仰心から奉納した訳じゃねえからな」


 冒険者2人は詳細を話すことはなかったが、依頼内容もその依頼者も全て把握しているロシェである。


 それから、ロシェは気が進まなかったものの、型通りの唱え詞と共に、石彫に香油をそそいで灌奠かんてんを捧げた。

 一種の神像の扱いだ。

 ついでに冒険者たちの旅の安寧を祈ってやった。


 全て終わって再び小屋に戻ると、革袋に入れられた報酬の100銀貨リブルを渡し、冒険者たちと別れた。


「よし、じゃあ早速始めようか」


 予め小屋に待機していたレオンが奥からのそのそ出てきて言った。


「いけそうか?」

「ちょっと待て」


 レオンはロシェの額に手を当ててみせる。


 同じく小屋に待機していたフェリクスは少しの間黙ってその様子を眺めていた。

 彼は特にここに居る必要はないのだが、好奇心から立ち合いを決め込んでいた。

 が、やがて代わり映えのしない光景に見飽きたのか、そっと口を挟んだ。


「この魔法の仕組みを聞いてもいいですか?」


 ロシェは頷く。


「まず探知魔法だが、探知したい対象に魔法で“印”を付けるんだ。その印が術者からの距離と方角を測る手がかりとなる」


 西の森でその役目を担っているのが、例の不気味な礫岩の彫像だ。

 像に近付いた者に魔法の印を付与する。

 先程ブロンとブランの石像奉納に立ち会ったロシェにもすでに効果は及んでいるはずだった。


「見えない糸で印と術者が繋がっているようなイメージだな、俺は」


 レオンがロシェに手を当てた姿勢のまま補足する。


「で、印が術者に対象の場所を指し示すのと裏返しに、印から術者の場所を辿れるという訳だ」

「便利なものですねえ。でも知らない内に魔法をくっつけられて居場所を知られるというのは、かなり気持ちが悪いですね」

「まあ、魔法使いの間でも上品な魔法とは見なされてないな」

「魔法の品格、とは」


 フェリクスは思わず首を傾げる。

 彼にとっては、どんな魔法も等しく薄汚い犯罪すれすれの卑しい技術なのだ。


「ちなみに、基本的に魔法っていうのは術者から離れるほど効果が減衰する。だから威力や精度を高めたいときは、こうやって直に触れるのが一番良い。――術者がいるのは、……ナトニの街の方角だ」

「そりゃそうだろ」


 少なくともナトニの街に住んでいることは間違いがなさそうだが、肝心なのは街のどこにいるのかだ。


 レオンは自身の体全体を北側に向けて、地図を卓に広げる。

 その上で指をコンパスのように開いて何やら距離を計測している様子だが、術者一点を探り出すことは技術的にも困難だし、そもそも地図そのものの精度もそれなりなので、厳密にここだと指し示すことは出来ない。


「大体、街の南から南西ってところだろう」

「その辺だと……神殿に近い山の手の高級住宅地、か?」


 代官に仕える高給取りなら、それもあり得るかも知れない。


「魔法使いのくせにいいご身分だな」


 レオンがやっかみ半分に笑った。


「だが、この田舎には勿体ないくらいの技術者でもある」

「そんな偉大な魔法使い様も神官勢力の強い王都じゃ迫害対象だからな――おっと口が滑った。いや、神官批判をしたいんじゃないんだよ、別に」


 レオンの言葉に、フェリクスは困ったように肩をすくめながら曖昧な笑みを浮かべる。


「今の王都はウィニタリス神官が牛耳っていて、彼らは我々オルクス神官より原理主義的ですからね」


 ウィニタリス神は特に生殖を司る秩序の神で、生命を育む慈悲深さと、半面で野生の苛烈さを併せ持つ。

 その信仰は熱狂的な姿勢を取り、神官たちは人の都合よりも神を喜ばすことを優先する傾向にある。


 神が喜ぶこととは何か、については神官たちの解釈に依る。

 つまり、そういうウィニタリス神官が王の隣で権力を握れば、神官の意見が一般市民の日常の生活態度と齟齬を来した場合、前者を正とし、後者を風紀の乱れと断ずるようになる。


 なお、生者の秩序、並びに現世利益を重視するオルクス神官と昔からそりが合わないとよく言われている。


「最近はウィニタリス神官が魔法使いをとっ捕まえて、軒並みウィニタリス神への生け贄にしているとか言うしな」


 さすがに現実にはそこまでの残虐行為はしないはずだが、ウィニタリス神は確かに流血を喜ぶ原始的な神だとされていて、やりかねないとも思われているのだ。


「僕はそういう人間にとっては無意味な弾圧に反対なんですよね。彼らは統率しているつもりでも、結局は国民の分断を煽り国力を削ぐ行為だと思います。現に窮屈な雰囲気を嫌ってか王都の人口は地方に流出していて――まあ、陰気な政治の話は止めておきましょうか」


 もっとも王都ではこんなおしゃべりでも公共の場では危ないみたいですけど、と饒舌な雑談を終えるフェリクス。


 彼は宮廷に仕えていただけあって、政治と宗教の微妙な話をいくらでも出来るし、自分の意見もしっかり持っていて、人に表明するにも淀みがないんだろうな、とロシェは薄ぼんやり思った。

 ロシェ自身は、思うところもないではないが語彙力が追いつかず、あまり深い話には付いていけそうもない。




 翌朝、日がこれから高く登ろうとする時間帯、つまり参拝者が多くなる時刻より少し前に、祭壇のイモリの石像を貰い受けたいという者がやってきた。

 彼はトニトゥルア神殿の使者を名乗った。


 祭壇に置かれたお供え物なら誰かが断りもなく持ち去っても特に問題はないのだが、イモリ像については、特別に天辺にシロツメクサの花輪を被せられて、油をそそいだ跡が残り、杉の葉と蜂蜜まで捧げてあり、いかにも何かの神様のように大切に祀られているものだから、流石に気が引けたのだろう。


 そうするように指示したのはフェリクスだったが、一般的に蜂蜜を供物とするときは、神々の怒りや嫉妬を宥めるときが多い。

 そのため石像の不気味な様子と相まって、何かちょっとした粗相があるだけでも罰を当ててきそうな雰囲気を醸し出していた。


 世俗の世界でも神像泥棒なら涜神罪で案外量刑は重い。


「この像を、か? うーん……」


 わざと渋ってみせるロシェに、使いの男は厳しい声を被せる。


「それはさるお方から盗まれたものなのだ。トニトゥルア神殿の卜占官が占いによりこの盗品の在処を指し示した。つまりトニトゥルア様はそれが持ち主の元に返されるようお望みなのだ」

「所有者というのは代官か? 奉納した冒険者に聞いたことだが、これは西の森に設置された石像で、何か魔法が掛けられているのだとか。そういうことは感心しないな。あの森はおそらくかつてはスラジア神殿の境内で、そこでこんな魔法を使うなんて、神々の怒りを買う行為だと俺は思う」

「……。とにかく渡してくれ」


 図星だったのだろうか、男は質問には答えない。


「最近魔物が多いのも、こうした魔法が関与しているのではないかと憂慮しているところだ。あまり続くようならオルクス大神殿本部に報告を――」

「どうしてもなら力ずくでも構わない」


 男が低く落ち着いた声で、しかし凄むように腰に佩いた剣に手を掛ける。


 もとより返す気であったし、喧嘩などするつもりもない。

 ロシェは両手を上げて敵意の無いことを示す。

 そして男は礫岩の小像を持ち帰っていった。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 その週の犠牲式には、いつもの森人の大工たちの他に、たまたま非番だったアベイユが参列した。


「――これにて犠牲式を閉祭します。神々が御為ここに集いし我ら、変わらぬ秩序の安寧を賜び給う御身らを讃え、朝夕の恩顧を万謝します」


 祭壇に鶏の血を供え、抑揚美しい祈りの言葉を唱えて儀式は終わる。

 皆で生贄肉の串焼きを囲む時間になった。


「そういえば、ドラゴンに剣を向けてたり、従者に身をやつしてたりで、真っ当な祭主様の姿は見たことがなかったな」


 肉の火加減を一生懸命に見ているロシェをぼんやり眺めて呟くアベイユに、手持ち無沙汰のフェクスが応じた。


「普段から軍服みたいの着てますからね。古風な祭服トゥニカは珍しいでしょう?」


 特に祭祀のときに纏う服は、一般的な僧侶が普段着として用いるものよりも袖が長く広い。

 儀式中に生け贄を扱うときは、取り回しが良いように袖を折り返して短くするが、その折り返し部分には布の保護も兼ねて表と裏に刺繍帯も縫い付けてある。

 さらには儀式の最中はやはり祭服本体を保護するための、襞を取るリネンの外衣クラミドも上から羽織り、すべて同色で派手なものではないが、一層華がある。


「意外と様になっているね。黒の祭服が良く似合うよ」

「儀式に臨む僧侶の見栄えというのは大切です。あの黒衣は、色は地味でも布地はたっぷりして染料も多く使うから、彼の持ち物の中でも最も高価なものだと思いますよ」


 神々は、人が神々のために身を飾ることを喜ぶ。

 だからといって、貧しくみすぼらしい者を見捨ててしまうことはもちろん無いとも信じられている。

 それが信仰という、人と神との信頼関係なのだ。


「普段は古着みたいの着てるのにね」

「それが彼の良いところです」

「同感だ。ところで、魔法の石像の件はどうなったの? それが気になっているんだ」

「ええ、その事で僕たちも貴女のご意見を聞いてみたいです。魔法使いはナトニの街の南西部、神殿近くの高級住宅地に居を構えているらしい、という結論になりました。その辺りで高度な魔法を操れるような人を知りませんか?」

「なるほど。……うん、山の手の南西にあたりをつけるのは妥当だと思う」


 そこにロシェが串を持ってやってきた。


 フェリクスに肉を手渡すと、いかにも“拝領する”というのが相応しいような畏まった仕草で身を低くして受け取る。

 ロシェにはまた大仰に感じられるが、骨身に染み付いた王国式というやつだろう。

 アベイユ含め森人たちにそんな動作をする者は1人もいない。


「ロシェ、ちょうど魔法使いの情報をアベイユ嬢に聞こうとしたところです」

「そうだ、ぜひ俺も聞きたい。どんな些細なことでもいいんだ。何かないだろうか」

「ナトニの山の手に2年ほど前にやってきたギニョンという男がいる。彼はかなりの魔法の使い手という噂がある。言われてみれば、魔法使いにしてはなかなかの金満家で、代官から相応の金を貰っているのかもしれないな。ちょっと探ってみようか?」


 2年前といえば、ロシェがスラジアに流れ着き、それから魔物が急に増え始めた頃とも一致する。

 彼女の情報網なら何か掴めるだろうか。


「願ってもないことだが、くれぐれも危険は冒さないでくれよ」


 相手はかなりの手練れの魔法使いと思われる。

 万が一、戦闘になったら荒事専門の冒険者といえども無事では済まないかも知れない。


 アベイユは神妙な顔で頷いた。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 ギニョンという男を詳しく調べるにつれ、彼が魔法使いというのは本当らしいと分かってきた。


 はっきりした生業は未だ不明なのだが、彼が魔法を使うところを見たという証言がちらほらあり、彼の邸宅には顔を隠した怪しい客人の他、代官からの使いも頻繁に出入りしていた。


 時折、朝早くからどこかへ出掛けて、決まって夜明けごろ戻るという行動があった。

 それに対して跡を付けることを試みると、必ず撒かれてしまってその場所の秘密を解明することは出来ていない。


 そうするうちに季節も進み、神殿の前庭のザクロは鮮やかな花をつけ、日向に立っていると動いていなくても汗ばむような陽気になってきた。


 ある日そんな日盛りの中で、ロシェがスラジアの表参道を掃除するため石段を降ろうとしたとき、眼下の亡霊遺跡を1人でうろうろ歩く人の姿を見かけた。


 危険を知らない観光客だろうか。

 亡霊や魔物に襲われでもしないかと心配になって、ロシェは上から彼の周囲に警戒を向けた。


 不用心な散歩者の後ろを、何か獣じみた影が2体、後を付けるようにして蠢いている。

 ――あれはきっと魔物だ。

 すぐに攻撃に出るような動きは見られないが、襲われないうちに迎えに行った方がいいかも知れない。


 そう思って、ロシェは庭を整えているフェリクスを呼んで一緒に観光客の元へ行くことにした。


「おい、危ないぞ。この辺は魔物や亡霊がわらわらいるんだ」


 声を掛けた散策者の男は、見たところ武器の携帯をしていなかった。

 ならばせめて用心棒を雇うなりして警戒しないと命に関わる。

 そう注意しようとしたロシェに、男は特に動じるでもなく、腕を組んで値踏みするような眼を向けた。


「貴殿がスラジア神殿のロシェ祭主か」

「そうだ、俺が祭主のロシェだ。後ろから魔物が付いてきているのが上から見えた。早く避難を――」

「そうやって何にでも嘴を挟むと命がいくつあっても足りんぞ」

「……?」


 2体の魔物が男を追い越してロシェの前に躍り出る。

 それは魔犬のような見た目だが、狼より体躯は大きく、蛇の尾と瞳を持つ。


 口吻に皺を寄せて牙を見せるその怪物が、まるで男の左右を守るように立ちはだかった。


 魔物を操る魔法使い――ロシェの脳裏にその言葉が浮かんだ。

 そんなことが出来る人物で思い当たるのは1人しかいない。


「お前、ギニョンだな!?」

「よく知っている。やはり森人どもを使って周囲を嗅ぎまわっていたのは貴様か」


 ギニョンのその声は静かであったが、しかし明らかに怒気が籠もっていた。

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