第12話 変装大作戦
「さて、代官に手紙を書きましたよ。一読して下さい、
フェリクスが一葉の紙を目の前で掲げてみせる。
彼がロシェの小屋には不釣り合いな高級そうな筆記具を持ち込み、窓辺まで引き摺ってきた食卓の上で、何やら書き付けていたのはこれだった。
「手紙って、何だっけ」
「西の森への立入申請ですよ。勝手に入ると公開刑にされるから、許可を取ろうって話をしたじゃないですか」
そういえばそうだった。
その後のごたごたですっかり大事な部分の記憶が薄れてしまった。
ロシェは流れるような線が連なる紙片に目を走らせた。
「字が上手いのは分かるが、達筆すぎて読めない」
「あなたの字はとても汚……個性的ですものね」
「俺みたいな出自で読み書き出来るだけでも中々のもんだと評価して欲しいところだ」
フェリクスは、魔物が西の森から沸いてるから祈祷のため中へ入れろと書いてあるだけなのですが、と前置きして読み上げる。
『プランシュレード公領、ナトニ代官・モンティニ閣下
今般、魔物悪霊の類の出没が著しく、これに襲撃される者が続出しており、我らが謹仕するスラジア神殿への参拝ばかりか、ナトニと他市を繋ぐ街道の往来まで障害を来しております。
我々も日々神殿に奉仕し土地の安寧を祈念しておりますが、我らの観測するところでは、御身が立入を禁ずる西の森より多く魔物及び悪霊の出現が見受けられ、つきましてはかれらを調伏すべく、祈祷のため西の森への立ち入りを許可いただきたく、閣下のご寛容を乞うものであります。
スラジア神殿付き祭主ペトルス拝』
「やっぱり最後はペトルスの名前になる?」
「確認して欲しいのはそこじゃないです」
「手紙文を耳で聞くのは厳しいことは確認した」
「ですよね。さあ署名して下さい。ロシェではなく、ペトルスで。そしたら代官まで届けさせます。足が十分良くなったらまた出掛けましょう」
ところが、それから1週間ほどして届いた返信は、『否』という回答だった。
トニトゥルア神官たちを送るので手を煩わす必要はないとのことである。
しかし今まで何もしてこなかった代官が実際にそうするとは思えなかった。
「となると、もう術者を直接叩く」
森に入ってもそれに代官が気付かないように、魔法を効かなくしてしてしまえばいいのだ。
「何か当てがあるのですか?」
「探知魔法を逆探知する魔法がある。俺はもともと不得手だが、レオンならまあまあ出来る」
今度はレオンを連れてまた森まで偵察に行ってみよう。
「念の為に確認しますが
ロシェは少しだけ考え、それからきっぱりと答えた。
「このまま放っておいてはいけない気がするんだ」
婉曲的に『気がする』と言ったが、本当は根拠も無く確信していた。
それこそ神々がロシェに向かってお前はそうすべきだ、と告げているように。
フェリクスはロシェの目をじっと覗き込む。
「承知しました。では“悪い魔法使い”を探しましょう」
年長者として諌められるかと身構えたロシェとは裏腹に、フェリクスは事も無げに言った。
◇◇◇◆◇◇◇
ようやく足が完全に治り、レオンを連れて再び森の入り口を訪れたのは、さらに3週間経ってからだった。
初めレオンは冒険者じみた依頼に戸惑ったが、結局は付いてきてくれた。
良い奴である。
「で、どうでした?」
再調査を終えて帰ってきたロシェに、今回は留守番をしたフェリクスが尋ねた。
「結果から言えば、駄目だった」
入口の双面の石像には、周到に逆探知を防ぐ魔法も掛けられていた。
森へ入りたい誰かが術者本人を狙うことまで想定してあるのだ。
「ま、探知魔法にはよくあることだ」
と、レオン。
「ただし、表でそんな凝った魔法が施されているから、さすがに森の中の像までは防御魔法はかかってないだろう、というのが俺とレオンの意見だ」
森の魔法は、不気味な礫岩の像を媒体としている。
おそらく森の中には、同じような機能の石像が他に何体も置かれていて、監視の網を細かくしているはずだ。
流石にその監視と防御をいくつも同時並行させるのは、手練の魔法使いといえど骨が折れる。
「逆探知するには、まず前提として、像そのものが手元にあるか、こっちが探知されるかしなきゃならないんだが……」
とはいえ、森に侵入すれば罪に問われてしまう。
さすがにレオンにそこまでやらせる訳にはいかない。
「こういうときこそ
フェリクスは薄い笑みを浮かべた。
「各地を渡って浮浪する怪しい奴に、森の中から石像の一部を取って来るよう、お願いしましょう」
そういう犯罪的な冒険者なら、侵入を探知されてもすぐに他の町へと流れていってしまうし、万が一ナトニで逮捕されても、遠慮なくトカゲの尻尾切りをしてしまえばよい。
「そんな薄汚い奴に依頼する方が危険じゃないのか。足が付いたら僧侶という世間体にも大いに傷が付くぞ」
「なので、我々も身分を偽ります。山師には山師ですよ。――異論なければ各種道具を取り揃えますが、いかがでしょう、
「……分かった。やろう」
数日後、フェリクスの元に1人の人足が大きな荷物を運んでやってきた。
フェリクスはそれを程々に上等な宿に移させると、そこへロシェを呼んだ。
指定した時刻は文目も分かぬ夜半で、身元が曖昧になるよう、僧服でも軍服でもなく、ごく普通の一般市民と同じ服を着てくるよう言い付けてあった。
その晩はそのまま同じ宿に泊まり、朝になると箱を開けて次々と中から変装用の衣装を取り出していく。
「今回は、僕が遊覧旅行中の気楽な貴族で、あなたが従僕という設定です。僕はちょっとした魔法愛好家で、珍しい美術品や歴史的な廃墟なんかにも興味のある、ごく普通の男です。仮にバンドラン子爵と名乗りましょう」
そう言って広げてみせた服は、深い緑色の上質なウール地の三つ揃いで、折り返された袖口の刺繍と編んだ金糸のくるみボタンの輝く
豪華さはあったが、旅の貴族らしく宮廷で着られるようなものよりはずっと簡素で、上着の裾の蹴回しの襞も幾分少ない軽快なものだった。
「あなたは……ピエール君でいいか」
ロシェの衣装の方は、型はほぼ同じ質の良いウールの三つ揃いだが、従僕らしく飾りの刺繍は控えめである。
しかしナトニの街を歩くその辺の市民の服装に比べれば十分煌びやかで、臙脂色の上下を黒の丈の短い中衣が引き立てている。
模様が施された真鍮ボタンも美しく、着てみればなかなか様になった。
「手下役とはいえ、こんな美々しい服を着れるなんてな」
「化粧をしてその散切り頭もきちんと上げて固めると、もっと男前になりますよ」
ロシェは立派な服を纏って単純に少しはしゃいでいた。
おそらく普通に暮らしていたら、こんな貴族風の上物を着る機会が訪れることは一生無いに違いない。
「貴族本人が着飾っても、家来のお仕着せが貧相では格好がつかないですからね」
フェリクスは持ち込んだ鏡に向かって、炭で暖めた棒状の鏝に、整髪油をべとべと付けた横髪を一束ずつ巻き付け、器用に螺旋状にカールさせていく。
見えない後ろ側の髪は大きく派手な織り物のリボンで纏めた。
出来上がった変装は流石の貴公子振りで、普段の質素な僧服に適当なひっつめ髪からは想像が出来ないくらい別人となっていたが、所作も自然で違和感は全くない。
「これはフェリクスの私物なのか?」
「いえ、僕の姪から借りたものです。僕自身はあまり沢山世俗の服を持っていなくて。変装計画を知らせたら面白がって色々用意してくれました」
「何か変装って楽しいな」
「喜んで貰えてなりよりです。が、仮面舞踏会へ行くんじゃないですからね。本番の幕が上がったら真面目に従僕して下さいよ、ピエール君」
「まずは手筈通りに、俺が冒険者組合に行って裏の仕事を請け負う流れ者を宿に呼びつける。頭金で30
レオンの魔法薬が定価で1
1
そんなに薬は要らないし、要るような状況になりたくはないが、思わず計算してしまった。
「フェリクスって、やっぱり金持ちなのかね」
「さあ。人と比べたことはないけれど、お金の心配をしたことはないですね」
フェリクスは肩を竦める。
出掛けようとしたロシェは、フェリクスの後ろを通った時、ふと彼の髪を縛るリボンの向きが傾いているのを目に留めた。
「あ、少し曲がっている」
直そうと手を伸ばすと、次の瞬間その手は音が出るほど素早く払い落とされた。
反射的に身を引いたフェリクスの怒りとも恐怖とも取れる眼差しと目が合う。
しかしその瞳はすぐに力を失い、動揺に揺れた。
「すみません……」
ばつの悪さに目を伏せるフェリクス。
誰かに頭部を触れられることに強い抵抗感を持っているのだと、突き放されてからロシェは気付いた。
「どうぞ、直して下さい。召使のいる男子が髪留めを曲げているのも格好悪いですから」
角の折れた跡を見てみたいという好奇心が頭を擡げたが、そうしたらきっと彼は傷付くだろうと思ったので、後ろ髪を結わうリボンだけに視線を合わせて、向きを直してやった。
宿を出たロシェが冒険者組合に辿り着いたとき、その建物の前にある喫茶店のテラス席にのんびり座っている赤毛の女冒険者と目が合った。
アベイユだ。
彼女はロシェをじっと見返してくる。
数瞬そうして見つめ合ううち、アベイユの方が変装した従僕風の男の正体に気付いてしまった。
大声で呼び止めようとするのをロシェは察知すると、慌てて駆け寄って隣の席に腰を下ろした。
「やっぱりロシェ祭主か。随分男前な格好してるけど、どうしたの」
変装がばれてしまったときの自然な言い訳をまるで考えていなかったので、答えに窮したロシェは洗いざらいを正直に話してしまった。
「なるほど。さっき君があんなにあたしを見つめるものだから、知り合いかと思って注視してしまったけど、そうでなければ気付かなかったのに。君は芝居があまり得意ではないのだね」
アベイユはからからと笑った。
「お誂え向きの冒険者を紹介しようか。もちろん口止め料込み有料で」
こうなってしまっては仕方がない。
「分かった。俺たちのことは旅の貴族とその従者ということで頼むよ」
「君より演技は出来るさ」
ロシェはアベイユを伴って冒険者組合に乗り込み、適当なごろつき2人を連れて宿へ戻った。
事前に言われた通り、ドアを3回ノックして帰還を告げる。
「入れ」
フェリクス、ことバンドラン子爵の尊大な声が応じた。
「よく来てくれたね。君たちが西の森へ行ってくれる強者か。依頼のあらましはそこの我が従者から聞いてはいると思うが、詳細を話そう。さあ、かけたまえ」
部屋で待ち構えていた子爵は、同伴したアベイユの姿にちらりと目を留めたが、全く表情は変えなかった。
アベイユの方も自然な様子で、着席を断って言った。
「あたしはこの街の冒険者として登録しているアベイユ。あなたの依頼を受けてこの2人を仲介した。彼らは数日内にこの国を離れることにしている。武器の腕前はまあまあだが、冒険者としての質は保証するよ。何か仁義に悖ることがあればあたしが請け負う。それじゃあ、あたしはこれで」
それだけ言って、部屋から出て行った。
ロシェは筋書きになかった展開に少しだけ緊張しながら戸口に控える。
あとのこの場の自分の役はここで畏まって立っているだけのはずだ。
冒険者2人はブランとブロンと名乗った。
十中八九これは偽名だろう。
「私はバンドラン子爵。北方のエクエステル国から各地を周遊中なんだが、魔法愛好家でね。趣味で色々と調べている」
バンドラン子爵は切り出した。
「さて、先日私は西の森には侵入者を探知する魔法が掛けられていることを突き止めた。森の入り口にある2体の双頭神像なんかはその媒体だ。なかなか高度な魔法で、私はその魔法をぜひ研究したいと考えているんだ。魔法の構造上、森の中にも同じ機能の像が置かれているはずだ。それを小さなもので良いから、こっそり失敬してきて欲しい」
全部ロシェの受け売りだが、まるで自分が解析したような堂の入った話し振りは舌を巻く。
「私自身で取りに行って罪科が付くとまずいのでね。君たちに汚れ仕事を頼むという次第だ」
自分の手は綺麗なまま、冒険者なら当然使い捨てても良いという傲慢さを隠しもしない態度は、演技であってもロシェには腹が立つものだ。
だが、冒険者たちは貴人からそのような扱いをされることに慣れているようで、何事もなく受け流した。
「それは簡単な仕事だ。が、そのままあんたに渡すと、結局バレてしまうぜ」
「受け渡し方法についてだが、今晩スラジア神殿に奉納してくれ。私は奉納品を調べてみるだけだから、何の罪にもならん」
なるほど、と頷くブロンとブラン。
「報酬金はスラジア神殿の祭主様に預けておく。『使いの者に特別な石像を奉納させるから、そうしたらその者に金を渡せ、もし明日の朝までに誰も来なかったら、金は私に返せ』と依頼する。金を受け取ったら速やかに街から離れるように。君たちが捕まっては私が困るからな」
「スラジアの祭主様か。彼なら金をちょろまかしたり弱みに付け込んだりはしないだろうな。委細承知した。しかし、そんな魔法の掛かった石っころのために130
「それこそが道楽というものさ。ははは」
バンドラン子爵は上機嫌で高笑いする。
こんなに表情豊かなこの男は見たことがなかった。
話を終えると、冒険者は出掛け、アベイユが戻ってきた。
「よく化けたものだね。まるきり本物の貴族じゃないか」
「ええ、本物の貴族ですけど」
ロシェがフェリクスにアベイユと会った顛末を説明する。
フェリクスはいつもの腰の低さで穏やかに言った。
「正体を露呈しまったのは失態ですが、信頼度の高そうな冒険者を紹介して貰ったのは上出来ですよ、ピエール君」
「ピエール君もこれでお役御免かな」
「まだお金を受け渡す
依頼内容そのものは難しいものではない。
今夜には冒険者たちは難なく仕事を終えてスラジア神殿まで石像奉献にくるだろう。
そうしたら、夜のうち直ぐレオンに解析してもらう。
おそらく翌朝あるいは遅くとも昼までには、異常を感知した術者本人かその配下が像を回収しに訪れるはずだ。
その頃には、冒険者は街から消えている。
もちろんバンドラン子爵も。
「さて、宿を引き払わないと。最後に旅の貴族と従僕としてスラジア神殿に参拝しに行きましょう。そこで変装を解きます。初めに荷物を担いで来た人足は姪の家の者で、まだ街に待たせてあるから彼にまた衣装箱を運んで貰います」
ロシェは見納めにと、鏡に自分の変装姿を映して覗き込んでみた。
「貴族や金持ちが何かと肖像画を描かせる理由が分かった気がする」
思わずそう呟くロシェ。
宿にはもともと鏡は設えられておらず、フェリクスの持ち込んだ胸までが収まる程度のものしか無かった。
全身が映る大きさの鏡は非常に高価なので一般家庭で目にすることは皆無だし、そうなると、自分で自分を見るためには画家に描いてもらうしかない。
「紙とチョークでもあれば、簡単に描いてあげようか」
アベイユが意外な提案をする。
「おお、それってまるきり貴族じゃないか、是非お願いしたいな」
ロシェがあまりに嬉しそうに乗り気なので、フェリクスはこの時間の無駄遣いを許してくれた。
近くの画材屋にアベイユを走らせて紙とデッサン用の赤チョークを用意し、1時間ほど絵のモデルを努めれば、紙の上に着飾った男性像が出来上がった。
「すごいな! ちゃんと肖像画だ!」
「短い時間でまあまあよく描けてますよ」
実際のところ、下手ではないが上手くもないといったところだ。
だが画中の人物の顔は、単純化されているものの一応特徴は捉えてある。
「あたしの絵は明らかに素人の出来栄えだけど、そんなに喜んでくれるとちょっとほっこりするよ」
「フェリクスも格好いいから描いてもらったら――」
と言って、ロシェはすぐに失言に気付いた。
椅子に凭れて頬杖をつくフェリクスの曖昧な笑みが深くなる。
それは、拒絶の笑顔であった。
後になってそっと問わず語りに教えてくれたが、フェリクスの父親は、家族の私的な幸福より、一族の繁栄や名誉を優先する典型的に厳格な人なのだそうで、今だに彼は角を失った息子を直視できないばかりか、かつての絵姿さえ目に入るのを嫌がり、そういう訳で、いくつかあったフェリクスの肖像画は1枚残らず破棄されてしまった。
「でも、前の自分と比べることが出来ないのも、悪いことばかりではないと思っています。今の僕は、かつての僕と同じ舞台には二度と上がれませんから」
そう吐露するフェリクスの穏やかな声の中には、諦念と仄かな怨嗟が混じっている。
そうロシェには聞こえた。
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