第11話 公表と謝罪

 フェリクスは亡霊の一体に捕まっていた。

 首を掴まれ高々と持ち上げられて、まだ意識は保っているようだが、抵抗する動きは既に鈍くなっている。


 そこへロシェは一足飛びに魔法を駆っていき、亡霊の腕を切り落とした。


 どさりと音がして、フェリクスが喉を絞めたままの亡霊の前腕ごと地面に落ちた。

 彼は膝をつき、上肢を支えに辛うじて体を起こしてはいるが、直ぐに立ち上がることは出来ないようだ。


 ロシェはありったけの力を込めて亡霊本体を蹴り飛ばし、


「燃えろ!!」


 距離を取ったところで、魔力を込める。

 亡霊の足元から上がった炎が忽ち全身を包む。

 ぞっとするような悲鳴をあげながら、着火した紙が縮れて灰となるように、亡霊の姿は雲散霧消していった。

 フェリクスの首を掴んでいた腕も同時に消え去った。


 その間に残っていたもう一体は身の毛もよだつ叫びを上げながら走り寄って来る。


 ロシェは、つと剣を持った腕を前に突き出す。

 槍状に強度を上げた地面が瞬時に持ち上がり、亡霊を串刺しにした。

 肢体を貫かれたそれは、やがてがくりと力を失って、また煙のようになって散っていった。


「フェリクス、立てるか?」


 一連の出来事を呆けた顔で眺めていたフェリクスだったが、呼びかけられて声の主に焦点を合わせると、もう一度亡霊を見たかのように表情を凍らせた。

 差し出された手を前に反射的に尻もちをついた形で後退る。


 フェリクスの眼に映ずる魔法使いロシェは、亡霊のようにおぞましいだろうか?


「ごめん」


 何について謝罪しているのか、自分でもよく分からないままとりあえず謝った。


 ほとんど恐慌状態の相棒をどう扱うべきか、考える。

 見たところ派手な流血は無さそうなものの、怪我が心配である。

 首に残る内出血が痛々しい。


 他にも血の匂いを嗅ぎつけて亡霊が寄って来るかも知れないから、一刻も早くこの場を後にしたいが、怖がるなと言っても無理だろう。

 いっそ亡霊の攻撃で気絶して貰っていた方が後始末は楽だったかも知れないと不謹慎なこともちらりと思い付く。


「フェリクス、大丈夫だ、落ち着け。力を抜いて、呼吸を深く」


 しゃがんで目線を合わせてから肩に手を置くと、フェリクスはびくりと体を震わせたが、ロシェの言葉に従って徐々に平静を取り戻していく。


「ロシェ……今何が」

「フェリクス、本当にごめん」


 ようやく少し理性的になったのを見計らうと、今度は心の底から謝って、ロシェは再びフェリクスの両肩を掴み直し、彼に重量を減ずる魔法を掛けた。


「えっ、何? 胃が浮く、みたい……うえ」

「魔法で軽くした。慣れないと気持ち悪いよな」


 相手に共感するような言葉で寄り添いつつ、一方で淡々と容赦なく肩に担ぎ上げる。


「魔法でって、何それ、僕に、魔法を?」

「とにかく早く帰るぞ。乗り物酔いしたら吐いていいから」

「魔法ってちょっと、僕は大丈夫なの?!」


 思ったより元気になった。


 声色から本気で嫌がっているのは分ったが、案外大人しく肩に乗っかっている。

 暴れたら自分が落とされてしまうのを理解しているのだろう。


「頼むから今だけは“秘密の特技”を発動させないでくれよ」


 今までドラゴンとか魔ウサギとか、移動補助の魔法を封じてその隙に討ち取ってきた。それをロシェ自身に使われては堪らない。


「気持ち悪いし吐きそうだし、こんな体勢で無理ですよ……」


 フェリクスは色々と諦めた様子で、頭を逆さにしたまま力なく答えた。


 ロシェは風を切って駆け出した。

 魔法の推進力を得て、見る間に景色が疾く後ろへ流れていく。


 感覚を鈍くして痛みを止めている右足は少し違和感がある。

 多分、最初に怪我をしたときより悪化はしているだろう。


 だが、馬が尾とたてがみを靡かせて全力で襲歩するように、完全に足が地面を離れて宙を飛ぶ瞬間が、本当は少し楽しい。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 自宅まで帰りつくと、ロシェはフェリクスをベッドに放り込んで魔法を解いた。

 自らはフェリクスの様子を見るため、近くに椅子を運んで深く腰を降ろす。

 痛みが酷くなってきた足首には、靴と靴下を脱いで適当に濡らした布をきつく巻いておく。


「うう、今度は体が重い……」


 フェリクスのうめき声が聞こえる。

 亡霊から受けた傷より、魔法に掛けられた精神的ショックの方が大きそうだ。

 転がされた体勢のまま起き上がらず、その場で四肢を投げ出してぐったりしている。


「本当にごめん」


 何度目かの謝罪を口にするロシェ。


「……いえ、あなたが詫びる必要は1つもありません。むしろ謝るのは僕の方。僕は助けてくれたあなたを一度拒絶しました」


 フェリクスはそう言って顔を手で覆った。


 いつもの穏やかな無表情を保てなかったのだろう。

 魔法による障害で情緒不安定になっているのかも知れない。

 ロシェは仮面の剥がれたその感情的な顔を少し拝んでみたいという品のない好奇心を自覚したが、その欲求には直ぐに蓋をした。


「魔法使いだったこと、隠しててごめん」


 ロシェも悪いとは思っていた。

 でも、言えば必ず、例え相手がフェリクスだったとしても、真っ先に僧侶としての適性を疑われる。


 これは誰にも言いたくなかったのだ。

 隠しきれるものならば、ずっと隠したかった。


「あなたが魔法の技能を隠すのは僧侶として当然のことです。魔法は禁忌とされていますからね。魔物を魔法で蹴散らせば良いのに普段は頑なに使おうとしないのも僧侶としては間違っていないし、あの亡霊遺跡でその禁を破ったことは、……人間として正しい」


 自分と同行者の命を助けるための行動を起こし、そして成し遂げたとこは誇りに思っても良いことだと、フェリクスは言う。


「あなたが謝って僕に許しを乞う必要は何一つ無いけれど、でも僕に魔法を掛けたことは謝って貰っていいですか」

「ごめんなさい。いや、それどういう心理なんだ」

「現状僕が感じているこの驚きと悲しみを、どこにぶつけていいか分からない」


 何に驚いて、何を悲しんでいるのかも実は咀嚼し切れていないらしい。

 単純に亡霊に襲われて、さらに得体の知れない魔法が我が身に降り掛かり、得体の知れない体調になっている不安だろうか。

 それとも、上司に重大な事実をずっとひた隠しにされていたことだろうか。


「あなたに“騙されていた”という感覚は湧いてこないし、あなたの魔法の技能は、あなたが今スラジア神殿の祭主であることを何ら毀損していません」


 彼の理性はそう告げていた。


 フェリクスはうっそりと起き上がると、ベッドの端に腰掛けた。

 その上体は少し揺れて瞳も怪しく小刻みに動いている。

 平衡感覚が阻害されて目眩が止まらないのだ。


「あなた人体に直接魔法を掛けるのは推奨されないって言いましたよね」


 その理由を身を以て知ったフェリクスである。


「ロシェは、平気なのですか」

「俺は訓練してあるからな、耐性は出来てる。それに俺は軽装魔法兵というやつで」


 これは主に魔法で機動力や身体能力を高めて、手数で勝負する、中・近距離戦を得意とする兵種だ。

 この程度の魔法でへたっていては戦場で生き残れない。


「頭もぼんやりして、少し麻薬類に中毒した状態に似ています。変な幻覚を見そうで怖いです。お医者様せんせい、治りますか」


 ロシェは、悪い方にキマってしまった経験があるんだ、と突っ込みたくなるのを喉元に押し込む。


「きちんと食べてしっかり寝れば1日で元に戻るだろう。魔物の粉でも処方しようか?」

「それは結構です」


 フェリクスが弱々しく、しかしにこりと笑顔を見せた。


「……角が、痛いです、とても」


 彼はようやく普段通りの曖昧な笑みを口端に乗せて、頭の上の何もないところを撫でるような仕草をする。


「幻肢痛というやつか」

「もしも僕にまだ角があったなら、目の前のあなたをどつき倒したいくらい痛いです」

「だからそれどういう心理なんだ」


 どのくらいの痛みなのか程度が全然伝わってこないし、有角人種のその感性は、ロシェには共感出来なかった。


 結局そのまま午後は2人で何もせずに過ごした。

 疲れ切って何も出来なかったという方が正しい。


 フェリクスは目眩と体のだるさが取れず、ロシェは足の痛みが引かず、裏参道の崖を登るのも表参道まで遠回りするのも難しく、日没後に日課としているスラジア神殿の扉を閉めることは諦めた。

 どうせ明日の朝に開扉することも困難だ。

 1日くらいは神々の像にも夜のひんやりした開放的な空気に触れていていただこう。




 日も落ちかけた頃、ロシェはようやく夕餉の支度に取り掛かった。


 今日は節約とか関係なく特別に肉を食べよう。

 取っておきの塩漬け豚を保存樽から出して、丸ごとの玉ねぎその他キャベツと人参、数種の香草と一緒くたに煮込む。


 簡単だが間違いの無いご馳走だ。


 柔らかい焼き立てのパンは無いから、かちかちに固まってしまったものをこのスープに浸して食べるのだ。


 料理が出来上がる頃には辺りは暗くなっていた。


 ロシェはフェリクスを食卓に呼ぶと、明かりを灯すよう頼んだ。


「ねえねえ、ロシェ。駆け出しの魔法使いは、魔法で蝋燭やランプの火を点ける練習をするそうですね。当然あなたも出来るでしょう?」


 しかし席に着いたフェリクスは悪戯げに言った。

 つまり、彼は魔法で火を灯すよう遠回しに要求しているのだ。


「どちらかというと、フェリクスは魔法使いを咎める立場では?」

「職務としてはそうなりますが、僕個人の好奇心としては、とても見てみたいです」


 敢えて魔法断ちしている身として不満を表明するため、半眼をフェリクスに向けてみたが、部屋が暗くて表情は伝わらない。


 そもそも、これみよがしに蝋燭を魔法で灯すなんて、傭兵だった頃でも幼稚過ぎてやっていない。

 フェリクスがその辺りの魔法使いの機微に疎いのは仕方がないとして、学もあるエリートがそんな魔法覚えたての魔法使いみたいな児戯を要求をしているのはやや滑稽グロテスクでもある。


「まったく。特別だからな。1度しかやらないから、瞬きしないでしっかり見てろよ。ほら」


 すると部屋中あちこち適当に置いてある蝋燭とランプ全てに同時に火が点った。

 質素な部屋が瞬間昼のように明るくなる贅沢な空間に変わった。


 フェリクスが子供のような感嘆の声を挙げたところで、勿体ないので食卓以外の蝋燭を消灯する。


 ようやく食事の時間だ。


「今日はちょっとだけ葡萄酒を原液で飲もうかな」

「ロシェはいつも水で薄めているのですか。そんな古代人みたいに」

「師匠が僧侶は薄めて飲むもんだって。それに薄めた方が飲みやすくないか? 節約にもなる」

「ああ、ニウェウス様もあまりお酒が強いかたではないですからね」

「でもフェリクスこそ今日は薄めて飲むべきだ。悪酔いするぞ」

「ええ? 僕は強いですよ」


 フェリクスは不満げに口を尖らせた。




「ロシェ、あなたは魔法が好きでしょう」


 食事もそろそろ終わろうかという頃、フェリクスがおもむろに言った。

 表情はいつも通り穏やかな微笑みを浮かべている。


「亡霊を魔法で撃退したとき、あなたは笑っていました」

「え」


 全然気付いていなかった。

 それは、怖がられても当然だ。


 だから助け起こそうとしたときにフェリクスは拒否反応を示したのか。

 本人は申し訳無さそうにしていたが、是非もない。


「……確かに俺は魔法が好きだよ」


 秩序を思い通りに変えてしまうあの感覚は、何ものにも代えがたいものだ。


「魔物相手なら人助けのために魔法を使っても、ばちは当たらないのでは」

「いや、それじゃやっぱり魔物と一緒だ」


 ロシェは首を振った。


「本音を言えば、俺はまだ魔法に未練がある」


 多くの時間を魔法使いとして過ごしてきたし、技術もずっと磨いてきた。


「でも俺の魔法は結局全部、人殺しのための魔法だ」


 もし今も魔法使いだったなら、魔法を使うこと、即ち人を殺すことに喜びを見出していただろう。

 自分にはそういう資質が確かにある。

 ある意味で、残忍さが武勲ともなる傭兵は天職だったかも知れない。


「俺はいつでも直ぐに“知恵ある魔物”に戻れてしまう。だから魔法断ちするんだ」

「レオン氏の言っていた魔法断ちというのが、魔法の品を頼ることではなくて、自身が使わないことだったとはね」


 フェリクスはふふ、と含み笑いをした。


「誰にも明かさないで欲しい」

「もちろん、請け合いますよ。これが頭の固い保守連中に知れたら、確実に良い顔されないでしょう。でも万が一そんなことがあれば、僕があなたの立場を全力で守ります」

 

 それから数日間は、足に障りのあるロシェのために、フェリクスは泊まり込みで日常業務をこなしてくれた。

 ほとんど何の指示もなく的確に動き、上司ボスに何か尋ねる場合も簡単な説明で理解した。

 ロシェの事故を知るや自主的に手伝いに来た気のいい大工たちも過不足なく差配し、怪我が早く治るように、犠牲式の鶏の数を増やした。


 いつもより増量された生け贄肉と共に、ニウェウス師匠がフェリクスを評した『けっこう有能』の言葉を噛み締めるロシェだった。

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