第10話 亡霊遺跡

 ロシェは色々と考えた末、スラジア神殿の西側の遺跡を越えて、西の森まで行ってみることに決めた。

 

「西の森に探知追跡魔法とは、きな臭いな」

「代官が本当に森に魔法をかけているとしたら、あまり感心しないですね」

「これは公然魔術罪とかになるのか?」

「人のいるところで使っている訳ではないですからね、微妙なところです。ただ秩序撹乱の咎はあるはずです。僕が領主なら罰します」


 本当は為政者の隣に神官団がいて、このような魔法を使うことを神官が諌めるべきなのだ、とフェリクス。


 代官が森に魔法を掛けさせているか否かは定かではないが、これが魔物の増加に影響を与えているのだろうか。

 一度試しに手前まででも足を運んで様子を窺えば、何か僅かな問題解決の糸口を掴めるかもしれない。


 フェリクスを連れて行くかどうか、少し迷う。


 亡霊が出るような場所だ。

 亡霊は人を襲って生き血を啜る。

 自分1人ならおそらく身を守れるし、万が一のことがあっても自己責任といえるが、戦えない人間の安全と命を背負えるかどうか。


 護衛として冒険者を雇うという考えもよぎったが、本音を言えば、機会さえあれば森の中を探索してやろうとも思っているロシェである。

 あまり部外者を入れない方が良いし、大っぴらに行動をして代官に目を付けられたくもない。


「必ず亡霊が出るという訳でもないですから。僕も行きますよ、上司ボス

「意外と勇気があるのな。俺は亡霊は割と怖い」

「僕だって襲われれば怖いですよ。ただ亡霊全てが敵対的とは限りません。守護霊とかって言うでしょう、理性があれば我々を助けることもある。その点も、神霊の類と一緒ですね。現に神々のように崇められている死者もいますし」


 フェリクスが比較的落ち着いているのは、亡霊とは何であって何でないのか、その辺りの分別がはっきり付いているからなのかも知れない。


「なんだって血なんか啜るんだ。元々が人間だった分、魔物より生理的な気持ち悪さがあるよ」

「神々も、精霊も、基本的にはみな血が好きです。我々には死と恐怖を連想させ得るとしても、血は生命の源ですから。死者が人を襲うのも、血を浴びると生き返る心地がして気持ちが良いからだそうです」


 教科書通りなのだろうが、まるで実際に死者から話を聞いてきたかのような口ぶりが少し可笑しい。


「おそらく我々も、」


 フェリクスは当たり前の話をするように微笑をたたえて穏やかに言った。


「死ねば亡霊として生者の血を求めるようになるのでしょう。『死者かれはかつての私であり、私はいつかに死者かれとなる』ですよ」




 スラジア神殿の西側、表参道の緩やかな下り坂の向こうは、あちこちに古い建物の痕跡が残る広い空き地になっている。

 街の跡地と言うには規模が小さい。

 おそらくはこの遺構群の全てが、山門や宝物庫、前神殿や斎沐所、あるいは神官たちの宿舎や参拝者のための宿坊といった、かつての神殿の関連施設だったのだろうと思われた。


 ロシェは以前何度かここまで降りてきたことはあった。

 今ほど魔物が多くないときは、物見遊山で散策をしたし、他の観光客もちらほらと訪れていた。

 西の森の前にも足を伸ばしたが、そこはその時から既に立ち入りを禁じられていた。


 魔物が増え、亡霊も姿を見せるようになり、加えてそれらに襲われる事故が起こると、危険を冒してまで見学しにくる客はほとんどいなくなってしまった。


「亡霊さえ出なければ、素晴らしい観光地ですね」


 フェリクスが物珍しげに周りをきょろきょろ見渡しながら言った。


「そうかな。まあ表参道を遺跡から見上げるスラジア神殿はなかなか絵になると思うが、それ以外は何も無さすぎて少し単調な気もする」


 その昔に、古い時代の遺跡ということで、古美術品などを探す発掘が行われてもいたようだ。

 そうした理由もあって、めぼしいものは粗方残っていないのだ。


「ナトニの街は木造建築が多いけど、トニトゥルア神殿を始め、古い石造りの建物の石は、色がここに残るものと同じだから、ここから建材として全て採ってきたのかも知れませんね」

「なるほど、それでここの建物が全然原型を留めていないで、原っぱみたいになっているのか」


 丘の上のスラジア神殿本体が比較的残っていたのは、神殿としての畏怖の念からなのか、単純に高所にある円弧状の石が再利用しづらかっただけなのか、それは想像するしかない。


「もしかしたら、トニトゥルア神殿の円柱などは、この遺跡のものがそのまま転用されている可能性もあります。あそこの至聖所の前室なんかは柱の様式が統一されていなかったので」

「そんなとこ見てるんだな……」


 トニトゥルア神殿の柱などまじまじと観察したことはないが、今度訪れたら注目してみようかなとロシェは思った。


 そのような取り留めもない話もしながら、かつては敷石で舗装されていたらしい道の残骸の上を西に向かって歩く。


 まばらに草が生える固く突き固められた土の上には、ところどころに割れた平らな石の欠片がまだ埋まっており、今や足元に注意しないとつま先を引っかけて躓きそうになる。


 排水用の側溝は半分崩れ、あるいは土砂で塞がれ、そこに茂る草は青々として、可憐な野生の花が風に揺れていた。


「あっ、あの辺りは床のモザイクが少し残っています。何の建物だったのかしら」


 フェリクスが道の向こうに見える遺構を指さす。


「寄り道はしないぞ」

「はい、上司ボス。でも、もし本当に魔物や亡霊がいなくなったら、またちゃんとした観光で来たいですね」

「いなくなったら、な」


 遺跡は長閑で、春先に盛んになる鳥の愛を乞う朗らかな歌声がどこからか聞こえてくる。

 安全が保証されてさえあれば、絶好の遠足日和といえた。


 ほどなくして礎石の跡などが多く見られる区画を抜け、森の入口が目の前に近づいてきた。

 ここまでで特に危険なことは何も起こらなかった。


 廃道は森の奥にもまだ続いている。

 正確な歴史は定かではないが、もしかしたらスラジア神殿の境内は、その最盛期には森の中にまで及んでいたのかも知れない。


 草原と森との境目に、道を挟んで2体の不気味な石像が置かれていた。

 暗い灰色の石材で出来ており、無骨な礫でざらついた角柱の上に、前面と後面に2つの顔を持つ境界の神アンピオプスの首が乗っている。

 顔立ちはわざとずんぐりと不均衡に造られて、蔦が這い苔の生えたその陰気な首は、ちょうど背丈ほどの高さになり、大きく強調された目が威嚇するように侵入者を睨め付けていた。


「なるほど、森に入るのを躊躇わせるような意匠です」


 フェリクスが像の鼻先に手を伸ばすのをロシェは慌ててはたき落とした。

 はたかれた手を不思議そうに擦りながらフェリクスが一瞬抗議の目線をロシェに向ける。


「森には侵入者を探知する魔法が掛かっていると言ってただろ。多分このいかにもな石像もそのシステムの一部で、触らない方が無難だ」


 ロシェの予想では、同様の石像が森の中の至るところに設置されていて、入る者の存在を隈なく見張っていると思われた。


 謎めいたアンピオプス像の向こうは木々が密に枝を伸ばし昼なお暗く、先に行くほどさらに暗くなって、樹木と茂みに遮られて奥まで見通すことは出来なかった。


 何か変わった気配があるかどうか、つま先立ちになって奥を伺ってみる。

 それで特に視界が良くなる訳でもなく、特段異常な様子はない。

 きちんと人が通れる道が設備されているので、入り口に気味の悪い石像さえ置かれていなければ、引き続き遺跡散策を楽しめそうな雰囲気だ。


 なおも目を凝らしていると、その視線の先に、ふいに四つ足の大きな生き物が現れた。


「鹿だ!」


 道の真ん中に佇むそれは沢山に分かれた大きな枝角を持ち、仄暗い奥からじっとこちらを見ていた。

 風に揺れる優しげな木漏れ日が、その巨躯に光り輝くまだら模様の陰を投げかけていた。


 鹿はしばらくはそのまま動作を止めていたが、やがてくるりと背を向けると、ときおり振り返りながら悠然と道の上を歩いて暗がりの向こうへと消えた。


「僕たちを、奥へと誘っているようですね」


 その堂々たる生き物の、例えば鹿の角を持つラシルヴァ神の化身を思わせる一種の神々しさは、まるで神の御使いであるかのようだった。


「とはいえ、森に入ると世俗で個人を特定されて公開処刑だ。それだけは嫌だな」

「無断で入るから逮捕されるのであって、普通に代官に許可を取りましょう。我々が森に入る道義はあると思う」

「代官がすんなり許可するかな」

「あなたが代官を信用していないように、代官もあなたを信用していないでしょうね」


 フェリクスは少し困ったような微笑を浮かべた。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 森からの帰り道、再び遺跡の道を戻っていると、フェリクスが途中でぴたりと足を止めた。


「?」


 ロシェもつられて立ち止まる。フェリクスの顔色がさっと変わった。


「何か、居る……!」


 その言葉が合図となったのか、右前方に虚空からぬらりと人影が姿を現した。

 その頭には羚羊カモシカの角を頂き、歴史劇の演者の衣装じみた古ぼけた服装をしている。

 まだ周囲は明るいのに、顔だけは黄昏時のように影になって、不自然にはっきり見えない。

 だが落ち窪んだ目は夜行性の肉食獣のように爛々と輝き、その敵対的な眼差しはこの世のものとは思えなかった。


 ロシェは咄嗟に剣を抜く。


亡霊ああいうのって確か剣が利くよな!?」

「物理的に噛みついてくる以上、剣は通りますよ。が、すぐ後ろからももう一体来ます!」

「挟み撃ちはまずいな、いったん距離を取る。劇場跡の方へ逃げるぞ」

「一般的に亡霊が我々の秩序に干渉できる時間は限られています。時を稼いで!」


 2人揃って急ぎ駆け出した。


 だが、劇場跡に至る一歩手前で、ロシェはぞっとするような亡霊の雄叫びを聞いた直後、背中に強い衝撃波を感じた。

 と同時に、自らの体が半円劇場の上から宙に投げ出され、そのまますり鉢状の底の舞台まで弧を描きながら落下していくのが分かった。


 これは、まずい。

 魔法を使うなんて想定外だ。


 おそらく、同じことがフェリクスの身にも起こった。

 位置的に劇場の天辺から落ちるのは免れたと思うが、最悪転んだ勢いでどこかに頭を打っているかも知れない。


 瞬時にそこまでは考えたが、あとはそんな余裕もなく、無念無想だ。

 吹き飛ばされた身体は窪地の途中、ちょうど観覧席の石が失われて柔らかく草の茂った上に落ち、そのまま斜面を底まで転げて行った。


「――っ」


 ようやく落下が止まっても、ロシェは少しの間動けないでいた。


 あちこち体が痛む。


 焦る気持ちを抑え努めて冷静に、一呼吸して今自分が置かれた状況を分析する。


 特に痛いのは右足首。

 痛みは強いものの、そろそろと動かしてみるときちんと動く。

 大丈夫、折れていない。


 他の痛む箇所も打ち身にはなっているだろうが、骨や内蔵に異常は感じられない。

 幸運にもどこも大きな怪我にはなっていなさそうだ。


 少し手を擦りむいたが出血は殆ど無く、剣を握るのにも支障はない。


 肝心の武器は、幸い直ぐ側に放り出されていた。

 こちらも壊れてはいない。


 だがこの足で、家屋にして2階か3階分を急ぎフェリクスの元へ駆け上り、彼が嬲り殺されてしまう前に2体の亡霊を撃退して助け出さねばならない。


 ロシェはそれが絶望的に難しいことを把握すると、諦めとともに、覚悟を決めた。


 体の一時的に痛みを感じないようにする。

 これで普段通りに動かせる。


 それから体に重力がかかるその

 体全体が軽くなり、一瞬水の中に浮かぶような独特の力を感じた。


 一気に飛び上がるとそれだけで軽々と身長を超える高さまで達する。

 ほんの数歩跳ねるだけで、もう劇場の最上段に戻ることが出来た。


 秩序をほしいままにする万能感に心は昂揚を覚える。


 魔法を使うこの感覚は久しぶりだった。

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