第9話 魔法屋レオン

「さて、薬を買いに魔法屋に行こうか」


 ロシェは、おそらく興味あるだろうと思ってフェリクスを誘ってみた。

 きっとそんないかがわしい店には足を踏み入れたことが無いはずだ。


「魔法屋、ですって?」


 ロシェの言葉にフェリクスが目をしばたいた。

 薬と魔法屋の関連が頭の中で繋がらないのだ。


「ナトニの北門の近くに、傭兵仲間だったレオンという男がいる。奴は回復魔法の手練で、引退してたまたまそこで魔法屋をやっているんだ」

「回復魔法」


 フェリクスはぼんやりと単語を繰り返す。

 こちらもあまりピンと来ていないようだ。


「それって魔法で傷を治すってことですかね? 魔術罪では……」 


 首を傾げつつ僅かに顔を顰める。


「レオンはそれも出来るけど、市民相手には普通はやらない。人体は小秩序ミクロコスモス、急速に怪我が治るようには出来ていない。体にそれなりに負荷がかかるんだ」


 傷を塞ぐとか、血を止めるとか、痛みを軽減するとか、そういう魔法は戦場での応急処置だ。

 人体に直接作用するような魔法は、人体の元々持っている秩序を大いに乱すので、基本的にはあまり推奨されない。


 傷は治っても身体そのものが弱って死んでしまう可能性もある。

 魔法による救命と予後の秩序障害を天秤にかけ、その反作用をなるべく抑えながら回復するのが魔法使いの手腕の見せ所だ。

 レオンは加減が上手かった。


「ほんの少し人の治癒力を高めるような魔法薬を作っているから、それを買いに行く」

「魔法薬って何で出来ているんです?」

「精製した牛脂と卵に、香り付けのハーブ、何かの魔物の粉と、魔法的な何かかな」

「魔物の粉と、魔法的な何か」


 またもや復唱するフェリクス。

 謎めいたダーティな成分に身を震わせて額を押さえた。

 魔物素材の使用は完全に違法だ。

 もっとも、粉になって油と混ぜられてしまえば、その成分など傍目に分かる訳はない。

 公然の秘密のようなものだ。


「ダルテオス神の霊水よりは効くと思うけど」

「そんな気味悪いものを傷に塗りこむくらいなら、ただの水の方がましに思えます。ロシェは日常的に使っているんですか?」

「昔は頻繁に使ってたが、今は宗教的配慮で使ってない」

「偉いですね。……普通の市民は皆使っているんですか?」

「多分、半々。フェリクスみたいに物凄く嫌がる人と、俺みたいに全然抵抗無い人と」


 この様子だと、フェリクスは魔法薬の存在さえ知らなかったようだ。

 彼は本当に犯罪のことを知らない。


 しかしロシェは思い当たった。

 この人は、そのような犯罪を取り締まり、罪人と隣り合わせになるような下っ端仕事をするためには教育されてこなかったのだ。


 本来の彼の生まれからしてみれば、このような薄暗い世界は縁遠いものだったはずだ。

 むしろ、汚らわしいものどもは敢えて彼の目からは隠されていたかも知れない。


 もし彼に失われた角さえあれば、今なお儀仗神官としてその角を美しく飾り、壮麗な祭服を着て、華々しく祭祀を行い人々の崇敬を一身に集める、そういう綺麗な役どころを演じていたのだろう。


「で、どうする。行くか?」

「行きたいです」


 即答だった。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 ナトニの街の北門付近、目抜き通りから2本ほど道を外れた路地裏に、レオンの店はあった。


『呪術医療品・呪術道具・魔法品販売、呪医レオン』


 看板には、蛇の入った杯の絵と共にそう書いてある。


「なんだ、単に違法呪術師なんですね……」


 フェリクスがやや拍子抜けした声を上げる。


「魔法屋って言うと、ちょっと反社会的な感じがするからな。魔法使いより呪医の方が偉そうだし」


 とはいえ、レオンはあくまでも魔法使いであり、呪医というのもほどんど詐称なのであるが。


「さて、レオンはいるかな」


 無遠慮に扉を開ける。

 獣脂と生薬とが混じった独特の匂いが店内から流れてきた。


「いらっしゃい。お、ロシェか」


 客は他におらず、レオンは入口正面の奥に置かれたカウンターから出て、窓の近くに座って本を読んでいた。


 カウンターの背後の壁には小さな引き出しの沢山付いた薬棚がある。

 壁の他の三方には棚を置き、身につけて精霊の加護を得るお守りや、邪眼その他の呪いから身を護る護符、魔除けの模様の書かれた山羊の頭骨、病気を肩代わりさせる形代など、ごく普通の呪術道具がごちゃごちゃと並んでいた。


 レオンは、いつもと違ってロシェが背後にもう一人を伴っていることに気が付いた。


「おい、本物のお坊さんなんか連れて来るなよな」

「俺だって本物のお坊さんだよ」


 聞き捨てならない言葉にロシェは直ぐに言い返す。


「どうした、遂に魔法使いを摘発するまで出世したか」

「そんな訳ないだろ。普通に傷薬が欲しい」 

「珍しいな。『魔法断ち』してるんじゃないのか?」

「使うのは俺じゃない。ちょっと神前にお供えしようと思って」

「敬虔で結構なことだ」


 レオンは本を閉じて椅子を立った。

 清潔な白い前掛けをして薬師然としているが、体格が良い男で、左目の横に目立つ傷痕があり、確かに以前傭兵であったと言われれば容易に納得できる風貌である。


 それからカウンターまで戻り、こちらに背を見せて薬棚に向かった。


「どんな薬がいいんだ?」


 肩越しに尋ねられる。


「あー、内出血で終わらないくらい何度も強く打った怪我が治る感じ」

「お供えにしちゃ妙に具体的だな」


 レオンは使い道に心当たりがあったのか苦笑いをする。


「ほらよ。友情価格10銅貨クーだ」


 渡されたのは、手のひらほどの大きさの平たい蓋付き陶器。

 本当は倍以上の価格を取っていいものだ。

 しかし半額でも鶏1羽より高いので、ロシェにとっては気軽に買えるものではない。


 フェリクスが後ろから物珍しげに覗き込んできた。

 ロシェは薬の蓋を開けて彼に中を見せてやった。


「唇がカサついたときに塗るやつみたいですね」

「試してみるか?」

「……」


 フェリクスは製作者レオンの手前、微笑しただけで何も言わなかったが、全身全霊で拒絶した。




 帰りがけに、フェリクスは沢山ある細かい商品の中から、魔法の力で空中に浮く皿を見掛けて足を止めた。


 白い陶器の皿で、上には火もないのに中が明るく光る硝子瓶が乗っている。

 瓶は透明な色硝子でモザイク模様がつけてあり、指先で浮かぶ皿をくるくる回すと、皿に映ずる硝子の色とりどりの影も回転して目に楽しい。


「この光には癒やしの効果がある。――と言う人もいる」


 と、ロシェ。

 しかし魔法の光が健康を害すると言う一派もいる。

 おそらくは、各々の信心の度合によって効果が変わるのだろう。


 浮かぶ皿は魔法の品としては一般的なものだ。

 フェリクスは結構この玩具は好きだった。

 だが、浮いていて面白い、以外の使い方は特には知らない。


 店を出てから、フェリクスがふと呟いた。


「あのお皿、何ヶ月かすると地面に落ちちゃってただのお皿になるんですよね」

「魔力切れってやつだな。案外詳しいじゃないか」

「王都で一時、割と厳格な方が取締官だったことがあって」


 その時はこうした浮かぶ皿やら、暗いところで光るインクやら、止まらない独楽やら他愛のない押収品が、その数の多さに廃棄すらままならず、街中の神殿に溢れかえった。


「大量のお皿の浮沈する白昼夢のような様を見ていて、若かった僕はひょっとしてこの魔法を打ち消して意図的にただの食器に戻せるのではないかと思い付きました」

「それってまさか“秘密の”……」

「検閲に引っかかった初級魔法の手引本を読んで魔法の仕組みを勉強して――」

「それ良いのか?」

「良くないですね。でも僕、ちょっと発禁本読むくらいでは捕まらない家柄とそれに伴うちょっとした権力があるので」


 もちろん直ぐには出来るようにはならなかった。

 しかし、直感的に手応えを感じて、興味の赴くままこっそり練習しているうちに、何となく魔法を消してしまう方法を編み出してしまった。


「初めは面白がっていました。しかし、後になって気付いたのです、もしかしてこれは一種の魔法なのではないかと。僕はそう疑っています」


 フェリクス自身でも良く分からない。

 魔法によって乱された秩序を元に戻すことは神々の意に悖ることだとは思われないが、これも魔法だとしたら、神々は許すのだろうか。

 仄かな疑念があるから魔法封印の術は“秘密の”特技なのだ。

 

「魔法使いは神々から秩序を操る術を盗み取った一族の末裔というけれど」


 フェリクスは低い声で続ける。


「僕のこの高貴な血統には、魔法使いの血が一滴も流れていないと確信しています。もし僕が魔法を使えるのなら、それは人間の本性として神々に与えられた自然のもの、ということになりませんか」

「つまり、神官が魔法を禁じる理由はない、ということになる……のか? 結構その言説はまずいのでは」

「僕の立場ではとても公に出来ませんね」


 いつもの曖昧な笑顔で、溜め息をつくように言った。


 僧侶にとって、神々が造った世界の秩序たる“自然”の真の姿を追求するのは、神々を理解する大きな方法の一つだ。

 一方で、魔法使いは秩序を思いのまま変えるために、元の秩序とは何であるかを注意深く研究することが肝要なのだ、と発禁本には書いてあった。

 両者の姿勢はそこで交差する。


「僕は確かに魔法使いに興味があるんですよ。魔法には、既存の秩序ルールを壊す自由があります」

「本を読んだだけで魔法が使えるなら、結構才能はあるのかもな」

「僕も僧侶を辞めたら、魔法使いになろうかしら」

「……フェリクスは絶対僧侶の方が良いと思う」

「でしょうね。僕もそう思います」


 フェリクスは、莞爾にっこりと笑った。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 スラジア神殿に戻ると、魔法使いはまだ祭壇の前に蹲るようにして祈り続けていた。

 もしかしたら、半ば朦朧として眠っていたのかも知れない。


 実際のところ怪我であまり動けないのではないか、このまま神殿内で息を引き取ってしまうのだけは色々な意味でご勘弁願いたい。


 神域で人が死ぬのは神々には不浄で涜神でもあるし、人間としては良心も傷む。

 ロシェの心に薬を買う判断をさせたのは、魔法使いを助けようとするダルテオス神の導きに違いない、と信じたい。


「百薬恵むいとも清冽なるダルテオス様の神威を仰ぎ、我らこの礼奠を奉呈します。御身これを享け死すべき定めの我らにあわれび、致命の災異よりお守り下さいますよう」


 祈りを唱えて祭壇に魔法薬を供えた。


「一体、どうして西の森になんか行ったんだ」


 一仕事終えて息を付き、ロシェは傍らの魔法使いに尋ねてみた。


「……魔法使いの間では、そこに今だ封印されていない冥界の穴があると専らの噂でした。冥界の穴といえば、普通は神官たちが厳重に隠して近付けないから」

「まさか、冥界の穴から混沌の力を得ようとしたのか?」

「その通りです。確かにあの森には何か不思議な力が満ちている。とはいえ、あそこには森への侵入者を追跡する魔法が入念に張られていました。あれさえ無ければ、もう一度森へ入って奥を確かめてみたいものです」


 魔法使いにあまり懲りている様子はないが、公開笞刑はきちんと再犯への抑止力になっているようだ。


 ほどなくして魔法使いは街まで帰っていった。

 ダルテオス神に供えた薬はしっかり無くなっていた。


「ロシェ、あなたはさっきの話が理解出来ましたか?」


 黙って魔法使いとのやりとりを聞いていたフェリクスだったが、腑に落ちない顔をしている。

 魔法使い本人に疑問をぶつける勇気はなかったのだろう。


「何処が分からなかったんだ?」

「全体的によく分からなかったけど、特に混沌の力がどうの、というあたりです」


 なるほど、フェリクスは魔法使いが侵入禁止を破ってまで冥界の穴の元へ行こうとする理由は知らないだろう。


「魔法は世の理を歪める技術だ。不可能を可能にするけれど、決して万能じゃない。使えばどこかで秩序が歪む。魔法の規模が大きくなればなるほど、その分術者自身の秩序を乱してしまう」


 儀式の麻薬と似ているのかも知れない。

 用法容量を守って正しく使わない場合は、術者を破滅に追いやる。

 それを上手く受け流し影響を最小限にするのが魔法使いの技量なのだ。


「混沌の力をその身に取り込めば、どんな強力な魔法も思いのまま使えるという伝説がある。まさか実行する奴がいるとはな」


 フェリクスは口元に手を当てて記憶を辿る。


「小さい頃に読んだ物語には、悪役の魔法使いが登場しましたが」


 典型的な悪役としての魔法使いは、よく混沌を崇拝し、世界に混沌が広がるよう暗躍する。


「悪役だから無意味に世界を壊そうとするのだと思っていましたが、一応着想源はあるんですね」

「魔法使いが魔物素材を煎じて飲んだりするのも、混沌の力を得る一環だな」

「飲むんですか」


 その発想はフェリクスには無かったらしい。

 何を見るでもなく視線をやや下に落としていたのを、瞬間的にきょろりと上げて見開いた瞳をロシェに向ける。


「冬虫夏草とか熊の胆みたいなもんだ。レオンの店にもある」

「飲むんですか」


 いつもの曖昧な笑顔も少し引き攣り、心底気味悪がっているのが分かる。


 ロシェはフェリクスが魔法使いについてどう思っているのか、少し興味が湧いてしまった。

 戦地で出会ったニウェウス師匠は、相手がどんな属性であろうとも、魔法使いでも傭兵でも敵も味方も分け隔てなく、怪我をしていれば介抱をし、弱っていれば庇護し、亡くなれば弔う、そんな奉仕活動をしていた。

 そこには偏見も、偏見に伴う嫌悪も全く無かった。


 フェリクスは、言葉の端々に憧れめいたものも感じないではないが、ニウェウス師匠よりは保守的なようだった。

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