第8話 魔法使いの笞打ち

「ねえロシェ、今朝がた街中にドラゴンが侵入して大変だったのですが……」


 その日、いつものように遅刻してきたフェリクスだったが、いつものことなのでロシェは特に理由も訊ねないでいた。

 フェリクスは神殿に遅ばせの朝課の祈りを捧げたあと、のんびり神域の落ち葉を掃いているロシェに、自らも箒を手に話しかけてきた。


「おいおい、物騒だな。大丈夫だったのか?」

「僕が聞いた話では、家屋が1件全焼、両隣の2件が半焼、人的被害は無しとのことです」


 ドラゴンはこの間倒したばかりだ。それがまた出現するなんて。


「さすがの代官も肝を冷やしたようで、トニトゥルア神殿では神々を宥めようと、今度いつもより生け贄を奢るそうですよ」


 まさか以前にフェリクスが言っていた牛百頭の犠牲式が実現するのだろうか。

 もしそうならば、ちょっと野次馬で自分も見てみたいと淡い期待を抱いたロシェであったが――


「が、儀式は非公開で行うそうです。おそらくは、民衆が期待するほどには大規模なものではないでしょうね」


 この後に及んでの代官の吝嗇の前に、期待は儚くも瞬時に破れた。


「以上はアベイユ嬢から聞いたことです」


 先日共に戦った森人の女冒険者が、あれ以来ドラゴン退治の名を上げていて、今回も活躍を見せていたそうだ。

 彼女の少ない時間での情報収集は見事なものだ。

 ナトニの街のあちこちで働く森人たちの連携の成せる技なのだろう。


「で、さらに彼女によれば、このドラゴンを召喚した魔法使いを捕えたので、儀式に先だって公開笞刑をするとか」

「ふうん、魔法使いねえ」

「執行日が決まったら、見に行きませんか」

「えっ、処刑を? 意外だな。公開処刑を喜ぶ口だったのか」


 罪を犯した人物を縛って一方的に痛めつける野蛮なイベントを、このお上品な貴族が娯楽として消費しようというのは思ってもないことだった。


 木から落ちた猿を皆で一緒になって棒で叩く一体感と気持ち良さは分からないでもないが、ロシェ自身は、どちらかというと刑罰を受ける側に感情移入してしまって、あまり楽しめない方である。


「処刑をというより、魔法使いを」


 フェリクスは少しばつが悪そうな顔をした。


「なんだやっぱり“憎き”魔法使いが裁かれるのを見たいのか」


 魔法――例えば火を忽然と熾したり、風を自在に吹かせたり、水の上を歩いたりする――このすべを人間が使うことを、ロシェとフェリクスの宗派は教義上禁じていた。

 他の多くの宗派もまた禁じていた。


 理由は、神官たちの間では疑いようもなく明らかだった。

 何故なら、魔法の術は神々から不当に盗みとられたものであり、神々の定めた世界の秩序を乱すものだからだ。


 かつて歴史上では、魔法使いは魔物同然の神々の敵対者として、魔法使いであることそのものが罪とされ、殺されるか国を追われるかした。


 より文明の発達した当世では、魔法使いも法的な市民権を得ており、かつてのような宗教的な弾圧の慣習は廃れている。

 とはいえ、まだ多くの人の間で、その薄汚い枉惑な心証は完全には拭えていなかった。


 魔法を誰でも当たり前に使えるようになった今日こんにちでも、神官たちの教義に魔法禁止の条項は残り続けているためか、特に魔法使いを忌み嫌う神官は多い。


「そこまで原理主義者じゃないですよ。でもドラゴンを喚び出すような魔法使いを純粋に見てみたいです。聖都に魔法使いはいなかったし、王都でも僧侶が魔法使いと干渉するのは世間体が悪かったから」

「魔法使いだって人間だ。見世物の珍獣じゃない」

「いかにも魔法使いを人間だと見做すことは人間的な判断だと思いますが」


 フェリクスは躊躇いがちに目を泳がせる。


「我々神官組織の伝統を直ぐに棄却する気にはなれません。だから僕は魔法を禁じる、あるいは禁じない合理的な理由をずっと探しています」


 おおむね善良なこの男は、己の差別的な眼差しに抗する正義心と、伝統をいなむ背徳感の間で揺れているようだ。


「ま、参考までに俺に言わせてもらえば、刃物と一緒だ。料理するときに便利だが、公道で振り回せば危ない」


 ロシェにとってはそれだけのことで、歴史がどうとか、由来が何であるとかは関係ない。だが、だからといって魔法を悪とする“社会的道徳”とあえて対立する気概までは持ち合わせていなかった。


「それに、俺はドラゴン云々は眉唾だと思う。そんなこと出来るのはよっぽどの実力者だぞ。易々と捕まる訳がない」


 混沌の化身たる魔物をこの世に生み出すなど、おいそれと出来るものではない。

 ロシェは確かに傭兵時代に魔物を操る魔法使いを見たことがあったが、仮に召喚出来たとして、街を襲わせても何の意味もないだろう。


「もし罪人が大魔法使いなら、魔法を使って逃走劇を繰り広げるとかないかしら」

「公共の場で派手に魔法を使うのは公然魔術罪で犯罪だろ。魔法使いだって普通の市民だ。俺は戦場で対人戦に慣れた魔法兵を沢山見たけど、そいつらだって衛兵と民衆に囲まれて1人で逃げ出すのは難しいよ。多分、神話や英雄譚みたいな盛り上がる展開は無い。1人の男が笞打たれて、苦痛の叫びを上げるのを聞くだけだ」


 執行日は一週間後と決まり、そしてその日はロシェの言葉通りとなった。


 読み上げられた罪状は、立ち入りを禁じられた西の森に侵入し、ドラゴンを召喚して街に引き入れたこと。

 魔法使いは西の森に行ったことは認めたが、魔物召喚に関しては否定をした。


 捕えられた魔法使いは晒し台の上で、そこに設置された柱に後ろ手に縛り付けられ、恐怖に上擦る声で慈悲を乞うている。


 シャツと下穿きだけにされたその哀れな体に、容赦なく笞が打ち付けられる。

 ひゅっと笞のしなる音の後で打撃音が高々と響き、男の悲鳴が広場に木霊し、観覧者たちがわっと歓声を上げた。

 罪人の服は笞の一撃で裂け、露わになった肌は血が滲み出し、みるみるうちに赤く腫れ上がっていった。

 それがさらに4度続き、晒し台には血溜まりが出来上がった。


 笞刑そのものはそれで終わりだった。刑罰としては軽い方だ。処刑人は撤収し、公開刑は幕を閉じた。


 彼を、さらに民衆が打つことは禁じられている。同時に、手を差し伸べ治療を施すこともしないよう定められていた。


 魔法使いは、それからしばらくは尚も肩をひねる無理な姿勢で括り付けられる。その間は痛みに喘ぎながら、祭りに興奮する群衆のための残酷な娯楽として謂れのない嘲りと罵りに晒され続けるだろう。


 一連の出来事を遠目に見ていたロシェはフェリクスの反応が見たくて目を合わせた。

 彼は、口端にいつものように無表情な微笑を湛えていたが、眉根に僅かな力を寄せている。

 少なくとも自分と同様に処刑を楽しんだ様子ではないらしいことに安心を覚えた。


 その後、何となく沈んだ気持ちを落ち着かせようと入った適当な食事処にて。


「偏見を助長するようであまり言いたくはないが、」


 ロシェはフェリクスの奢りで注文した少し豪華な昼食に舌鼓を打ちつつ、フェリクス相手に駄弁りながら眉を顰める。


「魔物が住みやすい環境は、魔法使いが魔法を使いやすいんだ」


 魔法は世界の秩序を思いのままに変える技術だ。秩序が乱れている方が、魔法使いには都合が良い。


「魔物だけでなく魔法使いも増えてきた」


 豚の生姜焼きに刃の摩耗したナイフを何度も往復させながら呟くロシェ。


 魔法使いには冒険者も多い。

 魔物がいれば、退治や護衛の依頼が増え、冒険者たちも懐が潤う。

 悪いことばかりではないが、治安の悪化をひしひしと感じる。


「魔法使いは西の森に入ったと言ってましたね。西の森って、スラジア神殿の表参道の向こう、亡霊が出るっていう遺跡を超えたところにある森ですよね。ドラゴン召喚が嘘なら、なぜ危険を冒して行ったのでしょう」

「……」


 豚肉があまりに切れないので、仕方なく大きな塊を丸ごと頬張ってしまった。

 フェリクスは口に物が入ったまま喋られるのは嫌らしく、ロシェがそれをちゃんとゆっくり味わって飲み込むよう手で合図をする。


「……ナトニの代官は神官が嫌いな分、魔法使いには寛容だ。それが、森に不法侵入しただけで、変な冤罪でっち上げられて公開笞打ちというのは腑に落ちないところもある」

「西の森に秘密が……?」

「俺も西の森には何かあると思う。それこそ冥界の穴とか」

「西の森、気になりますね。――おかわり要ります? お食後デセールは? 頼んでいいですよ」


 いつの間にか皿を空けたロシェに向かって、まだ自分の分は半分ほどしか食べていないフェリクスが言った。


「僕に付き合わせて不愉快な思いをさせましたからね。せめてたっぷり食べさせて埋め合わせようと思っています」

「普通に嬉しい」


 露骨に食べ物で機嫌を取ろうとするフェリクスに、あっさり買収されるロシェだった。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 翌日のことである。


「――秩序の安寧を賜び給いますように」


 ロシェとフェリクスが揃って正午の祈りを唱えている最中、背後で誰か神室の外に立って一緒に祈りを捧げる人がいた。

 礼拝を終えて振り返ると、それは件の魔法使いであった。


 まだ笞打たれた傷が痛むだろうに、ナトニの街からここまでやってきて、裏の崖を上がってきたというのか。

 驚いてロシェが声を掛けると、刑罰で医者から治療を受けられないので、神頼みにここへ来たのだという。


 魔法使いは、お供え用に固く焼いたパンと小瓶に入った香油を祭壇に捧げると、医神ダルテオスの像の前に跪いて、傷の快癒を願掛けして祈りの文言を繰り返した。

 呼吸時に傷が痛むのか、時折声を震わせることもあった。


 フェリクスは犯罪者の参拝にも全く顔色を変えなかったが、彼に場を譲って堂の外に出るやいなや、ロシェに向かってこそこそと耳打ちをした。


「魔法使いです、どうしましょう」


 ロシェはその表情に仄かな恐れを感じ取った。


 僧侶たちの間では伝統的に、魔法使いとは忌むべき魔法を使う神々の反逆者であり、人類の裏切り者であり、魔物の一種であるとされている。

 例え理性の上で魔法使いも同じ人間だと認めていたとしても、無意識の差別や無知から来る恐怖は残っていて当然かも知れない。


 魔法使いも普通の市民であると固く信じているロシェでさえも、その実“知恵ある魔物”という蔑称はあながち間違っていないと思っていた。


 かつて戦場でまみえた魔法使いたちは、致命的で危険な魔法を明確な殺意をもって人に向けて来た。

 それは自分も同様だったからお互い様であったが、格言にあるように『最も恐ろしい魔物は人間の魔法使いである』と言われても仕方がないような殺し合いを、自分はしてきたのだ。


 だが無用な憎しみをフェリクスに抱かせる訳にはいかない。


「傷も痛むだろうに、可哀そうだ。何か塗り薬でも渡してやろうと思う」

「とても人間的ではありますが、医療行為は条例上多少憚られます」

「……薬をダルテオス神にお供えするだけだよ。それを誰かが勝手に取って使おうが俺の責任じゃない」


 祭壇の供え物は、必要があれば誰でも取って良いこととされている。

 必要かどうかは、各々が神々に問えば、神々が人の心に要不要の判断を吹き込む。

 真には不必要だと心が判断しているのに、欲得のために供え物を取れば、その者は神々から報いを受けるのだ。


「承知しました、上司ボス


 フェリクスはしばらく遠巻きに祈りを捧げる魔法使いを眺めていたが、やがて堂内に入り、魔法使いのすぐ脇を通り抜けて、青銅の医神像が捧げ持つ木杯を取り外した。

 これはダルテオス神像の典型的な持物じもつで、古道具屋から引き取ったときは失われていたのを、森人が新しく作り寄進したものだ。

 粗末ではあるが仕事は丁寧で、滑らかにやすり掛けされた胴には様式化した蛇の模様が浅く彫られていた。


 この木杯を手に裏の井戸まで行き、水を汲んで戻ってくると、フェリクスは足を引いて礼をしてから、祭壇の上に献上した。


「ダルテオス様の杯に神殿に湧く井戸水を注ぎました。きっとご霊験を得られますよ」


 魔法使いは歓喜して祭壇から恭しく杯を取ると、目を潤ませるほど大変有り難がって水を飲み干した。


「ああ、なんたる神徳、腫れが引いて痛みも和らぎました」

「あなたに神々のご佑助がありますように」


 そう声を掛けて、一層熱心に祈る魔法使いを堂内に残し、神殿から引き揚げた。

 

 ロシェは一連の様子を目の当たりにして、

「あれはどんな“魔法”なんだ? あの適当な鋳像と木杯からあんなご利益を引き出すなんて」


 興奮して口走ってしまったが、冷静に考えれば、僧侶に向かって魔法のようだ、という形容は決して褒め言葉ではなかった。

 しかしロシェは奇跡的な事象を前に、単純に感服して信心を深めた気になった。


「完全に気のせいですよ。水飲んだだけで傷が治る訳がないでしょ」


 ロシェの感動とは裏腹に、フェリクスは冷然と切り捨てた。

 ある意味では魔法使いの信仰心の賜物ではある。


「もっと神様を信じろよな」

「僕は疑いもなく神々が我々の幸福を左右し得ると信じていますよ」


 迷信は信じないけれど。

 フェリクスはやはり冷然と、一本調子に微笑みながら言った。

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