第3話 スラジア神殿

 ドラゴン騒ぎに時間を取られたものの、日はまだ十分に高いので、予定通り今日のうちにロシェは自らの仕えるスラジア神殿を案内することにした。


 スラジア神殿は、ナトリの西門から続く一本道を1時間弱ほど歩いた岩がちな丘の頂上にある。

 あたりは緩やかに起伏を繰り返す草原が広がっており、ところどころで広葉樹が群生して極小の林を構成している。

 道は平らで、体力の劣るフェリクスでも丘の麓までは歩き疲れる心配はないだろう。


 神殿のある丘は、そのまま神殿の名に因んでスラジアの丘と呼ばれている。


 神殿の入り口、つまり正面は西を向いており、丘のそちら側の傾斜は比較的なだらかではあるが、裏手となるナトリの側の斜面はほぼ崖のようなもので、短いつづら折りの細い道が頂上まで続いている。


「まあ、小さな街の鐘楼よりは低くて、幾分ましです」 


 フェリクスは足場も狭い急な階段を登りながら息を継ぎ継ぎ言った。


「丘の西側の方が坂が緩やかで、いわゆる表参道というやつなんだが、ちょっと遠回りで」


 それに、地元の人間は最近は神殿の西側には寄り付かない。

 何故なら、その辺りが魔物や亡霊が特に多く出没する場所として認識されているからだ。


 崖を昇り切ると、小さな神殿の裏手に出る。


「周柱式の円形神殿ですね」


 裏側からにも関わらず、一目見るなりフェリクスは明言した。

 これも教科書に書いてあったことだろうか。


「あー……師匠もそんな感じのこと言っていたな」


 ロシェは建築の専門用語は覚えていなかったが、つまり、円を描く神室を取り囲むように柱が立てられている古風な建築ということだ。


 3年近く前、ロシェがニウェウス師匠と共にここを訪れたとき、この神殿は廃墟であった。


 円形の神室は半分が崩れていたので、森人の大工たちの協力のもと、散乱していた石をパズルのように積み直し、足りない部分は小石とモルタルで補った。


 12本ある周りの柱は2本を残して全て倒れていて、これも一つ一つ起こした。

 それでもなお5本は修復不可能なほど壊れてしまっていて、そこは木の柱を替わりに立てて、新しく板葺きの屋根を掛けた。


 瓦礫の残る前庭を片付け、参道の銀梅花や月桂樹の伸び放題だった枝を整え、朽ちた葉は清掃し、崩れそうな裏のつづら折りも歩きやすくなるよう修繕した。

 もちろん神室内部も綺麗にして、空っぽの壁龕には新しく神像を据えた。


 そして、この打ち捨てられていた神殿をニウェウス師匠はロシェに与えた。


『この神殿には誰かが――お前が必要だから、ここに居なさい。それに、お前にもここが必要だから』


 そう残して、一つ所に留まる習慣の無い師匠は新しく旅に出て、ロシェはここスラジア神殿の祭主になった。


「美しい景色ですね。まるで絵のような」


 フェリクスの感嘆の声に、一瞬思い出に浸っていたロシェは現実へと戻された。


 丘の上から今しがた歩いて来た道を振り返って見晴るかせば、小ぶりな山を背に北と西を市壁で囲うナトニの街を一望出来る。


 市壁の外に広がる平地に目を移すと、点々と道沿いに植えられた木々が心地よい影を落とし、その間をぱらぱらと人や荷馬車が行き交う。

 草原のあちらこちらでは牛や羊が草を食んで安らっていた。


 季節は初春、ようやく寒さも緩み、良く晴れた空、南に昇ろうとしている太陽はまだ少し低いが、柔らかい日の光は草原じゅうの若芽を輝かせている。

 巡り来る季節を祝ぐ精霊たちが萌出た新しい草の上で踊り、その翻る衣の一撫でで固く小さな花の蕾を綻びさせるのももうじきだろう。


「魔物がいそうな感じはありませんね」


 幾分表情豊かに顔を浮き浮きさせて眺望を喜びながら、フェリクスが呟く。


 一体どうして、こんな綺麗なことろが魔物だらけなんだろう!

 ロシェは溜息をついた。


 秩序が乱れると、魔物が生まれる。

 これほど光溢れる平和な風景を生み出すこの地の何処に、そのような不穏な歪みが存在するというのだろう。


 それからロシェはフェリクスを案内しながら神殿の正面に回った。

 5段の前階段を昇った先にある両開きの木の扉は、参拝者のために半開きになっている。

 その単純化された植物模様の彫られた扉を押し開けながら、


「この扉も森人の大工たちが作ってくれたんだ」


 ロシェは言った。


 作られたのは最近のはずなのに、廃材を転用しているためやや傷んでいるのが、古風な神殿と絶妙に似合っている。


 円形の神室内部は、小さな丘の上の小ぢんまりした外観通り、やはり小作りなものだった。

 だが縦に細長い壁面の窓からの光が、新しい漆喰の白に反射して存外に明るい。


 石壁には3つの壁龕が穿たれ、それぞれに3つの神像が収められている。

 その前には簡素な祭壇が置かれ、よく磨かれた古い燭台や吊り下げて飾る魔除けの鈴、花や素朴な焼き菓子、薫物代わりの杉の葉が供えられていた。

 静かな外界から更に隔てられた寂然たる空気が、香の煙が幾重にも棚引くように堂内には満ちていた。


 フェリクスは凛とした足取りで神室の中央に進み出でると、しなやかな手つきで片手を胸にあて、ぐっと片足を下げて膝を折った。

 壁龕の神々に向かって敬意を込めた式礼である。


「……それ、ちょっと格好いいかも」


 今までバカ丁寧だの大仰だの気障だの感想を持っていたが、質素とはいえ神像で荘厳された堂内ではなかなかに様になっていて、“何かご利益がありそうな感じ”を演出している。

 なるほどこういうときに王国式挨拶は有効なのか。

 少しだけ見直した。


「真似していいですよ、上司ボス


 対するフェリクスはしたり顔で答えた。


 中央の壁龕には、牡鹿の角を生やした女神像が祀られている。

 枝と皮を落としただけの丸材に鑿の彫り跡も生々しい一木造りで、素朴な力強さがあった。

 フェリクスはこの女神を知らなかった。


「これはこの辺の森人たちの守り神、森の女神ラシルヴァ像だ」


 さすがにローカルすぎて教科書には書いていまいが、ナトニの街では森人の手になる小さなものがお土産品としても沢山売られている。

 神殿の修復を手伝い、今も何かとロシェの世話を焼いてくれる信仰心厚い彼らのために、一番格の高い場所に奉安してあるのだった。


 左右の神像は一般にも広く敬われる神を象ったもので、フェリクスにもこちらは一目で分かったようだ。


「右は薬杯を持つ医神ダルテオスと、左は有翼の犬を伴う冥界神オルクスですね」


 青銅で鋳られた医神像の方は、穴が空いて古道具屋の在庫処分品だったのを貰ってきた適当なものだ。

 重厚感には欠けるが顔は柔和で衣紋も優美、フェリクスによれば、真贋は分からないが100年ほど前に流行った様式に似ているということだ。


 冥界の神オルクス像は、ロシェが庭を耕しているときに土の中から偶然出てきたもので、おそらく作られた年代はかなり古いが、損傷も殆どなく、小振りながら透明感のある質の良い大理石で出来ている。

 目はしかと開いて遠く前を向き、口の端だけを上げる古拙な笑みを浮かべている。

 足元で翼を広げた持物じもつの有翼犬は、その牙で死者の領域を守り、またその翼で死者の魂を冥界まで運び、あるいは導くのだ。


「師匠も所属としてはオルクス神官団らしいし、一応俺もその端くれだろうから、相応しいかなと思って」


 ニウェウス師匠は、総本山のオルクス大神殿に太古の昔から祀られているというオルクス像の顔も、ここで発掘されたこの小さな石像に結構似ていると教えてくれた。

 ロシェは総本山を未だ訪れたことはないが、師匠の言葉を聞くと、この神像の格もいや増すように思えた。


 ロシェが神殿を改修しているときに出土したということで、神御自らがそれを寿ぎ石像として顕現したのかも知れない、そうであって欲しいとロシェは密かに奇跡を願っている。


 ロシェは、ふと、このオルクス像のアルカイックスマイルは、フェリクスのそれと似ているかも知れないと気付いた。


「ニウェウス様はオルクス神官だし、あなたもちゃんとオルクス神官ですよ。そこは推定にしないで下さい」


 ちょうどフェリクスが冥界神の像と同じような顔をして注文を付けた。

 穏やかだが感情の読めない顔、無表情ではないが共感を許さない顔。

 きっと古い彫像に囲まれて育つと表情の作り方も似てきてしまうのだ、とロシェは1人で納得した。


 再び堂内から外へ出ると、よく均された前庭の向こうに、緩やかな下り坂があった。

 むき出しの岩を縫うように生える常緑樹がそこかしこで光を受けて輝いていた。


 西のかた、丘の下まで伸びる参道は石で舗装されて、かつて多くの人が踏み歩いた名残か、摩耗して中央が窪んでいるのが、過去ここに人が存在していた気配を感じさせる。

 そして、今はその人たちが全て居なくなってしまったことも。


「こちら側も趣のある景色ですね。丘を吹く風の清々しいこと」


 フェリクスは額に納められた風景画を楽しむのと同じように、単純に綺麗な景色を見ることが好きなようだ。


 参道の向こうまで見渡すと、だだ広い土地が広がっている。

 そこは建物群の遺跡のようで、積石の残骸や人工的に配置された家の土台らしきものが、ぽつぽつと草の間から覗いている。


 北側の一画にはすり鉢状の半円の穴――小さな劇場跡も見える。

 廃墟となる前は、そこでは演劇や音楽などがスラジア神殿に祀られた神々に奉納されていたのだろう。

 さらにその先には豊かな森の影が湿潤な大気に青く霞んでいた。


 無邪気に絶景を喜ぶフェリクスだったが、ロシェは苦い顔をする。


「この参道を出て遺跡まで一人で行くことはお勧めしない。いや、絶対に行かないでくれ。魔物ばかりか亡霊まで出る始末で、危険なんだ」


 魔物がスラジア神殿の参道まではあまり登ってこないのは、流石の神力といったところだろうか。


「廃墟に亡霊、定番の肝試しですが……」

「試すなら命懸けだ。実際に死人が出ている」 


 ロシェはそこで魔物に襲われて亡くなった名も知らぬ人を弔ってやったことがあった。

 亡骸は獣か魔物かに食い荒らされて、大変無惨なものであった。

 誰かの魂の安寧をそんな形で祈るのは、やはり悲しい。


 ◇◇◇◆◇◇◇


 ロシェは休憩にとフェリクスを自宅に招いた。


 それはスラジアの丘のナトニ側、崖の麓にあって、質素な木骨造りの小屋だった。

 低い柵で囲われた庭も作られており、食べられるもの、薬になるもの、勝手に生えてきたもの、様々な植物が雑多に植えられている。

 手入れはあまり行き届いておらず、野趣あふれる庭、といったところだ。


「街よりここの方が便利なんだ。最初は有志の森人たちが壊れた神殿を修復する用具入れみたいな小さい建物だったんだけど、人が住めるようにして貰った」


 フェリクスを“厨房つき食堂”とはとても言えないようなささやかなダイニングルームに通すと、ロシェは部屋の片隅のオーブンも備えていない小さな調理台に、テーブルの上のやかんを持っていって五徳の下の炭を熾した。


 当たり障りのない雑談をしながら湯が沸くのを待ち、お茶を入れてやる。

 外国産の、ロシェにしては高級な物だ。もっとも、お供え物として捧げられて、いい加減古くなって引き下げたものなのだが。


 それにやはり古くなった元お供え物の砂糖菓子も付ける。

 フェリクスが普段どんな食器を使っているかは知らないが、コップと皿が大工から貰った粗朴な木製なのは我慢して貰うしかない。


 一頻りお茶を楽しみ、落ち着いたころ、


上司ボス、1つ質問があります」


 フェリクスは是非ともお答え願いたいとばかりに決然と言った。


「何だ」


 改まった態度に少しだけ動揺を覚えるロシェ。


「ナトニの街中、南側の山の中腹に、それなりの規模の神殿がありましたね?」

「ああ、トニトゥルア神殿だな」


 トニトゥルア神は天候、特に降雨を司る神だ。ナトニの街の主祭神で、神官たちもそれなりの数が仕えている。

 この辺りの祭祀を専ら取り仕切っているのは彼らであった。


「なぜ彼らを頼らないのです」


 むしろ、祈りによって秩序の回復を祈祷し魔物を調伏するには、祭主1人のスラジア神殿の神官よりは確実性か高い。


 ロシェはどう答えるべきか、少しだけ考えた。


「なぜって、」


 理由は1つではない。

 だが、それほど複雑なものでもない。

 ひとまずは極めて素直に答えることにした。


「第一に、俺があいつら嫌いだから」

「は、え?」


 フェリクスはお茶に伸ばす手をぴたりと止めた。

 あまりにも個人の感想なのが予想外だったのだろう、間抜けな声を出して、訝しげに琥珀の瞳でロシェを覗き込んでくる。

 首を傾げて納得がいかない様子だ。


「第二に、あいつらも俺が嫌いだ」

「そんな子供じゃないんだから」


 意地張ってないでお互い仲良くしなさいよ、と呆れ顔が返ってくる。

 が、子供の喧嘩ではないから厄介なのだ。


「あいつら俺をもぐりの呪術師だと思ってる」


 ロシェとニウェウス師匠がスラジア神殿を修復していたとき、トニトゥルア神官たちは2人を呪術師として、つまり犯罪者として代官に訴えたのだ。


 結局、師匠が総本山オルクス大神殿に一筆送り、ロシェをスラジア神殿の祭主とする公式な叙任状を取り寄せ、事なきを得た。

 だが、この恨みは絶対に忘れないロシェである。


「第三に、あいつらの半分は代官の息がかかってて、代官は大の神官嫌いで有名だ」


 流石に街の支配者といえども、民衆の崇敬を集める神殿から神官を1人残らず叩き出すなどという暴挙は出来ない。


 王国では神官の権力は絶大なものであり、そのようなことをすれば忽ち王国中枢の神官団に目を付けられて失脚の憂き目に会うだろう。

 だから代官は完全に自分の支配下で神殿組織を統御するため、自分の意のままになる神官とも言えないような神官を積極的に集めている。


 そういう訳で、トニトゥルア神官たちは最低限のことしかしない。

 魔物が出ようが、体を張るのは市警隊や冒険者であるし、襲われるのは旅人や行商、農家など市外で働くものであって、神官たちではない。

 神官はただ諾々と型通りの冠婚葬祭、加持祈祷、生贄供犠を行っていればよいのだ。


「はあ、まとめるとトニトゥルア神官と代官は信用に足らず、ということですか」


 孤軍奮闘ですね、と、フェリクスはすっかり諦めた声で、他人事のように呟いて砂糖の塊を1つ口に放り込み、ゆっくりとお茶を飲む。


「僕の仕事は他宗派との円滑な意思疎通を助けることかと当初は思ったのですが」


 そもそも協力しようなどとも考えていなかった。


上司ボスの人徳もそれほど期待出来そうもないですね」


 事実なので言い返しようもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る