第2話 突然の出来事
俺は何不自由なく生活していた。誕生した地、東京を去ることになったのは残念だった。だが両親が引っ越すというのであれば仕方ない。俺はそう思った。
だから幼稚園の友人と別れることも比較的すんなりと受け入れることができた。いや、すんなりと受け入れることができた、というよりは仕方がないという感情がそうさせたような気がする。
別れたくないと駄々をこねても何も解決しないのだ、ということを直感的に俺はわかっていた。だから、すんなりと受け入れたのだと思う。
東京を離れ、札幌に引っ越した。
札幌の家は俺の想像をはるかに超えた家だった。
俺はこれまでマンション暮らしだったので、一戸建てというものがあまり想像できていなかったが、想像できていないことを差し置いても明らかにデカい家だった。
三人家族にしてはあまりに大きすぎる。これはちょっとした屋敷だ。
両親曰く、札幌ではこれが普通サイズな家らしい。だが、近くの家と比較しても、大きかった。
「なあに、今にわかるさ」
と父、幸平が言う。
「それから順平、これを渡しておこう」
父さんは俺にボールペンを渡した。俺はなぜ? と思った。
「父さん、これは?」
「順平、これから小学校に通うだろ。鉛筆、シャーペン、ボールペンだ」
どういう意味だ? 俺はちょっと混乱した。
「ああ、すまない。ボールペンなら大人になっても使うだろうからな。ちょっといいメーカーのボールペンなんだ。小学校の勉強で使うもよし、将来使うのもよし」
混乱する俺の思考をなぞるように幸平が答えた。
「筆記用具として使っていいってこと?」
俺は質問した。
「ああ。ただ、父さんと約束してくれ。このボールペンは肌身離さず持っていなさい」
父さんはやや強く言った。
「どうして?」
俺は父に質問した。どういう意味だ、ボールペンを肌身離さず持っていなさいって。秘宝か何かか。俺は疑問に感じた。
「――お前のためになる」
と父さんは力づよく言った。そして、なあ母さん。と母さんに同意を求めた。
「そうよ、これはあなたにとって人生を左右するかもしれないものよ。しっかりと持っていなさい」
母さんは俺の頭を撫でながらそう言った。
「わかった」
俺はボールペンを握りしめながらそう言った。ちょっと違和感はあったが、俺には何が違和感なのか言語化することができなかった。
俺は小学校に通うことになった。
改めて言うほどでもないか。人間、この日本に住んでいれば年齢とともに自動的に小学校に通うものだ。
小学校では幼稚園と同じように友人には恵まれた。
なぜだろうか、俺は友達作りに苦労することはない。両親も俺が見たところ社交的な人間だ。俺は両親のそうしたところを譲り受けたのかもしれない。
なんて、思いあがりも甚だしい。俺と友人になってくれる人がいることに感謝、だよな。
学校は嫌いじゃなかった。勉強もすんなりついていけた。
小学校に通い始めてしばらくしてだった。俺は両親とリビングで話すことになった。
「どうだ、学校は?」
父さんがビールを飲みながら言った。
「楽しいよ、友達もできたし。勉強も楽しいよ!」
「そうかそうか。それはよかったな」
父は笑顔で言った。
「順平。実は言わないといけないことがあるんだ」
と父は俺に向き直って言った。手からビールは離れていた。母さんも俺のことを見つめていた。これから大切なことを言いますよ、と言わんばかりの顔だ。
「父さんと母さんの仕事についてだ」
「お仕事?」
「そうだ。順平、父さんと母さんはこれからしばらく家を留守にする」
俺は父の言っていることがあまり理解できなかった。留守にするって一日? 二日? いや、一週間くらいか。
「どのくらい?」
「わからない」
俺の質問に対して父はそう答えた。
「わからないってどういうこと?」
「仕事が……ちょっとばかしやっかいなんだ。でも家にはたまに帰ってくる」
「父さんも母さんも二人ともいないの?」
俺は聞いた。というか家にたまに帰ってくるってどういうことだ。
「そうだな。二人ともいない。だが、安心してほしい。この家にはお手伝いさんに来てもらうことにした」
父さんは話をそらすように言った。
「お手伝いさん……?」
「そうだ、お手伝いさんだ。この家に引っ越してきたとき、順平言ってたよな。この家ちょっと大きくない?ってな。実はこうなることをちょっと予想しててな」
と父は言った。正直どういう意味が俺には理解できなかった。理解できなかったが、両親がしばらくいなくなることは理解できた。もしかしたら俺の傍から両親が消え去ってしまうのじゃないかという思いに駆られた。
「まあ、不安だよな」
父は俺の表情を見てだろうか、声をかけた。
「不安、だね」
俺は正直に言った。
「そうだよなー。俺が順平と同い年くらいの時に同じことを言われたら不安になると思う」
父はそう言いながらタブレットを操作していた。
「お手伝いさんだけどな、この人たちだ」
俺にタブレットを見せながら言った。おいおい、結構な人数いるぞ。見た感じ十人くらいはいる。
「え……、こんなにいるの?」
俺はちょっと面食らいながら言った。
「まあな。父さんと母さん、これでもお金持ってるからな」
と父はガッハッハと笑った。笑うところなのか……?
「この人たちはずっといるの?」
俺はタブレットを見ながら聞いた。
「いいえ、ほとんどの人はたまにしか来ないわ。――この人だけは住み込みで働いてくれるわ」
ここで母、瑞希が割り込んできた。母はタブレットに映されている一人の女性を指さした。
「この人は誰?」
「羽村希美(のぞみ)さん、よ」
母さんはちょっとはにかみながら言った。俺にはなぜ母がはにかんでいるのかわからない。
「この人が父さんと母さんの代わり?」
「まあ、そういうことになるかな」
と父が答えた。
正直なところ、父さんと母さんと離れるのは嫌だ。だけど、東京から札幌へ引っ越してきた時のことを思い出すような気分だ。
これは拒否はできない。であるならば、状況を受け入れるしかない。そんな風に俺は思った。
「お前は大人だな」
俺の顔を見ていた父さんはそうポツリと呟いた。
「順平、父さんと母さん、仕事が終わったらお前ともっと一緒にいるな」
幸平は俺の頭をぐしゃぐしゃとしながらそう言った。
その次の日だった。
学校から帰ってくると家に一人の女性がいた。
「あ、初めまして。お聞きになってますか?」
と女性に俺は声をかけられた。正直驚いた、家の中に知らない女性がいるのだから。だが、前日にお手伝いさんが来ることになることを聞いていた俺は冷静さを取り戻した。というか、この人は母さんが言っていた住み込みの人か。
「羽村希美さん、ですか?」
俺はそうたずねた。
「お聞きになってるんですね! そうです、私が羽村希美です。これから住み込みでお世話になります。よろしくお願いします」
希美さんは俺にぺこりとお辞儀をした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺はなんとなく希美さんに親近感を感じた。だが、なぜ親近感を感じたのかはよくわからなかった。
ともあれ、お手伝いさんとの共同生活が始まった。
希美以外のお手伝いさんはたまにフラッと現れて俺に「こんにちは」とあいさつするとどこかへ行ってしまう。避けられてるのかな、俺。
というよりはなにか忙しない。両親の仕事と何か関係があるのだろうか。まあ、考えてもよくわからない。日々を一生懸命生きよう。俺はそう思った。
父と母は月に二、三度家に帰ってきた。帰ってきた時は家族水入らずで夕食を共にした。
両親からは学校はどうだ、友達とはどうだ。毎回だいたい決まったことを質問された。そして「大きくなったなぁ、順平」としみじみと両親ともに言われる。
俺はもっと両親と居たい気持ちもあった。だが、家にいる間も忙しなく電話やメールのチェックをしている両親の姿を見るともっと一緒にいて、と言うのは憚られた。
そうした生活が小学校六年生まで続いた。
学年が上がるにつれて両親が家に帰ってくる頻度は落ちていった。月に二、三度帰って来ていたのが、月に一度、二か月に一度、四か月に一度、半年に一度。
俺は寂しさを感じていたがどこか責任感、と表現すればいいのだろうか。お手伝いの希美さんとともに家を預かっているような気分だった。
次に両親に会ったときに褒めてもらえるようにもっと強い人間になろう。もっといい人間になろう。そんな風に考えていた。
小学校六年生、夏の終わりの日だった。
俺はいつもと同じように学校に行き、授業を受け、放課後ちょっと友人と遊び自宅に帰った。
俺は家の鍵を開けて中に入った。ちなみに俺の家は玄関の扉に鍵が三つつけられている。セキュリティは万全だ。
俺は家の中の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。いや、なにが違うのかと言われるとうまく言葉に表せない。
とにかく、家の中から不穏な雰囲気がした。俺は自分の部屋へ真っすぐ向かうと荷物を置いた。
そして、家の中をゆっくりと歩いた。いつもは二、三人俺の家でお手伝いさんが作業しているのだが、お手伝いさんの気配もしない。まあ、そんなこともあるか。
俺は希美さんを探すことにした。希美さんは住み込みだ。買い出しなどで外出する以外は家にいる。だから希美さんにただいまを言おう。そう思った。
だが、家の中を探したが希美さんの姿も見当たらない。そんなことあるか? 俺はかなり不安になった。今までにこんなことはない。
学校の友人には両親が共働きで家に帰っても誰もいない、という者もいる。だが、自分が経験するのは初めてだ。
まあ、今日はたまたま誰もいないのか。と俺が思ったときだった。
家の中で爆発音と家が振動するのを感じた。これは確実におかしい。音のする場所を探すことにした。言いようのない恐怖で心臓がどきどきと高鳴る。
音の発生源からは連続的に爆発音とマシンガンのような音が聞こえる。――これは父の部屋だろうか。俺は部屋に向かうかどうか迷った。廊下に立ち尽くしていた。
その時だった。廊下の壁から希美さんが現れた。俺は「えっ」と声を上げた。
だが、希美さんは俺の口に指をあて声を出さないようにジェスチャーをした。俺は希美さんに出会えたことで少し安堵した。しかしまだ不安は払しょくされない。
希美さんは母さんの部屋のほうへと俺の手を取り引っ張った。俺は引っ張られるままに進んだ。この時、俺は希美さんの右手に魔法使いの杖のようなものが握られていることに気が付いた。
母さんの部屋まで二人でゆっくりと進んだ。俺は母さんの部屋に入るのは初めてだった。希美さんは勝手知ったるという様子で壁際の本棚に進んだ。
その時、部屋のドアが吹き飛び、強烈な衝撃波のような感触が俺と希美さんを分断した。
俺は壁に叩きつけられ、呼吸が苦しかった。
扉のほうを見ると扉の周囲が破壊され埃が舞っていた。埃の奥に人影があった。
四十代くらいの男だろうか、いやもっと年上だろうか。顔に大きな傷のあるその男はファンタジーの世界でよく魔法使いが着込むローブのような姿だった。
そして手には希美さんと同じように杖が握られていた。
「――初めて会うな。二階堂家の恥さらし。そしてもう会うことはない」
男の声は低く、そして俺に対し嫌悪感を抱いていることを隠さずに言った。
そして男は俺に向かって杖を向けると「死ね」と言った。杖から光線が発射された。俺は本能的に死を感じた。
「跳ね上がれ!」
と希美さんが叫ぶ声と同時に俺のすぐ前の床が跳ね上がり、床が俺に代わり男からの光線を受け止めた。光線は受け止められたが、床が粉々になり俺に降りかかった。
俺は反射的に両手で床の破片を避ける動作をした。
「順平、こっちに来て」と希美さんは俺に叫んだ。俺は言われるままに希美さんのほうへ駆け寄る。
「逃げようとしてもな、無駄だぞ」
男は言う。
希美さんは本棚から一冊の本を抜き取ると俺の手を強く握った。
すると視界がぐにゃっと歪んだ。男が舌打ちするのを見た。
次に気が付いた時には街の中だった。
希美さんは握っていた本に杖をあてた。すると本がボっと燃え上がった。俺は何が起こっているのか全く分からなかった。
「希美さん、いったいこれは……?」
「いいからちょっと来て」
希美さんは俺の手を引いて歩きだした。俺は言われるままに手を引かれていた。
ふと周りを見る。あれ、ここってどこだ。俺の知っている街並みと似ているようでなんか違う。
それにさっきから気のせいか魔法使いのローブのような服装の人が多い。ローブの人に交じってワイシャツの人がいたりなんだかあべこべだ。
にしても家にいた男は何者だ。そして爆発音とマシンガンの音。一体なにがどうなっているんだ。俺は混乱していた。
二分ほど歩いたころだった。
「ここのお店よ」
と希美さんは言った。いつもと口調が違う。希美さんが指したお店は喫茶店のようだ。まずは何がどうなっているのかを聞きたい。
二人でお店に入った。席に着くのかと俺は思ったが、お店に入るなり希美さんはマスターのところへ真っすぐと進み、一言二言交わした。
マスターはギョッとした表情をした後に希美さんと俺をカウンターの中に招き入れた。
カウンターの中には扉があり、二人で進む。扉を入ったところには廊下といくつかの部屋の扉があった。
だが、希美さんは俺の手を引きつつそれらには目もくれず、一番奥にある階段を上り始めた。俺も手を引かれ階段を上る。
二階も同じようにいくつか部屋があった。そのうちの一つの部屋の扉を開けると希美さんは俺に入るように促した。
俺は促されるまま部屋に足を踏み入れる。部屋はベッドと机が備え付けられた質素なものだった。
「ここまでくればまずは大丈夫」
と希美さんは声を上げた。見ると顔は汗でびっしょりだった。
「希美さん、ここは一体。というか、さっきの人は一体誰ですか?」
俺は矢継ぎ早に質問をした。
「そうよね。驚かせちゃってごめんないさい。それにまさか家にまであの男が来ると思わず怖い目に合わせてしまってごめんなさい」
希美さんは俺に謝罪した。
「とにかく、ここは安全よ。まずは座りましょ」
希美さんはそう言うと杖を軽く振り机に向いていた椅子を引き寄せ、俺に座るように促す。俺は促されるままに座る。
「びっくりしないで欲しいんだけど、あなたは魔法使いなの」
いやいや何を冗談を。と思ったが、先ほどから目の前で繰り広げられていることは俺が学校で習ったこと、いや経験したことからあまりにかけ離れている。
というか、小説やゲームの中に迷い込んだような気分、というのが正しいだろうか。
俺がぐるぐると考えていると希美さんがまた話をつづけた。
「私も魔法使い。魔女ね。そしてあなたのお父さん、お母さんも魔法使いよ」
希美さんの言葉を俺は黙って聞いていた。
「隠していてごめんなさい。でも、あなたのお父さんがもしあなたが魔法界に入らなくて済むのであれば魔法界と関わらないで過ごして欲しいと願ったのよ」
希美さんはちょっと申し訳なさげに言った。
「父が僕には魔法使いになってほしくなかったと……?」
俺はたずねた。
「まあ、魔法界はちょっと頭のネジが外れた人も多いからね。……それにあなたの家系。二階堂家は魔法界でも名家と言われる家系よ」
希美さんは言った。俺は少し前まではね、と希美さんがポツリと小声で呟いたのが印象に残っていた。
「私は羽村希美、あなたのお母さんである瑞希さんは私の姉よ」
と希美さんは言った。
俺は通りで希美さんからはどことなく親しみやすい、懐かしい感じがしたのだと納得した。
「ちょっと驚いた?」
と希美さんは口角を上げて言った。
「驚きました」
「それにしても、ね。やっかいな状況よ。あ、そうそう。あなたのお父さんからこれを預かっているわ」
と希美さんは部屋の壁際におかれた机に向かって歩き出し、机の引き出しを漁った。中から魔法使いの杖が出てきた。
「これを、なにかあったらあなたにって」
希美さんから杖を渡される。
「ちょっと振ってみたら?」
と希美さんは言う。俺は言われるまま振ってみる。――が、なにも起こらない。
「あれー。おかしいな。きっとなにかの魔法が発動すると思ったんだけどな」
と希美は首をかしげる。思い返せばこうした仕草も母、瑞希に似ている。
「あ、そうだ。幸平おじさまから何か大切にするように言われていたものはなかった?」
希美は俺の顔を覗き込むようにして言った。
父さんから? 何か大切にするように言われていたものか。友達? 勉強? いやいや違うだろうな。
あ、もしかしたら。俺は胸ポケットに刺さっているボールペンを取り出した。というか今気が付いたけどボールペンがとても熱く発熱している。
「あー! きっとこれのせいね」
と希美さんは言うとボールペンを机の上に置いた。
「じゃあ、もう一度杖を振ってみて」
希美さんは言った。
俺はもう一度杖を振る。軽く振り下げたつもりだったが身体の中を流れる血液が杖に吸い寄せられるような感覚を覚えた。そして杖先から波動のようなものが出たのを見ると同時に部屋が揺れた。
「やっぱりねー。あなたも二階堂家の血筋だわ。生まれてからこれまでの間ずっと魔法を封印していたのに杖を振るだけで魔法が発動するとはね」
希美さんは苦笑いしながら言った。
今のが、魔法。
「とにかく、明日、いろいろ説明するわ。私も情報収集しないといけないし。今日はこの部屋でゆっくりして。――明日はあなたのご両親のこともお話します」
と最後に希美さんは口調を変えて言った。
その後、希美さんは隣の部屋に自分はいること、何かあったら隣の部屋に来ること、お風呂とトイレは共同利用なことを俺に伝えると自分の部屋に戻っていった。
俺は一日であまりの多くの情報量を流し込まれたためかなり疲れていた。
ちょっと横になろうと思った。
横になって今日自分の身に起こったことを振り返る。
魔法、謎の男、希美さんの存在。すべてが俺にとって寝耳に水。
まあ、考えてもしょうがないな。ちょっと風呂に入って、明日希美さんにいろいろ聞くか。
俺はこれからの生活が大きく変わりそうなことをなんとなく感じていた。
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