第3話

「お帰りなさいませ。旦那様」

 くれないの身の回りの世話をする女性が挨拶をした。

「やあ、如月きさらぎ。いつもありがとう」

「いえ。仕事ですから」

「冷たいねぇ。紅は君を姉のように慕っているんだよ。これからもよろしくね」

「はい」


 川沿いを自転車で走っていた紅は、河川敷で学生服を着た少年達を見た。

「何あれ? うそっ。あの子殴られてるじゃん」

 正義感の強い紅には、集団で一人に暴行を加えていることに我慢ならなかった。しかし、紅一人ではどうにもならない。

「如月を連れて来よう」

 急いで屋敷へ戻った。


「如月! お願い一緒に来て!」

 紅は自転車を乗り捨て、玄関に入るなり叫んだ。

「どうしたんだ、紅」

 最初に出てきたのは、紅の父、藤堂だった。

「あら、あなた来ていたの?」

 と冷たい反応。

「でもいいわ。車を出して。如月も早く」

 藤堂の車に如月、紅、藤堂、榊も乗り込み、河川敷へと向かった。

「紅、何があったんだ?」

「暴力事件よ。止めないとあの子が死んじゃうわ」

「そりゃ穏やかじゃないな。法定速度で急いでくれ」

 藤堂が運転手に言った。

「いいわよ。スピード違反しても。あたしには関係ないもん」

「それじゃ、大人は困るんだよ」

 川に着くと、紅は車を飛び出し、河川敷へと走った。けれど、もうそこには少年達はいなかった。藤堂たちも河川敷へ降りてきたが、

「もういないな。帰ったんだろう。きっと大したことなかったんだよ」

「そんなことはない! ひどかったんだよ。殴ったり蹴ったりして」

 紅が目を落とすと、そこには血痕があった。

「見てよ。血が出ているのよ」

「紅の言うとおり、暴行を受けていた子は怪我をしているようだね。まだどこかにいるかもしれない。みんなで探そう」

 しばらく探したが、怪我をしている少年は、見当たらなかった。

「自分の足で帰ったのかもしれない。今は僕らには何も出来ないよ」

 落ち込んでいる紅の肩に手を置き、藤堂が言った。

「そうね。あたしには何も出来ない。本当、理不尽なことがまかり通るこの世の中、間違ってるよ」

 これ以上誰も、紅の気持ちを静める事は出来なかった。紅は何も出来ない悔しい思いを抱えながら屋敷へ戻った。


「紅様、お昼の準備が出来ましたので、食堂へいらしてください」

 部屋へ閉じこもった紅に、榊が声をかけた。

「要らないわ」

 と返事が返って来た。食べることが好きな紅が食事をとらないのは珍しい事だった。せっかく会いに来た藤堂も、独り淋しく、昼食をとり、帰っていった。


 午後の客が来て、紅はそつなくこなし、また自室に閉じこもった。無力な自分がよほど悔しかったのだろう。人が傷つけられるのを目の当たりにしたことも、ショックだったのかもしれない。


 夜になると紅は眠り、神が起きた。


 神はいつもの着物に着替え、紅の部屋の窓から外へと飛び降りた。神の行く先はあの河川敷だった。河原に一人の少年が仰向けに倒れている。顔色は蒼白で息絶えている事は見て取れる。しかし、神は少年に問うた。

『生きたいか?』

 それに少年は精神の声で答えた。

― 生きたい ―

『ならば生きよ』

 神は少年の胸の辺りに右手をかざした。柔らかな光がその手からほとばしり、少年を包んだ。ほどなくすると、少年の止まっていた心臓は再び動き出し、頬に赤みが差してきた。神の左手は炎で焼き尽くし命を奪うが、右手は命を蘇らせる力があるようだ。濡れていた少年の服も乾いていた。


「おい、やめようぜ。もう死んでるかもしれない」

「そうだよ。もう下流へ流されてるだろう」

 昼間の少年達が戻ってきたようだ。

「おい、見ろよ。誰かいる」

「女か?」

 少年の一人が懐中電灯を向けると、少年を見下ろす神がいた。

「おい! お前そこで何をしている」

 神は答えなかった。

「あそこで倒れているの、山本だろうか?」

「たぶんそうだろう」

「死んだかな?」

「あの女のせいにしようぜ」

 四人の少年達は、こそこそと、そんな話をしていた。

「おい、お前。そいつを殺したのか?」

「警察を呼ぶぞ」

 と口々に脅したが、反応がないことに苛立った一人の少年が、

「聞いてんのかよ!」

 と言って、石を投げつけた。その石は神の手前で宙に浮いたまま静止して落ちた。それが少年達にははっきりとは見えていなかったが、目の前にいる少女が普通ではないことに怯え始め、逃げようとしたが、神はそれを許さなかった。

『逃しはせぬ。醜き者よ、紅蓮の炎に舞い散れ』

 神が左手を振ると、少年達は炎に包まれ、火柱が立った。炎の中でもだえ苦しむ黒い人影が見える。

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