忠臣蔵アナザー・ストーリー 再会
青井栄
第1話
忠臣蔵アナザー・ストーリー
再会
青井栄
【登場人物】
藤井又左衛門改め左門宗茂 (赤穂浅野藩次席家老、浅野内匠頭長矩刃傷事件当時江戸家老。刃傷事件後、討ち入り派と相容れず、知人の富山前田藩家老を頼んで越中射水郡小杉村に移り帰農。豪農赤井屋九郎平の娘を後添えとして娶り、一男(後の藤井右門)一女を設ける)
藤井与右衛門改め又右衛門以鉄 (赤穂浅野藩次席家老、刃傷事件当時、父又左衛門とともに江戸詰、生没年不詳)
香林院(大石りく) (赤穂浅野藩主席家老大石内蔵助良雄の妻)
医師装束の男が室津の豪商魚屋の門を叩いたのは、享保十五年、風薫る爽やかな昼下がりであった。
「ごめん、藤井又右衛門と申す、こちらで藤井左門殿と待ち合わせをしておるのだが」
と手代風の男に言うと、
「すでにお越しでございます、どうぞ、こちらへ」と離れへ案内してくれた。
その後を男よりも一回りほど年長の五条の袈裟を装った女がついて行く。
廊下の奥の部屋の前で跪くと障子越しに
「父上、以鉄でございます」と声をかける。
「おお、そうか、よう来たの、早うお入り」
障子を開けてにじり寄るとそのまま端坐して「今日は、珍しい方をお連れしました」
と言い
「さあ、どうぞ、お入りください」
と廊下へ向かって促すと、連れの袈裟装束の女がにじり入ってきて、又右衛門のわきに端坐したまま顔を伏せる。
「はて、どなたでしたかな」
「お久しゅうございます、息災でおいでのご様子、何よりでございます」
と言って顔を上げた。
「おお、これは」
と言ったまま、後が続かない。
「まさか、りく様では」
とやっとの思いで言うと
「お目にかかれ執着にございます、三十年の辛苦でやつれ果ててしまいましたので、おわかりにならぬのではないかと懸念しておりましたが、お気づきいただきうれしゅう存じます」
「あの節は、内蔵殿と行き違うてしまい、さぞかしお恨みでございましょう、面目次第ものうて、わしは越中へ、倅は芸州へ逃れてしまいましたので、もうりく殿と今生でお目にかかることはあるまいと、諦めておりました」
「辛苦を重ねてまいりましたので、もうすべて忘れてしまいました。又右衛門様と広島でお会いする機会がございまして、左門様のご様子も伺っておりましたので、こうしてお目にかかれる日が参りますのを一日千秋の思いでお待ち申しておりました」
「倅からの書状では、ご子息が内蔵殿と同じ禄高で芸州藩に仕官いたされ、ご子息、りく様ともども大石姓を名乗る許しを得られたとの由、祝着至極に存じます、泉下の内蔵殿もさぞかしご安堵のことでございましょう」
「忝う存じます、が・・・・」と眉を曇らせるりく。
「何か、ございまして?」
「いえ、又右衛門殿からお聞き及びのことかと存じますが、あれもいろいろございまして、母といたしましても、難渋いたしおる次第です」
「いえ、まだ、父には何も申しておりませぬ」と又右衛門。
「大三郎、なんともお恥ずかしい様になっておりまして、こうして、落飾して香林院を称しておりますのも、倅の行状ゆえにございます」
「そうでございましたか、色々おありのようですが、子細はお聞きせぬことにいたしましょう」
「そうしていただけますれば幸いに存じます、また、私のおりませぬ席で、又右衛門殿からお聞き及びくださいますようお願い申し上げます。・・・・左門殿にも越中でご子息がお産まれになったやに伺うておりますが」
「恥ずかしながら、越中へ参りましてから、後添えをもらいまして、二児をもうけましてな、一人は男児にて、今年で十歳になります」
「それは頼もしゅうございますな。又右衛門殿はまだその弟御にはお会いになっておられぬとか」
「はっ、また、いずれ近いうちに越中の方へ参ろうと存じます。先年、妻を亡くし、家の方は倅に任せておりますので、これからはあちこち旅をして参ろうと思うております、そのうち吉太郎にも会いに行けると思います」
「ぜひ、そうしてくれ、わしも長い間会うておらんでのう。ほとぼりも冷め、わしが射水を発って網干の灘屋に世話になってかれこれ五年になる、そのように計ろうてくれるとありがたい」
と言うと、りくに向かって
「この度は、船でのお参りでございましょうな」
「又右衛門殿の手配で、広島から乗船しまして、忠海を経、鞆で先回りをしておられた又右衛門殿と合流し、室津へと、幸い風待ちもなく、順風満帆の船旅でございました。左門殿は駕籠でございましたか」
「いや、わしは灘屋の便船がございましてな、それで参ったのでございます。いやあ、思い出しますのう、この辺りは庭のようなものでござった。若い頃、内蔵殿と加里屋の城門から馬を飛ばして峠を越えて室津へ乗り入れ、帰りは御崎まで船を使うたりしたものでございます。御崎から加里屋までは、漁師に舟を出させたり、泳いだこともございました。一度など、内蔵殿がこむら返りを起こしましてな、ははは、又右衛門も松之丞殿とよう遊んでおったのう」
「はい、歳は少々離れておりましたが、お隣同士、よう遊んでおりました」
「そうでした、一度など、二の丸先の浜で潮が満ちて沖に取り残され、泣きべそをかいて戻って参ったこともございましたな。そうそう、開城の砌、与右衛門殿が安兵衛殿と揃うてお城入りをなされたのには驚きました、いよいよ与右衛門殿も変節をなされたのかと思いましたぞ」
「おお、あれには、わしも仰天したぞ」
「あれは、江戸を発つ日は違うておりましたのに、安兵衛殿は東海道を、私は中山道を通りましたので、たまたま同じ十四日に加里屋入りの運びとなり、城門で鉢合わせをしたまでにございます」
「まあ、よい、もう済んでしもうた話じゃ、のう、りく殿。して、此度は加里屋へはお出でになりますかの、花岳寺で弔いの経をお上げになるようでしたら、大野殿ほどではござるまいが、わしら親子はまだ悪評が残っておりましょうから慎みとう存じますが、ここからの船の手配をさせていただきましょう」
「それはありがとう存じます、では、お手を煩わせていただきましょう、妾母子も弔うてやらねばなりますまい。妻妾同居をいたした仲でありましたのに、殿がご短慮遊ばされましたゆえ、あの者らにもかわいそうなことをいたしました。安井殿と大野殿については、何かご存じでございましょうか」
「安井殿はお気の毒なことでした、あのような死に目にお会いなさろうとは、再仕官が決まったやに噂されておりましたのに。大野殿は、風の便りはいくつかございますが、くわしいことはわしもよう存じておりませぬ。如才のない大野殿のことゆえ、名を変え、どこぞでひっそりと余生を送っておいでのことでしょう」
「ところで又右衛門殿、開城後、広島へ参られますまでの経緯のほど、これまで伺おうと思いながら、訊きそびれておりました。よろしければここで」
「はあ、ごった返している中、ご家老にもりく様にもお別れの挨拶をいたす間もありませず、そそくさと加里屋を後にしましたものの、間道を抜けようにも龍野藩、岡山藩の監視の目が厳しく、難儀をしました、医師の身形に身をやつしてなんとかかいくぐりましてございます。やっとの思いで日生までたどり着き、船で忠海へ向かいました。そこから三次浅野藩に入り、医師の生業を始めましたものの、瑤泉院様の里でございますので何とのう居心地が悪うございまして、再び忠海へ戻りました。と申しますのも、三次藩のご家老から、安芸の神山という、藩主が巡幸の折りに使われる街道沿いの村に、青山という、輝元公の御落胤の子孫がおられるので、頼られてはいかがでしょうとのお話があったのでございます。神山に参りますと、小さな村でしたので街道傍の青山善二郎屋敷はわけものうわかり、早速門を叩いて、氏素性を明かし、事情を打ち明けますと、快う受け入れてくださいました。善二郎殿によりますれば、青山家の祖は青山次郎左衛門時経と申し、輝元公の側室の産みました子でございましたが、改易の不安におののいておりました輝元公が家康公の怒りを恐れたあまり、毛利の姓を名乗らせれば命を狙われる虞れがあるというので、毛利ではなく青山の姓を名乗らせ、郎党数名をつけて、神山に蟄居させたとのことでありました。同類相憐れむと申すのでございましょうか、快う受け入れていただき、しばらくは青山家に居候をさせてもらいましたが、やがて屋敷そばの光圓寺の住職から、一里も離れておりませぬ焼山村の円福寺を紹介いただいて、焼山へ移り、縁あって円福寺の娘を娶りました次第にございます」
「そうでしたか。ところで、左門様、加里屋の屋敷はどうなっておりましょうか」
「元のままの由にござる。今日は無理でございましょうから、明日、花岳寺のついでに城内に足を伸ばしてご覧になられてはいかがでござろう」
「はい、そういたしましょう。暗うならぬうちに船で城下に入ったほうがよろしゅうございましょうな、では、そろそろ船の便がのうなりましょうから、お暇をせねばなりますまい。三十年ぶりにご尊顔を拝し、生き返ったような心地でございます。忝のう存じました。また広島へお越しの節は、国泰寺の庵に潜んでおりますので、遠慮のうお訪ね下さいまし」
「こちらこそ、冥土のよい土産ができました、忝のう存じました。わしといっしょのところを見られましたら、ご迷惑がかかるやもしれませぬので、わしはここで失礼をいたします。又右衛門、船の手配はできておるの」
「はい、先ほど、手代に頼んでおきました」
「では、港まで送って差し上げなされ」
「お名残り惜しゅうござりますが、では、これにて、ご息災をお祈り申します」
「冥土も近うなって参りましたが、またの機会が参りますまで、ご息災をお祈り申し上げます。大三郎殿にもよしなにお伝えくだされ、るり殿と申されたかな、娘御にもよろしゅうに。ではこれにて」
忠臣蔵アナザー・ストーリー 再会 青井栄 @septimius
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