第32話 新たなる敵

「ご主人様、チュ、チューはいつして頂けますか? わ、私は、いつでも、どこでも大丈夫です!! な、なんならここでだって!!!」


そう言ってリュシアは顔を真っ赤にすると、俺の前で瞳を閉じて何かを待つような仕草をするのだった。


「む、無理をする必要はな・・・」


「無理なんてしてません! ご主人様にチューしてもらえるなんて、私は世界一の幸せものです!!」


そう言って目を閉じたまま、本当に幸せそうにニコニコと微笑むのであった。


いつでも準備OKという感じだ。


むむむ、弱ったな。


俺は頭を抱える。


リュシアはまだまだ子供だ。


きっと俺への信頼感を、恋と取り違えているのだろう。


もちろん、リュシアは街を歩けば男が全員が振り返り、女性が全員信じられないと目を丸くして嫉妬するほどの美少女だ。大きくなれば、どの男も放っておかないほどの美人になるだろう。


そんな少女が本当に俺に対して恋心を持っているのならば嬉しい限りだ。だが、当然そんな夢のような話しはないだろう。


まったくもって、将来夫になる相手が羨ましい限りだ。


そんなわけなので、俺が今、リュシアの唇を奪うというのは、その幼くて純粋な信頼感に付け込む行為に他ならなかった。


俺の孤児院の大切な子供に、俺自身がそのようなことをする訳にはいかないだろう。


だが、そんな風に考えを巡らしていると、徐々にリュシアの立っていた耳がシュンとなり、目に涙を浮かべ始めたのである。


「リュ、リュシア?」


「ご、ご主人様は・・・ぐす・・・私のことを・・・ぐすぐす・・・お、お嫌いなんですか?」


そう泣きそうな声でリュシアは俺に聞くのであった。


俺は柄にもなく焦り、


「そっ、そんな訳ないだろう? 前にも言ったはずだぞ? 世界一大切な存在だって」


「うそ、うそです!! だったら、何でチューしてくれないんですか!!!」


そう言って、ついにポロポロと涙を流し始めたのである。


まさかチューしないことで、これほどリュシアがショックを受けるとは思わなかった。


だが、それは恋がどうこうと言うより、きっと、拒絶されたことに動揺しているのだろう。


よく考えれば彼女には俺と孤児院の仲間しかいないのだ。


特に親代わりの俺に拒絶されたとなれば、大きなショックを受けるのは当然だろう。


くそ、俺の考えが浅かったな。


幼いとは言え、奴隷として虐待されて来たことから、拒絶されることにトラウマがあるんだから。


だが、こういう時はどうすれば良いのだろうか?


女性の扱いなど分かる訳がない。特に泣いている女性の取り扱い方など。


だから、俺は正直に打ち明けることにしたのだった。


「リュシアのことは本当に好きだし、大切だよ。だけど、お前はまだまだ子供だ。俺のことを信頼してくれるのは嬉しいが、それを恋だと勘違いしているんだと思う。だから、チューは本当に好きになる人が出来るまで取っておいた方が良いと思ったんだ」


その言葉に、リュシアは一瞬ポカンとした表情をした。


そして、すぐに何かを言おうとするが、なぜか彼女はその言葉を飲み込むと、言い直すかのように話し始めたのであった。


一体、どんな言葉を飲み込んだのだろうか。


「えっと・・・ともかくご主人様は私を嫌っている訳ではないんですね?」


その質問に俺は、


「当然だろう? 俺にとって世界で一番大切な存在だ」


と即答する。


すると、少女は頬を染めながら、


「そ、そうですか。で、でも、チューはだめなんですね? 私が子供で、まだ恋じゃないから?」


「まぁ、そういうことだな」


その返事に、またリュシアが泣いてしまうのではないかと焦ったが、俺のそんな様子に、リュシアはくすりと微笑むと、


「・・・えへへ。なーんだ、ご主人様でも分からないことがあるんですね。私、安心しちゃいました」


と、言ったのである。


「ん? どういうことだ?」


俺は首を傾げて尋ねるが、リュシアは先ほどまでの涙が嘘だったかのように、花の様に笑いながら、


「秘密です。私が大人になったらお伝えしますね!!」


そう言って、幼さを感じさせない、美しい笑顔を見せるのであった。


俺はその言葉の意味が分からず、やはり、ただひとり、首を傾(かし)げたのである。


なお、そんなやり取りを脇で見ていた他の少女たちは、


「マサツグさんにあんな風に大切されて羨ましいなぁ、リュシアちゃん・・・。さすが第1夫人・・・。正妻の貫禄・・・。わたしも第2夫人として色々勉強しなくちゃ・・・」


「ずるい~。わたしもマサツグさんとあんなロマンチックなやり取りがしたい~」


「あれが天然の力でしょうか。わたしもあやかりたい・・・」


などといったよく分からないコメントをしていたのであった。


うーん、本当にどういう意味なのだろうか?


・・・・・・・・・さて、そんなこんなのやり取りがあり、結局リュシアのお願い事は、俺とのデート、ということで落ち着いた。もちろん、俺としては「他の物が良いのでは?」と言ったのだが、リュシアが余りに悲しそうな顔をするので、とてもそれ以上言うことは出来なかったのだ。


まぁ、そもそも、ドラゴンを倒したら何でもお願いを聞いてあげると言っておきながら、チューを撤回させているので、今回のお願いごとを覆すことは難しかったのだが。


それに、


「ご主人様、わたし生きてて良かったです・・・」


俺とデートするくらいでリュシアがこれほど喜んでくれるのだから、安いものである。


やれやれ、どうしてそれほど有難(ありがた)がることやら。


まぁ、それはともかくだ。


「ご褒美の話はこれくらいにしておこう。さて、世界最強と言われた災厄の龍、カラミティ・ドラゴンは退治したわけだが・・・シルビィ、この後はどうしたら良い? 冒険者ギルドへ報告に赴(おもむ)けば良いのか?」


俺の質問にシルビィは慌てて首を横に振ると、


「とんでもございません。世界をお救い頂いた方にご足労を賜る訳には参りません。救世主様のご都合の良い時に、ギルドマスターがじきじきにご報告を拝聴しに参る事になります。とはいえ、今回はギルドマスターの娘であり、受付嬢である私も、この目で確認しておりますので、実質的には、冒険者ギルドから救世主様に、お礼を申し上げるための機会を設けて頂くのだとご理解頂ければ幸いです」


「なるほど。だが、礼など不要だぞ? 俺はそういうのは肩が凝るから嫌いなんだ。そもそも名誉にも権力にも興味ないしな。俺はただ孤児院を守りたかっただけで、世界を救ったのはたまたまなんだから」


その言葉にシルビィは一層、瞳に浮かべた畏敬の念を深くすると、


「ご意見はごもっともです。ですが、どうにかお礼を申し上げる機会を頂けないでしょうか? 世界をお救い頂いた方に感謝したいというのは、私たち救われた者達の自然な気持ちなのです。何卒、ナオミ様に感謝する機会を下さい!!」


そう言って深く頭を下げたのであった。


「うーん、俺としては煩(わずら)わしいだけなんだがな・・・。だが、どうしてもと言うなら構わない」


「あ、ありがとうございます!!! お日にちはまたお知らせに上がります!!!!」


そう言ってシルビィは更に深く頭を下げるのであった。


はぁ、やれやれだな。


だが、なるほど、彼女の言っている事ももっともだ。


俺は少しだけ自分の浅慮(せんりょ)を恥じる。


俺は救う側なので、彼ら救われる側の気持ちに気付いていなかったようだ。


俺にそんなつもりがなくても、人々にとって俺は世界を救った英雄なのである。


英雄とは崇拝の対象だ。


そんな俺に感謝を捧げたいと思うのは、庶民にとってごく自然な感情だろう。


信仰に近い気持ちなのだろう。


それゆえに、俺が止めようとしても、実際に世界を救ってしまった以上、尊敬されることをやめさせるのは難しいだろう。


やれやれ、俺はれっきとした人間で、神様でもなんでもないんだがな。


だが、何もしない神様よりも、世界を実際に救済した俺が敬われるのは当然と言えば当然なのだろうが。


それにしても、


「はぁ・・・」


俺は溜め息をつく。


こういう煩わしい事態になるのが嫌だったから、目立ちたくなかったのだ。


とはいえ、いくら俺がどれだけ目立たないようにしても、結局滲み出る才能や存在感、優れた人格によって人々が俺を放っておかない。


くそ、一体どうすれば静かに暮らしていけるのだろうか。


俺としては孤児院の経営だけに集中していたいのだがなぁ。


世界など救っている暇はないのだ。


と、そんなことを考えているとき、不意に山間に昏(くら)い声が響いた。


「序列10位が倒されたか・・・貴様、一体何者だ・・・」


それは闇が凝集し、狂気が根底に揺蕩っているかの様な不気味さを帯びたものであった。


そして、その声が聞こえ始めた途端、先ほどまで快晴だった空は忽ち雲に覆われ、ゴロゴロと雷鳴を響かせ始めたのである。


だが、俺はそんな突然の事態にも慌てることなく、


「ふむ、どうやら念話を大規模魔力で送って来ているようだな・・・。大方、邪神の部下の一人と言ったところか?」


そう落ち着いて問い返した。


すると、その声は感心した様な声色(こわいろ)で、


「ほう、よくぞ見破った。我は序列7位、ウイクラム。悪鬼の王として大地を死で埋め尽くしたものよ。序列10位の様子を遠見で身に来れば、まさか倒されているとはな。ふ、まぁ、奴は邪神様の情けで幹部になったような者。この我とは違う。既に、我が計画は着々と進んでおる。近きうちに、お前も世界も、その脅威に慄(おのの)くであろう」


そう言って笑うのであった。


だが、俺はそんな言葉を鼻で嗤(わら)うと、


「俺にとっては序列10位も7位も変わらん。そもそも興味が無い話だ。だが、まぁ立ちふさがるならゴミのように掃除をすることになる。怪我をするだけだから、やめておくのがおすすめだ」


そう親切心からアドバイスするのであった。


だが、


「く、くくく、がーはっはははは!! 面白い、面白いぞ人間!!! 悪鬼の王と言われた我にそのような戯言(ざれごと)を申すとはな!! だが、邪龍を倒したからと言っていい気になっていられるのは今の内だぞ! 精々、短い平和に浸るのだな!!!!」


その悔しそうな言葉を最後に、不気味な気配は去り、曇り空は快晴へと復帰するのであった。


やれやれ、と俺は嘆息する。やはり、俺がどれだけ目立たないようにしても、向こうから俺を見付けてしまうものらしいな。


まぁ、それは俺が英雄だということなのだろう。


嬉しくとも何ともないが。


そんなことよりも、今の出来事で少女たちが怯えてなければ良いのだが。


俺はそう思って彼女たちの方を見る。


だが、リュシアは俺とのデートのことで頭がいっぱいなのかニコニコとしているし、その上エリン、シー、シルビィも、


「つ、次の戦いは私にお任せ下さい、マサツグ様!! そ、それで、もし倒した暁には、わ、私にもご褒美を!!!」


「あ~、エリンちゃん抜け駆けずるい~。私も久しぶりに神様モードで頑張って~、マサツグさんにいーっぱいご褒美もらうんだから~」


「いえ、エリン様やシー様の御手を煩わせるのは得策ではありません。ここは私がですね・・・」


などと、非常に張り切っている様子なのであった。


えーっと、一体どうしたんだ、お前たち?


俺は彼女たちの様子に首を傾げるのであった。


一体どんなご褒美を欲しがっているんだろうか?


俺にしてあげられることなんて殆(ほとん)どないんだがなぁ。

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